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見て、月だよ  作者: 不覚たん
第一部 青
7/82

アコースティック・キティー

 だが、多賀峰との接触は難航した。

 西那さんの協力を得られなかったからだ。


「え、多賀峰さんを紹介して欲しい? こんなときに女性あさりですか? お断りします。そんなこと、ご自分の立場を考えたらできないと思いますけど?」


 それが彼女の回答だった。

 人の思考を勝手に決めつけて勝手に怒っている。まあそれはいつものことだが。これでも学校の先生が務まっているのだから複雑な気持ちだ。


 ともあれ、いちおうもうひとつ手がある。

 たまこのお姉さんに探してもらうことだ。

 彼女はなぜかアパート内の状況を把握している。


 しかしお姉さんに依頼するとなると、代わりに俺がズボンを脱ぐハメになる。べつに恥ずかしくはないし、個人的にはいいのだが……。社会通念上、応じるべきではないと考える。

 俺は法律さえ守れない人殺し野郎かもしれないが、決して人間社会を破壊するために活動しているわけではない。


 やはり自力で探すしかなさそうだ。

 西那さんを張っていれば、いつか接触してくるはずだ。女子校には二度と近づきたくないが。それ以外の場所ならマークすることができる。


「プリンあるか?」

 俺がひとり黙考していると、壁の穴からクソガキが入り込んできた。

 当然なにかもらえるといった態度だ。

「ねーよ」

「ねーよ? オマエ、あーしにそんなこと言える立場なのか?」

「なんだよ? お前に優しくしたら、なにかメリットでもあるのか?」

「あるゾ。言わねーけどな!」

 クソガキは今日もクソガキぶりを全開にしている。


 俺はやむをえず棚から煎餅を取り出し、何枚かくれてやった。

「煎餅でいいか?」

「いい!」

 そしてソファを占拠して食い散らかすクソガキ。

 いや、いいのだ。

 クソガキの無邪気な姿を見ていると、なんだか幸せな気分になる。煎餅ごときで簡単に喜びやがって。イヌかネコみたいだ。


「水もくれ!」

「おう……」

 俺はこいつをもてなすウェイターなのかもしれない。

 言われるままに水を出してやるとしよう。


「それにしても、お前はいつも、なんでそんなに飢えてんだ? お姉さんがおいしい料理を出してくれるんじゃないのか?」

「えっ? まあ出してくれるけど、姉ちゃん小食だからなー。だから足んねーぶんは自分で探すしかねーんだゾ」

 この「自分で探す」には、俺の提供する煎餅も含まれているのだろうか?

 クソガキの脳内では、自力と他力が高度に融合しているようだ。


 俺はクソガキが煎餅を食い終えるのを見計らい、こう切り出した。

「よし、食ったな? じゃあ役に立ってくれ。なにかメリットがあるんだろ?」

「ん? 勘違いすんな。あーしがここにいること自体がオマエにとってメリットだゾ」

「デメリットの間違いじゃないのか?」

 俺は皮肉を飛ばしたが、おそらく理解していないのであろう、クソガキはニヤリと笑みを浮かべた。

「しょーがねーな。好きなだけなでていいゾ」

「は?」

「いつもやってるだろ。お前はなで方がうまいからな。好きにしていいゾ」

「バカ言うな。俺はそんなことしない。なんなんだよ『いつも』って。いったいいつのことだ?」

 すると彼女は、すっと素に戻った。

「あ、そっか。オマエ、知らないんだっけ?」

「なにを」

「お前がいつもなでまくってるネコ、あーしだゾ」

「は?」

「だから人間じゃないって言っただろ。あのネコ、あーしなの」

「……」


 致命的な栄養不足が、脳に深刻なダメージを与えているのかもしれない。

 このクソガキは、どこからどう見てもただの人間だ。ネコに似ているのは、風呂に入ってないという点だけ。いや、じつは入っているのかもしれないが。いつも意味不明に汚れている。


 かと思うと、いつの間にかクソガキの姿が消えていた。置き去りにされた服の中から、ネコが出てきた。


「にゃあ」

「えっ?」


 廊下でよく見る野良ネコだ。

 西那さんが餌付けして囲っているネコ。

 そのネコはこちらに近づいてきて、頭をこすりつけてきた。


 本当に?


