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見て、月だよ  作者: 不覚たん
第四部 閏

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スニーキング

 クレープ屋でお土産を買って帰った。

 それはいいのだが、いつまで経っても肝心のたまこが帰ってこなかった。なので自分で食べて寝た。たまこと話すのは明日になってからでいい。


 眠っていると、かすかに三味の音が聞こえた。

 ここは御所に用意された俺専用の部屋だ。外部の者が勝手に入ってくるとは考えにくい。入ってくるとしたら、内部の者。


 いや、外部の者……なのか?

 狭い畳敷きの和室。平安貴族のような眉をした髪の長い女が、聞こえるかどうかの音で三味線を弾いていた。一見、亡霊にも見える。暗闇にうっすら浮かび上がる幽玄な姿だ。俺は目を奪われた。


「おや、起こしてしまいましたか」

「なぜここへ……」

 御所へ入るには許可がいる。彼女には、その権限は与えられていないはず。

 勝手に入ってきたとしか考えられない。

 俺を尾行していたというのも、きっと彼女なのだろう。


 念のため、俺は上体を起こした。

 刀はすぐ脇に置いてある。なにかあればいつでも斬れる。


 センさんは耳まで裂けた口でにぃと笑った。闇でもそれと分かる黒い歯が見えた。

「寂しかったから、会いに来たのですよ。ダメですか?」

「いや、それは……」

 俺がよくても、御所がダメだろう。管理上の問題がある。

 彼女はほっそりとした指で、静かにするようジェスチャーをした。

「じつはお話ししておくべきことがございまして」

「重要な話?」

「でなければ、このように危険をおかしてまいりませぬ。警備をかいくぐるのに苦労しましたぞ」

 俺を殺すつもりならば、楽器などいじらずとっとと終わらせていたはず。

 本当に重要な話なんだろう。


「内容は?」

「それはとても入り組んでおりましてな……。ですので、簡単なところだけ申しますぞ。別館にて、不審な動きがあるようです。お戻りになったほうがよろしいかと」

「別館……?」

 先生はまだ主の腹の中のはず。ほかに問題を起こしそうなのは旧共和国の連中だが……。問題を起こせるほど元気なのがまだいたというのか?


 俺は目をつむり、指でまぶたをもみほぐした。

「たしかに古巣だけど。俺が戻ってどうこうできる話なんですか?」

「さあ。けど、わたくしが頼れそうなのは、旦那さまだけですから」

「まだ旦那じゃない」

 からかって言ってるだけだとは思うが。

 たぶん。


 彼女も、気にしたふうもなく続けた。

「気乗りしませぬか?」

「だいたい、別館のことをセンさんが……。いや、気にするなとまでは言わないけど。なにか思い入れでもあるんですか?」

 本館の上階に一人で住んでいた女だ。

 別館に興味があるとは思えない。


 彼女はヘビみたいな目で、じっとこちらを見てきた。神秘的で美しい眼球だ。

「放っておけば、このアパートが滅びますゆえ」

「はい?」

ぬしの腹の中で、陰陽師がのたうっておりますな。あの男の置き土産が、生命の樹を蝕んでおりまする」

 それは雲外老師から提供された情報と一致する。

「ずいぶん詳しいようだけど……」

「少しばかり術の心得が」

 少しじゃない。

 結界で守られた探偵事務所の場所を簡単に突き止めたのだ。かなりの範囲が見えているに違いない。

「けど、先生の置き土産を……。危険性は理解してる。俺たちはもう流すつもりはない」

「別のものが流しております」

「え、誰が?」

高田言説たかだげんせつと申すもの」

「えーと、誰です?」

 聞いても分からない。

 少なくとも俺の知り合いではない。


 彼女は控えめに音を鳴らした。

「近ごろ湧いて出たカルトの教祖ですよ。妖術を否定して、科学の力で人間社会を再建しようともくろむもの。まあそれ自体は、わたくしにとってはどうでもよいことではあるのですが。しかしあのよからぬ水を、次々下水道に流しておりまする」


