再会
策は立てた。
あとは実行するのみ。
数日後、御所へ。
長い廊下には、背の高い鎧武者たちがずらっと並んでいた。
出迎えたのはまた伽藍爺だ。
ギョロ目の警官はいない。
「おお、殿下。お久しゅうございます。伽藍爺でございます」
坊さんは小走りで駆け寄ってくるなり、頭を垂れた。
分かってはいたが、お姉さんは本当にここの一族だったらしい。
「爺……。心配かけました。ですが私はすでに御所を出た身。そこまでせずとも……」
「いえいえ。あなたさまのことは、陛下もずっとお探しでした。きっと寛大な処置がございましょう。ささ、こちらへ」
信じられないほどの平身低頭。
ただし、俺たちのことは背景かなにかとしか思っていない。
ドアが開き、中へ通された。
金色の天井と壁が、よく磨かれた木の床に反射している。
この部屋では、すべてが輝いて見える。
銅鑼が鳴らされた。
「皇女殿下のぉ、お帰りでぇす!」
誰かの大袈裟な声が響く。
ここには殿下以外もいるのだが……。まあ、彼らにとってはどうでもいいことなんだろう。
俺たちが指定の場所に立つと、次の銅鑼が鳴る前に、奥からウシガエルが二足歩行で現れた。
「おお、ふみこ! やっとボキの……」
喋ってる最中に銅鑼が鳴り、「陛下のおなりでぇす」と声があがった。
フライングすることもあるらしい。
坊さんに言われ、俺たちは膝をついた。
ムカつく野郎だが、形式は形式だ。表面上でも相手の文化を尊重しなければ、余計な敵を作ることになる。
「やっとボキのもとに戻ってくる気になったんだねぇ」
ウシガエルはずんと座布団の上に落下した。
本当はこっちまで駆け寄ってきたかったんだろう。膝さえ悪くなければ。
お姉さんは膝をついたまま応じた。
「いいえ。私は、お兄さまとの決別を告げに参りました」
「んんー?」
場が、凍りついた。
もちろん俺も凍った。
話をするとは聞いていたが、まさかここまでハッキリ……。
伽藍爺もキョロキョロしている。まあこいつは自分の保身しか考えてなさそうだが。
ウシガエルは一笑した。
「ふーんふんふん。かわいいねぇ。反抗期かお?」
「もう私のことはお忘れください。本日は、ただそのことを申し上げに参りました」
「おんおん? それだけ言って、あとは好き放題生きるつもりかお? お? そんな勝手が通じると思ってるのかお? ぽまいのせいで、ボキの生殖機能は深刻なダメージを受けたんだお? 治療のため、いっぺん死んで生き返らなきゃならなかったお? どう思うんだお? お? ぽまいのせいで、この王朝は滅びかけたんだお?」
そのまま滅べばよかったのに。
だが、この王朝に滅んで欲しくない輩がいたのだろう。
だからこの利権構造は保護された。王が死に、不在だった期間があったにもかかわらず。みんなでそれを守ったのだ。ここにいる連中、全員が共犯だ。
「でも、その件はお兄さまが……私のことを……」
お姉さんは泣き出しそうになっている。
あのウシガエル、過去にも彼女に手を出そうとしたようだな。
ふと、ウシガエルは部下に指示を出した。すると黒子が駆け寄ってきて、ウシガエルが立ち上がるのを補助した。
ヤツは立ち上がると、ずんずんとこちらへ近づいてきた。
なにをする気だ?
「黙れお」
「んんっ」
ウシガエルは、パァンとお姉さんの顔を叩いた。
「ぽまいは罪人なんだお? 皇帝にたてついた大罪人だお? しかもいっぺんここを出た以上、もはや皇族ですらないお。ぽまいはただの下女! お兄さまなどと呼ぶ権利はねーんだお! 下女らしく、身分をわきまえて陛下と呼べお」
「……」
お姉さんは目を丸くしている。
あまりにも対応がクソすぎる。
許可をくれるならいつでもぶった斬る。
刀身に毒が塗られているから、こいつは二度と生き返らずに済む。簡単な話だ。ウシガエルが死ねば、あとはお姉さんが継ぐしかなくなる。それで完全勝利だ。
ウシガエルはこちらを見た。
「人間ども、分をわきまえず術を使ったことは見逃してやるお。この下女を見つけた褒美もやるお。だから、もう出てっていいお。人間がいると空気が汚れるお」
「……」
どうするんだ?
