新しい生活
朝、リビングから聞こえてくる姉妹の口論で叩き起こされた。
いや、姉妹というより、喋っているのは姉だけだが。
「どういうつもりなの!? いつもいつも! 今回は本当にやめてよ!」
「……」
「昨日、約束したよね? ね? たまちゃん! 聞いてるの? ねぇったら!」
「……」
「もーっ!」
ネコがうんともすんともにゃあとも言わないせいで、お姉さんが一人で怒っているように聞こえてしまう。
無視して二度寝しようと思ったが……。いちおう仲裁の必要があると思い、俺はベッドから出ることにした。
ドアをあけ、リビングに顔を出す。
「おはようございます」
「あっ……あのっ……おはようございます……」
お姉さんはちゃんと洋服に着替え、エプロンまでしていた。自分が怒鳴っていたのが恥ずかしくなったのか、バツが悪そうに身をくねらせている。
一方、ネコは座布団の上で顔を洗うのみ。
お姉さんはこちらへ近づいてきた。
「あの、霧島さんからも言ってやってください。たまちゃん、すぐ調子に乗るから」
「うん……」
なぜケンカしているのか、心当たりがある。
昨晩、寝ていると、布団にネコが入り込んで来た。
それはいい。ネコはよくそういうことをする。
だが次に目を覚ますと、人間に戻ったクソガキが俺の毛布をぶんどっていた。ぶんどるのはいいが、服を着ていなかった。
俺は内心めんどくせーことになりそうだとは思ったが、疲れていたので無視して眠ることにした。
そして朝を迎え、このザマとなった。
ネコは余裕で大股をひらき、ぺろぺろと舐めている。もはや俺たちを煽っているようにしか見えない。
「俺、出てったほうがいいのかな?」
「待ってください! 出ていかないで!」
「でも俺さえいなければ、こんな問題は起きないわけだし」
「朝ごはん! 朝ごはん食べましょう! ねっ?」
このお姉さん、なんだか悪い男に騙されそうな性格をしている。
不器用というかなんというか。
朝ごはんは、昨日の残りのスターゲイジーパイだ。
「姉ちゃんさぁ、これもうやめてくれよ。ほとんど食に対する冒涜だゾ……」
メシの時間になると、クソガキも人間の姿に戻った。着替えまで済ませている。いつもの半袖半ズボン。
お姉さんはまだむすっとしている。
「たまちゃん、怒るよ?」
「べつにマズいって言ってるわけじゃなくてさー」
「だって可哀相でしょ! このお料理、いつもいつもネタにされて! 私、おいしく食べられるってことを証明したかったの!」
お姉さんのアレンジがどこまで入っているのかは不明だが、確かに味は悪くなかった。いわば白身フライのようなものだ。小麦が白身を包んでる。どこで釣った魚なのかは気になるが。
ヤバいのは見た目のインパクトだけ。
まあクソガキの言うように、しいてこの姿にする必要があるのかは謎だが……。
俺は余計な口を挟むつもりはなかったが、一秒でも早くケンカを終わらせたかったので、食事を始めることにした。
「ま、とりあえず食おうぜ。せっかくうまいメシが目の前にあるんだ。お喋りしてたらさめちまう」
そして「いただきます」をしてパイにナイフを入れた。
*
皿洗いは俺がやらせてもらった。
部屋を借りてる上にメシまで用意してもらったのだ。そのままなにもしないわけにはいかない。まあキッチンはお姉さんの領域らしかったので、いきなり俺が立ち入っていいかは分からなかったが。これが余計なお世話でないことを祈るとしよう。
「霧島さん、このあとお時間ありますか?」
少し落ち着くと、お姉さんが紅茶をいれてくれた。
ネコはどこかへ消えた。
「あるよ」
腐るほどある。
むしろ暇しかない。
できれば師匠の自宅を訪問したかったところだが、それはいまじゃなくてもいい。
「簡単な術をお教えします」
「術?」
「この世界では、手で印を結び、言語で式神に呼びかけることで、いろんなことができるんです。テレビの操作とか」
「ほう」
それは「人の道を外れた技」とかいう話だったが……。教えてくれる気になったのか。
もっとも、テレビの操作くらいなら、師匠も多賀峰もやっていたようだ。秘術というほどのものでもないのだろう。
俺はかおりのいい紅茶をすすり、ほっと息を吐いた。
「しかしその……式神というのは?」
「人工知能のようなものとお考えください。それが霊障を介して……つまり電波みたいに機能して、いろんな現象を起こしてくれます」
この世界でだけ通じる術――というか手続きというわけだ。
*
説明はこうだ。
印には様々な機能がある。
もっともメジャーなのはポインティングだ。指の間から覗き込んだものを捕捉し、標的にできる。標的といっても、必ずしも攻撃対象という意味ではなく、おもに情報を取得する目的で用いる。プログラミングで言うところの、ユニークIDの取得とでも言おうか。
その標的に対し、別の印と言葉で動作を命じることになる。
つまりテレビを操作したかったら、この印を結んでテレビを覗き込み、「かのものに命ずる」とかなんとか呼びかけるわけだ。
インチキめいているが、それがこの世界では期待通りに機能する。
実際、お姉さんはテレビを操作して見せてくれた。映し出されたのはどこかの部屋。人の姿はない。壁に大穴が空いているから、きっと俺が住んでいた部屋だろう。覗きだ。犯罪だ。
*
「こうすることで、離れている相手と通信することができるんです」
テレビだけがぽつんと置かれた部屋で、俺たちは画面を覗き込んでいた。
「師匠の部屋も覗ける?」
「いえ。阿家智さんのテレビはセキュリティがかかっているので」
本当にプログラミングみたいだな。
「ハッキングはできないの?」
「合言葉さえ分かれば」
「思いつかないな」
師弟関係はあったが、師匠の個人情報はほとんど知らない。
趣味さえも。
まあ覗けたとして、もう本人はこの世にいないわけだが。
お姉さんは振り返ってこちらを見た。
「ですが、術を使うのは、テレビの操作だけに留めておいてください。術を応用すれば、いくらでも危険なことができますが……。あまりやりすぎると、怖い人たちに目をつけられるおそれがありますから」
「怖い人たち?」
「と、とにかく怖いんです!」
真剣な目をしている。
乱用すべき術ではない、ということだ。
だったらなぜ俺に通信の方法を教えてくれたのか……。
彼女はまた画面を見た。
「あ、でもテレビを使えるだけでも便利なんですよ。たとえばこうして……。かしこみかしこみ、神社へお伝えください。今晩の食材をお届けください……と。これで神社に行くことなく、夕飯の食材を届けてもらえます」
「マジか……」
オンライン宅配サービスか?
