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見て、月だよ  作者: 不覚たん
第三部 白

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49/82

足跡をたどって 四

 十四階、十五階とのぼっていった。

 戦闘もあった。

 もうまともに動けないと思っていたのに、意外と戦えた。いや、とっくに殺されているのに気づいていないだけかもしれない。よけそこねて刺された気もする。

 それでも体は動いた。なにをどう戦ったのかすら記憶にない。背中がぞわぞわする。


 次の階段をのぼきりったところで、俺はネコを見つけた。

 ただちょこんと座っていた。どんな表情かは分からない。ビー玉みたいな目で、じっとこちらを見つめていた。

 にゃあとも鳴かない。


「たまこ……」

「……」

 俺は近くに腰をおろした。

 ネコは逃げなかった。


 なんと声をかければいいのか、思いつかなかった。

 頭がまっしろだ。

 身体が疲弊していた。

 俺は呼吸を繰り返した。


 しばらく、言葉も交わさずそこにいた。


 薄暗い廊下が遠くまで伸びている。

 しんと静まり返っている。


「会えてよかったよ」

「……」


 彼女にとっては余計なお世話だったかもしれない。

 ただ、もしそうだとして、放ってはおけなかった。


「一緒に帰ろう。あんまり遅くなると、オバケが出るぞ……なんてな」


 オバケが出る。

 それは少年時代、大人たちに言われた言葉だ。

 非科学的だと思った。


 とはいえ、田舎の夜は暗い。早く帰ったほうがいいのは事実だ。

 早く帰らないと、よからぬことが起こる。


 田舎だからか、錆びついた古い看板がいつまでも残っていた。

 小さな池には、雑な河童の絵とともに、赤い文字で「危険」と書かれていた。河童だ。いるわけがない。俺たちは笑っていた。

 ごく小さな池だ。池というか沼だ。

 むかし、そこで子供が溺死したらしい。その「むかし」というのもいつのことやら分からないが。看板だけがいつまでも残されていた。


 とにかく大人たちは、オバケで怖がらせておけば、子供たちがまともに行動すると期待していた。

 少年時代の俺たちは、そんな大人を滑稽に思っていた。

 互いに互いを愚かだと思っていた。

 いまにして思えば、空疎としか言えないコミュニケーションだった。


 アパートのスピーカーが、ブ、ブ、と、ノイズを出し始めた。

 割れんばかりの音で「通りゃんせ」が流れだした。


 俺は立ち上がり、ネコを抱えた。それからドアノブを銃でふっとばし、手近な部屋に入り込んだ。

「お邪魔します」

 先客がいるかどうかは知らない。

 危なそうならもっとぶっ放すだけだ。


 それにしてもこの銃、意外と体力の消耗が激しい。一発撃つだけで虚脱感に襲われる。疲れているから余計に。


「たまこ、外に出るなよ。あいつが出てくるからな」

「……」

 返事はないが、いちおうおとなしく座ってくれた。


 家具はない。

 ぽつんと置かれているのはテレビだけ。


 ドアノブをぶっ壊したせいで、もう鍵はかけられなかった。

 ドアは廊下側に開くから、モノでふさぐこともできない。

 襲われないことを祈るしかない。


「なあ、なんでこんなところまで来たんだ?」

 人間の姿になったたまこが、勝手に押し入れをあさりながら言った。服でも探しているのだろう。

 俺はそちらを見ず、なんとか返事を考えた。

「なんでって……。なんでだろうな。お前に、いなくなって欲しくなかった」

「オマエ、あーしがなにから生まれたかもう知ってんだろ?」

「知ってる」

「……」


 たまこは、古くて地味な着物を着て、俺の近くに腰をおろした。

 時代劇に出てくる農村の娘みたいだ。

 表情は冴えないが……。あまり絶望しているようにも見えなかった。分からない。彼女自身、心の整理がついていないのかもしれない。


 俺はジャケットを脱ぎ、ネクタイをとり、ワイシャツの袖をまくった。

 今日は本当に疲れた。

 人生で、こんなに疲れたのは……。月夜の晩に襲われたときと、一二三いろはの訃報を聞いたときと、三人に復讐したときと、逮捕されたときと、裁判のときと……。まあ、意外とあるな。


