是生滅法 一
この数日の活動で、王朝も一枚岩でないことが分かってきた。
まず、御所の情報が外に流れている。誰が左遷されたとか、誰が処刑されたとか、不穏な情報ばかり。
レジスタンスが送り込んだスパイではないらしい。王朝内部にも、ウシガエルを嫌う一派はいるのだ。あんなのに任せていたら長くもたないと感じたのだろう。まあ彼らは王朝を滅ぼしたいわけではなく、この利権構造を維持しつつ、自分たちがウマい思いをしたいだけなんだと思うが。
資金はレジスタンスに流れた。
こちらへの協力を惜しまないそうだ。
先生の自宅から押収した護符も、ほとんどレジスタンスにくれてやった。
俺たちは御所に入るのだ。つまりは結界の中に入ることになる。護符なんて持っていても使えない。外にいる連中に渡したほうがいい。
前夜――。
俺たちは事務所で天ぷらそばを食った。
今日は俺も本館で一泊する予定だ。
本館で夜を過ごすのもこれで二回目。
まだ主とやらの姿を見たことはないが。「通りゃんせ」が流れたら、外に出ないほうがいい。
「れずすたんすのしとら、ずんびでぎでるってよ」
レジスタンスの人ら、準備できてる、とナツさんは言っている。
赤尾さんは箸を置いた。
「霧島くん、今回は君のプランに賭ける。絶対に成功させてくれよ。もし失敗したら君を恨むからな」
「恨むもなにも、そのときには全員死んでいますよ」
生倉さんが野暮なつっこみを入れた。
まあそうだ。
俺たち人間は、失敗したら死ぬ。背水の陣だ。死ぬだけなら不命者も同じだが。連中はそのあと生き返る。フェアじゃない。
俺はどんぶりからスープを飲んだ。
「ふぅ。けど、いいんですか? 俺は命を賭ける理由がありますけど、お二人はそこまででもないですよね?」
手を引いたっていい。
資金をレジスタンスに流してくれただけで十分だ。というより、俺が立てた作戦には、じつは二人の戦力は加味されていない。銃の威力を信用していないわけじゃない。探偵に殺しを期待するのが滑稽に思えただけだ。
生倉さんはやや苦い表情ながら、笑みを浮かべた。
「じつは阿家智さんから封書を託されてまして」
「はい? 師匠から?」
あの世から?
いや、生前のことだろう。もしまだ生きていたら、ここに顔を出して、あれこれ口を出してくるはず。そういう人間だ。
「ふみこさんが窮地におちいったとき、きっとあなたは無謀な作戦を立てることになるでしょうから、サポートしてやって欲しいと」
「行動を読まれてたってわけですか。なんか恥ずかしいな」
「前払いで報酬を受け取っているので、いまさらキャンセルもできません。安心して私たちを頼ってください」
「了解」
師匠の野郎、余計なことしやがって……。
もし俺が大金持ちになったら、どこかに銅像でも建ててやるとしよう。ツラを忘れてなければ。
*
翌朝、俺たち三名はスーツを着用して御所へ向かった。
とはいえ、簡単に入れる場所ではない。事前の許可がなければ中に入ることもできない。もちろんすでに対策済みだ。
「またお前たちか……。例の話は本当なのであろうな?」
伽藍爺が顔をしかめながら出迎えた。
人間とは一秒も会話したくないといった態度も露骨だ。その短いツノをもいでやろうか。
生倉さんが封書を差し出した。
「こちらです。念のためにと皇女殿下のアジトを探索しましたところ、このようなものを見つけまして。ぜひご報告せねばと」
伽藍爺はますます顔をしかめて封書をふんだくり、中から護符を取り出した。
「ふん。アレはもはや皇女殿下ではないわ。で、なんじゃこの札は? むっ? むむっ? むむむっ? な、なんじゃこれは……。主を呼び寄せる護符……。あの下女めが、このようなものを作っておったというのか?」
まあ動揺するだろう。
誰彼構わず食い殺すような怪物だ。御所にぶっ込まれたらひとたまりもない。
生倉さんは真剣な表情で続けた。
「ひそかに国家の転覆を狙っていたものと思われます。ほかにも、ぜひ陛下のお耳に入れておきたい情報が……」
「なんじゃそれは? まずは輔弼たる拙僧に教えよ」
「緊急です。なにとぞ……。もしここで止められては……陛下に重要な情報を伝えられぬまま、手遅れになってしまいます。もしそうなったら……」
「拙僧の責任だと申すのか? 無礼な! なぜ言えぬ!」
「陛下と殿下の私的な領域のお話になりますから……。あまり周囲に聞かせたくない話かと。それでもムリにとおっしゃるのであれば……」
「ぐむぅ」
伽藍爺は、怒ったイヌみたいに顔をしかめた。
どうすればもっとも自分に有利になるかを考えている。
人間ごときをそうそうたやすく陛下に会わせていいものか。かといって陛下の個人的な情報を勝手に知っていいのか。自分の一存でそれをやったらどうなるのか。天秤にかけている。
「ふん。参れ。陛下への謁見を許可する。ただし、非公式にだ。もしくだらぬ内容であったらどうなるのか、覚悟しておけ」
「承知しました」
*
銅鑼は鳴らなかった。
式典でもなければ、正式な謁見でもないから、御所の大広間には誰の姿もなかった。鎧武者が警備しているのは廊下だけだし、役人たちは別室で作業中。
俺たちは壁際をこそこそ通り抜け、奥の部屋へと通された。
「いま陛下をお連れする。お前たちは大人しく待つように」
あまり大きな部屋ではない。