 事務所は行方不明者の捜索を依頼されていた。

 だから発見した聖水の所在は、伝えられる範囲ですべて依頼人に伝えた。いまや聖水の存在は、周知の事実といっていいだろう。

 問題は、その後の扱いだ。

 俺たちは、聖水の管理を、依頼主に一任した。どう扱うかはご自由に、ということだ。まさか生命の樹を傷つけるようなものだとは思っていなかった。


 俺たちが流したあとも、さらに下水に聖水が流されているのだとすれば……。

 生命の樹が回復するどころか、さらにダメージを受け続けることになる。


 雲外老師が俺に妙な情報をくれたのも、もしかするとそれが原因か。

 別館の始末を、別館の人間につけさせようと誘導したのだ。たぶん。いや違うかも。なにも断定できないが。


 ともあれ、いまのところ、俺はこのアパートを破壊させるつもりはない。

 そのカルトの教祖とやらに危険性を伝えれば、やめてくれるかもしれない。分からないでやっているのなら、だが。

 もし分かっててやっているのなら……。利害が対立する。


「分かった。今度、別館に行ってちょっと様子を見てきますよ。話でなんとかできそうならそうしますし、そうでなければ……まあ考えます」

「ふふ。頼もしい。それでこそわたくしの旦那さま」

「旦那じゃないです」

 本当に不命者の方々は、すぐに他人を好きになる。殺し合うときも躊躇がないし。人間よりも感情が表に出やすいようだ。

 いや、人間が隠しすぎているのか。


 だが……。


 会話が終わったのに、センさんは帰らなかった。

 じっと座したままこちらを見ている。一見、美しい和装の女だが、細部は人間と違う。それでいてバランスがいい。絵になるというか。


「ええと……。俺、もう寝るけど……」

「はい」

「そこにいるつもり?」

「はい。帰りはヘビの姿になりますゆえ。恥ずかしくてお見せしとうございませぬ」

 なるほど。

 たまこみたいに、ヘビになって入ってきたのか。道理で警備を突破できたわけだ。いや、ここは不命者だらけの御所なのだから、その手の対策もなされているはずなのだが……。それさえかいくぐって入ってきたのだろう。やはり只者ではない。


 *


 寝ている最中にうっすら気づいたが、センさんは帰らなかった。

 布団に入り込んで寝ている。

 寝相がいいから、邪魔にはならなかったが……。


「ふふ、おはようございます」

「おはよう」

 長い髪をまとめてひとつにしている。

 朝の眠たげな顔さえ美しい。


 俺は思わず笑って布団から出た。

「まさか帰らないとは思わなかった」

「はい。こちらも、まさか本当に寝てしまうとは思いませんでした」

 目を細めて笑っていたが、どこか威圧するような雰囲気も感じた。

 俺は眠かったのだ。

 仕方がない。

 寝ながら体をまさぐってしまった気もするが……。まさか他人が同衾しているとは思わなかったのだから仕方がない。


「このあと、どうするの?」

「旦那さまが部屋を出たら、身支度をして帰りまする。旦那さまはご自由に」

「そう」

 ヘビになるところを見てみたいような、見たくないような。


 ジャージからスーツに着替えている途中、背後から声をかけられた。

「ひとつだけ言い忘れておりました」

「なに?」

「ネコにお気をつけください」

「えっ?」

 振り向くと、彼女は笑っていなかった。

 表情の読めないヘビ顔でこちらを見ているだけ。

「なんでもありませんよ。ちょっとした冗談ですから。そんなに深刻そうな顔をしないでくださいな」


 *


 朝食を済ませ、詰所に入った。

 一時的な仮の事務所なのに、デスクには書類が山のように積まれている。いったいなんの資料なのだろうか。


 すでに生倉さんが来ていた。黒のスーツをピシッと着こなして、資料の整理をしている。

「おはようございます」

「おはようございます。今日ちょっと出たいんですけど、大丈夫ですか?」

 俺がそう尋ねると、彼女は不審そうに顔をあげた。

「どの件です?」

「いえ、どの件でもないんですが。別館の様子を……見ておいたほうがいいという予感がしまして」

 不法侵入者の存在を暴露するわけにはいかない。

 生倉さんはかすかに溜め息だ。

「別館? まあ、どうせ依頼はありませんが……。いちおう身辺警護の名目でここにいるわけですから、なるべくふみこさんの近くにいるべきだと思いますが」

「どうしても気になるんです」

「私にも言えないような話ですか?」

「あとで説明できると思います」

 もし別館での話がこじれた場合、事務所の力を借りることになるだろう。

 そのときどうせ説明するハメになる。


 生倉さんはうなずいた。

「分かりました。その代わり、ひとつ頼まれてくれませんか?」

「なんなりと」

「赤尾さんを叩き起こしてきてください。たぶん寝坊ですから」

「かしこまりました」

 キャバクラにも行っていないのに寝坊とは。

 部屋で飲んでたのか?

