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ある“騒動”

「ジェラルド、落ち着いて聞けよ」


 ジェラルドの執務室へ、アイザックが血相を変えて入ってきた。


 ジェラルドは立ち上がった。

「どうした?まさかカレン達に何か?」


 フリードも何があったという顔だ。


「いや違う。とにかく落ち着いて聞け」


 ジェラルドは座った。

「…わかった。なんだ」


「さっき、門衛番から報告があったんだが…」


 ジェラルドとフリードに緊張が走る。


「お前の子どもだっていう少年が来てる」


 ジェラルドは少し間を置いて冷静に答えた。

「…有り得ない」


「ほんとか?」


「どうしたんですか、いつもならその手合いはさっさと追い払うでしょうが」

 フリードはなんだ今更、という風だ。


 ジェラルドは云わば有名人だ。今までも身に覚えのないことを言ってくる輩が無かった訳ではない。


「いやそれがさ…」

 アイザックの歯切れが悪い。チラリとジェラルドの顔を見る。


「はっきり言え、ザック」

 フリードが急かす。


「似てんだよ」


「何がだ」


「その子ども、ジェラルドに…」


 フリードがバッとジェラルドを見る。


「! なんだ、身に覚えはないぞ」

 さも心外だとジェラルド。


 フリードはふーむ、と考える。

「ザック、その子どもはいくつですか」


「12才って言ってる」


「となると、ジェラルドは二十歳そこそこか……あ!」

 フリードが閃く。


「?」「?」

 ジェラルドとアイザックは揃って疑問系だ。


「ジェラルド、覚えてませんか?確かその頃、薬を盛られたことがありましたよね…」


「薬?」

 ジェラルドは思案する。

「あったな…媚薬か」


 フリードは大きく頷く。


「あ、思い出した!俺も覚えてるぜ。確か…西部だよな。女も混じってた宴会で…」

 アイザックも思い出したようだ。


「しかし、最終的には何もなかったぞ」

 ジェラルドは記憶をたどる。



 ジェラルドが辺境伯となり、戦果を上げ始めた頃に遡る。

 大きな戦いに勝ち、勝利の宴の最中だった。


 西部には元から大きな街があり、ダヴィネス軍は快く迎え入れられた。その頃はまだ父の代からの騎士も数多くおり、なかなかはっちゃけた輩もいた。宴会にはその筋の女も多くいた。

