禁足地
翌日、俺は師匠の部屋を見るため、一人で外出した。
警戒を忘れてはいけない。
多賀峰は死んだが、残党狩りはまだ残っている。死んだのは精鋭部隊だけだ。連中が、仲間を殺されたまま黙っているとは思えない。
*
さて、師匠の部屋を訪れたはいいが、中には入れなかった。
鍵がないのだ。
自慢の刀でドアを破壊してやってもいいが……。獣になるリスクを負ってまでやるべき行為とは思えなかった。
「入りたいの?」
少し離れた場所から声をかけられた。
イチカだ。
短いスカートから生足をさらしている。男だと分かっていても、つい目が行ってしまう。
「俺を尾行してたのか?」
「違うよ。においがしたから、ちょっと顔を見に来ただけ」
そんなことを言いながら、また近づいてきてすんすんとにおいをかいできた。
「そんなにかがないでくれ」
「あー。たまちゃんのにおいもする。一緒に寝たんだ?」
「あいつ、寝てると勝手に布団に入ってくるんだよ。お姉さんに怒られるの分かってるのにさ。でも、なにもしてないぞ」
「ズルいなぁ」
ジト目で見てくる。もともと目つきが悪いから、本当に責めるような目になる。
まあいい。
せっかく会えたんだ。世間話よりも優先すべきことがある。
「ところで、君、本館から来たんだって?」
「えっ? なんで知ってるの?」
「口を滑らせたヤツがいてな」
「絶対たまちゃんでしょ?」
もちろんそうだ。俺の情報源はお姉さんかクソガキしかいない。そして口を滑らせるのは、高確率でクソガキだ。
俺は笑顔を浮かべただけで、答えをはぐらかすことにした。
「本館について詳しく教えてくれ」
「それ、人間は知らないほうがいいよ」
「なぜ?」
「あんたらが言うところの『妖怪』が住むところだから。行っても生きたまま食われるだけだよ」
「地獄だな……」
なにかメリットがあるならともかく、デメリットしかないのなら行く意義がない。
だが、妖怪、か。
ネコに化けているクソガキは、もちろんそうだろう。お姉さんも。イチカも。
俺が質問を投げるより先に、イチカがこちらを覗き込んできて告げた。
「ボク、その地獄から来たの」
「悪かったよ」
「ううん。ホントに地獄みたいなところだから。それに比べると、こっちは平和でいいよね。人間は理由がないと争わないから」
「その『理由』ってのも、あってないようなもんだが」
「でも、ばったり会っただけで相手を食べたりしないよね」
「それは……そうだな……」
獣ならやる。
だが、人間のままではやらない。
イチカはポシェットから鍵束を取り出した。それからひとつ選んで、師匠の部屋のドアを開けた。
「どうぞ」
「えっ?」
なんだこいつ?
どこの部屋も入り放題なのか?
「こんなこと、特別だよ? 本当なら、捜査に必要なこと以外しちゃいけないんだけど」
「捜査って?」
「あとで教えたげる。ほら、中に入ろ?」
「ああ……」
*
師匠の部屋を訪れるのは二度目だ。
家具などの配置は以前のままだが、やけに片付いていて整然としている。まるで自分の死をあらかじめ予見していたかのように。
イチカはくんくんとあちこちにおいを嗅ぎ回っている。
もし仮にイヌ並みの嗅覚なんだとしたら、なにか見つけてくれるかもしれない。
俺は俺で勝手に本棚をあさった。
いろんな本があった。このアパートに、こんなに大量に本が流通していたのかと驚くほど。まあ中には……お姉さんが押し付けたと思しきホモ漫画もあったが。あとはアパート内の印刷機で作られたと思われる雑誌類。
「わ、ふうちゃん、まだこういうの描いてたんだ……」
「読むか?」
覗き込んで来たので、俺は漫画を渡してやった。イチカは自分の仕事も忘れて食い入るように読み始めた。
俺は別の雑誌をめくってみる。
本の間にメモでも挟まれていないかと……。
アテがあって探しているわけじゃない。
ただ、死んでしまった師匠のことを、少しでも知っておきたかっただけだ。知ったところでどうにかなるわけでもないのに。
もしかすると師匠は、死の予感はありつつも、本当に死ぬつもりはなかったのかもしれない。遺言のようなものはまったく見つからなかった。
「ね、霧島さん。座って」
「えっ?」
「捜査について教えてあげる」
イチカはホモ漫画を持ち帰るつもりなのか、小さなポシェットに数冊ムリヤリ突っ込んでいた。サイズがおさまらなくて飛び出してしまっている。