便利すぎる。
神さまはそれでいいのだろうか?
「式神が勝手に気分を察知してくれるので、カレーの食材が届くと思います。私、いまカレーの気分なので」
「呪いのアパートだと思って住んでたのに、なんか最先端のタワマンに見えてきたよ」
「えっ? たわまん? えっちな言葉ですか?」
ぎょっとした顔でこちらを見てくる。
「タワーマンションだよ。すごい高いマンション」
このサイコパスお姉さんは、いっぺん自分の人生を見直したほうがいいと思う。
*
リビングに戻った。
「ま、またお茶いれますね」
「俺がやろうか?」
「いえ、いいんですよ。いつもやってることなんで。座っててください」
「うん……」
部屋に転がり込んで来た男が、なにもかもを女性にやらせる。そういうことをしていると、いろんな意味でダメになる。
そうは思うものの……。しかしここはあまりに居心地がよすぎる。
俺は壁によりかかり、ぼうと壁を眺めた。
静かだ。コンロの火の音と、換気扇の音だけがする。窓は閉まっているから、夜なのか朝なのか分からない。いやずっと夜なのは知っているが……。見えないだけに、もしかしたら朝なのかも、という幻想を抱ける。
「お姉さん、たまちゃんとは本当の姉妹じゃないんだよね?」
「はい……」
やや怪訝そうな表情。
聞かれたくない様子なら、俺も踏み込まないつもりでいたが……。これは聞いていいのか悪いのか分からないリアクションだ。
「差し支えなければ、どんな感じで出会ったのか、教えて欲しいなと思って。そのー、しばらくご厄介になるわけだし、二人の事情を知っておこうと思って」
「拾ったんです。それで、お世話して……。それだけです」
なんとか笑顔を浮かべてはいるが、かなりの情報を省いて説明したことが分かる。
言いたくないのかもしれない。
「なるほど」
「……」
お姉さんはじっと火を見つめている。
あきらかに会話を打ち切られた。
「たまちゃん、いつもこうなの?」
「はい。出かけたら、いつ戻ってくるかは気分次第ですね」
「そう」
また会話が途切れた。
いや、いまのは俺のせいか。
だが、話の広げようもなかった。
すると今度は、お姉さんから話題を振ってきた。
「霧島さん、たまちゃんのこと、どう思います?」
「えっ? どうって?」
「一人の女の子として見てます?」
この世界には、真顔でジョークを飛ばしてくる悪い大人がいる。
だが彼女のそれは、どうやらその手のジョークではなさそうだった。
まあいい。
紅茶を飲んでいるタイミングでなくてよかった。飲んでたらたぶん吹いている。
「俺が? あのクソガキを? いやいや。まあかわいいクソガキだなとは思ってるけど、べつにそういうのはないよ」
「でもたまちゃん、あなたのこと狙ってますよ」
「はい?」
「昔からずっとそうなんです。男の人に聞くと、最初は否定するんです。でも、そのうち……」
はい?
あのクソガキ、そういう感じなのか?
お姉さんは白目をむいた。
「そのせいで、私、まだ処女なんです……」
「……」
「霧島さんは、たまちゃんに手を出さないでくださいね。私、今度という今度こそブチギレちゃうかもしれないので……」
「はい……」
すぐにでも引っ越しを検討したほうがよさそうだ。
ここにいたら、生命を危険にさらすことになる。
急にドアが開き、クソガキが帰ってきた。
「おい、あいつまたいたぞ。なんなんだよ」
いきなり苦情を喚き散らすものだから、お姉さんも困惑顔だ。
「あいつ? 誰に会ったの?」
「例のワンコロだよ!」
「いっくんのこと?」
「そうそう。そいつ。イチカ。なんか探してんのかな? まさか、また本館からなんか入り込んできたんじゃ……」
「たまちゃん!」
お姉さんは食い気味に制した。
いったいなにがマズかったのか。
本館?
クソガキはとぼけるように斜め上を見ている。自分はミスしてないみたいな顔で。
もしよそに本館なるものがあるとすれば、いま俺たちが住んでいるのは別館ということになる。
だが、いったいどこにそんなものが?
秘密の抜け穴でもあるのだろうか? もしかして、アパートの出口もそこに?
クソガキはこちらを見た。
「おい! オマエもあいつに構うなよ! 見かけても無視だゾ! 無視!」
「無視は可哀相だろ」
「ちっとも可哀相じゃねーゾ。あいつ、偉そうな連中に尻尾振りまくってるだけのワンコロだかんな」
それを生きるためにやっているなら簡単に否定すべきじゃない。
好きか嫌いかはともかく。
ま、クソガキの命令を聞く筋合いもない。
あのイチカという少年、会って話を聞く価値がありそうだ。
(続く)
 