 ジェラルドの噂を聞き、実物を目にした娼婦が宴会に紛れ込み、薬を盛ったのだ。

 薬は、毒ではなく媚薬だったが。

 幸い、体調を崩したジェラルドを介抱すると連れていった女に不審を抱いたアイザックとフリードによって事なきを得たが、やや危ない状況ではあった。

 それ以降、戦果を讃える宴会は大っぴらには行われていない。もちろん、女性を伴う宴会はご法度になった。


「確かあの時は…ジェラルドを縛り上げて部屋に閉じ込めました。薬が抜けるまで」

 フリードは遠くを見つめて記憶を思い起こす。


「そうそう。俺が見張りに付いたよ」

 アイザックは何やら懐かしそうだ。


「まだ若かった。代を継いでも当分は父世代の者には気を遣っていたな、あれ以降は遠慮しなかったが」

 ジェラルドも言葉を継ぐ。


「豪快な連中がいたからなぁ…鍛えられはしたけどよ」

 アイザックが懐かしさに浸る。


「今はそれより子どもですよ!ジェラルドに似た!」

 フリードが二人を現実に引き戻した。


 そうだった。


「とにかく当時ザックは第一発見者だった。その時の詳細を思い出してください」

 フリードは少し切羽詰まっている。


 誤りであればいいが、もし本当にジェラルドの落とし種ならば、間違いなくお家騒動だ。しかも男児であればなおのこと、後継者問題に関わる。

 いやそれよりも怖いのは…フリードは考えを振り払う。


「うーん、なんせ昔のことだからなぁ…俺とフリードが気づいた時には、すでに女に部屋に連れ込まれてたよなぁ?」


「ええ、既にジェラルドの正体はない状態でした」


「事には至って無かったのは確かだ。但しトラウザーは脱がされてたぞ」


「……」

 ジェラルドは黙って聞いている。なんせ媚薬で意識が飛んでいたのだ。

 ただ、焼け付くような飢えた感覚は覚えている。


「ザック、ズバリ聞きますが、射精の有無は?」

 フリードはもはや包み隠してなどいられない。


「うーん、はっきりとはわかんねーな。もしかしたら一回くらいは抜かれてたかも。相手は娼婦だったし」


「いやしかし、そんな感覚はなかったと覚えている」

 いやに真面目にジェラルドが話す。


 フリードは大きなため息を吐いた。

「ジェラルド、あの時あなたは意識が混濁して普通の状態ではなかったんですよ。言い切れないと思いますよ」


「でもジェラルドが居なくなってから見つけるまではそんなに時間経ってなかったと思うぜ。それはフリードも覚えてるだろ?」


「…ええ。わずかな時間ではありましたが…」


「でも相手はプロだからな…」

 アイザックは半ば諦めたような口振りだ。


「ザック、事は重大なんですよ!思ってるよりずっと」

 のらくらと話すアイザックを睨み、フリードはゴゴゴ…と音を立てそうな勢いだ。


「まぁ待て。とにかくその子どもに会おう…どうしているんだ?」


「会うのか!?」「会うんですか!?」

 アイザックとフリードは二人して声を上げてジェラルドを見た。


「…ああ。何か問題があるか?」


 フリードは、ああもう!と頭を抱えた。

「まだ何もわからないうちは会わない方がいいですよ。偽物なら裏があるし、恐ろしいですが例え本当にあなたの子どもでも、今現れた意図があるはずです」


「今は兵舍の一室にいるよ。食うも食わずって感じでずいぶん痩せて、身なりも構ってなかった。とりあえず食べさせて身綺麗にさせてる。その後は口が固い部下が話を聞く手筈だ」

 アイザックも報告する。


「そうか…」

 ジェラルドは複雑な顔だ。


「ジェラルド、どこまで話が広がってるかはわかりません。…カレン様のお耳には入れたくはないですよ」

 フリードは最も恐れていることを口にした。


 ジェラルドはフリードを睨んだ。

「当たり前だ」


 しかし、悪事千里を…の諺のごとく、ダヴィネス城に噂は瞬く間に広がったのだった。


 ・


「隠し子???」


 ニコルはビックリ眼だ。


「しーっ!おっきな声を出さないで!」

 同僚の侍女が思わずニコルの口を押さえた。


「わ、わはった(わかった)」

 ニコルは口を押さえられたまま答えた。


 ニコルはカレンの朝の身支度を整え、ランドリールームへと降りてきた所で話を聞いたのだ。


「昨日、ここ(ダヴィネス城)へ現れたらしいの。今は兵舍で様子を見てるって」


 情報通の同僚は、どこからそんなことを聞いてくるのだろう。

 ニコルは不思議に思いながらも、聞かなければよかったと、すぐに後悔した。


 …隠し通せるかしら…


 カレンは人の表情をよく見ているし、勘が鋭い。

 ほぼ1日一緒に過ごすニコルにとっては苦行かも知れない。


 それにしても、ジェラルド様に隠し子??

 あんなにカレン様にベタ惚れなのに?