俺は対面のソファに腰をおろした。
他人の自宅で……それも故人の部屋でくつろぐ趣味はないのだが。
「俺に教えていいのか? 部外者だぞ」
「ううん。もう部外者じゃないよ。だってこれ、捜査だもん」
「……」
善意でドアを開けてくれたのかと思ったら。
まんまと巻き込まれたようだ。
イチカはいたずらっぽく笑っている。
「いいじゃん。ボクと一緒に捜査したかったでしょ?」
「そんなわけあるかよ」
「えーっ? でもこのアパートのヒミツ、知りたいんでしょ?」
「関係あるのか?」
「ないよ。けど、ボク優しいから、ムリにでも関係を作ってヒミツを教えてあげる。捜査に関係することなら情報共有していいんだ」
これは善意か?
それとも裏があるのか?
無邪気な笑みを浮かべているところを見ると、どうやら両方という気がする。
「霧島さん、もうボクの助手だからね! 毎日一緒に捜査しようね!」
「毎日は勘弁してくれ」
間違いなく暇だが、だからといって毎日フラフラしているわけにはいかない。ただでさえ、まったく生産性のない居候生活なのに。
イチカは哀しそうな顔で斜め下から覗き込んできた。
「えっ? ボクと一緒にいるのイヤなの?」
「そうじゃなくて。家のこともしないとだから」
「ふーん」
とはいえ、俺になんらかの役割があるわけでもないが。
「で、なにを捜査してるんだ? 俺はなにをすればいい?」
「うん。じつはね、本館からこっちに入ってきて、人間のフリをしてる悪いのがいるんだ」
「男か? 女か?」
「男だね。背も高くて。年齢は……おじさんかな」
大雑把な情報だ。
背の高いおじさんということしか分からない。そして、それに該当する人物はそこら中にいる。
「ほかに特徴は?」
「えーとね、おじさんのにおいと、獣のにおい」
「……」
俺はつい自分のにおいをかいでしまった。
たぶん俺も似たようなにおいのはずだ。
イチカは苦笑いしている。
「もー。霧島さんのことじゃないよ。そいつはもっと獣のにおいが強いから。そもそも人間じゃないし。どんなにうまく化けてても、ボクには分かるんだ」
見た目では分からないが、においなら分かる、ということか。
そして俺には分からない。
イチカにしか分からない。
「そいつの目的は?」
「自分だけの軍隊を作って、禁足地を突破すること、かな」
人間も妖怪も、考えることは一緒か。
「物騒なヤツもいたもんだな。その禁足地ってのはどこに?」
「具体的な場所は言えないけど、本館と別館をつないでる場所だよ。犯人は、本館での権力争いに負けたから、この別館で巻き返そうとしたんだね。人間を巻き込んじゃダメなのに……」
妖怪同士の権力闘争というわけか。
しかし人間を集めたところで、まともな戦力になるのだろうか。
もし妖怪の力が、クソガキやお姉さん程度のレベルなら……物理的にも人間のほうが強いかもしれないが。
あるいは道具を使ったり、戦術を練ったりするのは、人間のほうが得意なのかもしれない。
「分かった。手を貸そう。もしそいつの計画が成功したら、面倒なことになりそうだしな」
「そうこなくちゃ! じつはこの部屋にそいつのにおいが残ってたんだ。ボクたちより先にこの部屋に入ってたみたい」
「えっ? どうやって? そいつも鍵を持ってたのか?」
「違う。阿家智さんが生きてるときに、普通に会ってたんだと思う」
確かに、壁をぶち破られた形跡はない。普通に鍵を開けて入ったのだろう。外側から開けるには鍵がもうひとつ必要。内側からなら、師匠が生きていることが前提。今回は後者ということだ。
俺はつい首をかしげた。
「てことは……。そいつ、師匠の顔見知りってことになるのか?」
「たぶんね。心当たりない? 霧島さん、弟子なんでしょ?」
痛いところを突いてくる。
確かに弟子だが、師匠のプライベートに関してはなにも知らない。
友好関係も不明。
特に、このアパートで再会したのは、つい最近のことだ。師匠が共和国でブレインをやっていたことさえ知らなかった。
「すまんな。まったく分からん」
「気にしないで。それを探すのが今回のお仕事なんだから。一緒に頑張ろ?」
しかし引っかかる話だ。
このところ、師匠は身の危険を感じており、かなり忙しくしていたはずなのだ。たいして面識もない人間と会っている余裕があるだろうか?
