あやしき道
王朝は積極的にレジスタンスとの折衝を重ねていった。
まずは血税制度の見直し。体重が10貫……すなわち37.5kgに満たないものからは、税を取らないことに決まった。あわせて国庫に溜め込んでいた大量の紙幣を、市場へも放出し始めた。紙幣をおおいに流通させて、本館全体の経済活動を盛り上げようというわけだ。
これでいきなり本館全体が変わるわけではない。
ただ、御所の付近に関して言えば、ハッキリと活気づいてきた。王朝は変わった。住人たちとしても、確実によくなるという実感があったのだろう。廊下に屋台が並ぶようになり、そこへ客も集まり始めた。
「ガハハ! 女帝さまさまだわい! 儲かって仕方がない!」
タコ焼きの屋台を出しているタコが、満面の笑みで言った。
足の本数が減っているところを見ると、文字通り身を削って商売をしているらしい。もちろん儲かるからやっているわけである。
殺して食う時代から、買って食う時代になったのだ。
そんな活気ある廊下を、俺は赤尾さんと歩いていた。
「ふむ。俺たちは、この本館に平和な時代をもたらした英雄、というわけだな」
「結果論ですけどね」
変な笑いが出た。
俺たちはただ、お姉さんを救いたかっただけだ。本館がどうなろうが関係ない。本館を救ったのは、そのお姉さん自身だ。間接的には俺たちのアシストと言えるかもしれないが。
ちなみに、わざわざ男二人でデートしているわけではない。
行くべき場所がある。
屋台の通りを抜けて、階段へ。
*
「あ、人間のお兄さん! ネコキャバ寄ってってにゃん! とってもお安いにゃん!」
ネコ耳をつけたお姉さんが、愛嬌ある笑顔で元気に呼び込みをしている。
ここは「ネコキャバ 快楽」。
ネコというかバニーガールだが。まあネコ耳なのだからネコなのだろう。
赤尾さんがキリリとした顔で告げた。
「二人なんだけど、入れるかな?」
「もちろんだにゃん! 二名さまごあんなーい! 入って入って!」
愚かだと思うなかれ。
リサーチにリサーチを重ねた結果、意外とまともな店であるということが判明したのだ。もちろんバックにはやべー連中がついているらしいが……。それだけに、最低限の秩序は保たれている。危ない客は入ってこない。
皮肉な話だ……。
だが、まともに酒が飲みたければ、こういう店に来るしかないのだ。
食堂には、いまだにガラの悪い客が溜まっている。
だから本当に。
やむをえず、だ。
*
その後、血液は抜かれなかったが、財布はカラになった。
おかしい。
事前の計算では、いくらかあまるはずだったのだが……。時間を延長しまくったせいか。まあ合理的に考えればそういうことだな。
「お帰りなさい。ずいぶん飲んだみたいですね。楽しそうでなによりですよ」
御所に用意された詰所では、生倉さんがゴミを見るような目で待っていた。休日だというのに、わざわざ事務処理をしていたらしい。
赤尾さんもさすがに小さくなっている。
「ま、まあね。ボスも休んだらよかったのに」
「ええ。ですが、少しやることがあったので」
ここにナツさんはいないから、誰も雰囲気を改善してくれない。
俺は黙って水を飲むことにした。
「霧島さんも。陛下がお呼びでしたよ。急ぎの用ではなかったようですが、顔を出したほうがいいのでは?」
「は、はい。すぐ行きます……」
*
廊下で侍女に尋ねると、執務室に案内された。
中ではお姉さんが書類を整理していた。いや、お姉さんなどと呼んでは失礼か。いまやこの王朝の皇帝陛下なのだから。
「あ、霧島さん。わざわざすみません」
「いえ、大丈夫」
かなり飲んでしまったので、まともな会話が成立するかは分からないが。
洋間だ。椅子があり、テーブルがあり、本棚があり……。その本棚には薄い本がぎっしり。
部屋を照らすのは、小型だが透明感のあるクリスタルガラスのシャンデリア。足元には濃い色をした厚手の絨毯。
俺が椅子に腰をおろすと、侍女たちが一斉にはけた。
いったいなんだろう?
