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見て、月だよ  作者: 不覚たん
第一部 青

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10/82

どうしてこうなった 一

 引き渡しの当日――。


 俺は刀を持たず、ロープに縛られた状態で、お姉さんと一緒に指定の場所へ向かった。

 ひどく静かだ。

 床を踏むかすかな軋みさえ聞こえる。


 人の気配はない。

 深夜だからということもあるが、それだけではない。

 ここは普段、人の寄り付かないエリアなのだ。

 避ける理由はあっても、入る理由がない。


 以前、ここにはアパートを支配しようとした巨大な勢力が存在した。


 方法は巧妙だった。

 トップの人物は、まずは「毒」と「貨幣制度」で近隣住民を支配した。支配というよりは、ほぼマインドコントロールで信者を作ったようなものだが。

 まずは毒をチラつかせ、話術でたたみかけて数人を支配した。その上で、自分の造った貨幣で取引を始めるよう強要し、生活モデルまで押し付けた。

 制度を作ったトップの人間だけが、特別な存在になった。


 その後は、人間性を失わない程度に、ゆるやかに全体を支配した。

 手段は狡猾だ。支配下の人間を使い、他の人間を支配させたのだ。ピラミッド……というよりは、ツリー構造での支配の連鎖だった。

 そこには特典までついていた。たとえば住人の誰かが、他の誰かを支配したとする。するとそいつは、直下の人間から税金を徴収する権利を得る。その税金の半分は上へ納めることになっていたが、残りの半分は自分のものにできた。

 支配すればするほど豊かになる仕組みだ。


 みんなそいつの刷った金を「価値」だと思い込んでいたから、自分の価値を高めるために、躍起になって支配を繰り返した。


 勢力は一気に拡大した。

 ルールを守らない人間には毒が用いられた。それは「法律」の体裁をとっていたから、ただの殺人とはならなかった。人間性を失うことなく、機械的に誰かを罰することができた。


 ただ、組織が肥大化するにつれて競争が激化し、内部での対立も起こるようになった。裏で毒が濫用された。

 汚染が始まった。


 毒の需要が高まるにつれ、製造も急ピッチで進められた。

 大量に作られて、大量に使用された。

 健康被害を訴える住民が現れ始めた。


 毒を規制する法律を作って欲しい。そんな意見もあった。

 だが、毒は富裕層の独占物だった。

 住民の意見など通るはずもなかった。

 毒性を調査しろと訴える住民に、支配層はこう言った。

「調べれば、かえって不安を煽ることになる」

 かくして毒を制限する法律が成立することなく、住民たちは毒で死んだ。


 いや、死んだことになってはいるが……。何人かは生き延びて、しれっと他の部屋に移住しているらしい。


 まあいい。

 とにかくここは毒におかされたエリアだ。

 最深部は、ビーストさえ生存できないほど汚染されている。


 師匠は身を隠しつつ、後ろからついてきているはずだ。

 たぶん。

 そうでなければ計画が成立しない。


「止まれ」

 男の声がした。


 俺はそいつの顔を見て、さすがに我が目を疑った。

 津邑だ。

 ミンチにされて死んだはずでは?


「武器を所持していないか調べさせてもらう」

 ガリガリに痩せこけてはいるが、あきらかに生きている。

 そいつは俺の体を丹念にまさぐりながら、ニヤリと笑った。

「死んだと思っただろ?」

「いまでも思ってる」

「さすがに気づけよ。生きてる」

 まあそうなんだろう。

 こうして会話しているのだから。


 津邑はロープをチェックして、やや顔をしかめた。

「なんだこれ? ちゃんとしたロープなんだろうな?」

 しっかりしたロープだが、少しだけほつれていた。まるで刃物でも入れられたかのように。

 津邑はぐっと引っ張って、切れないかどうか確認し始めた。

 師匠の作戦通り、注意をひくことができた。


 ただ、俺は思い出していた。

 師匠と交わした会話を。

 確か、こんなやり取りだった。

「あのー、念のため確認しておきますけど、俺は死にませんよね?」

「ああ、約束しよう。敵が俺の予想を超えない限りは大丈夫だ。だが、もし予想を超えてきたら? そのときは君がアドリブでなんとかするんだ。機転が求められるぞ」


 ところが津邑が現れた。

 いきなり予想を超えてしまった。

 俺の機転でなんとかしないといけない。

 だが、いったいなにをすれば?

