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見て、月だよ  作者: 不覚たん
第一部 青
1/82

人間って簡単に壊れるんだな

「かつて親鸞はこう言った。人が人を殺さないのは、善人だからではない。そういう状況に追い込まれてないだけだ、と。まあ細部は違うが、だいたいこんなところだな。詳細は各自ググってもらうとして。あー、だが、聞いてくれ。これを俺がやったという証拠はないはずだ。犯人を俺と決めつけるのはよしてもらいたい」


 俺の演説は、薄暗い木造アパートに虚しく響いた。

 白熱灯のぶらさがる廊下。

 床には人の死体が転がっている。大きな刃物で斜めに切り裂かれた格好だ。そのあと刺突も受けている。


 住民の一人、知的な顔立ちの男が、くいとメガネを押しあげた。

「誰もあなたを犯人とは決めつけてませんよ。ただ、この大きな傷は、刀によるもの」

「そして刀を持ち歩いてるのは俺だけだ。ということは、俺を犯人だと言ってるようなものじゃないか」

「落ち着いてください。まだ犯人は、この近所の人間と決まったわけではありません。どこか遠くから来て殺した可能性もあります」

「動機は?」

「それを聞きたいのは僕のほうですよ」

 やれやれとばかりに溜め息。


 このアパートはクソデカい。

 東京駅よりもデカい。

 どこまで行っても終わりがない。出口もない。

 そんな場所に、なぜ俺たちがいるのかをまずは知りたいところだが……。いや、それはいい。

 いまは目の前の殺人事件に対処しなければ。


 髪ボサボサのクソガキが、死体を指でつんつんとつつき始めた。

「ぴゃあ。これは問題だゾ? だってこいつ、まだビーストにもなってねーゾ。つまり犯人は、正当な理由もねーのに殺したってことだゾ。どうせ近いうち獣になるゾ」

 この少女は、じつは人間ではない。

 素性がよく分からない。

 本人にもよく分からないらしいので、俺も深く考えないようにしている。


 他の住人たちも集まっているが、不安そうな顔で遠巻きに覗き込んでくるばかりだ。

 誰だって、こんな厄介ごとに巻き込まれたくない。

 かといって殺人犯を野放しにしておきたくもない。

 パパッと誰かに解決して欲しい。


 小太りの中年女性が「あのぅ」と小さく挙手をした。

 メガネが「どうぞ」と促すと、ぺこりと頭をさげて前へ出てきた。

「私、見たんです。昨日の夜、霧島さんがこの方と一緒に歩いてるところ」

 ざわざわ。


 霧島というのは俺のことだ。刀を持ち歩いている。日本刀じゃない。なんだか分からない素材の黒い刀だ。俺がサイコパスだから武器を持ち歩いているわけではない。ここではみんな、自衛のための武装をしている。俺だけ疑われるのはおかしい。


 それにしても、「昨日の夜」とはいったいいつのことを言っているのだろう?

 ここでは夜が明けることはない。

 まあ24時間に一度、古いスピーカーから音質の悪い「通りゃんせ」が流れるから、それを一日の終わりと始まりということにしているのだと思うが。

 深夜0時に爆音を流すのは、倫理的にどうなのだろうか。


 メガネくんが、くいっとメガネを押しあげた。

「霧島さん、詳しい状況を教えてください。あなたを疑っているわけではありません。ただ、犯人につながる情報が得られるかもしれないので」

「まるで警察みたいだな」

「もちろん僕には特別な権限などありません。しかし誰かが調べないといけないんです。どうかご協力をお願いします」

 じつに礼儀正しい。

 良心の塊みたいな人間だ。

 実際、ここらの秩序は彼のおかげで成立していると言っても過言ではない。


 このアパートでは、人間性を失った住人は、獣の姿に変わってしまう。理由は知らない。そういう呪いでもかかっているのだろう。

 ひとたび獣になってしまうと、あとはもう制御不能だ。住民を殺し、喰らい始める。だから殺すしかない。

 秩序を守れないエリアは、あっけないほど簡単に滅ぶ。

 ここが住みやすいのは、だからメガネくんのおかげなのだ。彼が秩序を成立させている。


「いいけど。でも、なにを話せばいいの? 俺はたしかに、比企地ひきちさんと一緒にいたよ。いつものようにここらを案内してたからね。でも、もし口論したなら誰かが聞いてるはずだぜ。ここの防音は、さほどきっちりしてるとは言えないしね。誰か騒ぎを聞いた人は?」