 ニコルはにわかには信じられない。


 いずれにせよ、ニコルは知らぬ存ぜぬを貫くことを決心した。


 ∴


「戻りました」


 ニコルは子ども部屋に戻った。


 領主夫妻の第一子、アンジェリーナ様は今年2才になられる。

 お生まれの折りは大変な難産だったが、カレン様もアンジェリーナ様も今はお健やかにお過ごしだ。


 ニコルはとても嬉しい。


 アンジェリーナ様はカレン様と同じツヤツヤのダークブラウンの御髪に、ジェラルド様と同じ魅力的な深緑の瞳をお持ちで、お二人に似てお美しく、大変利発なお嬢様だ。

 最近とみにご活発で成長著しい。

 時にナニーの手を焼くほどになられ、最近従騎士のティムが専属の護衛兼遊び相手に就いた。


 今は、ジェラルド様がお忙しい中お越しになり、アンジェリーナ様を抱っこしている。


「また重くなったか?アンジェリーナ」

「ふふ、よく動くのでよく食べています。ティムにもすっかり懐いて…でも、昨日はティムに積み木を投げてケガさせてしまいました」


 控えるティムは、額に貼り薬を付けている。

「いえ、自分は大丈夫です」

 ティムは笑っている。


「すまないな、ティム。世話をかける」

「とんでもないです。…昨日は立派なお城が作れなくて…」

 眉を下げ、申し訳なさそうだ。


 ティムは従騎士だが、異例の出世株と聞いている。優しい気性で、アンジェリーナ様とも根気よく遊んでくれる。



「我が儘が過ぎるなら怒ってやってくれ。あまり甘やかしたくはない」


「!」「!」


 カレンとニコルは目を合わせて、同時に吹き出した。


「なんだ?」

 ジェラルドは不思議がる。


「だってジェラルド、そうおっしゃるあなたが一番アンジェリーナを甘やかしているのに…」


 ジェラルドは「そんなはずはないぞ」とアンジェリーナに額を付けて呟くが、

「いや、確かに甘やかしているな…」

 アンジェリーナの額にキスをした。


 アンジェリーナはキャッキャと嬉しそうだ。


「カレン、あなたも甘やかしたい」

 カレンを熱い眼差しで見ると、アンジェリーナをティムに渡し、カレンを腕の中に収めてキスした。



 お二人の熱さは年々増している。

 今ではニコルもすっかり慣れっこだが、ティムには目の毒かも…と、横目でティムを見ると、ニコニコとしている。

 …まぁ、まだ子供だものね、ティムも。


 それにしても…とニコルは同僚の侍女から聞いた“ジェラルド様の隠し子”なる話を思い返していた。


 全く無い話ではないとは思うが、このお二人の姿をつぶさに見ていては、実感がわかない。わかないどころか、なんの冗談かと思う。

 大きな騒動にならないといいけど…。


 と、ノックとともにアイザック卿が現れた。

「姫様ごめん!ジェラルド、ちょっといいか」


 少し焦っている。


「どうした」


 カレンすまない、と言うと、ジェラルド様は扉の外へ出てパタンと閉めた。


「…例の……会いたいと……」


 ニコルは最大限に聞き耳を立てた。

 アイザック卿がボソボソと話す声が聞こえる。


「ニコル」

 だめよ、とカレン様が囁く。

 ニコルは肩をすくめた。


 いやしかし、おそらくは例の隠し子のことだ。


 ガチャリと扉が開くと、ジェラルド様が顔を出した。

「カレン、すまないが戻らなくてはならない。またディナーで」


 カレン様は頷きながらにっこりと微笑み、ジェラルド様は足早に去った。


 …怪しい。


「さて、お散歩に行きましょうか?アンジェリーナ」

「おしゃんぽ~」


 お散歩は午前中の日課だ。

 アンジェリーナ様はご機嫌で、ナニーの手を借りて散歩の準備をはじめた。


 ニコルはカレンの散歩の準備をしながら、隠し子に関する確かな情報源を思案していた。


 ∴


「ハーパー」


 その日の午後、アンジェリーナ様はお昼寝で、カレン様は図書室へ来ていた。