 師匠はどこにいる?

 ちゃんと後ろからついてきてるのか?


 津邑はニヤリと笑った。

「おい、抵抗しようとするなよ? こっちにはスナイパーがついてるからな」

「スナイパー?」

「吹き矢の達人だ。そいつの矢には麻酔が塗られてる。もし妙な動きをすれば、秒でおねんねするハメになるぜ」

 なにが「おねんね」だ。

 イキリ散らしやがって。

 お前が永眠しろ。


 だが、さすがに俺も理解した。


 師匠は味方ではなかった。

 経緯は不明だが、ハナからグルだったのだ。味方みたいなツラで近づいてきやがって。

 一切の楽観を捨てて、事実と真摯に向き合うのなら、そういう結論になる。

 端的に要約すると、つまりはクソってことだ。


 可哀相に、お姉さんはキョロキョロしている。

「えっ? えっ? どういうことですか? それって……」

 津邑はいちおうロープのチェックを続けながらも、チラチラとお姉さんの体を見ていた。

「まだ分かんねーのかな? あんたら、負けたんだよ」


 津邑は小者だ。

 こいつはどうでもいい。


 俺は多賀峰という女をあなどっていた。

 彼女は自分が生き延びるためにあらゆることをしてきた。その「あらゆること」を、こちらが超えていると思い込んでいた。だが、その程度、彼女にとっては織り込み済みだったのだ。師匠のことも知っていた。


 俺は自分を過信した。

 だから、死ぬ。


 津邑にうながされ、俺は廊下を進んだ。

 天井に白熱灯がぶらさがっている。

 通り過ぎると、別の白熱灯が出迎える。

 音の割れた「通りゃんせ」が流れ始めた。


 ロープは切れない。

 武器もない。

 せめてお姉さんだけでも逃がせればいいのだが……。


「おい、女。とっとと歩け。逃げたらあのガキを殺すぞ」

 津邑はなかば楽しむように、後ろからお姉さんをせっついた。

 乱暴に背を押されたお姉さんは、よろめいて俺の隣を歩く。


 だが、こいつらの目的は?

 俺を排除するのが目的じゃないのか?

 なぜお姉さんまで巻き込む?


 しばらく進むと、ひっつめ髪の女と、落ち武者みたいな師匠が、並んで立っていた。

 師匠はおどけたような笑みで、肩をすくめた。

 罪悪感はないのだろうか?


 多賀峰が近づいてきた。

「会えるのを楽しみにしてましたよ、式見さん」

「俺もだ」

「とりあえず座って。少し長くなる予定だから」

「ああ」

 俺は床へ腰をおろした。

 お姉さんも、津邑に押されて座らされた。さっきからベタベタ触りやがって。


 師匠が椅子を用意すると、多賀峰は遠慮なく腰をおろした。

 それから残忍な笑みを浮かべ、俺の顔をじっくりと見つめてきた。嫌な視線だ。俺は不快感に耐え切れず、つい目をそらした。

 大きな溜め息が聞こえた。


「あなた、波谷志くんたちのこと殺したんだって? それで警察に捕まって、刑務所にいたんでしょ? じつは知らなかったの。私、けっこう前からここにいたから」

「比企地も殺した」

「そうよね。そこまでは順調だったのね」

 そうだ。

 順調だった。

 あとは津邑を殺せば完成するはずだった。なのに多賀峰とかいう女が現れて、すべてを台無しにしてしまった。


 多賀峰はくすくすと笑った。

「私、あなたのことが嫌いだから、簡単に死んで欲しくないと思ってる。できるだけ苦しんで欲しいの」

「復讐のつもりか? だったら、たまこちゃんもお姉さんも関係ないだろ」

 俺がそう尋ねると、多賀峰は一瞬驚いたような顔をして、それからまた笑った。

「あはは。もう。勘弁してよ。復讐? 違う違う。復讐しようとしてるのはあなたのほうでしょ? 私のは単純に……。ああ、でも考えようによってはそうなのかな。復讐ね。そうなのかも。でも私の復讐は、もう終わってるとも言える」

