慰霊祭 ~sharing the pain~
戦没者を弔う慰霊祭、今年もこの時期がきた。
ダヴィネスでは、夏至祭が終わると慰霊祭の準備がはじまる。
ダヴィネス城の西方にある広大な草地の墓地には、無数の墓標とともに戦没者が眠る。
中には、その屍はない墓標のみのものもあった。
夏の終わりに行われる慰霊祭に向けて、カレンもあれこれと準備を進めていた。
式典には騎士や兵士、遺族のみならず誰でも参加可能で、式典の後、ダヴィネス城主催で軽食が振る舞われる。
ケータリングの準備や当日の手配は、遺族や街の女性達にカレンも加わり、身分の差は関係なく和気あいあいとした雰囲気で行われていた。
∴
「今年は、来られるかしらねぇ」
ダヴィネスでは、白いアネモネ(花言葉:希望、真実)と紫のアネモネ(花言葉:あなたを信じて待つ)を戦没者の象徴としており、この二つの造花を参加者は身に付けるのが慣例となっていた。
城塞街の集会所で、カレンは数日前から女性達に交じり、造花作りに精を出している。
先ほどの発言は、街の顔役の夫人のひとり、ミス ジョーンズだ。
ミス ジョーンズは馬具を手広く取り扱う老舗の奥方で、現在は息子夫婦に身代を任せている。
まだまだ不慣れなことも多いカレンを何くれとなく気遣ってくれ、カレンも面倒見のよいミス ジョーンズを頼りにしていた。
「?…どなたのことですか?」
カレンは、ミス ジョーンズが作業の手を止めずに発した、半ば独り言のような呟きへ疑問を投げた。
ミス ジョーンズは一旦作業の手を止めて短いため息をつくと、カレンへと少し悲しげな顔を向けた。
「コンラード卿の奥方ですよ…」
あ……
その言葉を聞いた、同じテーブルで作業をしていた女性達も、一様にカレンと同じ戸惑いの表情で手を止めた。
「……」
カレンは返す言葉が見つからず、手元にある作りかけの白いアネモネへと視線を落とした。
∴
コンラード卿は、ジェラルドが代替わりをした直後の激しい戦いで命を落とした、高名な騎士だった。
戦場でジェラルドを庇った際に深傷を負って命を落としたのだ。
当時の筆頭騎士で、ジェラルドやフリード達の剣技の師と聞いている。
とても厳しく、そしてとても温かな人柄で、騎士の中の騎士と言っても過言ではない、とジェラルドは言っていた。
カレンは、この話をジェラルドから直接聞いた時の、余りにも悲痛なジェラルドの顔が忘れられない。
以来、コンラード卿の話はジェラルドとはしていないが、慰霊祭にコンラード卿夫人は絶対に姿を見せないのを、実はジェラルドがずっと気にしていることは、フリードやアイザックはもちろん、カレンも気づいていた。
…私には、立ち入れない領域だわ…
「奥様? 花びらがくしゃくしゃに…」
カレンはいつの間にか、手元のアネモネの造花に力を込めていたらしい。
「あ!ごめんなさい! 私ったら…これ、持って帰りますわ」
年々ダヴィネスに馴染んでくれる、元侯爵令嬢の領主夫人の慌てる様子を、皆微笑ましく見守る。
「…奥様、コンラード卿夫人のことは…私達も気にはなりますが、こればかりはどうしようもないことですから…」
ミス ジョーンズがカレンの気持ちを察するように言い、カレンが周りのご婦人方を見ると、皆一様に優しい顔でうんうん、と首肯している。その中には、家族を戦争で亡くした方もいる。
「…そうですわね…」
カレンは誰ともなく答えた。
∴
今日の作業を終え、ダヴィネス城に帰る馬車の中で、カレンはくしゃくしゃの花びらの白いアネモネの造花を、レティキュールから取り出した。
この造花を作るのは数度目なので今は慣れたが、最初は失敗ばかりで上手く作れず、ニコルにも手伝ってもらっていた。
白い花弁が重なるように花芯を囲む、一重の白いアネモネ…ダヴィネスの森に群生し、一斉に春を告げる可愛らしい花。
カレンはかつてミス ジョーンズに、なぜこの花が戦没者の象徴なのかを聞いたことがある。
~