 俺がそう問いかけると、住民たちはなんとも言えない顔で黙り込んでしまった。


 先ほどの中年女性が、なんとも言えない顔で頭をさげた。

「ご、ごめんなさい。違うんですよ? あなたを疑ってたとかじゃなくて……」

「大丈夫ですよ。このところ俺らが一緒にいたのは事実ですし。犯人を突き止めたい気持ちはみんな一緒でしょうから」

 疑ってたんだろう。

 だが、俺はこの程度で怒りはしない。

 ちょっと気分を害した程度で他人を殺していたら、すぐさま孤独になってしまう。いや、孤独になる前に獣になるか。いっそそのほうが楽かもしれないが。


 メガネくんは「ふむ」とうなった。

「口論の声さえなかったということは、物取り目当ての通り魔的犯行、という線が濃厚かもしれませんね。だとすれば、外部からこのエリアが狙われている可能性があります。これから数日は、シフトを組んで警備を強化しましょう」

「協力するよ」

 俺がそう提案すると、彼もうなずいてくれた。

「ありがとうございます。今回の件、一番心を痛めていたのは霧島さんだと思います。せっかく交流を深めていたのに。少しでも疑うようなマネをしてすみませんでした」

「謝らないでよ。俺たちみんなあんたに感謝してんだぜ。今回の件だって、きっとヨソのシマならスルーされておしまいだろうし」


 実際、彼が来るまで、ここは過疎地だった。

 住民同士の交流もほとんどなかった。

 獣になるヤツも数名いて、そのたび俺が始末した。俺自身が獣になっていないのが不思議なくらいだ。獣になるヤツは、よほど心が荒んでいたのだろう。

 ともあれ、メガネくんが来てからは、獣に変化する住民も減った。住民同士で挨拶する習慣ができて、会話も増えた。皮肉なことに、そのせいで人間同士のトラブルは増えたが。それでも誰かが獣になるよりはマシだった。


 *


 ここでは遺体安置所に放り込んでおくと、いつの間にか遺体が処理されている。

 遺体安置所というか、そういう名前のただの部屋だ。とにかく誰かがどうにかする。火葬も埋葬も必要がない。じつにお手軽だ。


 部屋に戻った俺は、ソファに刀を立てかけ、どっと腰をおろした。

 とても疲れた。


 この部屋には、ほとんどモノがない。

 あるのは古びたソファと、映りの悪い小型テレビだけ。

 そのテレビも、勝手についたり消えたりする。意味不明なブロックノイズを映し出し、ごにょごにょと誰かの会話みたいな音を出すのだ。

 ホラーではない。誰かの説明によれば、ここは空間自体の調子がよくないらしい。


 旧世紀の前衛アートなのだろうか?

 本当はホラーなのかもしれない。

 分からない。

 いつものことなので、もう慣れた。


 それにしても、あのメガネがロジックでモノを考えるタイプで助かった。

 中年女性が余計なことを言い出したときは少々焦ったが。


 俺の殺人はバレずに済んだ。

 いまのところは。


 本来であれば、比企地の野郎を八つ裂きにしてやりたかった。

 しかしあまり執拗に攻撃してしまえば、怨恨による殺人であることがバレてしまう。だから、本当は一撃で仕留めたかった。なのに我慢できず、二撃目を加えてしまった。


 口論はしていない。

 完全に安心しきっているところを襲った。


 もし神とやらがいるのなら、感謝してもいい。

 いや、しない。

 しないが、まあ、きっと俺に贖罪したかったんだろう。そこだけは受け入れてもいい。だったら最初からやるなと言ってやりたいところだが。


 俺は立ちあがり、窓辺に立った。

 月が見える。

 うっすら紫がかった夜空に、飾られたような満月。

 この世界で見る月は、いつもまるい。

 まるで俺の怒りを助長するかのように。


 大きく呼吸をして、またソファに腰をおろした。

 刀を鞘から抜いて刃を眺める。黒曜石から削り出したかのような漆黒の刀身。血痕はない。すでに洗い流した。


 俺は獣になってもいい。

 だが、まだだ。

 まだ殺したい人間がいる。

 そいつを殺すまで、俺は獣になるわけにはいかない。


 あと一人でいい。

 もし本当に神がいるのであれば、そいつをここに連れてきて欲しい。


 むかしの俺は、こう思っていた。

 人間を殺すのは、もっと難しいんだろう、と。

 しかしそれは、あくまでバレずにやろうとするからだ。

 バレていいなら難しくない。


 ごそごそと物音がして、隣の部屋からさっきのクソガキが侵入してきた。

「お菓子くれ」

「待ってろ」

 こいつは勝手に入り込んでくる。

 壁に小さな穴が開いているせいだ。最初は板でふさいでいたが、いつもぶち抜かれるのであきらめた。このボロアパートには小さな神社があるのだが、そこでお願いしても壁の穴は修復されない。


