表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
見て、月だよ  作者: 不覚たん
第二部 朱

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/82

幸せになろう

 翌日、赤尾さんが出社してきた。

 俺はいまだ縛られたまま。自由にしたら、先生を殺しに行くとでも思われているのだろう。そしたら間違いなく死ぬか獣になる。


「おはようございます。見つかりましたよ、方程式フォーミュラ

 目の下にクマがあるところを見ると、徹夜で探してくれたらしい。

 疲れたとか言っていたのに。


 ナツさんが熱々のお茶を差し出した。

「おぢゃです。どぞ」

「ありがとう」


 生倉さんは立ち上がり、ソファに置かれた資料を手に取った。

「どう施術すれば?」

「先日、水槽から逆算した係数があるでしょ? あれを使って、対象の皮下に式神を注入します。すると反応が起こって、その部分だけビーストになる。もちろん強度を調整しながらね」

「失敗の可能性は?」

「さあ。なにせすべては机上の空論ですから。大丈夫。失敗しても、なにも起こらないか、あるいは全身が変異するだけですから」

 それは大丈夫とは言わない。

 俺は先生をぶっ殺すまで獣になるつもりはない。


 赤尾さんは茶をすすり、こちらを見て笑った。

「大丈夫だって。君は変質しにくい体質みたいだからな。体質というか、精神というか。一般的な想定よりは安定的に施術できると思う。ま、俺はもう限界なんで、あとはボスにお願いしますよ」

「ええ。私が担当します。スキル面から考えても妥当な判断だと思います」

 術の腕前は、ボスのほうが上ということか。

 返事の途中で赤尾さんは寝た。気絶するかのように。


 俺は一時的に拘束をとかれ、上着を脱がされ、うつ伏せにされた。

「あまり目立たない部位がいいでしょうね」

「あのー、どんなふうになるんです?」

「それは個人ごとに異なりますから、なんとも。もし大袈裟に変異するようなら、最悪、部位の切除も選択肢に入ります」

「ホントに最悪ですよ」

 だったら自我を失った上で殺されたほうがいい。


 アルマジロ、ラフレシア、がま口、毛羽毛現、樹木みたいなヤツ……。

 いろいろ見てきた。

 どうせ変異するならカッコいいのがいい。なんかこう……なんだ。いや、やっぱりどうあがいてもダメな気がする。


「では、始めます」

「はい」

 返事より先にチクリとした。

 え、針?

 激痛ではない。少しツンとした感覚があっただけ。


 生倉さんは「うーん」とうなっている。

 説明してくれないから不安になる。

「え、どうしました? 変わりました?」

「えーと」

「なんです? 変化ナシ? あっ……」

 やけに背中がむずむずする。

 痛みはない。

 どう表現していいのか……。これまで感じたことのない感覚。背中の筋肉が勝手に動いているような。


 生倉さんはなんとか無表情を作ってはいるものの、それでも引いているのを隠しきれていなかった。

「どう?」

「いや、どう、と言われても、見えないので」

 振り返ろうとするが、どれだけ反っても自分の背中は見えない。

 え、ホントにどうなってんだ?

 大丈夫なのか?


 彼女は静かに告げた。

「もう少し続けます」

「あのー」

 まったく報告もせず、自分の判断だけで継続してくる。


 背中の広範にわたり、チクチクと針を刺された。おそらく針治療などに使う細いものだろう。痛くはないが、そんなに広くやられても……。


 施術が続くに従い、部位がこわばる感じもしてきた。

 背中を見ようとするが、反るのもつらい。


「うわー。まあ、これくらいで……いいのかな……たぶん……」

「うわー? え、ホントに。見ますよ?」

 うわーはダメだろ。

 もっとほかに感想はなかったのか?

「お風呂場に鏡がありますから、確認してきてください」

「はぁ」


 *


 風呂場はキレイに片付いていた。

 くしやドライヤーなどが置かれていて、女性の自宅という感じがする。いや女性の自宅というか、俺だったら置かないようなものが置かれている。まあドライヤーは男でも使うか。


 それはいいのだが……。

 鏡を見ると、青黒い鱗が背中一面にびっしりと張り付いていた。

 まさかの魚類……。

 触れてみると、たしかに自分の身体から生えているらしく、ガッチリ食い込んでいた。はがそうとすると痛む。


 *


「俺、なんなんです?」

「お魚的な……なにか……でしょうね……」

 生倉さんは困惑したような表情。

 まあ彼女を責めても仕方がないのだが。


 ナツさんがにこにこしながらお茶を用意してくれた。

「えぐねですか? 龍みでぇですよ」

「龍……ですか?」

 本当に?