秘密の相談か?
「じつは霧島さんにお願いがありまして」
「内容は?」
「雲外老師と会って欲しいんです」
「う、雲外老師? えーと、誰だったかな?」
身辺警護として御所に来てから、様々な人間を紹介された。一気に会いすぎて、もはや誰が誰だか記憶にない。俺はもともと人の顔をおぼえるのが得意じゃない。
お姉さんはやや苦い笑みを浮かべた。
「まだお会いしたことはないと思います。基本的に表に出てきませんから。監禁されていますし」
「監禁? 罪人ってこと?」
「いえ、罪人ではありません。ただ……。とにかくいるのです。会っていただけませんか?」
「いいけど。会ってどうするの?」
まさか処刑しろとか言わないよな?
もちろん命じられれば検討はするが。
お姉さんは曖昧な笑みのままだ。
「分かりません。じつは私も困惑しておりまして。雲外老師は、誰かと会いたがるような人物ではないのです。ところが、どうしても霧島さんとお話しがしたいと」
「なぜ?」
「それはご本人に聞いていただければと……」
向こうが指名してきたということか。
*
御所の奥の奥、ひっそりとしたエリアに通された。
監禁されているという話だが、ドアの前には見張りもいなければ、鍵さえかかっていないようだった。出ようと思えば出られる状態。なのに、老師は中にいる。
「奥へどうぞ。私は戻っていますので、終わったら教えてください」
「オーケー」
陛下みずから案内してくれるとはな。
ま、罠ではないと信じよう。
ドアを開けると、大広間ほどの大きさの部屋が広がっていた。
家具はなく、奥に和装の老人が座しているだけ。その老人も、なぜかこちらではなく壁のほうを向いている。
つるつる頭だが、坊さんかどうかは分からない。老師というくらいだから、坊さんかもしれないが。分からない。
「失礼します」
「うん……」
近づいても、老人はこちらを向かない。返事はしてくれる。嫌がらせではないようだ。壁に小さな穴をあけて、そこから釣り竿を垂らしている。
釣りの最中だったのだ。
「出直しましょうか?」
「いや、いい。どうせなにも釣れん。いっぺんだって釣れたことがないけぇ」
「はぁ」
白い眉毛が特徴的といえば特徴的かもしれないが、ほかは特に目立ったところのない老人だった。
老人は釣りを続けたまま、言った。
「ここらはもともと、猿の一族が支配しておったんじゃ。文車はただの文官での。それがうまいこと乗っ取りおって……。以来、ずっと文車の天下じゃ」
「知りませんでした」
「いい。妖怪の歴史なぞ、人間にとってはなんの足しにもならんからの。わしゃな、その猿のころに監禁されて以来、ずっとここにおるんじゃ。おそらく二百年くらいはおるかの」
「えぇっ……」
よく正気を保っていられるものだ。
がらんとした空間に、たった一人。海もないのに釣りごっこをしながら。
「わしにゃ未来は見えぬ。じゃけ過去は見える。すると未来もなんとなく見える気がしてくるんじゃ。ま、未来のほうは、外れることも多いが」
「俺を呼んだ理由は?」
「本当は別のを呼びたかったんじゃがの。この世界を変える可能性を秘めた唯一の……いや唯一は言い過ぎか、希少な存在じゃけぇ」
は?
人違いということか?