 俺がキッチンの棚から煎餅を持ってくると、ガキはニタニタと笑っていた。

「人間同士の殺しなんて久しぶりだよな。ちょっとわくわくしたゾ」

「不謹慎だぞ」

「そんなこと言うなよな。あ、お煎餅あんがと。でもたまには甘いのが食いてーゾ」

「甘いのは俺が食うからダメだ」

 甘い菓子は滅多に手に入らない。貴重品なのだ。こんなガキにはひとつもくれてやらぬ。


 ガキは煎餅の欠片をそこらにこぼしながら、バリバリとかじり始めた。

 こいつはこぼすだけこぼして、掃除もしないで帰ってゆく。

 そういう生き物なのだ。

 人間じゃない。

 殺しても生き返る。


 ガキはこちらも見ずに言った。

「でもなんで殺したんだ? あいつと仲良かったろ? ケンカでもしたのか? あーしにだけ教えろ」

「殺してない」

「ウソだゾ。あーし見てたし。あんときのオマエ、すっごく怖い顔してたな。怖いっていうか、無表情だったゾ。普通、人間はあんな顔しねーゾ」

「うるせーな。煎餅食ったら失せろ」

「お? あーしをいじめるのか? あのメガネにバラしてもいいのか?」

「ダメだ。バラすな」

 クソガキは足をバタバタさせて喜んでいる。

 もしかすると、人を追い詰めて楽しむタイプの妖怪なのかもしれない。


 ガキはケヒケヒと不気味な笑い声をあげた。

「だったら取引しろ。ババアの食堂から砂糖盗んでこい。そしたら許してやる」

「許す? お前、いつも俺から煎餅もらってる恩を忘れたのか? 俺がいなくなったら、次は誰から煎餅をもらうんだ? 俺みたいに優しい人間ばっかりじゃないぞ」

「うっ……」

 ようやく己の立場を理解したらしい。

 不法侵入してきたガキの分際で、煎餅まで要求してくるのだ。ほとんど押し込み強盗だろう。イヌやネコならまだしも、こんな目つきの悪いハイエナに餌をやるのはよほどの暇人だけだ。


「今後も煎餅が欲しかったら、俺のことを守るんだな」

「わ、分かったゾ。約束する」

「いい子だ。明日も煎餅をとりにきていいぞ」

「オマエ、いいやつだな! そのうち姉ちゃん紹介してやるゾ!」

「ふざけんな。そう言って一回も紹介してくんねーじゃねーかよ。なんなんだお前は。口だけ女か」

「まあそう言うな。姉ちゃん、人が苦手なんだ」

 つまり会えないのだ。

 このクソガキは、いつも無遠慮に煎餅の欠片をぶちまけつつ、調子のよさそうな顔で、調子のいいことを言う。

「本人が望んでないなら、勝手に会わせる約束しちゃダメだろ」

「そんなことねーゾ。姉ちゃん、むっつりスケベだからな。いっつも男のこと考えて悶々としてるゾ。あれは夜になると乱れるタイプだゾ」

 なにを言ってるんだこのクソガキは。

 お姉さんのプライバシーを勝手に開示するんじゃない。

 そもそも、この男だか女だか分からない風呂にも入ってなさそうな薄汚れたガキの姉というのも……。悪いがあまり期待できそうにない。顔だけでなく、性格にも期待できない。


 クソガキは自分の服の欠片をパラパラと払いながら、こう言った。

「人間って簡単に壊れるんだな……」

「なんだそれ? ホントに見てたのか?」

「そう言ってるだろ? でも、見てたのがあーしだけでよかったな。ほかのヤツならいまごろ大騒ぎだゾ」

「そうだな」

「ま、ホントはあーしが人払いしてやったんだけどな。ケヒヒ。感謝しろよな、人間」

「ふん」

 言うだけならタダだ。

 こいつにそんな能力があるとは思えない。


「じゃ、あーしは帰るゾ。せいぜい獣にならないよう気をつけろよ」

 クソガキはソファから立ち上がったかと思うと、ブリッジしながらカサカサと行ってしまった。

 模範的なスパイダーウォークだ。

 妖怪というよりは昆虫なのかもしれない。


 まあいい。

 ほかの住民にはバレていないのだ。

 待っていれば、最後のヤツも来るだろう。

 そんな確信がある。


(続く)

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