「お手」

「にゃあ!」

 俺が手を出すと、イラついたようにネコパンチをしてきた。

 こいつは……。


 するとネコは、ぷいとあっち側を向いて、壁の穴から隣室へ消えてしまった。

 かと思うと、今度はクソガキが顔だけ出してきた。


「すっぱだかになっちまった。服とってくれ」

「ほ、本当にお前……なのか?」

「いま見せただろ。早く服よこせ。泣くぞ」

「おう……」


 俺はソファの服をかきあつめ、穴に放り込んでやった。

 しばらくすると、ちゃんと服を着たクソガキが戻ってきた。


「つまりこういうことだゾ。あーしはネコなんだ。人間じゃない。普通のネコでもねーけどな。どうだ? すごいだろ?」

「ま、まあ……確かにすごい……か……」

 ここに住んでいるのは人間だけじゃない。

 そういう話はよく耳にする。

 まさかこんな近くに実在するとは思わなかったが。


 クソガキはソファにふんぞり返った。

「それで? 女を探してるんだよな? ガッコのババアを見張りたいんだろ? あーしに頼んだほうがいいんじゃないのか?」

「ババアはやめろ。そんな歳じゃない。いや仮にそんな歳だったとして、もっと言い方ってモンがあるだろ」

「おぉん? あーしにお説教か? いいのか? あーしの力が必要なんだよな? あーしの機嫌を損ねるような発言は、控えたほうがいいんじゃないのか? ん?」

 このクソガキ……。


「なにが目的だ?」

「プリンだゾ。それも、ひとつやふたつじゃねー」

「まさか、無限のプリンか?」

 俺がそう尋ねると、クソガキはびくっと身を震わせた。

「無限はダメだゾ。神さまに殺されっちまうからな。適度な量を希望するゾ」

「お前、ネコの状態でいろんな人から餌もらってんだろうが。どんだけ食う気だよ」

「食えるだけ食うに決まってんだろ! なんせこっちは食堂を出入禁止になってるんだからな!」

 どうせ食堂でつまみ食いでもしたんだろ。

 お姉さんは小食、食堂は出禁、だから自力でメシを集めている、というわけだ。


「分かった。プリンだな。できるだけ提供しよう」

「約束破ったらおまえんちの前で泣き叫ぶからな」

「分かった」

 子供を泣かせたなんてことになれば、俺はこのエリアを追放されるだろう。

 ここらの住人を愛しているわけではないが、しかしここの治安のよさは捨てがたい。できればよそへは行きたくない。


 話はまとまった。

 それでもクソガキは帰らない。

 ニヤニヤしている。


「やー、でもオマエ、なかなか幸せなヤツだゾ」

「なにがだ?」

「姉ちゃん、ずっとオマエの話ばっかしてるんだ。あれは絶対好きになったゾ」

「ホントかよ? 好きになる要素なかっただろ」

 怪しい薬の入ったアップルパイを食わされ、身体の自由を奪われた。そのあと運よく逆転できた俺は、彼女を縛りあげ、説教して追い出した。

 恋愛に発展しそうな要素はひとつもない。


「気にするな。姉ちゃん、男と会うとすぐ好きになるんだ。結局のところ、どんなヤツでもいいんだゾ」

「つらい現実を突きつけるな」

 どうでもいい男と、誰でもいい女。

 それは最悪の組み合わせだ。


 それに、俺は彼女を許したわけじゃない。

 いかに胸がデカくて顔がよく、なおかつ料理が上手かろうと、彼女はまぎれもなく悪人だ。

 仮に悪意がなかったとして、やっていることが悪なら、俺は悪人として扱う。


 クソガキはじっとこちらを見つめてきた。

「嬉しくねーのか? 姉ちゃん、乳だけはでけーゾ?」

「人間の価値ってのは、そんなことじゃ決まらないんだよ」

「カーッ! いっぱしの人間みてーなこと言ってるゾ。オマエ、意外と真面目なのな」

「曲げちゃいけないものがあるんだよ。特に、俺の人生においてはな」


 俺たちの社会は法によって成立している。

 だから本来、復讐などすべきではないのだ。もし問題が起きた場合、あくまで公的機関が、しかるべき処置をする。被害者は、それをもってよしとせねばならない。

 あくまで建前上は。

 俺は建前を破って逮捕された。無期懲役。死刑でもよかった。主犯の命を奪ったのだ。そう思い込んでいた。


 なのにまだ多賀峰がいた。

 そいつが波谷志をけしかけて、一二三を襲わせたのだという。


 一二三はずっと泣いていた。

 俺に助けを求めていた。

 だが、俺は動けなかった。恐怖で動けなかったわけじゃない。頭を鉄パイプでぶん殴られて、そのあとメチャクチャにやられたせいで、物理的に動けなかったのだ。あのとき俺は助からないと思っていた。