 見たことがないから分からないが。それならまあ……いい……のか? だけどこんなことになった以上、もう元の世界には戻れない。


 生倉さんは印を結び、指の隙間からこちらを見た。

「あ、すごい安定してますよ。いい感じです」

「はぁ。安定……ですか。けど普通、誰か一人でも殺したら獣になりますよね? なんで俺だけ平気でいられるんです?」

「理由があれば意外と大丈夫なんですよ」

「理由? 誰が決めてるんです?」

 まさか、神とか言ってくれるなよ。

 すべてはそいつ次第ということになってしまう。


 彼女はしかしふっと微笑した。

「誰というか……。まあ、式神でしょうね。ですがここの式神は、全住民と価値観を共有していますから。つまりは住民の総意ということになります。社会通念上やむをえないと判断された行為に関しては、あまり厳しい裁定がくだされないんです」

「人の命を奪うのに、やむをえないとかあります?」

「もし裁判所が機能していれば違うんでしょうけど。ここには存在していませんからね。ですので、現代社会の社会通念ではなく、もっと原始的な感性と考えたほうがいいかもしれません。被害を受けた分は、返してもいいのだと」

 つまり私利私欲でなければいいのか。

 俺の殺しも、このアパートでは許容範囲だったと。

 現代社会なら一発アウトなのに。

 いつか誰かが、このアパートにまともな人間社会というものを構築したら、全体の意識も変わっていくのかもしれない。


 *


 その後、来客があった。

 先生だ――。

 信じられないことに、彼は単騎で乗り込んで来た。


「余計なことをしてくれましたね」

 青白い顔をさらに青白くして、廊下に立っていた。

 怒った様子はない。

 ただ、怒っていないのだったら、ここまでのリスクをおかしてまで殴り込みに来ないだろう。彼は焦っている。唯一のペットだったイチカを失い、次のターゲットである俺に執着し始めたのかもしれない。


 事務所の中を荒らされたくなかったのか、ボスは外へ出た。もちろん俺も出た。赤尾さんはまだ起きそうにない。


「本日は、どのようなご用件で?」

 生倉さんの質問に、先生はこちらを見て応じた。

「迎えに来たのですよ。あなたは、私と行動をともにすべきです。せっかくの素質を、このような場所でムダにすべきではありません。ともに世界を光で満たしましょう」


 俺は刀を抜いた。

 それが返事だ。

「なあ、先生。俺がどんだけあんたをぶっ殺したいと思ってるのか、まだ理解できねぇのか?」

「哀しい誤解があるようですね。しかし私には、その誤解を解く用意があります」

 やや憔悴していても、温和な態度を崩さない。

 だが、もう頭は冷静でないのだろう。

 壊れた機械みたいな挙動になっている。


 生倉さんも銃を取り出した。

「依頼達成のため、あなたの殺害を是と判断しました。なぜ無謀にも単騎で乗り込んで来たのかは理解できませんが……。とにかく、こちらとしては必要な措置を講じさせていただきます」

 俺はその射線をふさぐように立った。

「ボス、俺にやらせてくださいよ。こいつだけはどうしても他人の手に委ねる気になれないんです」

「半分はお譲りします。ですが、職場の同僚として、私も同じだけの罪を引き受けるつもりでいます」

「ダメだ。ボスは見ててくれ。俺が変異したら、それをぶっ殺すのはあんたの役目なんだから」

 自分でも自覚がなかったが、たぶん興奮してきている。

 おかげで言葉が少々荒くなってしまったかもしれない。


 先生は笑顔を浮かべている。

「そんなに殺気立った顔をしないで。深呼吸ですよ」

「そうだな……」

 両手を広げていたので、俺はその右腕を真上から切り落とした。まるで枝でも叩き落すように、キレイに。


 腕が落ちた。


 先生はその腕を見つめている。なんともない顔で。

 いや……。

 なにかリアクションしてくれ……。


 だが、リアクションは唐突に起きた。

 切断面から血液が噴出したのだ。その血液が、まるで意思を持っているかのように方向を変え、切り落とされた腕と合流した。やがて吸い寄せられるように、腕がくっついてしまった。何事もなかったかのように。

