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見て、月だよ  作者: 不覚たん
第一部 青
2/82

四人目の男

 比企地がこのアパートへやってきたのは、約一ヵ月前だった。

 ここへは急に連れてこられたらしく――というか全員そうなのだが、とにかく困り果てていた。

 見た瞬間、気に食わないツラだと思った。

 俺がぶっ殺したいと思ってるヤツにそっくりだったからだ。ムリもない。実際にその本人だった。


 もともと、俺のターゲットは五人いた。

 うち三人はすでに殺した。

 残りの二人は殺し損ねた。


 俺は逮捕されて、ムショにぶち込まれた。

 きっとこのまま目的も達成できず、シャバに出るころにはよぼよぼの爺さんになっていることだろう、と、なかば諦めていた。


 だが、ある日、俺はここへ来た。

 なんの前触れもなく、唐突に。

 そこへ比企地までやって来た。


 俺はみずから比企地の世話を買って出た。

 霧島というのは俺の本名じゃない。パッと思いついただけの偽名だ。最初は、特に理由があってそうしたわけじゃない。もともと個人情報はさらさない主義だった。それがたまたま功を奏した。

 比企地は俺の正体に気づかなかった。

 十年以上経っているから、顔の変化に気づけなかったんだろう。名前も違うし。


 俺は比企地にここでの暮らしを説明しながら、どう過去の責任を取らせようか考えた。

 苦しめるだけ苦しめて殺そうかとも考えた。あるいは反省しているなら少しは手加減しようか、とも……。


 会話をしていると、本当にただの凡人だと感じた。

 言い換えれば、極悪人とは思えなかった。

 これといった意思もなく、主張もない。デカい流れに身を任せるだけの空気みたいなヤツ。少なくともリアルではそうだ。ネット上でどんな振る舞いをしているかは知らない。きっと両者は一致しないと思うが。


 ともあれ、俺がリスクを負ってまで殺すべきかどうか、不安になってきた。


 こちらが親切にすると、彼は礼の言葉を口にした。

 やけに空疎に感じることもあったが、内心どうあれ言わないよりはマシだ。

 きっと長いこと社会に溶け込んで生きてきたのだろうと思った。


 こいつは主犯ではない。

 主犯はとっくに殺した。それもだいぶ満足いく方法で殺した。

 だから比企地は楽に殺してやってもよかった。もしかするとあと一人も来るかもしれないのだし、今回はできるだけリスクを回避したかった。


 二週間も経つと、比企地もここでの暮らしを理解したらしい。他人の干渉を受けずに行動したいと思うようになったのか、次第に俺の案内を遠慮するようになっていった。

 ここにはフレンドリーな住民が多い。

 ヤツにとって、関わる相手は俺でなくてもよかったのだ。


 俺が執拗に距離をつめていることに、警戒をおぼえたのかもしれない。

 ここで孤立気味の俺とつるんでいると、大きな流れに属することができないと感じたか。そういう嗅覚だけはある男だ。


 俺の正体に気づいた可能性もあった。


 そのどれもマズかった。

 他人に干渉されたら困るのだ。


 俺は慎重に、あまり近づきすぎないように、比企地との距離を保った。

 比企地はあきらかに主流派に参加したがっていた。主流派というのは、つまりメガネくんの派閥だ。メガネ本人は派閥を好むタイプではなかったが、周りの愚民どもは違った。目立ったヤツがいると、そこに属したがる。それがいつしか派閥となる。

 かくして多数派と少数派に分かれると、連中は特に理由もなく少数派を見下し始める。なぜか自分のほうが偉いと勘違いし始めるのだ。いや、べつにいい。よくあることだ。俺が怒って直るようなものでもない。


 問題は、比企地もそういうタイプだったということだ。

 ヤツが俺の手から離れるのは時間の問題だった。

 そうなる前にカタをつける必要があった。


 特にプランもないまま時間だけが過ぎた。

 そしてチャンスだけが来てしまった。


 俺たちは、たまたま廊下で鉢合わせた。

 部屋が近いから一緒に帰ることになった。

 特に会話もなかった。

 それがよかった。


 ややすると、ノイズまみれの「通りゃんせ」が流れた。

 古いスピーカーのせいで音割れしていた。

 少しくらい音を立ててもバレない瞬間。


 俺は少しスピードをあげて前へ出て、振り向くと同時に抜刀した。

 比企地はびっくりしたような顔をしていた。恐怖ではない。本当に、ただ予想外の行動に驚いている顔だった。

 なにか反省の言葉でも引き出したかったが、手早く済ませることを優先した。


 迷いなく斜めに一撃。

 すぐに身を捌いたから、返り血は少し。

 比企地はふらっと後退したが、踏ん張り過ぎたらしくこちらへ戻ってきた。俺はその腹へ、少し下から突き込んだ。

 串刺しにしたまま体勢をコントロールし、刀を抜きつつそっと床へ。


 俺は素早く納刀し、走らずに自室へ戻った。


 誰にも会わなかったのは奇跡ではない。

 いくらこの付近が平和になったとはいえ、いつ獣が出るかは誰にも分からないのだ。住民たちは不用意に出歩かない傾向にある。出歩くのは、みんなが出歩く時間帯だけ。つまり「通りゃんせ」の流れない時間帯。