「だったらその人を呼べば……」
「ふむ。じゃがあのネコに、この話は難し過ぎるけぇ。ゆえに保護者であるお主を呼んだんじゃ」
「たまこですか? あいつがこの世界を変えると?」
老人は釣り竿を置き、こちらへ向き直った。
「おぬしらの言う平安時代にな、とある寒村にスエという娘がおったんじゃ。優しい娘での。人であろうが、人でなかろうが、誰とでも仲よくなれる娘じゃった」
「ずいぶん昔の話ですね」
「ま、これがすべての始まりじゃけぇ。大事な話なんじゃ」
「話の腰を折ってすみませんでした。続けてください」
むかしむかしあるところに、だ。
老人は「ふむ」と続けた。
「じゃけぇ娘は、村人にうとまれるようになった。怪異や異形と仲よくしすぎたんじゃ。結局、村を追われ山に入った。村の連中も、そこで満足しておけばよかったものを、山に入ってまでスエを追いかけ回したんじゃ」
「なぜです? なにか実害でもあったんですか?」
「そんなものありゃせん。連中は、自分たちに理解できんものは全部殺さにゃ気がすまんのじゃ。理屈ではなく、性じゃな。つまりは本能ってやつじゃ……」
いまも昔も同じだな。
もっとも、人間の遺伝子は30万年ほど変わっていないらしいから、本能に従って行動する限り、この先も同じなのかもしれない。
「それで、スエさんは……?」
「はじめ神に助けを求めた。じゃけぇ……神は応じんかった」
「……」
胸が締め付けられる感じがした。
いや、スエさんに共感したからじゃない。俺も必死になって神さまにお願いしたことがあった。「どうか助けてください」と。だが、ひとつも助けは得られなかった。鉄パイプで頭を割られて、一二三を守れなくて……。すべてを失った。
俺は理解した。あの局面に必要だったのは、信仰心ではなく、ただ純粋な暴力だったのだと。
老人は溜め息とも嘲笑ともつかない鼻息を噴いた。
「次にスエは、鬼に助けを求めた。すると鬼は応じ、スエに力を与えた」
「えっ……」
暴力……だ。
「鬼といっても、いろんな種類がおる。ここの禁足地で働いている無害なのから、本当におそろしいものまで。そのときは、おそろしいものが動き出してしまった。スエは力を得た。そして村人をすべて殺し、喰らってしまった。自分自身が鬼になってしまったんじゃ……」
「そんな……」
「もっと不幸だったのは、その後、スエが人の心を取り戻したということじゃ。あの子は、自分がいたせいですべてが壊れたと思い込み……。最後は自分自身を殺すことにしたんじゃ」
最悪だ。
誰も幸せになっていない。
老人は目を細め、こちらを見た。
「まだ話は終わっとらんぞ。スエは鬼じゃ。そう簡単には死ねん。ずいぶん遅れて、神の慈悲が届いた。スエは自分だけの幽世に送られ、そこで孤独に生きることになった」
「幽世?」
「ここじゃ」
途中から薄々そうかもとは思っていたが。
「このアパート? なら、スエさんもここに?」
「まあの。そもそもこのアパートがスエなんじゃ。正確には、スエの胎を拡張したものじゃが。スエ本人は、ほれ、あの生命の樹がそうじゃ」
まあそうなる。
俺たちは、その肉を食っていたということだ……。
老人は首を掻いた。
「主というのがおるじゃろ。あれはな、樹から生まれたスエの子じゃ。あまりに食い散らかすから、みんなから嫌われておるが……」
「いや、ちょっと待ってください。あれが? スエさんの子?」
「ほかにもおるぞ。望まれない子がの。例のネコも同じじゃ」
ならば、たまこは主の妹ということか。
ちっとも似てないが。
事情を知る老人が言うのだから事実なんだろう。
俺はつい頭を抱えた。
「えーと……。分かりました。分からないけど。点と点がつながってきた気はします。けど……」
「なんでも答えるぞ。知ってる範囲での」
それはありたがいのだが、いきなりそんなことを言われても。
疑問は山ほどあったはずなのに。
だが、どこから質問していいものやら。
