ピクニック 一
「なあ、たまこ。ちょっと出かけないか?」
そう提案できたのは、雲外老師の話を聞かされてから数日後であった。
数日は悩んだ。
「あ? なんだ? デートしてーならそう言えよな」
脇腹をぼりぼり掻きながらそんなことを言ってくる。
デート……。
ちっともそんな雰囲気じゃないが。
「え、あたしも行くけど?」
毎日服をばっちり選んでいるマリカが、身を乗り出してきた。
自称ジュリエットも一度トイレから顔だけ出したものの、すぐに引っ込んだ。参加したいが、さすがに外出する気はないといった感じか。そこまでトイレから離れたくないのか……。
「本館の、ずいぶん下のほうだけど、それでよければ」
俺の説明に、二人は首をかしげた。
まあ、いきなりそんなところに行くなんて、普通は意味が分からないだろう。
本館の治安は次第によくなっている。
だが、それも御所のある階層だけだ。上や下へ行くほど危険度は増す。また以前のような大冒険になるだろう。
「そんなひとけのないとこ連れ込んで、どうするつもりだ?」
たまこは不審そうながらも、出かける準備を始めた。
準備といっても、服にこぼしまくった煎餅の欠片をはたき落としているだけだが。
こいつの服は、いつもお菓子まみれだ。
「ねー、あんたもっとちゃんとした服ないの? なにそのくたくたのシャツ……」
「うっせーな。オマエこそなんなんだよ。ベルトまみれじゃねーか。意味あるのかよ、それ?」
「そういうファッションなの!」
服装にうるさいマリカからすると、たまこの惰性で着ている服は我慢ならないようだ。ずっと同じ服を着ているからな。
俺は腰ベルトをつけ、そこへ刀を差した。
特別なことじゃない。外出するときは、基本的に武装する。
*
部屋を出て、まずは禁足地を目指す。
歩いていると、たまこが急に繊細な話を切り出した。
「そういや、マリカ。先生に復讐しなくていいのか?」
二人は歳が近いこともあり、だいぶ仲良くなったようだ。
よく一緒に風呂に入っている。
というより、風呂に入りたがらないたまこを、マリカがむりやり洗っている感じだが。
マリカはあきれたように溜め息。
「もう一回殺したんだからいいの」
「は? でもまだ生きてるゾ」
この辺の感覚は、個人によって異なるだろう。
一回殺せば十分というケース。何度でも殺さないと気が済まないケース。世の中には、殴り合いをしただけで仲良くなるヤツもいる。
マリカはかすかに笑った。
「こないだ、食堂で高田を追い詰めたじゃん? あのとき、アイツの顔見て、なんかもういいやって思っちゃったんだよね。自分でもよく分かんないんだけどさ」
いや、俺には分かる。
先生は、いっぺん死んでからあきらかに変わった。なんというか……勝手なことをしなくなった。他人を見ながら行動するようになった。以前は、他人がどう思ってようと、自分のやりたいことだけやるヤツだったのに。
なんとかは死んでも治らないというのに、先生は治った。いや、治ったというか、別のなにかになったんだと思う。
俺も多賀峰も、死んでもなにも変わらなかったというのに。
ただ、互いに互いを脅威とみなしていないから、戦闘が起きていないだけだ。結局、争いの火種さえなければ、平和でいられるのだ。ムリに仲良くする必要はない。
*
それにしても、このアパートの上に別の世界があって、死んだ人間がぞろぞろ生き返ったというのに、特に大きな騒ぎになっていなかった。
大部分の人にとっては、それはどこかの誰かの話であって、自分とは無関係なんだろうけれど。
御所は、以前から、ここが三層の世界であることを認知していたようだ。
少なくとも雲外老師は知っていた。
知る方法があったのだろう。
術でも使ったのか。
なら、術の得意な人間は、みんな気づいているのかもしれない。
*
たまこは禁足地に入りたかったようだが、ここは安全を考慮して抜け道を使った。
「こんな通路あったんだ。知らなかった」
たまこほどではないが、マリカも細い通路をさっさと突破してしまった。
身体能力は高い。
俺も慣れているつもりだが、一番もたもたしてしまった。
「なさけねーな、霧島。そんなんじゃネコになれねーゾ」
「ならない」
事務所へは寄らなかった。
階段を見つけて、下を目指す。
少し降りたくらいでは、まだまだ平和だった。屋台が出ている。
「あっ! あっ! あーし、クレープ食いてーゾ! クレープ! 霧島、おごって!」
「そうだな。みんなで食べよう」
以前、おごると約束してしまった。
ほとんど手持ちがないのだが……。
命を捨ててまで依頼をこなしたのに、最終的に資金がマイナスとは。あまりに理不尽であろう。
三人でクレープを食いながら歩いた。
マリカが身を寄せてきた。
「ねえ、霧島。野良イヌにエサを与えちゃダメだって知らなかった? あんまりやりすぎると、なついちゃうんだから」
「ま、待ってくれ……」
仲良くしてくれるのは嬉しいが、そうするとたまこがめんどくさくなる。
「おい、ワンコロ。勝手に触るな。その人間はあーしのだって言ったよな?」
「あんたが勝手に言ってるだけでしょ? 霧島はそんなこと言ってないもん」
「言った!」
「いつ? どこで?」
「忘れた! でも言ったんだ!」
いや、言ってない。
たまこがゴミを捨てそうになったので、俺は手を出して受け取った。それを見たマリカも渡してくれた。俺はまとめてポケットに突っ込む。
細かいところからでも、世界をよくしようとすることはできる。
悪いヤツを殺すだけが正義じゃない。
「ちょっと、あんた。口にクリームついてる」
「どこ?」
「口のわき!」
「とれた?」
「とれてない!」
マリカは文句を言いながらも、ハンカチでたまこの口を拭いた。
なんか、マリカが来てくれてよかった。ふうちゃんと離れてから、たまこは汚れ放題になってしまった。俺も気づいたらケアしていたが、どうしても雑になってしまう。
たまこはたまこで、必要なケアは自分でしているつもりだと思うが。
「霧島、もうこの辺、店ないぞ? まだ進むのか?」
「下まで行くって言っただろ」
「下ってどこだよ?」
「開かずの扉だよ。このアパートの……下にある世界につながってる」
「なんでそんなとこ行くんだ? ま、まさか、あーしのことそこに捨てる気じゃないだろうな!」
なぜそうなる?