「オマエ、腕」

「えっ?」

「ヘビみたいになってる」

「ああ、これか……」

 正当防衛とはいえ、かなり殺しまくった。

 肘のあたりまで鱗になっていた。

 ただ、これは獣になろうとするエネルギーを、外側に逃がすために起きた変異だ。問題ない。たぶん。


「あーしのせいか?」

「いいや。俺は好きでやってるんだよ。お前が無事だったことのほうが何倍も大事だ」

「バカだな……」

「俺もそう思うよ」

 廊下からドタドタと巨大生物の足音が響いた。

 主だ。

 あんなデカいのがいるのに、腐りかけた床板が割れないのは不思議だ。

 ともあれ、勝手に誰かの家に不法侵入してよかった。


 ふと、トイレから誰か出てきた。

 オカッパ頭の、目の細い少女だ。包丁を手にしている。


 俺は慌てて刀をつかんだ。

「誰だ!?」

「それは……こちらのセリフではないでしょうか……?」

 完全にそう。

 悪いのはあきらかに俺たちのほう。

「申し訳ない。主から逃げたい一心で、勝手に……」

「ドア、壊しましたよね?」

「はい……」

「ごめんなさいは?」

「ごめんなさい」

 淡々と詰めてくる。


 彼女はごくさめた目で告げた。

「言葉だけですか?」

「あの、紙切れでよければ……」

 紙幣を何枚か差し出すと、彼女は片眉をつりあげた。

「あるじゃないですか」

「足りますか?」

「5000? まあいいでしょう。その部屋、好きに使っていいですよ。私、基本的にトイレから出ませんから。その代わり、トイレは貸しません。絶対に。どうしてもというときは、お風呂を使ってください。もちろん流してくださいね。流さなかったらさすがに殺しますから」

「はい」

 トイレの花子さん的ななにかか?

 まあいい。

 不法侵入だったものが合法になった。


 たまこがすっと立ち上がった。

「じゃ、さっそくしょんべんするゾ」

「流してくださいね」

「おー」


 大丈夫か?

 絶対に流せよ、たまこ。

 お前たまに流さないことあるからな。

 お姉さんにもいつも言われてるよな? な?


