無効試合
どうしてこうなった?
どうしてこうなった?
どうしてこうなった?
世界は平和になったのではなかったのか?
いま、俺の右と左、そして正面に敵がいる。
戦いだ。
だが、武器を使った戦闘ではない。
マージャンだ。
「へへ、兄ちゃん、どうしたんだ? 手が止まってるぜ?」
サルが薄ら笑いでこちらを見ている。
正確にはサル顔をした人物だが。
まあ不命者だから、きっと正体もサルなんだろう。
始まりは、食堂の婆さんのこの言葉だった。 「あんた、金に困ってんのかい?」
俺は食いついてしまった。
なんでも、手っ取り早く金を稼ぐ方法があるとかいう話だった。
俺は……マージャンのルールを知らない。
やったことがあるのはドンジャラだけ。
点数の計算もできない。
なのに、なぜか賭けマージャンに手を出してしまった。
さっきからまったく意味不明のままゲームが進んでいく。
どの牌を捨てたらいいのかさえ分からない。
なぜ俺はここに座っている?
「マシラさんよ、トーシロ相手にいじめすぎじゃねーかい?」
「ククク、同じ卓を囲んじまった以上、シロもクロもあるかい。負ければ徹底的にハネられる。そういう世界なんだよ、ここは」
「ちげぇねぇ」
おじさんたちは下品に笑っている。
手加減しろ……。
マジで……。
俺はなにも分からない赤ちゃんだぞ!
ただ、事前の説明はあった。
イカサマはナシ。もちろんウソじゃない。このアパートでは、ウソをついてイカサマをすれば、獣に近づいてしまう。特に俺の場合、獣になるチャンスもなく消滅する。
だからみんな純粋に運と技術だけで勝負している。
なんだか分からんが、とりあえず要らなそうなのを捨てておこう。
次のヤツも牌を引いて、そのまま捨てた。
「ポン!」
俺は叫んだ。
ポンくらい分かる。同じ絵柄を三つ集めればいいのだ。
「兄さん、ちゃんと役出来てんだろうな? チョンボは勘弁だぜ」
「だ、大丈夫だ」
大丈夫かどうか分からないが、大丈夫ということにしておく。
俺は刀を賭けている。
賭けマージャンではあるが、ここでは現金を賭けないらしい。
みんなモノを賭ける。
正面のサルは、JSの秘蔵写真を賭けてきた。封筒に入っているから、まだどんな写真かは分からない。
JS……犯罪ではないのか?
だが、卓を囲んでいるプレイヤーが教えてくれた。以前、このサルはJKの秘蔵写真を賭けてきた。勝利したプレイヤーが中を見ると、ジャミ○クワイのボーカル、ジ○イ・ケイの写真が封入されていたという。
また別の日、JCの秘蔵写真を賭けてきた。中身はジャ○キー・チ○ンの写真であったという。
今回もなにかある……。みんなその正体を楽しみにしているようだ。俺はちっとも楽しみじゃない。おじさんの秘蔵写真とか嬉しくない。
とにかく、戦利品は、近くの古物商が買い取ってくれる。
そこで初めて金になる仕組みだ。
どこかのインチキ商売みたいだが……。まあよかろう。
俺は牌を引いた。
見なくても、手触りで分かった。
来たぜ……。
「ロン! なんかの役!」
「チョンボだ」
勢いよく牌を倒したのに、また未成立だと?
ルールが謎すぎる。揃ってるようにしか見えない。これがドンジャラだったら間違いなくアガってるぞ。クソが。
「ったく、ちっともゲームが成立しねーじゃねーか」
「誰だこのトーシロ入れたヤツ」
おじさんたちは怒っている。
俺が勝手に負け続けているから、彼らは相対的に勝者になっているのだが、その代わり役を作れない。作る前に俺が台無しにしてしまう。
いや、俺は悪くない。
マージャンのルールが複雑すぎるのが悪い。
こんなゲームを考えたヤツを、アキレス腱固めで制裁したい。
ふと、外が騒々しくなった。
「カニだーッ!」
なにかの暗号か?
警察でも乗り込んで来たのか?
ドアをぶちやぶって、無数のカニがなだれ込んで来た。
本当にカニだ!
ひときわ大きな親玉もいた。カニの中央に人の顔面がついたような……。
以前、ここの十二階で会ったヤツだ。
「ほう。憎き猿の生き残りがいると聞いて来てみれば、見知った劣等種の人間までおるではないか」
このジジイ、生きてやがったのか……。
毒で殺したはずだが。
いや、その前にいろんなヤツを斬り過ぎた。毒も薄まっていたのだろう。
俺は刀を手に取り、腰ベルトに差した。
「ふん。目的が俺でないのなら巻き込まないでもらおうか。あんたも余計な敵を増やしたくないだろう」
「姑息な人間め……。よかろう。行け。その代わり、次に会ったら容赦せぬ」
「では失礼」
しゃあ!