「このダヴィネスの地は今は落ち着いておりますが、それでも土地柄ゆえ終戦はしません。それは仕方のないことです。それでも皆、心の中では戦いなど無い方が良いと願っております。その希望として、白いアネモネ…戦いで森が荒らされないよう…が象徴となりました」
「では、紫のアネモネは?」
「“戦いに出た者を待つ身にもなれ”という、女性達の願望かしらね…?」
ミス ジョーンズはふふふ、と笑った後、真面目な顔をした。
「愛する人を信じることは、時に何よりの生きる希望となりますから…それを忘れないで、というね?ダヴィネスは女性も強いですから」
ミス ジョーンズは力強く、楽しそうにカレンに話してくれた。
~
白と紫、ふたつでひとつ…でも、コンラード卿夫人にしてみれば、もはやどちらも意味の無いことなのかしら…
慰霊祭への参加は無理強いできない。それはわかっている。
でも…
カレンはジェラルドのことを思った。
カレンは知っている。
コンラード卿の命日や月命日前後には、ジェラルドは事情が許す限り、必ず墓地を訪れていること。…命日を外すのは、恐らくコンラード夫人と鉢合わせて彼女に気まずい思いをさせないためだろう。
さらに、慰霊祭の前になると、ジェラルドは一人で墓地へ赴き、戦没者一人一人の墓標へ挨拶をしていることを。
それは真夜中から朝まで…しかも1日では終わらず、夜を徹して連日であることを。
カレンはそこでハッとする。
確か、コンラード卿の命日が近くない?
馬車がダヴィネス城に着くや否やカレンは図書室に向かい、戦没者名簿を閲覧した。
革張りの厚い戦没者名簿には、戦没者名に加えて、没した年月日や場所等も細かに記されている。
カレンはページをめくり、人差し指をなぞらせてコンラード卿の名前を探す。
…確か、この戦いだから… 「あ!」
あった。
「やっぱり」
コンラード卿の命日は三日後だった。
ジェラルドは明日から数日間、王立騎士団から来た、新人騎士の研修で少し離れた鍛練場へ泊まりで行く。
コンラード卿のお墓参りは、きっと帰ってきてからだ。
…チャンスだわ
カレンは、ある計画を捻り出した。
・
翌日の朝。
「行ってらっしゃいませ」
いつも通り、ダヴィネス城の正門前でジェラルド達を見送る。
ジェラルドは「行ってくる」と微笑みながらカレンの腕を取り、その額へキスを…と、動きが止まる。
じっとカレンの顔を見つめる。
「…カレン? 何か気になることがある?」
深緑の瞳が、少しだけ探るようにカレンの薄碧の瞳の奥を見つめた。
…!
ジェラルドの目敏さに一瞬ギクリとするが、ここはうまく誤魔化さねば…
カレンは、極上の笑みで答える。
「いえ何も。どうかお気をつけて」
と、少し背伸びをしてジェラルドの頬へキスした。
ジェラルドは多少不思議そうな顔をしたが、すぐに妻の柔らかな唇へ軽めのキスをすると、馬上の人となった。
カレンはその後ろ姿を見送る。
…危なかった…
・
「カレンさん、いくらなんでもそれはちょっと…」
カレンはパメラの邸に居た。
いつもは何事にも寛容なパメラが難色を示したこととは…
カレンは、コンラード卿夫人に会いたいと思い、計画を立てた。
夫人の家は城塞街ではなく、少し離れた集落にあるのは知っているが、初対面のカレンが突然訪れても不信を買うだけだろう。なのでカレンは偶然を装い、コンラード卿の命日の墓地でコンラード夫人に“バッタリ”…に狙いを定めたのだ。
しかし、カレンはあいにくコンラード卿の墓標の位置を知らない。
墓地は平野にあり、昼間は墓参りのおとないの人の目があって領主夫人のカレンがうろうろしては目立ってしまう。
したがって、夜…誰もいないであろう時間に、コンラード卿の墓標を探すために墓地を訪れたい…しかもこのことは、ダヴィネス城の誰にも知られずにやりたかった。
そのためには、パメラの邸に泊まり、そこから墓地へ行きたい。
フリードはジェラルド不在の間は城詰めで、パメラの邸には帰ってこない。
「カレンさん…夜に墓地って…考えただけでも怖いでしょう?」
パメラは半ば信じられない、という顔だ。
「いえ…実は私、夜のお墓が好きなんです」