ウシガエル用と思われるクソデカ椅子があり、テーブルを挟んで客用の椅子があった。足元には深い赤の絨毯。天井には小さなシャンデリア。洋風の応接室といったところか。書棚には本がある。ただし……妙に薄い本ばかりだ。
伽藍爺は去った。
俺たちの武器を取り上げもしないのだから不用心なものだ。まあ死んでも生き返るのだから、これくらいヌルくてもやっていけるのかもしれない。
ややすると、ふひーふひーと呼吸をしながらウシガエルが来た。
半裸に巨大なエリのマントをしている。
「なんだお? いまちょうどいいところだったお? これでクソつまらない用事だったら、まとめてジューサーにかけて血だけ搾り取るお?」
ずんと垂直に椅子へ腰をおろした。
このクソ野郎が。
だが、俺が皮肉を口にするより先に、赤尾さんの銃がウシガエルの頭部を撃ち抜いた。
出血はない。
気絶させるだけの技。先生を動けなくしたのと同じ攻撃だろう。
会話さえさせないとは。
「トドメは任せたぞ、霧島くん。俺はあの坊さんと話をしてくる」
「えっ?」
説明もせず行ってしまった。
ウシガエルは目を見開いたまま、四肢を投げ出すように気絶している。
ふうちゃんの兄らしいが、ちっとも似ていない。
さて、あとは殺し放題だ。
いかようにも切り刻める。
だが……妙な違和感がある。
ここまでスムーズなのは、べつにいい。
こいつらは世界を支配したつもりで慢心している。生き返ることができるから隙だらけだ。殺されても取り返しがつく。結界で守られているから術の警戒も必要ない。周囲を鎧武者に囲まれているから、叛逆者は絶対に逃げられない。
しかも俺たちは人間だ。ザコだと思われている。ふうちゃんを差し出した張本人でもあるから、あとから取り返しに来るとは思われていない。
だから状況を疑っているわけではない。
ただ、妙に静かだな……と……。
俺は刀を抜いた。
ひとまずウシガエルは殺しておく。毒の塗られた刀身で。二度と生き返らないように。
いや、待て。
なにかおかしい。
この感覚……まさかとは思うが……。
「時間を止めました」
歌うような口調の、青白い顔をした陰陽師。
於路地だ。
生倉さんは完全に固まっている。
だが、なぜか俺だけは動ける。
こいつはまだ俺の身体に執着しているのか……。
俺はそいつへ切っ先を向けた。
「どうしてお前がここにいる?」
「お答えしたいのはヤマヤマですが、守秘義務がありまして」
「敵としてそこに立っているのか?」
そのことは確認したくなかった。
もし確認すれば、確実に絶望することになるからだ。
先生は表情もなくうなずいた。
「はい。王朝は私のパトロンなのです。私は術を提供する。彼らは活動資金を提供する。互いに互いを必要とする関係だったのですよ」
「なんだよそれ。けど、時間を止めるなら、俺の時間も止めておくべきだったな。俺はいつでもこいつを殺せるぞ」
「構いませんよ」
は?
ウシガエルをぶっ殺してもいいっていうのか?
彼は目を細め、微笑した。
「ただし、彼を殺害した場合、ふみこさんに即位していただきます。女帝となるわけですから、ここから出られなくなりますよ。それでよければ」
「いいかどうかは分からないが、ひとまず殺しておく」
俺はウシガエルの心臓に刀を突き刺し、少し抉ってから引き抜いた。
時間が動き出したら、大量の出血とともに死亡するだろう。
「簡単に殺しますね……」
「あんたの術のおかげで、たぶんあと数人くらいはもつだろうからな」
のみならず、あらかじめ身体の一部を変化させている。獣になるのはずいぶん先だろう。
「ふむ。確かに、まだ殺し足りないくらいですね。あなたの輝きを手に入れることを考えると、少し興奮してきたかもしれません」
「興奮するな」
こいつは術師としては天才かもしれない。
頭もキレるのかもしれない。
ただ、自分のことにしか興味がない。つまり聖水を作ることしか考えていない。
それ以外のものを、障害物くらいにしか思っていない。
時間を止めるなんて、まるで神のごとき行為だ。
だが、残念ながら神そのものではない。
こいつの術の外では、時間が動き続けている。
ドォンと派手な音がした。
レジスタンスがようやく仕事を始めたのだ。
先生が慌てて術を解いた。
その瞬間、ウシガエルの心臓から鮮血が噴き出した。
「え、なに? 先生……」
生倉さんは目を丸くした。
逆の立場なら、俺はこれを夢としか思わなかっただろう。
「死ねッ!」
俺は刀を振り下ろしたが、先生の袖を切り落とすことしかできなかった。
逃げ足が速い。
「え、なに? どうなってるの?」
「先生が乗り込んできて、時間を止めたんです。その間に陛下を殺しました」
「待って! なんで先生がいたの?」
「そこまでは分かりません」
誰かがあいつを解放したのだ。
誰なのかは不明だが……。
生倉さんが頭を抱えていたので、俺は先回りして提案した。
「レジスタンスも動き出しました。プランを進めましょう。次はふうちゃんとたまこを見つける番です」
「そう……。そうですね。プラン通りに行きましょう」
プラン通り。
レジスタンスの暴動に乗じ、二人を探し出す。
その後、命がけで逃げ延びる。
こんなのを作戦と言っていいのかは分からないが。
思いついた中で一番マシなのがこれだったのだから仕方がない。
それにしても、赤尾さんはこんなときになにをしているのだ?
どうしても最悪の予想をしてしまうのだが……。
(続く)




