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見て、月だよ  作者: 不覚たん
第一部 青
3/82

郵便物

 ここはずっと夜だが、いまはみんなが昼間だと思っている時間帯。

 白熱灯のぶらさがった廊下を歩いていると、人々とすれ違う。見知った顔なら頭をさげるくらいはするが、そうでもなければ特に気にしない。


 このアパートは、巨大な回廊になっている。

 たぶん上から見たら正方形になっているはずだ。その四辺が廊下だ。廊下に沿ってたくさんの部屋がある。

 高さは無限。

 鉄製の古いエレベーターがあるのだが、行き先はダイヤル式。つまり終わりも始まりもない。


 神社についた。

 こういう特別な設備は、ドアもないし、スペースも広くとられている。デパートの休憩スペースみたいな感じだ。


 それは過剰なまでに古い神社だった。

 朱の剥げかけた木製の鳥居があり、奥へ石畳の道が伸びている。

 入口には記入台がある。ここで「お願い」を書いて奉納すると、願いを叶えてくれたりくれなかったりする。

 なにを書いてもいい。

 どれほど強欲な願いであろうと、罰があたることはない。よほど特殊なケースを覗いては。もし神さまの意に沿わなかったとしても、ただ無視されるだけだ。

 いっぱい要求したほうが得なのだろう。


 俺は紙を手に取り、記入台で希望を書いた。

 五人目をここへ連れてきてくれ、と。

 そして頭もさげず鳥居をくぐり、ずかずかと奥へ。社殿は小さい。壁は破れ、蜘蛛の巣も張っている。捨てられた寒村の神社といった趣。これが屋外だったら、遠からず土に還っているところだ。まあ「味がある」とでも言っておくか。


 俺は賽銭箱のような箱に紙を差し込んだ。

 それだけ。

 鳴らすべき鈴もない。

 いちおう手を合わせ、軽く頭をさげた。わざわざ二礼二柏手などしない。そんな正式な神社でもないだろう。ヘタすると邪神かもしれないし。


 *


 普通、昼間は神社に人がいるものだが、今日はいなかった。

 まあそういう日もある。いつ誰がどこに行くかは、その人の気分次第だ。たいていの場合は。


 部屋へ戻ろうと歩いていると、近くで女の悲鳴が聞こえた。


 俺はずっとハナをすすった。

 関われば面倒なことになる。


 もし獣が現れたのだったら、こちらの対応は命がけになる。助けても見返りはない。

 もし住人が住人を襲っている場合、同じく命がけになる。助けても見返りはない。


 いや、見返りは、秩序なのだと誰かは言った。

 そして秩序こそが、俺たちを生かしているのだと。

 秩序がなければ、人はすべてを敵視するようになる。やがて人間性を失い、獣になってしまうのだと。


 べつにいい。

 ここはそもそもまともな場所じゃない。

 なんなら力が他者を支配する地獄みたいな場所だ。まあ実際そんなことをしたら獣になるから、最悪の少し手前で必ず止まるようになっているが。


 そう考えると、現実世界よりマシな場所なのかもしれない。

 悪いヤツは、分かりやすく獣になってくれる。殺す理由ができる。そいつを殺すと、みんなが満足する。

 まるでお伽噺みたいに簡単な世界観だ。

 善と悪がキレイに分かれている。いや善と悪は言い過ぎか。悪とそれ以外、だ。


 俺は腰から刀を抜き、声のほうへ歩を進めた。

 べつに人助けをしたい気分になったわけじゃない。

 そっちがたまたま帰り道だったってだけの話だ。


 ここは回廊だから、基本的に道は一直線になっている。が、ちょくちょく脇道がある。脇道といっても、たとえば部屋と部屋の間のスペースみたいなもので、実際のアパートなら掃除用具でも置かれているような空間だ。