「え!?」
パメラの驚きようがひどい。
カレンは思わず笑う。
普通考えれば、夜の墓地など考えただけで気味が悪いだろう。
しかしカレンはストラトフォードの領地に居た時から、邸の裏手にある代々の領主の墓へ夜な夜な訪れていた。
兄には「悪趣味だ」と煙たがられ、姉にも「いいかげんにしなさい」と窘められたものだ。
しかし父は意外にも何も言わなかったし、母も父に倣っていた。
なぜ父は何も言わなかったか…それは、カレンの亡き祖母…前ストラトフォード侯爵夫人の影響が大きい。
カレンは幼少期、ランタンを手にした祖母に連れられて、夜に祖先のお墓巡りをした。
祖母曰く「魂と向き合うのは夜に限る」のだそうで、カレンは何の疑問も持たずに、墓巡りをしながら語る祖母のご先祖話を聞いたものだ。
祖母が亡くなってからも、カレンは欠かさずお墓巡りを夜にしていた。
ご先祖様の「魂と向き合えた」かはわからないが、祖母に連れられた時も、一人の時も、不思議と怖さは感じなかった。
カレンはこのことを、パメラにかいつまんで話すと、最初は「信じられない」という顔だったパメラも、理解を示してくれた。
・
…違う
…違う
…これも違うわね
真夜中の墓地。
カレンはランタンを片手に、墓標をひとつずつ確かめていた。コンラード卿の墓標を見つけるために。
しかし、探しはじめて2時間ほど経つが、目的の墓標はまだ見つからない。
「ふう……」
カレンは改めて墓地を見渡した。
夜に慣れてきた目に映るのは、暗闇にぼうっと浮かぶ無数の白い墓標。
カレンはもちろんこの墓地は初めてではないが、昼間見る青々とした芝生ではなく暗闇だと、墓標は漂う魂のように見える。
…ジェラルドは、この墓標ひとつひとつに挨拶を…
今のカレンと同じように、真夜中にひとりで墓地を歩くジェラルドの姿を思い浮かべる。
カレンは、胸の辺りがキュッと絞られるような感覚をおぼえた。
辺境伯の仕事などという表向きな言葉ではくくれない、到底あり得ないことなのだ。
しかしジェラルドは律儀に行っている…
…ほんとうに、ジェラルドって人は…
カレンは、心に愛する人をしっかりと思い浮かべると、再び墓標探しをはじめた。
「……あんた、なにしてんだ?」
カレンはハッとして声の方を見た。
と、声の主を見てホッとする。
「はぁ…やだ、ジェイコブ・ウィルソン…」
ジェイコブは、カレンもよく知る墓守りだった。
∴
「真夜中にココヘ来てうろうろするなんざ、怪しい輩を除けばジェラルド様だけですぜ」
墓守りのジェイコブは真夜中の徘徊者が領主夫人のカレンだと認めると、呆れたように言った。
ジェイコブ・ウィルソン…元ダヴィネス軍の兵士だ。戦いで片足を失くし、20年ほど前から墓守りをしていた。
広大な墓地の管理を任せており、カレンとも顔見知りだ。
「で、レディ? 一体誰の墓を探されとるんですか」
護衛も付けずに…と、ジェイコブはブツブツ言う。
どうやら、かなり前からカレンの行動を見張っていたらしく、ランタンで墓標をひとつずつ確認する様を眺めていたらしい。
「見つけたのがワシだったから良かったものの…あり得ませんぜ、レディが真夜中におひとりで…」
「ごめなさい。私は怖くもなんともないんだけど…怖がる護衛を連れてきてもね…」
パメラの邸の護衛は、カレンが真夜中の墓地に行くと告げると青ざめた。
勝手をしているのはわかっているので、無理強いはせずに、さっさとひとりで馬を駆って来たのだ。
ジェイコブは大きなため息をつく。
「ったく、そんなとこですぜ、レディ。…このこと、城のモンは知っとるんですか」
「……」
「当然ジェラルド様もご存じないってワケだ」
「…ええ」
ジェイコブは苦々しい顔だ。
「それで?誰の墓ですか」
「…コンラード卿、よ」
とたんにジェイコブの動きが止まり、二人の間に沈黙が漂う。
「…ついにレディが動くってワケだ」
ジェイコブがボソリと呟いたが、カレンには聞き取れなかった。
「え?」
「こっちです」