 侍女の仕事は一段落で、図書室の扉の前で控えている所へ、カレン様の護衛番のハーパーがタイミング良く現れた。


「ニコル、レディは読書中かい?」

「ええそうよ」

「わかった」

 ハーパーが図書室へ入ろうとした所、ニコルはその腕を捕まえた。


「え?何?ニコル?」



 ハーパーとニコルは婚約中だ。

 職場恋愛とも言えるが、実際はハーパーの根気良い口説き落としにニコルが折れた。ゆえに、ニコルはハーパーには遠慮がない。



「ジェラルド様の隠し子のこと、何か聞いてる?」

 ニコルはズバリと聞いた。


 ハーパーは一瞬「えっ!」という顔をしたが、すぐに真顔に戻った。


「い、いや、僕は何も…」

 ハーパーは目を逸らせる。

「ほんとに?」

 ニコルは詰め寄る。

「僕からは何も言えないよ。わかるだろ」

 それはそうだが、ニコルは領主夫人の侍女だ。

「私だってカレン様に嘘は言えないわ」


「嘘ってなあに?」


「「!!!」」

 ニコルとハーパーは飛び上がるかと思った。


 図書室の扉から、カレンがひょっこりと顔を出している。


「二人とも声が大きいんだもの」

 クスクス笑う。


 …やはり、カレン様に隠し事はできないのだ。

 ニコルは心内でため息を吐いた。


 ∴


「ジェラルドの隠し子?」


「…はい」


 カレンの部屋。

 午後のお茶を飲みながら、カレンはニコルとハーパーに話を聞いていた。


「…そう」

 カレンは静かにお茶を飲む。


 怒ってはおられない。極めて冷静だ。

 でも、お菓子に手を付けていない。

 ニコルは長年の経験から、主の心中を察する。


「ジェラルド様が会われたと聞いています」

 ハーパーは緊張している。


「…私も会ってみたいわ」

 カレンがポツリ、と呟く。


「!? 奥様?」

 ニコルは慌てた。ハーパーもギョッとしている。


「だって…本当にそうなら、アンジェリーナのお兄さんってことよね?」


「レディ、まだ決まった訳では…」

 ハーパーはだらだらと汗をかいている。


「ねぇハーパー、悪いけど…ジェラルドにお伝えしてくれるかしら?」


 ニコルは隣の婚約者を気の毒には思ったが、お互い領主夫妻に仕える身だ。同情はしない。主の命は絶対なのだ。余程のことがない限りは。


 ただ、カレン様の真意は掴めない。

 これが我が主の、見た目に反して頼もしくも恐いところだった。


 ・


 執務室では、ジェラルド、フリード、アイザックが頭を抱えていた。


 ジェラルドはつい先ほど、フリードの立ち会いのもと、ジェラルドの子どもを名乗る少年と会ってきた。


 フリード曰く、なるほど、ダークブロンド、深緑の瞳、長身なところなど、ジェラルドに似ている。

 ただ、顔立ち自体はさほど似てない。


 年の割には痩せており、今までの生活が伺い知れた。


 話を聞いた騎士にも確認したが、母親は娼婦で最近亡くなり、いまわの際に父が誰かを明かしたとのことで、西部からはるばる来たということだ。


「…やっぱアノ時のってことだよな…」

 アイザックはソファでぐったりしている。


「いや、決定打はないですよ。なにかコレという証拠がなければ」

 フリードはおいそれとは認めるわけにはいかない。


 ジェラルドは、少年と対面した時のことを思い返していた。

 緊張はしていたが、興奮も、怒りも悲しみも、喜びも感じられなかった。

 ただ、焦りは見て取れた。

 目もあまり合わそうとはしなかった。

 あれでは尋問される兵士だ。

 実の父かもしれない相手に、加えて十数年省みなかった相手を前に、あの態度はどうなのだ。


 コンコン

 執務室のドアがノックされた。


「ハーパーです」

「入れ」


「失礼します」


「どうした、今日は確か…姫様の護衛番だろ?」

 アイザックが声を掛ける。


