その頂にあるもの 一
「内容は?」
俺がベンチに腰をおろすと、男も少しスペースを開けて座った。
「供物って知ってるか?」
「お供え物のことでしょ?」
「じつは人間界から、この世界に供物を輸入していてな。それでこの世界が潤っているってわけだ」
「はい?」
人間界から?
輸入?
俺は上を見て、下を見て、そして自力での理解をあきらめた。
「ここって、外部から隔絶されているのでは?」
「まあ基本的にはな。だが、例外はある。このアパートには『入口』と『出口』がそれぞれあってな。その『入口』から供物を搬入してる」
水輪に出口があるのは知っている。
だが、入口がどこなのかはまだ把握していなかった。
「具体的には、どこからです?」
「本館の最上階だ」
「行きませんよ、そんなとこ。危なすぎる」
本館をナメてるのか?
死ぬぞ。
男は渋い表情をした。
「なにも一人で行かせたりしねぇさ。まずは話だけ聞いてくれ。腕の立つヤツが必要なんだ」
「べつに腕も立ちませんから」
俺は武器を所持していない相手を一方的に斬りつけて生きてきた。剣の達人でもなんでもない。もし自分をヒーローと勘違いして刀を振り回し始めたら、高確率で死ぬだろう。
彼の話はこうだ。
古い取り決めにより、定期的に人間界から供物が送り込まれてくる。
人間界に災厄をもたらさないためのお供え物的なものらしい。
供物は常に本館の最上階から搬入され、禁足地の作業所で分配される。
ところが、このところ分配が滞っているのだという。作業所がくすねているのではない。作業所にさえ届いていない。届くとしても、三回に一回。
男は眉間をもみほぐしながら言った。
「俺は、途中で何者かに横取りされてると睨んでる」
「そもそも誰が運んでるんです? 襲撃にあったってんなら、そいつらに聞けばいいのでは?」
「そこなんだ。じつは搬送は自動化されててな。基本的に式神が運んでる。搬送中は供物も粒子化されてるから、普通は奪ったりできない」
「普通じゃない方法なら可能だと?」
「その通り。術を使って、粒子状態からもとの状態に戻すんだ。それ以外に盗む方法はない」
本館には術の得意なヤツがゴロゴロいる。
ただ、先生はもういないし、伽藍爺も逮捕された。犯人は、それ以外の誰か。きっと俺の知らないやべーやつだ。
「報酬は?」
「本館の金で100万出す」
「えぇっ?」
俺の借金も約100万。
すべてをいっぺんに返済できる額だ。
この紙幣は、御所にもっていくと、額面1あたり1ミリリットルの血液に交換してもらえる。
100万なら1000リットル。重量換算で約1トン。血液だと思えば気持ち悪いが、金だと思えばありがたい。
「不服か?」
「いや、額がデカすぎて、逆に信用できませんよ。誰がそんなに払ってるんです?」
「アパートの管理組合があるんだよ。ただ、誰でも参加できるわけじゃない。厳格な規定がある。勝手に部外者を入れたら……。いろいろ面倒なんだ。だからこうしてコソコソお願いしてる。あんた、霧島さんだよな? 活躍は聞いてるぜ。手を貸しちゃくれねぇか?」
管理組合、か。
まあこれだけサービスが充実しているのだ。スエさんの力だけでなく、人々の働きもあったということだ。きっと食堂の婆さんもそうなのだろう。
「腕の立つヤツなら、なにも俺じゃなくても……」
「そうかもしれねぇが、こいつは誰にでも頼める話じゃねぇ。他の組合員にバレねぇように、慎重に進める必要がある。荒事に慣れてて、なおかつ口の軽くねぇヤツが必要なんだ」
いちおうまともな仕事だ。
前回はアパートのために働いたのにマイナスだったんだから、今回の件で帳消しにするのは悪い話じゃない。いい話でもないが。
「分かりました。検討しますよ」
「俺の固有情報を渡しておく。連絡してくれ。いいか、くれぐれも内密にな。仲のいい仲間にも話すな。どこから漏れるか分からない」
「了解」
彼はポケットから無造作に紙切れを渡すと、立ち上がって行ってしまった。小さな護符だ。名刺代わりといったところだろう。
休憩所に人はいたが、俺たちの近くにはいなかった。
誰にも聞かれてはいないだろう。
見られはしたかもしれないが……。
*
数日後、俺は一人で本館へ向かった。
同居人たちには、ただ野暮用だと告げて。仕事じゃないからジャージで来てしまった。
待ち合わせ場所は、禁足地を出て少し行ったところだった。ピンクのドアの部屋の近く。ここは前にも来たことがある。
そして見覚えのある、帽子をかぶった骸骨みたいな男。
和木巡査だったか。
「やや、これは霧島どの! ご無沙汰しております!」
いきなりの敬礼。
俺も敬礼で返した方がいいのか……?