カレンには答えず、ジェイコブは大きな体を揺らし、片手には杖、片手にはランタンを持って歩き出した。
その背には野盗を捕まえるための剣を背負い、腰には束ねたロープをぶら下げている。
「ココですぜ」
ジェイコブが案内したコンラード卿の墓標はカレンの居た場所からかなり離れており、ジェイコブが来てくれなかったら朝までかかっただろう。
「ありがとう、ジェイコブ」
カレンはコンラード卿の墓前にしゃがむとランタンを置き、胸の前で手を組んで少しの間祈った。
ジェイコブは側でカレンを見守る。
カレンは改めてランタンを持つと、コンラード卿の墓標に近づけた。
- 筆頭騎士 コンラード卿 -
- 1XXX.X.X.-1XXX.X.X -
続いて、墓標の周りをランタンで照らす。
もし夫人がお墓参りに来ていたなら、何かお供え物があるはずだが…何もない。綺麗なものだ。
「…夫人はまだ来られてませんぜ」
カレンの胸の内を見透かすように、背後のジェイコブが答えた。
カレンは思わずジェイコブを振り返る。
「コンラード卿の命日と月命日、いつも明け方に来られます…花と、コンラード卿の好きだった酒を持って」
「…そう…」
「おんなじ酒をワシにも持ってきてくれる」
ジェイコブの言い様にカレンはクスッと笑い、コンラード卿の墓標へ顔を戻した。
夫人とジェラルド、二人は互いに会うことのないよう、さらに夫人は誰にも会わないよう調整している。
このままでは、永遠にすれ違ったままだ。
その様を、この墓標の下から見守るコンラード卿はどんな気持ちだろう…
「…レディ、来られますか、命日に」
カレンはすっくと立ち上がった。
「ええ。来ます」
カレンはコンラード卿の墓標を見つめたまま、ハッキリと答えた。
・
コンラード卿の命日の夜明け前、カレンは朝駆けの体で、ダヴィネス城を出発した。
ハーパーを護衛に伴う。
厩舎に現れたカレンは特製の乗馬服に身を包み、緊張した面持ちで、従うニコルは花束と酒瓶の入ったバスケットを持っている。
明らかにいつもとは違う領主夫人の様子に、ハーパーは戸惑い、咄嗟に婚約者のニコルを見た。
ニコルはバスケットをハーパーに渡しながら「よろしくお願いします」と、こちらも緊張の面持ちで呟いた。
しかも、朝駆けはいつもの乗馬コースではなく墓地とのことで、ハーパーは何が始まるのだと思考を巡らせたが答えは出なかった。
∴
「おはようございます」
コンラード卿夫人の背中に、カレンは声を掛けた。
夜明け前の墓地で、誰かに声を掛けられたことなどない夫人はギョッとして振り返った。
そこには、ダークブラウンの艶やかな髪を高い位置で束ねて垂らし、男性のような乗馬服に身を包んだ、スラリとした女性が立っていた。
その瞳は澄んだライトブルーで、まるで雲ひとつない夏の空のようだ。
「……」
言葉を発っさず、カレンを凝視する夫人に、カレンはニコリと微笑む。
「あの…私もお参りをさせていただいてもよろしいですか?」
カレンは遠慮がちに夫人に尋ねた。
夫人は不信感も露な顔でカレンを見て、硬い声で答えた。
「……どうぞ」
カレンは「失礼します」と言うと、バスケットから花束とお酒を取り出し、墓前に供えると両手を組んで目を閉じた。
と、夫人はカレンの手元を見てハッとする。
そこには、ダヴィネス家の紋章を模した指輪があった。
夫人は反射的にバッと立ち上がった。
カレンはしゃがんだまま、夫人を見上げる。
コンラード夫人は恐らく、普段は落ち着いた品のある顔立ちだろうが、今は眉間に皺を寄せ、警戒した険しい面持ちでカレンを見下ろしていた。
「…あなた、ジェラルド様の…領主夫人…ですか?」
カレンは立ち上がる。
「はい、カレンと申します」
「…………」夫人はじっとカレンを見つめる。
“この年若い領主夫人は、なぜ亡き夫の墓参りに来たのだろう…”
そんな疑念が手に取るようにわかる雰囲気だ。
「コンラード夫人、」
「なぜ?」
カレンが予想していた夫人の反応だった。
カレンは夫人の目を、次いでコンラード卿の墓標へと視線を移した。