「カレンに何か?」

 ジェラルドの目が厳しい。


「い、いえ、レディからご伝言をお預かりしました」


 3人は顔を見合わせた。


「言ってみろ」

 ジェラルドが促す。


「『私もその男の子に会いたい』とのことです!」


「「「!」」」


「バレましたね、ジェラルド」

 フリードがはぁーと大きなため息を吐いた。


 ・


「私なら…たぶん、わかると思います」


 執務室には、カレンとニコル、ハーパーもいた。


「…失礼ですが、カレン様、なぜですか?」

 フリードが疑問をぶつける。


「なぜって…」

 カレンはうーんと考える。


 カレンを除く部屋の中にいる全員が、頭上に「?」マークを掲げていた。

 ジェラルドさえも。


 長年ジェラルドと行動を共にするフリードやアイザックも、少年がジェラルドの実子か否かの判断はつかなかったのだ。


「そうですね、敢えて言うなら…“瞳”かしら」

 カレンはジェラルドの瞳を見ながら答えた。


「…いいだろう。カレン、会ってみて」


「ジェラルド!」

 フリードが慌てる。

 “隠し子”の審議を夫人がするなど、聞いたことがない。


「フリード卿、安心してください。もし本当にジェラルドの子どもなら、私もきちんと認めますから」

 その顔に偽りは認められない。


「…姫様、怒らねーのかよ」

 アイザックが疑問をぶつけた。


「ザック!」

 今度はジェラルドが慌てる。


「うーん、私と出会う前のジェラルドのことは、私にはわかりません。ジェラルドも“いろいろ”お有りだったとは思いますし、それは消せない事実だし…私には受け入れるしかありません」

 カレンはさらりと言った。


「………」

 ジェラルドは、ものすごく複雑な顔だ。


 “いろいろ”


 フリードとアイザックは居心地悪く目を反らした。


 ・


「初めまして。私はカレン・ダヴィネスです」


「あ…うん」


 兵舍の一室。


 カレンはくだんの少年と、小さな机を挟んで向かい合わせに座っている。


 部屋には、ジェラルド、フリードとアイザックが立ち会っていた。


「ちゃんと挨拶しろよ」

 アイザックが少年をせっつく。


「あ、いいのよアイザック卿。こんなに大勢大人がいたら緊張するもの」

 カレンがとっさに庇う。


 カレンは少年を観察した。

 12才という話だが、明らかに栄養が足りていない。顔色も良くない。アンジェリーナの護衛のティムと同じくらいだろうが、どう見ても細過ぎる。

 顔つきは…ジェラルドにもベアトリス様にも、アンジェリーナにも似ていない。

 もう少し太って…表情が変化したら似るのかしら…。

 少年は、ジェラルドから事前に聞いていたとおり、表情が極端に乏しい。今までの生活環境の影響もあるだろうが、何かに怯えている…?


「お名前は?」


「デヴィッド」


「デヴィッド、ここまではどうやって来たの?」


「農家の荷馬車に乗っけてもらったり、歩いたりした」


「そう…」

 もしジェラルドの実子なら、アンジェリーナと比べてなんという差だろう。

 カレンは悲しくなる。


「あんた、俺を追い出したいんだろ?」


 え?


「おい、口を慎め」

 アイザックが制する。


「いえ、いいのよアイザック卿。デヴィッド、なぜ私があなたを追い出すの?」


「だって、あんたは領主様の奥方様だろ?俺がいたら、邪魔だ」


 …まあ、普通そう思うわよね。

 無表情な顔だが、瞳の色はなるほどジェラルドとよく似ている。ただ…底知れず冷たさが漂っている。


「俺は娼館育ちだ。俺の母ちゃんは、死ぬまで体を売ってた。そんな俺が領主様の子どもだなんて、あんた悔しいだろ」


 デヴィッドと名乗る少年は、ぐっと体を乗り出して、憎々しげにカレンを睨む。

 初めて表情が変化したのをカレンは見逃さなかった。


 !

 この瞳は…!