 殺しは初めてではないが、他人にバレなかったのは今回が初めてだ。


 風呂場で刀を洗い長し、血の付いた服は捨てた。

 俺の刀は、これまで何匹もの獣を始末している。獣になりかけの人間も。だから刀に血の跡があっても不思議ではない。

 ここにはDNA鑑定なんてないから、血から犯人を特定することは不可能。

 目撃者さえいなければ、どうとでもなる。


 思ったほどの興奮はなかった。

 最初の殺人は三人まとめてだったから、めまいがするほどの興奮があったのに。あのときは酸素を吸い過ぎて何回も吐いた。達成感もあった。死体の横で笑い転げた。

 目撃者がいなかったから、意外とバレないのでは、などと思っていた。が、特に隠しもしなかったこともあり、死体はすぐに見つかった。俺はすぐに捕まった。


 警察の態度は横柄だった。

 まあ三人も殺したわけだから、警察からすれば俺は憎むべき凶悪犯だったのだろう。俺は事情を説明したが、まったく聞き入れられなかった。復讐だと言ったのに、そんな事実はないと言われた。

 俺は愕然とした。

 そんな事実はない?

 俺の頭がおかしくなったのか?

 なら俺の頭の中の記憶はなんだ?

 夢でも見ていたのか?


 目の前の警察どもを、どうにかしてやりたい気持ちになった。

 べつに自分に罪がないなんて言っていない。ただ、なにも知らない連中に、俺の過去をなかったことにして欲しくなかった。


 ああ、でも……。きっとそうだったのだろう。

 復讐とは言うが、当時、こちらは被害届を出していなかったのだ。

 だから公的な記録に残っていない。


 事実だけを見ると、こうなる。

 頭のおかしなヤツが、証拠もない妄想に基づいて、三人の男を刀で斬殺した、と。


 死刑になってもおかしくなかったが、無期懲役で済んだ。

 どちらにせよ終わりみたいなものだったが。


 刑務所では、意外とよくやれた。警察は俺の主張を信じなかったが、囚人たちは信じてくれたのだ。あいつらは、自分たちも犯罪者のくせに、犯罪の種類によって人の価値を決定していた。それなりの理由があれば尊重してくれたのだ。なんの権利があってそうしているのかは知らないが。

 ともあれ、俺の演じた復讐劇は、まあまあマシな部類であったらしい。

 法律にはそんなことひとつも規定されていないのに、ただ行政の用意した場所でしかないのに、ストーリーによって囚人間の待遇が決まってしまう。

 たまたま居合わせただけの他人なんだから、フラットにやればいいものを。すぐに上とか下とかを決め始める。バカみたいだ。そもそもバカが行くところだが。


 俺の気持ちは虚無そのものだったが、死にたいと思うほどの日々でもなかった。

 言われたことをやる。決まったことをやる。それを毎日繰り返す。普通の社会人だってそうだと言われるかもしれないが。しかし社会人には休日がある。囚人にも休日くらいあるが――というかそこらの社会人よりはるかにあるが、私生活がない。

 いっそゾンビみたいに生きることにした。


 だが、何者かはそれを許さなかった。


 *


 このアパートはずっと夜だが、相対的に昼とされる時間帯がある。それは、住民たちが活発に動き回る時間だ。

 ここでは仕事をしなくてもメシが食える。

 というか仕事がない。

 メシだけがある。


 食堂に行くと、老婆がメシを出してくれる。

 白飯と味噌汁。そして浅漬け、焼き魚、煮物がつく。拝み倒せば肉も出てくる。ただしなんの肉かは分からない。肉としか教えてくれない。人肉ではないと思う。そんなにおいはしない。ただ、ビーストの肉だとしたら、俺には判断できない。

 まあ、うまいんだからなんでもいい。

 どうせ長生きするつもりはない。


「殺しがあったってねぇ」

 老婆はカウンターに身を乗り出して、俺に話しかけてきた。

 カウンター席しか空いてなかったせいで、俺が会話の相手になってしまった。

「そうらしいですね」

「住人はあんたを疑ってるよ」

「そうなの? おかしいな。通り魔の仕業だって結論が出たはずなのに」

 実際は俺ですよ。

 でも証拠はないはずですよ。


 老婆は開いているのか閉じているのか分からない目で、じっとこちらを見ていた。

「あたしもあんただと思うね」

「なぜ?」

「ただの勘だけどね」

「……」

 ただの勘で人を犯罪者扱いするのか。

 正解してはいるが、理由がない。正しさを説明できていない。


 返事をする気もなくなったので、俺は箸で焼き魚をほぐして食い始めた。

 老婆は無遠慮にも話を続ける。

「あたしはね、別に咎めてるんじゃないんだ。きっとなんか理由があるんだろう」

「仮定の話でよければ応じますよ。その答えはイエスだ。もし俺のような人格者が人を殺すんだとしたら、間違いなく高潔な理由がありますよ」

「高潔? はん。あのメガネも同じことを言ってたね」

 同じことを?