「あなたに、慰霊祭へ来ていただきたくて…私も折り入ってコンラード卿にご挨拶に参りました」
全く包み隠さずに答えた。
夫人が短く息を飲む。
少しずつ、東の方の空が白んできている。
「……他所から来た私には、まだまだわからないことだらけです。戦のことも、本当には理解できていないと思っています」
「だったら、」
「でもっ」
カレンは、真っ直ぐに夫人を見た。
「故人を思う気持ちは…その痛みは、ジェラルドを通じて感じています」
カレンの言葉に、夫人は目を見開き、夫人もまたカレンを真っ直ぐに見つめた。
二人の様子を、離れた場所からハーパーとジェイコブが見守っている。
夫人は、カレンの背後の、ゆっくりと明るくなる空を見た。
オレンジを帯びた赤い朝焼けが、ダヴィネスを覆っていく。
目の前の領主夫人は、初めて会うというのに、その強い視線と同様、真っ直ぐに夫人の心へ斬り込んでくる。
まるでダヴィネスの朝日を味方に付けたように…
夫人はカレンとダヴィネスの風景から目を移し、亡き夫の墓前にしゃがんだ。
「…あれから、もう何年も経ちます。ダヴィネス軍や、ましてやジェラルド様への恨みなどありません。私も騎士の妻でした。覚悟はできていたつもりだったのです」
「……」
カレンは黙って夫人の背中を見る。
夫人は、そっと墓標に触れた。
「…あの人の………温もりが、恋しい…」
心の底の底からの声だった。
夫人の頬を涙が伝う。
カレンもまた、泣いていた。
しばらくそうしていたが、夫人がおもむろに墓前に供えてある酒瓶を手に取ると、固く閉まったコルクを抜いた。
そのまま、瓶に口をつけるとゴクゴクとラッパ飲みをした。
カレンは驚く。
夫人はその酒瓶を、黙ってカレンに差し向けた。
カレンは急いで手で涙を拭うと、夫人から酒瓶を受け取り、自らも人生初のラッパ飲みをした。
…結構強いお酒だわ
カレンは瓶から口を離し、夫人へと返した。
夫人は受け取ると、またラッパ飲みをし、カレンへと瓶を差し出した。
そうして互いに無言のまま交互にラッパ飲みを続け、やがて酒瓶はカラになった。
夫人は、カラになった酒瓶を手に立ち上がった。
「はーっ! 久しぶりに飲んだっ」
カレンへ向けられた顔は、幾分スッキリとしており、もう警戒は見られない。
「あなた、かなりお強いわね、お酒」
夫人の口元には、僅かに笑みが表れている。
「…はい。あまり誉められたものではないですが」
夫人はカレンの言葉にふっと微笑んだ。
「まさか領主夫人と夫の墓前で飲めるとは思わなかったわ…ねえ、レディ カレン」
「はい」
「私、もう身動きが取れなくて…意地を張っていたの。慰霊祭には参加しないことが意思表示だと思ってたし」
「…はい」
それはカレンにもわかる。
「だからと言って、今年から慰霊祭に参加するとは言えないけれど…」
「……」
「でも、感謝します。レディ カレン。ジェラルド様は面白い方を娶られたことが、よくわかりました……きっとコンラードも笑ってるわ」
「???」
面白い方…よくわからない言われようだが、夫人の顔は朝日に照らされ、眩しそうにその目を細めていた。
・
慰霊祭当日。
ダヴィネス城は朝からおおわらわだ。
カレンは身支度を済ませると、礼服に身を包んだジェラルドの胸へ白と紫のアネモネの造花を着けた。
漆黒の礼服に着けたそれは、ジェラルドの胸を飾る沢山の勲章の中に、いかにも柔らかな赴きを添え、なんだか可愛らしくもあり、カレンは微笑んだ。
「はい、できました」
「ありがとうカレン…ずいぶん上手に作れるようになったな」
ジェラルドは、カレンの作った胸のアネモネを見て冗談めかした。
「何度も作れば少しは上達します…!」
少しムキになったカレンに、ジェラルドは微笑むと、その額へキスを落として抱き締めた。
ジェラルドは、そのまま黙っている。
「…ジェラルド?」
「…カレン、真夜中の墓地へ行ったそうだな、ひとりで」
カレンは短く息を飲んだ。
…ジェイコブ経由かしら…それともレディ パメラからフリード卿経由?