もし、そいつのためにわざわざ時間を割いたのだとしたら……。以前からの顔見知りか、あるいは無視できないほどの大物ということになる。
前者の手掛かりはない。しかし後者なら……。きっと有名人だろう。俺が知らずとも、誰かは知っているはず。たとえば近所の住民が、顔を見ているかもしれない。
もっとも、ここは過疎エリアだから、ご近所など機能していないし、通行人さえほとんどいないわけだが。
*
帰宅すると、お姉さんが夕飯の用意をしているところだった。
大きな鍋で野菜を煮ている。シチューだろうか。
「ただいま」
「お帰りなさい。阿家智さんの部屋はどうでした?」
「なんもなかったよ……」
みんなのいる部屋に戻った安心感からか、俺はついそんなことを口走ってしまった。
お姉さんはうっすら笑顔を浮かべたまま、こちらを見た。
「中を見たということですか? 鍵もないのに?」
「あ、いや……。例の、イチカって少年にばったり会って……そしたらなんでか鍵を持っててね……」
すると寝そべってクッキーを食い散らかしていたクソガキが、ぐっと身を起こした。
「ま、そんなこったろうと思ったゾ」
「ホントに偶然だったんだ」
「あいつ、人間のオスを見るとすぐなつくからな。どうせオマエのこともご主人さまだと思ってるゾ」
「そう悪く言うなよ。あの子、仕事で来てるって言ってたぜ」
いや、そこまで情報を開示すべきじゃなかったかもしれない。
クソガキは立ち上がり、こちらへ近づいてきた。かと思うと、顔を近づけてにおいをかいできた。
「うーん……」
「なんだ、うーん、て。かぐなよ」
「ま、あーしはワンコロじゃねーからな。においじゃなんも分かんねーけど。でもどうせ油断してお喋りしてるうち、あいつの仕事に巻き込まれたとかそーゆーオチだろ? もう全部分かってんだゾ」
「……」
なんだこいつは?
エスパーか?
お姉さんも深刻そうに溜め息をついた。
「あの、霧島さん。いっくんって、いっつも危険な仕事ばかりしてるんです。もしなにか約束したんだとしても、すぐに手を引いたほうがいいと思います」
「師匠にも関係する話なんだ」
「それでも……」
まっすぐにこちらを見つめてきた。
本当に心配してくれているのだろう。
「ありがとう……。分かったよ。明日、また話をしてみて、危険そうなら手を引くよ」
「できればもう会わないほうが……」
「大丈夫。少し話すだけにするから」
善意を裏切るようなマネはしたくない。
だが、まだ大丈夫だ。まだ危険じゃない。いつでも引き返せる。
クソガキは座布団に腰をおろした。
「ま、あーしとしては、どっちかってーと、またオマエが誰かを殺すんじゃないかのほうが心配だけどな」
「は?」
俺の抗議にも関わらず、クソガキは返事もせずクッキーをむさぼり始めた。
メシ前だってのに、どんだけ食う気だよ。
散らかし放題だし。
現状、ワンちゃんが人探しをしているだけだ。
こっちだって命のやり取りをするつもりはない。
(続く)
 