ドサクサに紛れて無効試合だ。
こんな意味不明なゲームで刀を取られたら、死んでも死にきれない。
後ろからサルが「ズルいぞお前! 逃げるな!」などと叫んでいるが、知ったことではない。
俺にルールを教えてくれないのが悪い。
ルールを知っていたら勝っていた。
*
その後、金もないのにツケでネコキャバへ。
「ったく、しょーもねー人間っちゅね。でもいいっちゅよ。ちゅみみはそんな人間でも見放さないっちゅ。だからいい加減、ちゅみみを指名しろっちゅ! なんでいっつもフリーで入ってくるっちゅ?」
「いや、フリーで入ると、いつもなぜかあんたなんだよ」
「誰でもいいっちゅか! この人間は!」
誰でもいいんです……。
でもまあ、ちゅみみは意外と真面目に俺の相手をしてくれる。
だんだんかわいく見えてきたかもしれない。
「ど、どうしたっちゅ? ちゅみみのこと見つめて……。あ、す、好きになっちゃダメっちゅ! お客さんとの恋愛はご法度だっちゅ……。で、でも……どうしてもっていうなら……」
「いつもありがとな」
「も、もう……」
急にしおらしくなった。
小柄な体で頑張って働いている。
見守りたくなる感じだ。
*
帰宅すると、またつめたい視線を向けられた。
「ほらまた酔っぱらってる!」
マリカは鼻がいいから、ドアを開けた瞬間にバレてしまう。
たまこも渋い表情だ。
「オマエ、酒ばっか飲んでるとバカになるぞ? どうせまたネズミに泣きついてたんだろ? あんなチビのどこがいいんだ?」
こいつは、他人をチビ呼ばわりできるほどデカいのか?
ふうちゃんは「はい」とコップの水をくれた。
あまりにも優しい。
少し苦い表情だが、それでも笑顔を向けてくれる。
この人に迷惑をかけてはダメだと感じる。
トイレのドアがバンと開き、オカッパ女が睨みつけてきた。
「皆さん、彼を甘やかさないでくださいね。酔っ払いは最低の生き物です。トイレを吐く場所だと思ってますから。トイレはね、違うものを出す場所なんです! 吐いたら殺しますから!」
そしてドアを閉めた。
そもそもトイレを占拠しないで欲しいのだが。
俺はしょんぼりして座布団に腰をおろした。
するとマリカが「もー、お酒くさい」とどこかへ行ってしまった。
酒のにおいは好きではないらしい。
たまこはケラケラ笑っている。
「負けたからって、ヤケ酒なんてみっともねーゾ」
「負けてない。カニが乱入してきて無効試合になった」
「なんだよカニって?」
「カニはカニだ」
「どっちにしろ勝てなかったんだろ?」
「あんまし冷たいこと言うなよ」
するとクソガキは、ぽんぽんと肩を叩いてきた。
慰めているというよりは、自分よりダメなヤツを見つけて喜んでいるようにしか見えない。
センさんは妖しい笑みを向けてくる。
「お酒でしたら、わたくしが付き合いますのに」
艶めく長い黒髪の、大人のお姉さんだ。
もしこの人と飲んだら、いろいろ終わる気がする。たぶん。
たまこはずっとニヤニヤしている。
「なあ、ヘビ女。そいつの借金返したかったら、ネコキャバで働くといいゾ。飲ませまくればいっぱい金がもらえるらしいからな」
実際に働いていたのに「らしい」とは?
まあ、たまこはほとんど稼げなかったのだろう。
客がついている様子もなかった。
だが、センさんは……。
眉を剃り落とし、お歯黒にしているから相手を選ぶだろうが。間違いなく存在感はある。俺は嫌いじゃない。まあ、もとの顔がいいだけかもしれないが。
「旦那さまがお許しくださるなら」
センさんはそんなことを言う。
これだとダメな男が、ムリに妻を水商売で働かせているみたいじゃないか。
「許可しないよ、そんなこと」
「でも、わたくしのせいで背負った借金でしょう?」
「それはそう。完全にそう。だけど俺やあんたじゃなく、アパートの住民全員が払うべき金なんですよ。まあ返せない額じゃないし、俺がなんとかしますよ」
「まぁ、頼もしいお言葉。惚れ直してしまいます……」
目を細め、黒い歯を見せてにぃっと笑う。不気味にも見えるが、やはりどこか神々しい。
ともあれ……。
俺がアパートを救ったなどというつもりはないが、一人で費用を負担したことは間違いないので、その点においては褒め称えられてもいい。
とはいえ、費用といっても依頼にかかった経費と事務所の人件費くらいなので、あと十回も依頼をこなせば返済できる額だ。ネコキャバに行かなければもっと減るかも。
*
翌日、俺は食堂に抗議に来た。食事のついでに。
「聞いたよ。おじゃんになったんだってねぇ」
「マージャンだなんて聞いてなかった」
この婆さんは、簡単に稼げるとしか教えてくれなかった。
「なんだい、あんた。マージャンもできないのかい?」
「できないんですよ。ゲームならやったことあるんだけど」
「ゲームって、ピコピコするアレかい? ダメだね、あんなので遊んでちゃ。ちゃんと実物に触れなきゃさ」
ピコピコってなんだよ。
定食を出されたので、俺の抗議は終わった。
人間、誰しもメシには勝てない。
今日はサンマ定食。
だからこのサンマはどこから手に入れたんだよ……とは思うが。それでも食べるほかない。
*
食事を終えた俺は、廊下を歩き、途中の公園に入った。
「なぜついてくるんだ?」
「兄さん、金が欲しいのかい?」
尾行してきたのは、サングラスで角刈りのお兄さんだった。
お兄さんというよりは、おじさんか?
どっちだか分からない。
俺が女将と金の話をしていたのを、こいつは聞いていたのだ。
「そう警戒しないでくれよ。俺はあの婆さんと違って、博打なんてやらせねぇ」
「なら汚れ仕事かな?」
「汚れてるなんて決めつけないで欲しいね。れっきとしたアパートの仕事だ」
アパートの仕事?
「クリーンな仕事なら、尾行なんかせず伝えればいいのに」
「ちょうど声をかけようと思ってたんだよ。ただ、食堂から離れる必要があったからな」
怪しい。
婆さんに担がれた直後だから、特に。
詐欺師ってのは、弱ってる人間をさらに食い尽くそうと狙っているものだ。
警戒しなくては。
(続く)
 