でも、怒ってはいないみたい…
「…タバサに会ったことも」
“タバサ”はコンラード夫人の名前だ。
誰経由にしても、ジェラルドには絶対に隠せない。わかっていたことだが…
カレンは観念した。
「ごめんなさい。また勝手なことをしました」
ジェラルドはカレンの顔を両手で包んだ。
「まさか。私はもはや身動きが取れなかった…ありがとうカレン」
カレンはまさかジェラルドに感謝されるとは思ってもみなかったので、驚いた。
聞き違いでなければ、ジェラルドはコンラード夫人と同じことを…“身動きが取れなかった”…と言った。
カレンは自らの行動がどのような結果になるのか、何にもならないのかは、わからない。しかし、少しでもジェラルドの心の痛みを分かち合えたなら…それでいいと思えた。
∴
青々とした芝生には、どこまでも戦没者の墓標が続く。
一際大きな、戦没者達の象徴の墓石にジェラルドが花輪を供え、最敬礼を取ると、空砲が撃たれた。
それを合図に、ダヴィネス中の教会の鐘が鳴らされ、黙祷を捧げる。
アンジェリーナは慰霊祭の式典には初めての参加で、空砲の音にはカレンに身を寄せてビックリしていたが、泣いたりはしなかった。
カレンは、集まった人々をぐるりと見回したが、コンラード夫人の姿は見つけられなかった。
∴
式典を終え、ダヴィネス城の城前の広場には、大勢の人々…ダヴィネスに住む人々…が、ビュッフェ形式の軽食やワインを楽しみながら、各々寛いでいる。
王都の軍部や近隣の領地からのゲストもあり、ジェラルドは対応に忙しくしていた。
カレンは手伝いの女性達と一緒に、追加の食べ物を出したりパンチ注いだりと、領主夫人の仕事が忙しい。
「奥様、ここは私達に任せてランチをお召し上がりくださいな」
ミス ジョーンズや周りのご夫人方に促されて、カレンも休憩することにした。
アンジェリーナはレディ パメラ達と一緒なので、カレンもそちらへ行き掛けて…
と、背後からザワッとした空気を感じて振り向くと…
「あ…!」
コンラード夫人だ。
少し居心地が悪そうにしている。
カレンはすかさず夫人の元へ駆け寄った。
「コンラード夫人、ようこそお越しくださいました…!」
まさか来てくれるとは思ってなかった。
夫人はカレンを見ると、遠慮がちに…しかしにっこりと微笑んだ。
「一歩、進んでみようかと思いまして…でもまだ式典には出づらくて…」
カレンはううんと首を振った。
「構いません。こちらに来てくださったのですもの」
「カレン」
ジェラルドだ。アンジェリーナを抱いているが、少し緊張した顔をしている。
「ジェラルド…夫人がお見えに」
カレンの言葉にジェラルドは頷くと、夫人へと近づいた。
「タバサ…久しぶりだ。来てくれてありがとう」
「お礼はあなたの奥様に…やっとあなたの顔をまともに見る気にさせてくれました…それに、」
とジェラルドの腕の中のアンジェリーナへと微笑む。
「こんなに可愛らしいお嬢様…あなたと同じ瞳なのね…コンラードが見たらさぞ喜んだでしょう」
「おばちゃま、だあれ?」
アンジェリーナがあどけなく問いかける。
「タバサです」
「わたしはアンジェリーナ・ダヴィネスです。よろしくね、タバサおばちゃま!」
アンジェリーナは全く臆せず、ジェラルドの腕から首と手を伸ばすと、タバサの頬へ可愛らしくキスをした。
タバサは一瞬目を見張った後、はらりと涙をこぼした。
「タバサ…!」
突然のことで、ジェラルドが慌てる。
「タバサおばちゃま、悲しいの?」
「いいえ、アンジェリーナ様」
「じゃあ、なぜ泣くの?」
「あなたに…あなたに会えて嬉しいからです」