一二三いろはのことか?」

「そうよ」

 彼女は立ち上がり、細長い棒を手にした。

 そいつで俺の横っ面を叩いた。空気を切り裂くような鋭い音と同時に、激痛が走った。

「ぐっ」

「私、はなぶさくんのことが好きだったの。でも英くんは……ほかに好きな人がいた。誰だか分かる?」

「……知るかよ。ぐっ」

 二発目。

 血が出るほどではないが、刺すような痛みだ。頬だけでなく、耳だろうが構わず叩くから、一瞬、感覚がなくなるほど痛む。


 彼女はごくさめた目で告げた。

「しらばっくれないで。ムカつくから。英くんが好きだったの、あなたよ。あの子、男のくせに。女みたいな顔して。それで? 男が好きだって? だったら男とヤりまくればいいじゃない。ねえ? 私はね、親切のつもりで波谷志たちとヤらせてやったの。それなのに、勝手に死んじゃった。あはは。なんなの? あいつ、男が好きだったんでしょ?」

 殺したい。

 一二三は泣いていた。切り裂くような悲鳴をあげて。俺はなにもできなかった。助けを求められていたのに。


 多賀峰はぐっと顔を近づけてきた。

「あのときの動画、何回も見返したわ。あなた、ピクピクしてたから、死んだかと思っちゃった。でも、生きててくれてありがとう。もし死んでたら面倒なことになってたから。さすがに警察も動くだろうし」

「そうだな」

「英くん、すっごく泣いてたよね。やめてー、とか、助けてー、とか。私、笑っちゃった。そんなこと言って助かると思ってるのかな、って。結局、助からなかったしね。波谷志くんも逆に興奮しちゃって。あららーって感じ」

「そうだな」

 多賀峰は今度は棒を振りかぶらずに、先端で俺の頬をぺしぺしと叩いた。

「でもショックだったわ。もっといい男ならともかく、こんなどうでもいい男のこと好きだったなんて。しかも親戚同士なんでしょ? 気持ち悪い」

 はらわたが煮えくり返る、という表現がある。

 いまの俺は、たぶん、それだ。

 腹の中が、マグマのようになっている。血液が沸騰しそうだ。いますぐ獣になって、ロープを引きちぎって、この女を八つ裂きにしてやれたら……。


 怒りで呼吸が震えていた。

 そのまま声を発すれば、声まで震えてしまうだろう。

 だから俺は、いくらか呼吸をして、可能な限り神経をコントロールしようとつとめた。


「まあでも、気にすることないぜ。一二三が死んだのは、あんたらのせいじゃねーんだ……」

「はい?」

「あのあとな、一二三から言われたんだ。俺のことが好きだって。だけど、俺は応じられなくて……。そんで曖昧な返事をしてたら、いきなりな……いきなり、目の前からいなくなっちまった……。だから、俺が殺したようなものだ。一番苦しんでたとき、俺はあいつの要求にこたえられなかった。救いを求めてきた手を、つかめなかった……」

 多賀峰は愉快そうに目を細めていた。

 俺を苦しめることができて、満足なのだろう。


 もういい。

 殺すなら早く殺して欲しい。

 肉体を傷つけられるのはイヤだが、その前に精神がもたない……。

 手も足も出ない。

 誰も救えない。

 獣にもなれない。

 あとは死ぬくらいしか、終わらせる方法が思いつかない。


(続く)

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