「えーと、なら、なんで俺は、ここに呼ばれたんです? 俺以外の人もそうです」
「スエにとっては人助けのつもりなんじゃろうな。不遇なものを見ると、すぐに取り込もうとしてしまう。ここを理想郷とでも思っとるからの。不幸なものを救っとるつもりなんじゃろうな」
俺の境遇を見かねて、理想郷に連れてきてくれたというわけか。
悪いことをしたら獣になるというのも、もしかしたらスエなりの「しつけ」だったのかもしれない。あるいは鬼としての呪いか。
「わしら妖怪が集められたのも同じじゃ。機械文明が発達するに従い、わしらの居場所ものうなってきたからのぅ。おおかた救済のつもりなんじゃろ」
「すみません。その『妖怪』って言葉、差別用語らしいですよ」
「ふん。文弱どもが言うとるだけじゃろ。わしは気に食わん。妖怪は妖怪じゃ。むかしからそう決まっとる」
「いまもうそういう時代じゃないんですよ」
「こざかしいのぅ」
いや、違う。
こんな普通のやり取りをするために来たんじゃない。もっと重要な話があるはずなのだ。
「えーと、そういえば本題は……」
「根腐れしとる」
「生命の樹が?」
御所の役人たちもそう言っていた。
生命の樹の様子がおかしいと。
老人はまた呑気に首を掻いた。
「誰が原因が知りたいか?」
「えっ? そりゃまあ……」
「じゃがわしはの……優しいんじゃ。じゃけぇ遠回しに言おうかな。原因はな、おぬしらじゃ」
「はい?」
どこが遠回しなんだよ。
ド直球じゃねーか。
笑ってるところを見ると、ジョークのつもりだったのかもしれない。できればこっちも笑えるジョークだったら嬉しかったのだが。
「このアパートの住人は、基本的にスエが外から集めてきたものじゃ。じゃが唯一、自力で外から入ってきたのがおっての」
「自力で?」
「ほれ、あの陰陽師じゃ。於路地とか言ったか。あまりに才がありすぎたんじゃろ。人の世におれんようになって、ここへ逃げ込んできたんじゃ。そして光の水をこさえ始めて……」
「……」
もう、答えは分かった。
あいつの作った聖水――肉体を否定する精神のスープを、俺たちが下水道に流したから、最終的に生命の樹を傷つけてしまったのだ。
老人は興奮した様子もなく、淡々と続けた。
「別に責めとりゃせん。こんな世界がいつまでも成立しとるほうが異様なんじゃ」
「俺たちは、どうすれば……」
「それは自由じゃ。わしには歴史を伝えることしかできん。もしこの世界が終われば、おぬしらはもとの世界に帰れるぞ。わしらもじゃがな」
帰れる。
そして妖怪たちも、人間界に……。
「帰ったらどうなります?」
「まともな扱いは期待できんじゃろうな」
「樹をもとには戻せないんですか?」
「戻る。生きとるからの。ほっときゃ直る。じゃけぇ、おぬしらには、大きく二つの道がある。この世界を壊すか、そのままにしとくか」
俺にそんな決断を迫らないで欲しい。
なにも考えずに生きていきたいのに。
「普通に帰ることはできないんですか?」
俺はともかく、帰りたい人間はいるだろう。
老人の表情は冴えなかった。
「本館の下ぁのほうにの、開かずの扉があるんじゃ。そこからなら人の世に戻れるかもな。じゃけぇ、そこを開けるのは難儀じゃぞ」
「なぜです?」
「スエが根を張っとる。その根を取っぱらえば、スエが死ぬ。結局、道は二つに一つしかないんじゃ」
俺はつい眉をひそめた。
「本当ですか? そこが『出入口』なら、人が入ってくるたびスエさんが死んでいないとおかしいですよね? それとも、まさか『入口』と『出口』が別々に存在するとでも?」
「そうじゃよ」
そうなのか。
クソみたいな二択だな。
「な、なるほど……。分かりました。じゃあ俺は、これをネコに伝えればいいんですか?」
「いや」
「えっ?」
「好きにしていい。わしゃ釣りに戻る」
老人は竿をつかむと、また壁の穴に差し込んだ。
いったい……いったい、なんだったんだ……。
俺はどうすれば……。
(続く)




