気休め
翌日、本館。
もちろん禁足地は使えないから、例の「抜け道」を使った。たまこはネコだけあって一瞬で通り抜けたのだが、お姉さんは半泣きになりながらとんでもない時間をかけた。前回もこうだったのだろうか……。
ともあれ三人で事務所に入った
「おはようございます。今日はみんなで来ました」
「お……おはようございます……」
生倉さんは面食らっていた。
いや、余計なことをしたのは分かっている。だが、各人の要望を総合したらこういうことになったのだ。仕方がない。
赤尾さんも口をあんぐりと開けていた。
なにかを言いたいが、言うのをためらっている様子。
迷っているくらいなら言わないほうがいい。少なくとも日常生活においては。なにせ日常はその後も続く。のちの活動にマイナスの影響を及ぼすかもしれない。
緊急の場合は言ってもいい。どうせ後はない。
俺たちはソファに腰をおろした。
「で、作戦は?」
「ちょっと待ってください。まだなにもまとまってないのに……」
「ならまとめましょう。いま、ここで」
「勝手な……」
人の命がかかっているのだ。勝手にもなる。
お姉さんは穏やかな口調ながらも、力強い眼差しで言った。
「せっかく連れ出していただいたのに、ごめんなさい。でも、御所に戻ろうと思います。これ以上、後回しにしたくなくて」
「えっ? 戻る? それは……本気で?」
「はい」
「こちらとしては……好都合ですが。本当にいいんでしょうか……」
いちおう生倉さんも、賛成とは言えない感じか。
まあ自分たちの人生が天秤にかかっているのだ。悩む権利はある。
赤尾さんが茶をすすり、かすかに呼吸をした。
「そちらの……妹さんも連れて行くの?」
「たまこだゾ」
俺のジャージを着てソファにふんぞり返っている。狭いソファに三人だからクソ狭いのだが。
「もちろん、たまちゃんも連れていきます」
「俺ぁオススメしませんがね……」
なにか言いたげなのに、最後まで言わない。
この期に及んで、まだ隠し事か?
ともあれ、このプランを拒否はできないだろう。
なにせ本人みずから名乗り出たんだからな。
俺は立ちあがった。
「ま、行くことは決まったんで、あとは段取りだけ決めといてください。俺はほかにすることがあるんで」
「え、どちらへ?」
生倉さんも不審そうな目だ。
まあ新人がボスに詳細を決めさせて、自分だけどこかへ行こうというのだから、不審以外のなにものでもあるまい。
「ちょっと術の無料セミナーでも受けてこようかと」
「……」
*
セミナーの会場はすぐそこだ。
事務所の斜め前。赤尾さんの部屋の隣。板を打ち付けられ、護符で結界を張られた監禁部屋。
「先生、少しご相談が」
俺はノックをしてそう呼びかけた。
「おや、その声は霧島さんですか? 会いにきてくれたのですね」
食事も与えられず、真っ暗闇に監禁されているというのに、彼の態度は以前のままだった。相変わらずいい声だ。なだらかな山を、電車の窓から眺めているような印象。
ひとつも許したわけではないが。
「ふみこさんが、御所に戻ることになったんです。けど、俺はそのまま帰すつもりはなくて。もし彼女が傷つくようなことがあれば、兄貴をぶっ殺して連れ帰ろうと思ってるんです。アドバイスはありませんか?」
こいつはなにも罪をつぐなっていない。
せめて俺の役に立って欲しい。
彼の回答はこうだ。
「では、私を連れて行ってください」
「は?」
「別館の龍脈は破壊されてしまいましたが、本館のものは問題なく機能しています。純度にやや問題がありますが。私がその力を使えば、陛下を殺害し、ふみこさんを連れ戻すなど造作もないこと」
その通りかもな。
事前に工作すれば、時間を止めることさえ可能だろう。そうなれば、すべてはこいつの思うまま。
「けど、先生。思い出して欲しいんです。俺、あんたの顔を見たら、たぶんぶっ殺しますよ」
「結構ですよ。死にませんから」
「いっこうに結構じゃないんですよ。いいですか? 俺は絶対にあんたをそこから出すつもりはないんだ。策だけ授けてくれればいい。まさか、俺がどんだけあんたにムカついてるか、分からないわけじゃないでしょう?」
「理解していますよ」
本当か?
なら、もっと深刻そうなリアクションが欲しいところだな。
この男、演技じみた性格をしているのに、しかし演技はヘタクソなのかもしれない。これが素の状態なのだ。サイコパスめ。
俺が閉口していると、彼は構わず話を進めた。
「そうですね。もし私をここから出さず、大きなことを成し遂げたいというのであれば、私の部屋の棚をお探しなさい。大量の護符があるはずです。どれも強力なものばかりですから、きっと作戦の助けになると思いますよ。もっとも、一番いいのは、私をここから出すことですが」
「オーケー。護符はもらう。あんたはそこにいてくれ。話は以上だ」
「いつでも来てください」
本当に腹が立つ。
あのうすら笑いが目に浮かぶようだ。
*
「天ぷらそば七人前お願いします。かしこみかしこみ、と」
事務所へ戻ると、赤尾さんがテレビに向かってそばを注文しているところだった。
いつもいつも天ぷらそばだが、ほかにメニューはないのだろうか?