「おい、レディに近づくな」

 今度はフリードだ。


「チッ」

 デヴィッドは品悪く舌打ちをした。


 と、カレンは突然デヴィッドの顔を両手で挟むと、グッと顔を近づけた。


「カレン!?」


 3人が一斉にギョッとする。


「ッ!」

 デヴィッドもカレンの急な行動に抵抗出来ずに目を丸くしている。


 カレンは、そのライトブルーの瞳を据えて、デヴィッドの瞳を穴が開くほど見つめる。


「っ!離せよっ!」

 デヴィッドがたまらず顔を背けた。

「…何なんだよ…」

 一転、デヴィッドの目は怯えた表情を浮かべた。


 ふう。

 カレンは息を吐いた。

「…あなたはジェラルドの子どもではないわ」


「やっぱり俺が居たら邪魔なんだろっ!なんか証拠があんのかっ」


 部屋の中に緊張が張り詰める。


「証拠ね…」


 カレンはずいっと、またデヴィッドに顔を近づけた。


「あなたの瞳、ジェラルドによく似てるけど、全然違うの」


「?」

 デヴィッドはなんのことかわからない顔だ。


「ジェラルドの瞳はね、驚くほど変化するの。ただ深緑というだけではなくて、怒れば色が濃くなるし、気持ちが昂ると波打ったり…本当に近くで見なくてはわからないけど、ダヴィネスの夜明けの山とか、秋の平原みたいな金色の不思議な光彩があるのよ。それは妹君のベアトリス様や娘のアンジェリーナにもあるの。恐らくダヴィネス家に引き継がれてる珍しい瞳だと思うわ」