タバサは泣き笑いの顔だ。
アンジェリーナは少し不思議そうな顔で父を見た。
「嬉しい時も、涙が出るものなんだ、アンジェリーナ」
「そっか…」
カレンはコンラード夫人に近寄ると、そっと肩を抱いた。
∴
「ラッパ飲み」
「え!?」
「タバサがあなたと酒のラッパ飲みをした仲だと言っていた」
一通りの慰霊祭の行事を終えたカレンとジェラルドは、宵の庭のガゼボで二人のお疲れ様会をしていた。
ジェラルドはフリード達を交えて、数年ぶりにコンラード夫人…タバサとゆっくり話せたそうで、「久しぶりにコンラードの弔いを皆でできた」としみじみとする。
コンラード夫人は、来年は慰霊祭にも参加すると約束してくれたそうだ。
ガゼボのテーブルには、二人のために今日の残り物(!)が適当に盛り合わせてある。
二人とも忙しく立ち回っていたので、落ち着いて飲み食いはしていなかった。
ジェラルドは、可愛らしいパンチ用のカップ二つにワインを並々と注ぐと、その一つをカレンに手渡した。
「ありがとうカレン。あなたの愛と勇気に感謝を…ラッパ飲みにも」
と、パチリとウィンクを投げた。
カレンは、もう!と膨れながらも、ジェラルドの嬉しそうな顔が見れて良かった、とホッとしながらワインに口をつけた。
「カレン、聞きたいんだが……」
ジェラルドは少しためらいがちに尋ねる。
「はい、なんでしょう?」
「あなたは夜の墓地が好きだというのは…本当?」
カレンは心内でため息をついた。
わかってはいたが、ダヴィネスでは何一つジェラルドには秘密にできないのだ。
レディ パメラからバラされたのは間違いない。
「はい。本当です」
正直に答える。
「私もだ」
「そうなのですか?」
「ああ。だからいつも夜中に墓標を巡っている」
カレンはジェラルドが徹夜で墓地を巡るのは、昼間は仕事があるからだと思っていた。
ジェラルドはカレンの驚いた顔を見てクスリと笑う。
「昼間の墓標は単なる目印に思えるが、夜の墓標からは、恨み辛みの他にも叱咤激励を感じるし…なんせ落ち着く」
辺境伯が背負う重みなど、カレンには計り知れない。
しかし、その感覚は不思議とカレンにも理解できた。
“魂と向き合える”
カレンは祖母の言葉を思い出しつつも、一方でジェラルドは相当変わっていると思った。もし祖母が生きていたら、ジェラルドとは気が合っただろう。
「ジェラルド様、来年から私も真夜中に墓地巡りをしたいです…ご一緒に」
カレンの言葉に、ジェラルドは穏やかに微笑む。
「夜通しだし…連日になるぞ?」
「構いません…んー、私はお昼寝しておきます」
ジェラルドはははっと笑う。
「では、来年は墓地でデートしようか」
「えっ」
いくらなんでもそれは…不敬ではなかろうか。
「二人きりで…」
ジェラルドはニマリと魅力的に笑う。
「数えきれない墓標に囲まれてます」
しかも、ジェイコブが目を光らせている。
「報告がてら、みんなに私達の仲を見せつけるのも悪くない」
ジェラルドは、戦没者をまるで存在する仲間のように言う。
それだけ、ジェラルドにとって近しい存在ということだろう。
でもみんなって、お墓の下の人達よね?もう、何を言ってるんだろう…
カレンは可笑しくなって笑い出した。
ジェラルドはカレンの笑顔を眩しそうに見ると、顎をすくって口を塞いだ。
「…あなたはいつも私を救ってくれる」
深緑の瞳が薄闇の中、ランプに揺らめく。
カレンは、その瞳をうっとりと見つめた。
翌年以降の慰霊祭の前、二人連れ添っての真夜中の墓標巡りの姿を、墓守りのジェイコブは感慨深く見守ったという。