やるのか?
やらないのか?
こっちはいつでもいい。
許可が出た瞬間にウシガエルを斬る。
ウシガエルは、するとたまこに目を付けた。
「けど、そこの不命者のガキは残るんだお。下女として使ってやるお。ボキはこういう生意気そうな下女を使うのが大好きなんだお」
クソガキは、いまはフリルのついたワンピースを着ていた。いちおう御所に来るのだからとキレイな格好をさせていたのだ。
「陛下、たまちゃんには手を出さないで……ください……」
「お? たまちゃんて言うのかお? ほほーん? ほんほん? ほっほーん?」
舐め回すようにたまこを見ている。
そのたまこは……。
「いいゾ。あーしは残る」
素直に従ってしまった。
絶対に余計なことを口走って、すべてを台無しにするんじゃないかと思っていたのに……。
いや、俺は心のどこかで期待していたのだ。
たまこが暴れ始めて戦闘になり、俺も刀を抜いて、あとは勢いでどうにかなるのではないかと。
黙っていいようにされるよりは、みんな戦って死んだほうがマシだと。
ただ、俺も事前に様々なシミュレーションをした結果、ひとつの結論に行きついていた。
正面から仕掛けるのは「愚策」であると。
お姉さんもうなずいた。
「人間の皆さんも、どうかもうお引き取りください。あとはこちらの問題です」
助けを求めている目ではない。
これも想定済みの展開……。
まずは懐に入り込み、内側と外側の両方から挟撃する。
*
外へ追い出された。
金ももらった。血液と交換することのできるチケット。いわば兌換紙幣だ。それが凄まじい量の札束となっている。
「大金だな。これまでの赤字が埋まりますよ」
「いまはそういう言い方やめてください。怒りますよ?」
赤尾さんの軽口を、生倉さんは本気ではねのけた。
彼女が先に怒ってくれたおかげで、俺はそこまで怒らずに済んだ……かもしれない。いや、赤尾さんだってこの結果を受け入れていないはず。それは分かっている。
*
禁足地を経由し、事務所へ戻った。
ナツさんが天ぷらそばを頼んでくれた。
テーブル上には大金の入った麻袋。
しばらく遊んで暮らせる額だ。
だが、虚しい。
生倉さんは頭を抱えている。
さっき怒られたからか、赤尾さんも発言しづらそうにしている。
俺は頂戴した茶をすすり、こう切り出した。
「悲観してる場合じゃありませんよ。作戦はここからがスタートなんですから。こないだ提出した想定案にも、このケースは記載してあったはずです」
すると赤尾さんが、しょぼついた目のままこちらを見た。
「ああ、そうだな。だが、肝心の解決策がなかった」
「書いたつもりですが」
「挟撃によって勝利する? 言うはやすしだが、具体的にどうする? あの屈強な鎧武者を見ただろう? 対するこちらはたったの三名。現地の二名を入れても計五名。勝てる数じゃない。しかも、こっちは死んだら終わりなのに、向こうは何度でも生き返るんだ」
は?
つまり不可能って言いたいのか?
いや、いい。
俺は、自分の案が完璧だなんて思ってない。穴もあるだろう。穴を指摘してくれれば、修正してもっといいものにする。
それが、不可能とは?
不可能だと思っていながら、お姉さんを差し出したのか?