「この少年は違うと?」

 ジェラルドが尋ねる。


 カレンは頷く。

「ええ。さっき気づいたけど、瞳の色合いも違います。あと…」


「あと?」


「彼の髪の毛、上手にダークブロンドに脱色してるけど、根元は色が違うわね。本当は恐らく私のような濃い色よ」


「え!?」

 アイザックはデヴィッドに近づくと、頭をかき分けた。

「…ほんとだ」


「チッ、もっとちゃんと脱色しとくんだった」

 デヴィッドはボソリと呟く。


「なんだと!?」

 フリードが少年の胸ぐらを掴んだ。


「バレねーと踏んだけど、バレても金になるとは思ったのによ。やれ瞳だ髪だって、ったく女はこえーよ…うわ!!」


 フリードはものも言わずに、そのままデヴィッドを引きずって部屋を後にした。


「フリードのやつ…珍しく本気だぜっ!」

 アイザックも後を追う。


 部屋にはカレンとジェラルドの二人きりだ。


「…カレン、手間を掛けた」


「いえ…決め手は髪の毛だったみたいですね」

 カレンは沈んだ面持ちだ。


 ジェラルドは心配になり、近寄り腕に手をかけようと…


 カレンはさっと身をかわした。


「カレン?」


「なんだか、疲れました。申し訳ありませんが失礼します」

 感情の乗らない声で言うと、ジェラルドとは目を合わすことなく部屋を去った。


 部屋から出てきたカレンを見て、ニコルは心配になった。

 お顔色が悪い。


「行きましょ、ニコル、ハーパー」

「「はい」」

 二人は困ったように顔を見合わせたが、そのままカレンの後へ続いた。


 ・


 カレンはそのまま自室のベッドへ寝転んだ。


 …デヴィッドと名乗った、あの少年の怯えたような目が忘れられない。


 話のほとんどは恐らく本当だろう。過酷な環境で、娼婦の母に育てられたこと…。


 カレンは両手で顔を覆った。


 …関わらなきゃよかった。


 真相とは逆のことになった方がまだマシだったかも知れない。


 それ程に、カレンは落ち込んでいた。


 恐らく、執務室で聞いた、過去にジェラルドに疑惑がかかるようなことがあったと知った時からだ。事情があったことだし、むしろジェラルドは被害者なのに、モヤモヤした。

 カレンは口では何とでも言えるが、心内は穏やかではいられなかった。

 デヴィッドのことは…


「はあぁぁ…」

 カレンは深いため息を吐いた。


 母となった今、彼を悪者にしてしまったことが後ろめたい。


 自分のしたことが良かったとはとても思えない。


 とてもじゃないけど、ジェラルドに会わせる顔がないわ…


 一方ジェラルドは…


 執務室でムッスリした顔のまま仕事をしていた。


 久しぶりに「冷たいカレン」に会った。

 ジェラルドにはこれが最も堪える。


 デヴィッドには、当面軍で働かせることで、領主を騙そうとした罪を償わせることにした。

 性根を叩き直し、太らせ体力を付けてから解放する。

 罪に対しては甘い裁量かも知れないが、生まれた環境を選ぶことができない子供へのせめてもの配慮だ。

 フリードには甘過ぎると言われたが…


 ジェラルドはふーっと息を吐き、宙を見上げた。


 デヴィッドに私の瞳のことを熱く語るカレンと私に触れられるのを避けたカレン…


「ジェラルド、“騒動”のお陰で仕事が溜まってます。手を動かしてください」

 フリードがジェラルドの様子を見かねて声を掛けた。


「…わかっている」


「あと、これは予想に過ぎませんが…」


「なんだ」

 ジェラルドの機嫌は斜め下だが、フリードは慣れたものだ。


「恐らく、カレン様は子どもを追い詰めた後ろめたさがお有りではないかと思いますよ」

 あくまで予想ですから、と付け加え、フリードは仕事に戻った。


 後ろめたさ…か…


 ジェラルドはしばらく考えた後、仕事を再開した。


 ・


 カレンは、自室のバスタブにつかっていた。


 ジェラルドと顔を合わせづらいので、料理長のオズワルドには悪いが、ディナーはパスした。


 ジェラルドはひとりでディナーを済ませると、その足でカレンの自室へと赴き、そっと扉を開けた。


 ニコルがハッと振り向き、ジェラルドだとわかると、わかりやすく安堵の顔をした。


「…今、おひとりでご入浴中です」


 ジェラルドは頷くと、後ろに控えたモリス…カレンのディナーをワゴンに乗せた…を部屋へ入れた。


 ローテーブルにモリスとニコルで配膳を済ませ、二人は一礼して部屋を去った。


 カレンの世話に関しては、余程手のかかる着付けのドレスを除けば、ジェラルドに任せて安心だ。

 ニコルはその後の展開も想定内で、さっさと去った。


 ジェラルドは上着を脱ぎ、シャツの袖を捲ると浴室へ向かう。


「…ニコル?そろそろ上がるわ」


 カレンは湯気の立ち込めた中で、バスタブから立ち上がり、振り向く。


「!」


 そこには、両手にバスタオルを広げたジェラルドが立っていた。


 カレンはとっさに再びパシャリとバスタブへしゃがむ。


「…上がらないのか?」

 口元に笑みを浮かべている。


「ジ、ジェラルドッ、どうして居るの??」


 さすがに突然のことに、カレンは慌てる。


「…あなたがディナーに現れないから…」

 と、ローテーブルを指差す。


 ああ…本当にこの人から逃れるのは絶対に無理ね…


「さあおいで、カレン」


 カレンは諦めて立ち上がり、ジェラルドに手を持たれてバスタブから上がった。


 そのまま、広げられたバスタオルへと近づくと、バスタオルごとジェラルドが抱き締めた。


「…捕まえた」

 滑らかで低く、甘い声が耳をくすぐる。


「…ごめんなさい」

 またジェラルドに手間を掛けさせてしまった。

「…私、今日は余計なことをしました…」

 抱き締められたまま、呟く。


「なぜ?私は嬉しかった」


 カレンはジェラルドを見上げる。

 そこには、カレンを包み込む深緑の瞳。


「…波打ってる?」

「!」


 “気持ちが昂ると波打ったり”