 そういうところから獣が飛び出してくることがある。

 あるいは、人が。


「ち、違うんです! 待って!」

 飛び出してきたのは女だった。

 息を切らせて、血走った目で大の字になっている。

 切羽詰まり過ぎているらしく、顔が怖い。


「なにが違うんです?」

「違うんです!」

 俺が脇道を覗き込もうとすると、必死になって隠そうとしてくる。


「さっき悲鳴が聞こえたんですが」

「ち、違います」

「違うとは?」

「私、悲鳴なんてあげてません……」

 誰が悲鳴をあげたかまでは指摘していないのだが。


「おごぉっ」

 女が、いきなり意味不明な声をあげた。

 腹からなにかが突き出している。なにか、というか、木の枝のような……。後ろから刺されたのだ。


 たまにあることだ。

 仲のいい誰かが獣になってしまったのに、それを受け入れたくなくて、「違う」と主張してしまう。

 違う。

 違う。

 違う。

 その呪文を唱えている限り、違うと思い込める。自分だけは。


 俺は刀で女の喉をついた。

 このまま放っておいても苦しむだけだろう。


 刀を切り返し、枝状の触手を刎ねた。


「ぎぃっ」

 切断面から血液が飛び散り、通路の奥から悲鳴が聞こえた。

 ここではどれだけ服があっても足りない。


ビーストだ! 手を貸してくれ!」

 俺は声を張り上げた。

 運がよければ誰かが加勢してくれる。

 本当に運がよければ!

 ま、普通は誰も来ないし、俺もアテにはしていないが。

 最初の悲鳴があがった時点で、誰もが部屋に閉じこもり、施錠したはずだ。べつにいい。俺だって疲れているときはそうする。血に飢えたサイコパスではないのだ。理由もなく刀を振り回したいわけじゃない。


 慎重に脇道を覗き込むと、まだなかば人間の姿をした女が、触手の痛みに身をちぢこめていた。

 少しばかりの理性が残っているようだな。

 あんなに必死にかばってくれる友人がいても、獣になってしまうとは……。いったい彼女はなにに失望して獣になったのだか。


 距離をつめると、彼女は振り払うように別の触手を伸ばしてきた。ムチのようなしなり。俺は刀で受け流す。刃に両断された触手は、うねりながらべちゃりと壁に叩きつけられた。


「なんで……なんでこうなっちゃうの……」

 女は苦情を口にしている。

 さっきの友人となにかトラブルでもあったのだろうか?

 いや、深入りすまい。

 こうなってしまったら、もうもとに戻すことはできないのだ。

「悪いな。恨みはないが」

「まーちゃん……教えてよ……」

 もはや俺のことなど見ていない。彼女の瞳に映っているのは、すでに命を失った友人の死体だけ。


「あぐ……あぁ……」

 踏み込んで刀を振り下ろすと、女は抵抗もせず絶命した。

 両手は完全に触手になっているが、その他は大部分が人間のままだ。まるで普通に人間を殺してしまったような気分。

 感情を怒りで埋めている状態ならともかく、そうでないいまは、誰かになにかを言い訳したい気分になる。違うんだ、と。


「ぎゃあああっ!」

 背後から悲鳴が聞こえた。

 俺が慌てて武器を構えると、そいつはさらに甲高い声でまた悲鳴をあげた。


「ひぃっ! ひっ! 人殺し! 人殺しぃーっ!」

 よく見ると、そいつは近所に住んでいる中年女性だった。

 比企地のときも余計なことを言った人物だ。

 こいつはハナから俺を人殺しと決めつけているらしい。まあ前回はそうだが、今回は違う。


 俺は刀の血を飛ばし、鞘に納めた。

「よく見てください。獣ですよ」

「近寄らないで! 誰か! 誰か来てください! 助けて!」

 どれだけ騒いでも誰も来ないのがこのアパートのいいところだ。


「奥に獣が転がってますよ。ご自分の目で確認してください」

「ウソよ……そうやって言い逃れしようとして……」

「もし本当に人殺しなら、こうしてあなたと会話なんてしませんよ」

「……」

「じゃ、俺、行きますんで。あとよろしくお願いします」

「えっ?」

 獣退治を手伝うでもなく、それをした人間を非難したのだ。せめて後始末くらいしてくれてもいいだろう。ここではなにもかもがボランティアで成立している。


 俺はいますぐ部屋で一人になりたかった。


 *


 部屋に戻ると、まずは刀を水でじゃぶじゃぶ洗い、服も着替え、どっとソファに身をあずけた。

 固いソファだ。

 ふかふかしてない。


「見てたゾ」

 クソガキが当然のように入り込んで来た。

「見てたなら手伝えよ。あと今日は煎餅ないぞ」

「いーのいーの。あーしはな、オマエと話をしに来たんだ」

「話?」

 こいつ暇なのか?

 まあ暇なんだろう。

 ここには労働がない。みんな暇だ。それに、適度な会話は、人間性を維持するという観点からもいい。やりすぎるとトラブルになるが。


「あの女たち、男を巡ってトラブルになってたみてーだな」

「なんで知ってんだよ?」

「姉ちゃんが教えてくれたんだ」

 その姉ちゃんはなんで知ってるんだ?