マリカまで怯えた顔をしている。
「違う。もうすぐこのアパートがなくなるかもしれないから、いまのうち見ておこうと思って。お前も……この世界を全部見ておきたいだろ?」
「べつに……」
ふてくされたように目をそらしてしまった。
だが、はっきりとは拒絶しなかった。
ここはたまこの生まれたところ。
たまこの母の胎の中。
知っておいたほうがいい。
余計なお世話だとしても。
*
「メシ……メシ……」
いまだ文明社会から隔絶された不命者の方々が、薄暗い廊下から這い出してきた。
俺は抜刀して袈裟に斬る。
背後から来たのはたまこが爪で絶命させた。
マリカはどこかさめた目でそれを見ていた。
俺一人では厳しかったかもしれないが、たまこ一人いればなんとかなる程度の襲撃しかなかった。
というよりも、どうも、俺たちが来る前にも戦闘したような形跡があった。戦闘と言っていいのか、派手な血痕と、誰かの手足だけが散乱していた。凄まじいエネルギーで、胴体だけぶち抜かれたかのような……。
何者かが先回りしている可能性がある。
まあ、待ち伏せしてこないところを見ると、俺たちを狙っているわけではないのかもしれないが。
戦闘が少なかったこともあり、順調に進むことができた。
いや、それだけでなく、マリカがその先行者のにおいを追ってくれたから、すぐに階段を見つけることができた。
ここの階段はあちこちに設置されているせいで、初心者に優しくない。
歩を進めると、三味線の音が聞こえてきた。
それが先行者の正体か。
音のする方向へ進むと、細い通路が伸びていた。
壁を突き破って樹の根が食い込んでいる。その根も、いまや大部分が腐り落ちていた。以前は強固に閉ざされていたようだが。
「お待ちしておりましたぞ、旦那さま」
センさんが誕生日の歌を弾きながら、そんなことを言った。
三味線でも弾けるんだな。
たまこがすっと俺の後ろに隠れた。
「うわ、出たゾ。あーし、ヘビは嫌いなんだ」
マリカもぴたりと身を寄せてきた。
「あたしもきらーい」
くっつきたいだけだろ。
センさんは穏やかな表情で三味線を弾いている。
「この先に扉がございます。ですが……。特に楽しいことはございませぬぞ?」
「人間界につながってるんじゃないの?」
「正確には、人間界に通じる水輪の世界がございますな」
「危険なの?」
「さあ……」
妖しげに目を細めた。
「センさんは、なぜここへ?」
「旦那さまが人間界に帰ってしまうのではないかと不安になり、先回りしておりました」
「帰りませんよ。莫大な借金を背負っちゃったのを、払わないといけないし」
「……」
すると彼女は演奏をやめ、とぼけるように斜め上を見た。
なぜ俺が借金しているのか、よく理解しているようだな。
いや、いい。
責めるつもりはない。
俺はこの世界に消えて欲しくなかった。そのためにやったことだ。後悔はない。
俺はつい笑った。
「ただ、もうこの世界は消えるらしい。だから、最後の見学にと思って」
「さようにございますか。でしたらお邪魔はいたしませぬ。どうぞ行ってらっしゃいませ」
三つ指をついて頭をさげた。
古風というか、大袈裟だな。
*
樹の根に浸食された通路を進んだ。
扉が見えた。
青い金属の扉だ。
鍵はかかっていなかった。
体重をかけて押し込むと、そこには青白い世界が広がっていた。
(続く)
 