 確かにカレンは少年に言った。


「…少しだけ」

 カレンは控え目に言う。


「少し?本当に?」


 本当は…少しどころではなく、カレンを見つめる瞳は、熱を帯びてゆらゆらと波打っている。


 身動きの取れない体勢で抱き締められていては、何もかも見透かされそうだ。


 カレンは思わずムムム…と上目遣いでジェラルドを睨んだ。


「ははっ、まるでアンジェリーナみたいだぞ」

 ジェラルドは笑いながらカレンの額へキスを落とした。


 そして、口を塞ぐ。


 キュルル…


 カレンのお腹が空腹を知らせる音だ。


 口付けたまま、二人は目を見合わせた。


 ジェラルドがたまらずクスクスと笑い出す。

「あなたのお腹は、いつも本当に正直で可愛い」


 子ども扱いされ、カレンは気恥ずかしさに頬を染めた。

 …私、一児の母なんだけれど。


 ジェラルドは鼻唄でも歌いそうな機嫌の良さで手早くカレンの体を拭くと、バスローブを着させ、ウエストを結んだ。


「遅くなったがディナーだ」


 ソファに並んで座り、カレンはディナーを、ジェラルドはワインを楽しむ。


 ひととおり食べ終え、カレンもワインを飲む。


「…私、嫉妬しました」

 カレンは手元のワインを見つめた。

「頭ではわかっていても、例えジェラルド様のせいではなくても…ジェラルド様の過去に嫉妬したんです」


 ジェラルドはいたわるように微笑んで、カレンの話を聞く。


「あの少年…デヴィッドがあなたの子どもではないとわかってから、あなたの過去に関わるべきではなかったと、ひどく後悔したのです…ましてや、とても満たされているとは言えない子どもに対して、子を持つ母として、やりきれなくて…」


「カレン」


「あの子が、ジェラルドの子どもだった方が良かったのかもと思ったくらいです」


 カレンはジェラルドを真っ直ぐに見る。


 ジェラルドはワイングラスをローテーブルに置くと、バスローブ姿のカレンを横向きに膝に乗せた。


 カレンの小さな顔を片手で包むと、ゆっくりと上へ向かせる。


 カレンはジェラルドのシャツ越しの硬い胸に手を置いた。


「カレン、デヴィッドは我らを騙そうとした。これは覆せない真実だ。あなたがいなければ、とんでもないことになっていたんだ…私をよく知るあなたがいたからこそ、彼には真っ当になるチャンスを与えることができたと思っている」


「ジェラルド…」


「以前、媚薬を盛られたのは…私の不覚のいたすところでしかない。油断していた。まさかこんな形で仇なすとは…」

 珍しく、悔しそうな顔をしている。

「心配を掛けた。すまない」


 カレンは、首を横に振った。

 ジェラルドは何も悪くない。


「…媚薬って、どうなるのですか?」

 カレンは好奇心で聞いた。


 ジェラルドは思い出すように少し考える。

「まずは、体が熱くなる。息も上がる。酒と一緒だと余計に」


 カレンは頷く。


「次に…焼けるような、飢えた感覚に襲われる。私の場合、そこで意識が朦朧とした」


「…女性が欲しくなる感覚?」

 カレンは好奇心のまま問う。


「ごまかす訳ではないが…『欲しい』という感覚とは別物だったように思う。ただ、自分の体の中から“自分ではない何か”に支配されていたのは確かだ」

 ジェラルドは至って真面目に答えた。


 カレンはなるほど…と思う。

 媚薬など見たこともましてや飲んだこともない。

 本当に存在して、しかも盛られたなど想像もつかなかった。


「では…『欲しい』って、どんな感覚なのですか?」

 カレンは、ごく自然な疑問を口にしたつもりだった。


 だが、ジェラルドはそうは捉えなかった。

 その証拠に、カレンを見るジェラルドの瞳がみるみる内に揺らめき始めたのだ。


「ジェラルド?」


「…まさに、今『欲しい』感覚だな」

 挑戦的に微笑むと、カレンの口を塞ぐ。


 ジェラルドの深い口付けに応えながら、カレンは、あぁそうか…と溶けそうに思考を奪われる。


 気づけば、そのままベッドへ運ばれていた。


 ジェラルドによって着せられたバスローブは、ジェラルドによって脱がされる。


「…カレン、あなたが私の媚薬だから」

 と、体中にキスをされる。


 熱くなり、息が上がり、飢えたように…まさにカレンもその状態だ。


「ジェラルド…よく…わかったわ」


 だから、早く…


 カレンの声にならない声は、確実にジェラルドを狂わせ、そしてカレンを追い詰める。


 熱い二人を前に、“騒動”は、“騒動”にはなり得なかったのだった。

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