 袖の布だけが、床に置き去りにされた。


「いや、ちょっと待ってくれよ……」

 俺はつい笑ってしまった。

 余裕の笑みじゃない。

 絶望に近い。


 先生は溜め息をついた。

「いまこう考えましたね? まだこんな力を残していたのか、と」

「正解だ」

「ですが私の意思によるものではありません。これは呪いでしてね。ゆえに死ねない。絶対にね。私はね、あなたに言われて思い出したんですよ。なぜ世界を浄化すべきと考えたのか。そう。私自身が、聖水を浴びて消えるためだったんです。ですが……本当にそれだけでよいのでしょうか? 私は熟慮を重ねました。そして最終的に、ひとつの結論へと思い至ったのです。きっと私は、世界を浄化するため、最後まで生き延びるべき存在だったのだ、と」

 妄想も大概にしろ。

 呪いとやらは気の毒だが、他人まで巻き込まないで欲しい。

 つまりは勝手に一人で死ねということだ。


 ヒュンとなにかが飛翔し、先生の心臓部を撃ち抜いた。

 生倉さんだ。

「では生かしたまま管理下に置くしかありませんね」

「えっ?」

 先生は片膝をつき、不思議そうに顔をあげた。

「監禁ですよ」

「私を?」

「光もない暗い世界で、永遠に反省していてください」


 先生は出血していない。

 おそらくダメージを与える攻撃ではなく、気絶させるための攻撃。俺が食らったのと同じものかもしれない。


 *


 身動きのとれなくなった先生は、ある一室に監禁された。

 出られないようドアに板を打ち付けられた上、護符まで貼られて。

 力でも、術でも脱出できないように。


 きっと先生は、心のどこかで俺たちをナメていたのだ。殺される心配もない。結界で守られた敵地へ乗り込んでも、無事に帰れる自信があったのだ。なんなら俺を連れて一緒に帰るつもりだったのかもしれない。

 だが、それらはすべて誤算だった。

 判断を誤るくらい追い詰められていたのだ。


 おそらくこれで、あらゆる問題にカタがついた。

 事務所の勝利だ。


 もちろん俺の気分は晴れなかった。

 誤算ならこちらにもあった。絶対にあいつをぶっ殺したかったのに、結局は叶わなかった。そして殺せないのなら、俺だって身体の一部を獣にする必要はなかった。


「えっ? なに? 終わったの?」

 ようやく起床した赤尾さんは、目をしょぼしょぼさせながらそう尋ねた。

 生倉さんはあきれ顔だ。

「赤尾さんの隣室に監禁しました」

「いや、なんで俺の隣に……」

「なにかあったとき、素早く対処できるように、ですかね」

「俺、いっぺん寝たら起きませんよ?」

 それは今日の一件でよく分かった。

 生倉さんも肩をすくめるばかりだ。


 ともあれ……。


 ああ、また喪失感だ。

 目的を失った。

 守りたかったものさえ守れずに。


 *


 解散になったあと、しかし俺は自宅へは戻らなかった。

 先生からぶんどった鍵で、勝手に彼の部屋にあがりこんだ。


 リビングには、よく分からない書物が山積みになっていた。誰かにとっては重要な研究資料かもしれない。だが、俺にとってはゴミでしかなかった。


 会いたかったのは、オレンジの光を放つ水槽だ。

 俺はその水槽に近づき、身をあずけた。夕日みたいに眩しい。子供のころ、こんな光を浴びながら昼寝をした気がする。幸福な記憶で満たされる。


「ごめんな、イチカ。これからはずっと一緒にいるからな……」


 返事はない。

 だが、いい。

 俺はこの水槽を守り続けると決めたのだ。絶対に。誰にも触れさせない。


 床にはペット用の餌皿が置かれていた。


 溜め息が出た。


 やはり先生は八つ裂きにしておくべきだった。

 死ねないのなら、それでもいい。

 身体が回復するたび、いくらでも切り裂いてやる。あいつにはそれでも生ぬるいくらいだ。


「イチカ。もう哀しいことも、苦しいことも、絶対にないからな。幸せになろうな」


(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