 彼が皮肉を言うとは思えないから、本心なんだろう。たぶん。

「彼は人の見る目があるんですよ」

「目はよくないよ」

「人の身体的特徴を揶揄するのは問題ですよ」

「生意気言うんじゃないよ。あんたが裏であたしをババアって呼んでるのも知ってんだ」

 呼んでない。

 呼んでるとしたらあのクソガキだ。俺はせいぜい「婆さん」くらいのものだ。

「女将さん、そいつはどこから手に入れた情報です? そんなガセネタに踊らされてるようじゃ、犯人なんて絶対に見つけられませんよ」

「ふん」

 老婆はきまりが悪かったのか、いっぺん奥へ引っ込んだ。

 もしかすると、カマをかけてきたのかもしれない。無害な老婆かと思っていたのに、いきなり情報戦を仕掛けてくるとは。じつは傑物かもしれない。あるいは傑物と見せかけたいだけのお茶目な老婆か。


 かと思うと、老婆は頼んでもいないカツを皿に一枚乗せて戻ってきた。

「オマケだよ。食いな」

「頂戴します」

 謎肉だ。

 いまはそんな気分でもないんだが。

 まあ、くれるものはいただいておこう。


 老婆は相変わらずの仏頂面だ。

「お友達が殺されたってのに、食欲だけはあるみたいだからね」

「こいつがそのお友達の肉じゃないことを願いますよ」

「ったく。最近の若いのはホントに……」

 たぶん違うはずだ。

 あいつの死体はまだ安置所にある。


「ところで、部屋の壁にあいた穴、まだ直らないんですが」

「あたしに言われても困るよ。神さまに言いな」

「神さまねぇ……」

 俺はカツをかじった。

 くさみもなければ、味気もない。なんの動物か特定できない。精進料理みたいに、肉でないものを肉に見せかけているだけかもしれない。

 いや、考えても分からないのだ。とにかく食おう。


 *


 ひと通り食事を済ませ、俺は老婆に尋ねた。

「もし人を殺したら、そいつは獣になるのかな?」

「不安かい? けど安心しな。そうはならないよ。結局のところ、人間性さえ失わなければいつまでも人でいられるものさ」

「そうなると、そもそも人間性とは、という問いになってくるけど」

「あたしに聞くんじゃないよ。知るわけないじゃないのさ、そんなの」

 どうだか。

 こんなところで食堂をやっている時点で、他の住人とは違う立場なのだ。食事を出しているということは、仕入れをしているということでもある。この老婆は、間違いなく外部と接触している。特別な人間だ。


 彼女はかすかに溜め息をついた。

「あんた、バケモノになりたいのかい?」

「いまはまだ。けど最終的にはどちらでも」

「なりたいと思ってる人間ほど、意外となれないもんなんだよ」

「実体験ですか?」

 俺が皮肉を飛ばすと、老婆はふんと鼻で笑った。

「バカ言うんじゃないよ。あたしはバケモノになりたいなんて思ったこと、一回もないよ。ただね、よくいるんだよ。バケモノになって楽に終わらせたいって手合いが。けど、思っただけじゃダメさ。いくら頭で思ったところで、どこかで人間をやめられないもんだからね」

「そういう人はどうするんです? あきらめるんですか?」

「あきらめるならまだいいさ。けど、だいたいはあきらめきれなくて、異常な行動に出るようになる。それで人の恨みを買うようになって、人のまま殺されるのさ」

 皮肉な話だな。

 それを欲する人間には与えられずに、別の誰かに与えられるのだ。


 俺は立ちあがった。

「ごちそうさま。たまには人生の先輩の話を聞くのもいいもんですね。とても勉強になりましたよ」

「本気でそう思ってるかい?」

「もちろん」

 すると老婆は、しわだらけの顔をさらにしかめた。

「ふん。あんたはまず、その性格を直すんだね。でなきゃ、いつまで経っても友達できないよ」

「おっしゃる通り」

 だが友達とはなんなのだ?

 人生に必要か?

 だいたいの場合、それは人を愚かにする効果しかない。いや、誰か個人を悪く言っているのではない。人は群れるとロクなことにならない、という話だ。俺も例外じゃない。


 さて、帰りは神社にでも寄ろうか。

 紙に「お願い」を書いて奉納すれば、たいていのことは「神さま」が叶えてくれる。過大な要求でなければ。俺は刀やプリンをもらった。

 だが、壁の穴だけは、何度お願いしても直してくれない。修理道具もくれない。

 このアパートの神とはなんなのだろうか?

 壁を直せないところを見ると、万能ではないようだが。


(続く)

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