「赤尾さん、どういうつもりで言ってるんです? まさか、見捨てろと?」
「そうは言ってない。ただ、これは彼女本人のミスだ。簡単に兄と和解できるつもりでいたんだろう? 顔と顔を合わせて話をつければ、もう追い回されずに済むと。だが、彼女は罪をおかしていた。俺たちは知らなかった。情報の共有ができていなかったんだ。前提条件はくつがえった。イチからプランを考え直す必要がある」
もっともらしいことを言ってはいるが、要は、お姉さんが引き起こした事態なんだから、どんな結果になっても受け入れろということだ。
本心は違うのかもしれないが、俺にはそうとしか聞こえなかった。
廊下で音がした。そばが来たのだ。
俺は席を立ち、ドアの外のおかもちを回収した。
四人分のそば。
できれば六人で食べたかった。
生倉さんが、いきなり顔をあげた。
「このお金、私にください」
「えっ?」
みんな同時に同じ言葉を発した。
本当に。
急になにを言い出すのだ。こんなときに。
「ああ、でも少しは皆さんにも配っておきましょうか。報酬ですから」
「残りは全部ボスがもってく気なのか? いや、そりゃボスはあんただけど……」
赤尾さんが抗議するも、生倉さんは睨むような顔になっていた。
「はい。全部私がもっていきます。でも誤解しないでください。自分のために使うわけじゃありませんから」
「なら、なにに?」
「文車王朝の支配に不満を持っているグループがありますね。そこにこの資金を投じます」
おっと。
さすがにそれは俺のプランにはなかった。なぜなら立案の時点では資金がなかったからだ。ないものは流せない。
赤尾さんは口を半開きにしていたが、すっと息を吸い込んだ。
「なるほど……。だが、九字羅は殺された。ただ殺されたならまだしも、二度と蘇らないよう呪殺されたんだ。あいつはカリスマだったから、界隈に与えた衝撃も一通りじゃなかったぜ。連中の活動は低迷してる」
そうだった。
先生とイチカがやった仕事だ。
生倉さんは頑として引かなかった。
「それでも、まだ解散したわけではありません。原資があれば、彼らも活動を再開するはず。いまの皇帝が即位してからというもの、支配はより苛烈さを増していますからね。燃料を注げば、いくらでも燃え上がりますよ」
すると、会話に参加せず勢いよくそばをすすっていたナツさんが、早くも食事を終えた。
「このお金、あだすに任しちゃくれませんか?」
「なにかプランが?」
「九字羅さんの甥に、若ぇのがいんです。その人さ頼んだら、ええ具合ぇさしてくれっと思います」
ナツさんは信用できない人ではない。任せてもいいかもしれない。もし金が欲しいだけなら、そもそもこんな場末の事務所で働いてないだろうし。
生倉さんはかすかに息を吐いた。
「では、あなたに託します」
「あいー」
だがナツさんが回収する前に、赤尾さんが札束をふたつ抜き取った。
「取り分はもらっておく」
「どうぞ」
そして彼は、ひとつを俺に渡してきた。
「君にも受け取る権利があるぞ。遠慮するな。なにかに使える。ある種の武器だと思えばいい」
「頂戴します」
そうだ。赤尾さんは、戦う気をなくしたわけではない。違う方法を模索しているだけなのだ。たぶん。そうは見えないが。
生倉さんはうなずき、立ち上がった。
「霧島さん、いまいった計画を踏まえた上で、プランを修正してください。あなたの思案をベースに作戦を進めますから」
「了解」
そうこなくちゃな。
少なくとも俺は、仲間を売り飛ばすつもりはない。
まあ、事務所の二人は、そんなことに加担する義務もないはずだが……。協力してくれるというのだから、拒む理由もなかろう。
さて、俺はプランの再考だ。
かのシャーロック・ホームズは、事件に遭遇すると、たちどころに七つの仮説を立てたという。言い換えれば、最低でも六つの説を外しているのだ。俺みたいな凡人は、もっと外していい。
バカみたいに大量のプランを用意して、どれかひとつを当てる。
それで勝ちだ。
まあ無限は白紙と同じだが。幸い、無限のプランを用意できるほど時間的余裕があるわけでもない。
(続く)