「その節はどうも……」
サングラスの男がふっと笑った。
「なんだ、知り合いか? なら紹介する手間が省けたな」
この男の名は日暮。
ちゃんと確認していないから断言はできないが、不命者ではないと思う。
そしてもう一人、頭からフードをかぶった男。
マフラーで口元を覆っているから正体は分からない。
日暮さんは言った。
「彼は朽拿。ここでレジスタンスのリーダーをしていた男だ」
すると男は盛大な溜め息をついた。
「違う。僕は朽拿ではない。九字羅二世と呼んでもらおう」
ああ、あいつか。
毒の刀で斬り捨てたから、てっきり復活しないと思っていたのに。
ならおそらく、ふうちゃんの兄を斬った時点で、刀の毒が薄まっていたのだろう。
俺はフードの中の顔を覗き込んだ。
クソウザい長さの前髪。
これは本人と見て間違いなかろう。
「あらら? そうなんだ? じゃあ謝ったほうがいい?」
「黙れ。お前のせいでとんだ恥をかいた」
レジスタンスのリーダーなら、いまごろ議会に参加していないとおかしい。
だがこうしてクソみたいな仕事に参加しているところを見ると、完全に戦力外に置かれているのだろう。
実際、俺は皇帝を殺したのだから、御所からは恨まれている。
しかしレジスタンスのメンバーが俺を恨んでいるという話は聞いたことがない。おそらくこいつには人望がなかったのだ。九字羅の甥というだけで、一時的に担がれたに過ぎない。
俺は日暮さんに尋ねた。
「え、これで全メンバーですか?」
「あと一人来るはずなんだが……。お、来たぞ。あの子だ」
あの子?
目をこらすと、薄暗い廊下を歩いて一人の少女が近づいてきた。
「ちゅみみは悪くないっちゅよ! ガキどもの世話をしてたら遅れたっちゅ! あ、人間! お前もいたっちゅか? これはラッキーっちゅね。ちゅみみが危なくなったら盾に……じゃなかった、守って欲しいっちゅ!」
ちゅみみ……。
戦いの役に立つとは思えないクソガキ2号が最後のメンバーとは。
「なんだ、また知り合いか? あんた、顔が広いんだな」
「いや、ちょっと待ってください。なんでちゅみみが?」
「詳細は言えんが、人材を手配してくれるヤツがいてな。そこからの紹介だ」
絶対ダマされてるぞ。
日暮さんはスーツから護符を取り出し、こちらへ渡した。
「反魂の札だ。念のため渡しておく」
「俺だけ?」
「他のメンバーは不命者だ。こんな札がなくとも生き返ることができる」
「はぁ」
もしかすると俺にも要らないかもしれないが。
まあもらっておこう。
本館での仕事の面倒なところは、仕事に関係ない連中が襲ってくるということだ。
ただ上へ行くだけなのに命を狙われる。
「道は分かるんですか?」
俺がそう尋ねたところ、返事は……誰からも返ってこなかった。
もしかして聞こえてない?
日暮さんは言った。
「上だよ」
「上へ行くためのルートですよ」
「階段だろ?」
「その階段の位置は?」
「……なんだ? なにか問題か?」
もしかして、分かってない?
まあ別館の人間が分かってないのはいい。だが、本館の連中は……?
ちゅみみはおそらく一階に住んでいる。
和木もそうか。
朽拿あらため九字羅二世は……。どうやらこいつも一階に住んでいるようだな。
「分かりましたよ。俺が案内します。ただし、途中までね。十六階までしか行ったことないんで」
なぜ人間の俺が一番詳しいのだ。
まあ用もなく上へ行くのは愚か者だけだが。
日暮さんは人差し指でサングラスをかけなおした。
「十六階? 最上階まで、その倍はあるんだが……」
三十二階だと?
前回の倍はしんどい思いをすることになるのか。もうやる気をなくす。帰りたい。だが100万……。
「とりあえず行きましょう。こっちです」
もう慣れたものだ。
二階にはネコキャバがあるからな。
通路には屋台が並んでいる。例のタコは、今日も二本だけとなった腕でタコ焼きを作っている。身を削り過ぎている気もするが。
住民たちは楽しそうに買い物を楽しんでいる。
「ここもずいぶん変わったね」
二世はそうつぶやくと、なにか返事しろとばかりに視線を送ってきた。
話がしたいのか?
「変わった?」
俺があえて尋ねると、彼はさみしそうに笑って見せた。
「知ってるだろう? 以前は殺伐としてたんだ。けど、いまは市民が自分たちの力で生活をしている。やはり王朝を滅ぼしたのは正解だった」
「まだギリギリ滅んでないけど」
「だが皇帝は権限を失い、いまや議会が政治を動かしている。君が邪魔さえしなければ、僕の力でこうなっていたはずだった。あの胸のデカい女も僕のものになった」
こいつは自分が殺された理由を、いまだに理解していないらしいな。
死んでも治らないタイプのヤツなのかもしれない。
「なぜレジスタンスを追放されたんだ?」
「うるさい! 黙れ! 追放したのは僕のほうだ。あんなバカどもと一緒にやってられないからな」
「……」
質問すればするだけ傷をえぐることになりそうだ。
まあ俺は痛くないから構わないが。
いちおういまは仲間なのだ。仲間の戦力を削ぐようなマネだけはやめておこう。
(続く)