 どこで酒を手に入れたのか、俺にも教えて欲しいな。


 *


 赤尾さんを叩き起こして事務所まで連行し、俺は御所を出た。

 門番はなにも言ってこなかった。


 さて、別館へ向かうとしよう。

 いつ以来だろうか。

 ずいぶん長いこと顔を出していない。


 道順はおぼえている。

 以前はどんよりした空気の、おどろおどろしい雰囲気の廊下だったが、いまはそこそこ活気がある。みんな楽しそうだ。

 働けばお金が入る。そのお金で買い物もできる。血を奪われる口実に過ぎなかった時代とはえらい違いだ。治安もよくなった。


 かつて本館を支配した猿の一族は、神社を破壊し、食堂での食料供給を停止させたらしい。

 なぜか。

 住民たちが互いに奪い合うよう仕向けたのだ。決して連帯させないために。そうして分断しておけば、支配しやすくなる。

 猿はあらゆる富を独占し、自分にとって都合のいいものにだけ分配した。みんなが猿に媚びを売り、顔色をうかがうようになった。


 文車一族は、そんな猿の横暴を止めるため、レジスタンスと協力して猿を追放した。

 ところが皇帝に即位した文車一世は、レジスタンスを切り捨て、猿と同レベルの暴政を続けた。

 その後は、俺たちが見てきた通りだ。


「また勝手にコソコソなんかやってんな。よくねーゾ、霧島」

 背後から急に声をかけられた。

 クソガキだ。

 半袖半ズボンという見慣れた格好で近づいてきた。

「なんだよ? 今日はキャバクラの仕事はお休みか?」

「オマエ、もっとあーしに優しくしたほうがいいゾ。オマエが部屋で女と寝てたのは知ってんだからな」

 ネコに気を付けろ、か。

 こいつ、いつも俺の部屋を覗いてるのか? まあ勝手に布団に入り込んでくることもあるし、いまさらだが。俺にプライベートはない。


「ほう。では、たまこさま、この愚かな男はいったいいかがすればよろしいか?」

「あーしも連れてけ」

「邪魔するつもりだろ?」

「するかもな、そんな態度じゃ」

「悪かったよ」


 こいつは戦っても普通に強い。

 足もすばしっこいから、ピンチになったら逃げ切れるだろう。

 そういう意味では足手まといにはならない。


 だが、俺は今回の問題を、調査と対話で解決するつもりでいる。

 たまこが役に立つとは思えない。

 むしろ逆。

 なぜかまれにお行儀のいいときもあるが……。


 たまこは大袈裟に溜め息をついた。

「ところで霧島、オマエにはガッカリしたゾ」

「なんだよ」

「あんなヘビみたいな女、どこがいいんだ? あーしのほうが百倍はかわいいゾ」

 このネコ、自己肯定感が強すぎる。

「美人だろ。大人だし」

「でもヘビだゾ」

「俺、ああいうミステリアスな雰囲気の人、けっこう好きなんだよな」

「いや、オマエが好きなのは男だろ?」

「だから違うって言ってんだろ」


 いや、違わないのかもしれない。

 俺は一二三いろはに好意を抱いていた。

 ずっと一緒にいたいと思っていた。

 ただ、本当にそういう関係になってしまったら、その先どうなるのか分からなかった。すべての価値観が壊れるような気がした。未来が見えなかった。怖かったのだ。


「おい、そんなマジになるなよ。悪かったからさぁ」

 こいつ、ネコのくせに人を気づかうこともできるのか。

 できれば最初から言わないで欲しかったが。

「俺、意外と傷つきやすいんだよな」

「わーった。わーった。また今度店に来ていいゾ。あーしが慰めてやるから」

 本当に行ったら怒るくせに。


「そういや、あのネズミとはどこで知り合ったんだ?」

「ちゅみみか? なんかタコに食われそうになってたから、助けてやった。それ以来の仲だゾ。あいつ、苦労人なんだよな。ちっちゃい弟と妹が七人もいて」

「タコ……」

 いまは商売で成功しているからいいが、彼はあきらかに被害者だった。

 本館の秩序が回復して、彼のような被害者が減るといいが。

「タコだゾ。なんか脚だけ置いてったから、あいつと分け合って食ったんだよな。意外とウマかったゾ」

「……」

 秩序が回復したら、今度は学校を作ったほうがいいだろう。

 ここには最低限の教育が必要だ。


「ごめんな、たまこ。お前が最低限の教養を身に着けられなかったのは、大人の責任なんだ。ひと通り片付いたら、俺がモノを教えてやるからな……」

「は? もしかして、あーしいまバカにされてる?」

「ごめんな」

「なんだその顔! すっげームカつくゾ……」

 そうだ。

 大人がしっかりしなくては。

 たまこを立派な大人にする責任が、俺にはある。いや、ないか。まあできる範囲で。とにかくこのままではマズい。二足歩行して人の言葉をしゃべるだけの畜生だ。トイレもまともに流せないしな。最悪だ。


(続く)

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