 あの二人の知り合いなのか?

 それともどこかでプライバシーを覗き見していたのか?


 クソガキはあぐらをかいて床に座った。

「一人が妊娠したせいで、もう一人は嫉妬で頭がどうにかなったみたいだな。つれー話だゾ」

「そのつれー話をわざわざ教えるために来たのか?」

「いや、そっちはオマケだ。本題は神社のほうだゾ」

「なんなんだよ」

 オマケのほうがヘビーなのは嫌がらせなのか?

 知りたくもない情報を聞かせやがって。


「オマエ、神社でなにをお願いしたんだ?」

「なんでもいいだろ」

「怒るなよ。これ見てみろ。郵便屋がお前の部屋に入れようとしてたから、先に受け取っておいてやったゾ」

「てめー、人の郵便物を勝手に見るなよ。信書開封罪だぞ。なんて書いてあんだ?」

 ここには法律などないから、俺の主張は虚しいだけだが。

 郵便屋は他人に郵便物を渡さないで欲しい。

 俺は一回も姿を見たことがないのに。このガキはどうやって受け取ったのやら。


 それよりも、問題は茶封筒の中身だった。

 達筆な字でこう書かれていた。


五人目はもういる。


 いるのか。

 このアパートに……。

 とにかく巨大なアパートだ。住民を全員把握するなど不可能に近い。来てもすぐ死ぬし。遭遇できなくても不思議じゃない。

 ともあれ、あとは俺が見つけるだけ、ということだ。いるならいると言っておいて欲しかったが。まあいいだろう。


 クソガキはニヤニヤしていた。

「五人目ってなんだ? 残りの四人はどうなった?」

「知りたいのか?」

「おせーろ! 気になって夜も眠れねーゾ!」

「どうせ普通に寝るだろ」

「そりゃ起きてると姉ちゃんに怒られるからな。でもおせーろ。なんでもするから」

 ん?

 いまなんでもするって言った?

 なら即刻部屋から出て行って欲しいんだが?


「ま、時期が来たら教えるよ」

「うぇー? 大人ってすぐそう言うんだよな。そんで教えねーんだ。あーし知ってんだゾ」

「教えて欲しかったらプリンのひとつでもよこせよ」

「プリンはオマエがよこせ!」

 クソ、こいつといると小学生レベルのケンカになる。


 俺は話題を変えた。

「なあ、ところで、なんで人は獣になるんだ?」

「そりゃ人間性の問題だろ」

「彼女がなにをしたのかは知らないが、獣になった。けど俺はそうなってない。どういう理屈だ?」

 するとクソガキは、急に神妙な顔になって応じた。

「あいつ、妊娠してる女に、よくないものを食わせてたんだ。子供が生まれてこねーように。でも、それだけで獣になったわけじゃねーゾ。あいつは他人と自分をどっちも責めたから、心の行き場がなくなったんだ……って姉ちゃんは言ってた。オマエはそうじゃないから人間のまんまなんだろ」

「なるほど……」


 俺はどこかで自分を正しいと思ってる。

 殺す相手は悪いヤツだけ。

 自分は悪人ではない。

 それが事実かどうかは知らない。とにかく俺自身がそう思い込んでる。だから獣になれないのだろう。

 自己正当化に成功すれば、獣にならずに済む、というわけだ。


 クソガキが近づいてきた。

「なあ、今日は月を見ないのか?」

「えっ?」

「いつも窓開けて見てるだろ。そんときのオマエ、この世の終わりみてーな顔してるよな」

「かなり致命的な発言だが、その薄汚いツラを見てると怒る気にもなれんな。でも二度と言うなよ。次は怒りがわくかもしれない」

「い、言わねーゾ。約束する……」

 なにかを察したらしく、クソガキは何度もうんうんとうなずいた。

 こんな小さなガキを脅してしまうとは、我ながら恥ずかしいことをした。冷静になるべきだな。次も言ったらバラしてBBQの具材にするけど。


「それより、いつお姉さんに会わせてくれるんだ? 写真とかないのか?」

「しゃ、写真? そんなのねーゾ。ここで写真なんか撮ったって、変なのが映り込んでまともに見れねーからな……」

 だからなんなんだよ、その中途半端なホラー演出は。

 テレビもさっきからついたり消えたりしているし。

 なんの目的があってそうしてるんだ?


 空間の調子がよくないとはいうが……。

 本当に?

 誰かがわざとやってるんじゃないのか?


(続く)

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