 五人が去ったあと、一二三が手当てをしてくれた。

 傷ついているのは一二三も同じなのに。


 警察へは行かなかった。

 一二三とその親が、警察沙汰にしたくないと主張したからだ。

 子供のケンカということで片付いてしまった。

 ケンカなんてレベルじゃなかったのに。


 一二三は、明らかに以前の元気を失っていた。

 気がつくと泣いていた。

 俺にはどうしようもなかった。


 そして秋が終わるころ、一二三はこの世を去った。

 ぽっかりと心に穴が空いたような、という表現があるが、まさにそれだった。そしてその穴は、やがて憎悪で満たされた。

 俺は絶対に、あの五人を殺そうと心に決めた。

 長いこと計画を立てて、運よく三人を始末できた。

 だが、その後の展開がなかった。


 *


 俺は自宅近くの休憩所へ向かった。

 ここは治安がいいから、付近の住人が溜まっている。つまりベンチは埋まっている。俺はフェンスに寄りかかり、景色に溶け込もうとした。

 普段いない俺がいるせいか、住民たちは不審そうにジロジロ見てきた。いちおう頭をさげて挨拶はしたのだが。

 なにか苦情でもあるのだろうか?

 失礼としか言いようがない。

 確かに俺は、このコミュニティにとってフレンドリーな存在ではない。みんなと意見が合わないときは、素直にそう言う。ウソをついてまで悪い意見に賛同しても仕方がないからだ。

 だがこいつらは、自分たちがここを仕切ってるつもりでいる。自分たちになじまないものを許容せず、異物として扱う。

 どこへ行っても「田舎ローカル」は形成される。都市部であろうが関係ない。根がそうなのだから、どこに住んでいようが同じことをする。


 今日は学校が休みらしく、西那さんもいた。そこへ野良ネコが近づいてゆく。

「あらぁ、みゅーちゃん。今日は自分から来てくれたの? んー? もしかして、うちの子になりたくなっちゃった?」

 年甲斐もないネコなで声で、ネコに餌を与え始める。

 勝手に名前までつけやがって。

 与えているのはペット用の缶詰。神さまにお願いして手に入れたモノだろう。そこまでしてネコを独占したいのか。


 しかも勝ち誇った顔でこちらを見てくる。

 きっと彼女はこう言いたいのだ。

「ネコちゃんは、あなたではなく、私を選んだのよ」と。


 呑気なものだ。すべてこちらの作戦通りとも知らずに。

 思う存分ネコと戯れるがいい。

 それが許されるのもいまだけだからな。


 さて、俺はずっと休憩所にいるわけにはいかない。

 多賀峰は俺の存在を認識している。だから、俺がいる間は、彼女も姿を現さないだろう。

 もし多賀峰が姿を現したら、クソガキが彼女を追跡することになっている。そうして自宅を特定する作戦だ。

 多賀峰もまさかネコがスパイだとは思うまい。


 問題は、多賀峰が近いうちにビーストになるかもしれないということだ。

 彼女は津邑を八つ裂きにしている。

 そんなヤツが、いつまでも人の姿でいられるとは思えない。

 まあ獣になってくれたら殺す理由はできるが。そうなる前に、当時の状況を聞き出しておきたい。

 時間との勝負になる。


 ふと見ると、ネコは仰向けになり、西那さんになでられまくっていた。とても満足そうな顔だ。

 大丈夫なんだろうな?

 自分の任務を忘れてないよな?


 いや、中身はクソガキなのだ。

 過度に信用すべきじゃない。

 念のため、別の策も考えておいたほうがいい。


 問題は、その別の策とやらがまったく思いつかないことだが……。

 こういうとき、一人でいることの限界を感じる。どう考えても複数の知恵があったほうが強い。仲間がいないよりも、いたほうが効率的だ。

 俺はここでの生活を見直したほうがいいのかもしれない。


 だけど、いまさら?

 損得のために?


 目的を見失っている気がする。

 そもそも俺はなにをしたくて、そのためになにをすべきなのか。一度しっかり考え直したほうがいいのかもしれない。


(続く)

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