 *


 結局、たまこは流さなかった。

 こいつはあきらかに世界をナメている。

 少女が凄まじい顔でトイレから顔を出してきたので、俺は全力で風呂場に駆け込み、盛大に流した。平謝りして。

「私、言いましたよね?」

「もう二度といたしません。慰謝料もお支払いします」

「追加で5000」

「お納めください」

「次からは気を付けてください。こんな紙切れ、本来、ここらじゃ無価値なのですから。私の寛大さに感謝してください」

「感謝いたします」

 もはや土下座だ。


 ドアノブを破壊して無断で入り込み、衣服を盗み、風呂で小便をして流しもしなかったのだ。家主は怒って当然。これでもかなり優しい対応だ。


 たまこは半笑いだ。

「あんなにペコペコして、情けねーな」

「誰のせいだと思ってんだよ……」

 ムカつくクソガキだ。

 だが、こうして笑顔を見せてくれると、それだけで嬉しくなる。もう、こいつの笑顔は見られないと思っていた……。


 疲れた身を横たえると、たまこが背中に寄り添ってきた。

「なあ。あーし、ホントは嬉しいんだからな」

「よかった。迷惑じゃなかったならなによりだ」

「迷惑なんかじゃねーゾ。勢いで走り出したのはいいけど……だんだん、どうしていいか分からなくなってたし」

 後ろから服を引っ張ってくる。

 心細かったのかもしれない。

「どこに行こうとしたんだ?」

「どこでもねーゾ。誰もいないところに行こうって……。でもこのアパート、出口がどこにもねーのな……」

 そうだ。

 出口がない。

 本館のどこかにはあるはずなのだが。


 たまこは溜め息をついた。

「あーし、薄々気づいてたゾ。どうせロクでもねー親なんだろうなって。親のこと聞いても、姉ちゃん教えてくれなかったし」

「そんなふうに言うなよ」

「でも事実だろ。あーしはメシのなりそこないなんだ。誰かに食われるために生まれてきたんだ。だから……」

「こんなこと言うのはなんだが、誰だって食物連鎖からは自由じゃない。俺だって、主から見れば餌でしかない。俺もお前もなにも違わないぞ」

「なんだよそれ。もっと優しく言えよ」

「優しく言っても、どうせ受け入れないだろ」

「まあ、な……」


 バン、と、トイレのドアが開いた。


「え、待って? そういう関係? 始まるんですか? ねえ? 始まるんですか? 私、見てていいですか? 邪魔しませんから! ほかに娯楽もないので! ね?」

 血走った目でまくしたててくる。

 包丁を持っているから普通に怖い。


 俺は上体を起こした。

「え、なんのこと?」

「えっちですよ! えっち! するんでしょ? そういう雰囲気でしたよ! 私の目はごまかせませんから!」

「しませんけど……」

 こいつの頭の中、どうなってんだよ……。


 たまこもあきれたように仰向けになってしまった。

「あーしとこいつはそんな関係じゃねーゾ。オマエはトイレにこもってろ」

「なんですか、失礼なネコですね。おしっこも流さないし。あなた、まともな教育受けてないんじゃないですか?」

「そーだ、そーだ。まともな教育なんか受けたことねーゾ」

「んまぁ、野蛮な……」

 包丁持ってるヤツに言われたくない。


 少女はトイレに戻ると、また顔だけを出した。

「あ、でもするときは事前に言ってくださいね。見ますから。私は本気ですよ。絶対に見ます。隠れてこそこそやってても見ます。天に誓います」

 そんなことを誓うな。

 天も迷惑だろ。


 *


 しばらく寝た。

 もちろんなにも起きない。


 少女は何度もトイレから顔を出して、こちらの様子をうかがっていたようだった。

「あのー、なんでやらないんですか? 普通、やりますよね? こっちは一晩中確認してたんですよ? おかげで寝不足です。どうしてくれるんですか?」

「やらないって言ったでしょ」

 やつれた顔で包丁を構えているので、本当に怖い。

 こちらを殺してこないのが不思議なくらいだ。


「で、どうするんですか? 帰るんですか?」

「帰りますよ。本当に、ご迷惑をおかけしました。お詫びします」

「まあ、それはいいですよ。お金を受け取ってしまったので……。それにしても、あなた、バケモノになりかけてますよね? 大丈夫なのですか?」

「まあ、たぶん」

 妖怪にまで心配されるとは。

 そのうち全身鱗まみれになるのかもしれない。

 大人しくしていないと。


「あのー、非常に迷惑でしたけど、また来てもいいですよ? ドアさえ壊さなければ」

「ありがとう。もしまた来ることがあれば、そのときは」

 たぶん来ないとは思うが。


 *


 帰路は、意外と楽だった。

 というより、本性を隠さなくなったたまこが、襲ってくるヤツを片っ端からぶっ殺してしまった。信じられないほど俊敏に動く。爪で急所を切り裂く。


「お前、けっこう強かったんだな」

「そうみたいだな」

 こんなに強いのに、多賀峰には捕まったのか。

 よほど油断してたんだろうな。


「それにしてもオマエ、さっきからなにをキョロキョロ探してんだ?」

「いや、どこかに三味線のお姉さんがいたはずなんだが……」

「は? 浮気か?」

「途中で世話になったんだよ。挨拶してから帰りたかったんだが……。まあいい」

 そんな女、最初から存在しなかったのかもしれない。

 このアパートではなにが起きてもおかしくない。


 廊下に転がっていたカニの死骸も片付いていた。

 おそらく主が食ったのだろう。

 先生はどうしているだろうか?

 胃液で溶かされながらも、呪いで再生を続けているのだろうか?


 *


 ネコ耳お姉さんのいる「ネコキャバ 快楽」の前を通り過ぎ、御所へ向かった。


 ここまで来ればもう安全だ。

 脇道から覗き込んでくるヤツはいるものの、積極的に手を出してきたりはしない。ただ小声でぶつぶつ言ってくるだけ。


 御所の前では、生倉さんと赤尾さんが待ち構えていた。

「お帰りなさい。まさか生きて戻って来るとは思いませんでした」

「最初から君に任せておけばよかったな」

 赤尾さんは相変わらずの軽口だ。


「運がよかっただけですよ」

 鱗に助けられた。

 背後からの攻撃を何度かよけそこねたのに、ダメージにならなかった。本当に運がよかった。


「さあ、中へ。陛下がお待ちですよ」

 生倉さんがドアを開けてくれた。

 まばゆい黄金の大広間だ。


 かなりの大冒険だった。

 それが、ようやく大団円を迎える。


(続く)

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