「ただいま戻りました」
「セミナーの成果はどうだったかな?」
「さあ」
赤尾さんの質問を、俺は適当にかわした。
説明するのも面倒だ。とっととそばを食って帰りたい。
すると、ずっともじもじしていたナツさんが、意を決したように近づいてきた。
「あの、ふみこさま」
「はい?」
「もし御所さ帰られるんであれば……。税金さ、すごしさげてくれっと嬉しんです。あだすら若ぇもんはまだすも、年寄り童まであんな取られんのは……。とでもとでもやってげねんです。どぉが、ひらにお願ぇいだしやす」
「はい……」
税金、か。
たしか、本館における金は血液だったな。比喩ではなく、そのままの意味で血税というわけだ。誤解とはいえ、日本に実在した「血税一揆」を思い出す。
いくら生き返るとはいえ、もし老人や子供から容赦なく血を取っているのだとすれば……。とんでもないクソ政治だ。ただしたほうがいい。
廊下でゴトッと音がした。
そばが届いたようだ。
配達人は決して姿を見せない。もし観測していると、配達人は永遠に来ない。そういうシステムなのだ。
*
まだ御所へは行かない。
今日の目的は、あくまで打ち合わせだけ。
三人で乗り込んだのは……まあ説得力というか、相手に有無を言わせないためだ。時短ともいう。いや強行か。どっちでもいい。
先生の部屋でイチカに挨拶し、護符をすべて回収してから、お姉さんの部屋に戻った。
紙の束とはいえ、量が多いとさすがに重たい。
帰宅するや俺たちはテーブルに護符を広げ、手分けして使えそうなものを探した。
「うわぁ。見てください、この護符。主を呼び寄せる術ですよ。使ったら大変なことになります」
「えぇっ……」
主というのは、時間になると徘徊を始め、見つけた得物を問答無用で食い殺すとかいうバケモノだ。
そんなもの、いったいなにに使うつもりだったのやら。
そいつを御所にぶっ込んでやればすべてを壊せそうな気もするが……。術者にも危険が伴う。自爆覚悟でなければ使えない。しかも不命者はいつか生き返るわけだから、もし俺が使ったら最終的に俺だけが死ぬ。
「そしてこっちは、精神を加速させる護符……」
「精神を加速?」
「といっても、早く動けるとかじゃないんです。精神年齢を高めるための護符ですね。この世界で生活していると、基本的に年を取りませんが……。それでも精神年齢が高まると、肉体年齢も相応に変化するんです。ですからこれは、簡単に言えばターゲットを老化させる術ですね」
「やべーのばっかりだな……」
「先生は術の研究者でもありましたから。使うかどうかは二の次で、いろいろ作っていたんでしょうね」
なるほど。
たまこはめんどくさそうな顔でクッキーを齧っている。
細かいことは考えたくないといった顔だ。
それはいいのだが、護符の上にクッキーをこぼすんじゃない……。
「時間を止める護符はあった?」
「いえ、見当たりませんね。まだ護符にしていないのかも」
使えたら最高だったのに。
別館では難しいかもしれないが、本館にはまだ龍脈がある。その力を借りれば発動できたはず。
そこまで考えて、俺は別の問題に行き当たった。
「あー、でも、御所にはあいつらの結界が張られてるんだっけ? 護符を持ち込んだところで、使えるのかな?」
「難しいと思います」
「難しい? つまり不可能ではない、と?」
「天才的な術師であれば」
「……」
つまり先生の力が必要というわけだ。
だが、あいつは信用できない。俺たちを裏切るからじゃない。そもそも自分の行動原理にしか従わないのだ。作戦に組み込めない。
だいたい、あいつの背景も不明だ。
なぜ本館でセミナーをしていた?
人間が、本館で、あれほど自由に行動できるのか? 本館の誰かとつながっていると考えたほうが自然だろう。御所に連れて行くのはリスクでしかない。
お姉さんはなんとも言えない笑みを浮かべた。
「霧島さん、眉、ぐってなってますよ」
「失礼」
考え込むといつもこうだ。
まあこっちは死ぬかもしれないのだから、いくらか真剣にもなろうというものだ。
術が使えなかった場合に備えて、物理的な戦闘力も投入したほうがいい。たとえば爆弾とか。
「そんなに難しく考えないでください。これはあくまで最終手段ですから。私は話をつけに行くんです。戦いにはしません」
「分かってる」
本当は分かってない。
確かにそれは最終手段かもしれない。しかし残念ながら、ほぼ確実にそうなる。
相手は、両親をスープにして脇に飾っているようなヤツだ。妹に自分の子供を産ませるとか言っていた。権力の座を手にして、ブレーキを失っている。
彼女自身もそれを理解しているはず。だから殺してくれと言ったのだ。
ま、お互い分かってて言っているということにしておこう。
つまりは気休めだ。
配慮とも言う。
だが俺は考えることをやめない。すでに一二三とイチカを失った。精神的に限界だ。ここへ来てお姉さんかたまこを失うことになったら……。
ダメだ。
させないために考える。
師匠は言っていた。
未来のことは誰にも分からない。せいぜい妄想するしかない。ゆえに、全力で妄想すべし、と。考えうるすべてのケースを想定するのだ。そして、それらすべてに対策を打つ。時間の許す限りにおいて。
まあ前日くらいはぐっすり寝ろと言っていた気もするが。
師匠が死んでしまった以上、弟子の俺が活躍するしかない。
それくらいしか、恩返しの手段も思いつかない。
(続く)




