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愛しのガヴァネス(4)

 ダヴィネス城の正餐室では、今夜も高貴なゲストのための趣向を凝らしたディナーだ。


 正餐室と繋がったラウンジでは、先にジェラルドとウィンダム公が食前酒を楽しんでいた。


「ウィンダム公、今日はもう一人ゲストがいます」


「それは楽しみだ。…もしかして、私の望みを叶えてくれるのかな?」


「それは会ってのお楽しみ、ということで」

 ジェラルドは思わせ振りな顔で微笑んだ。



 モリスの呼び掛けで、男性二人は先に正餐室へ移動した。


 ほどなくして「ジェラルド様、いらっしゃいました」とモリスが扉を開け、ジェラルドが扉へと向かう。

 同時にウィンダム公は立ち上がった。


 ジェラルドは片手でカレンを、そしてもう一方でステラ・パウエルをエスコートした。


 正餐室にステラが現れた時のウィンダム公の驚いた顔をカレンは見逃さなかった。


 それは、今まで見たこともないような、プレイボーイの又従兄弟の“素”の顔…呆気に取られていると言っていいだろう。

 しかし、その顔は直ぐに元の取り澄ました紳士の顔へ戻った。


「ウィンダム公、ご紹介します。娘のガヴァネス、ミス ステラ・パウエルです」


 ステラは紹介したジェラルドの手を離れると、ウィンダム公に淑女の礼を取った。


 ステラの装いは晩餐用とはいえ、真面目な彼女らしい華美ではないドレスだ。しかし彼女ならではの独特の美しさは隠しようがない。


 輝くような蜂蜜色の肌、アップにされた艶やかな黒髪、長いネックラインから僅かに覗くデコルテ…長く濃い睫毛に縁取られた、異国情緒漂うエメラルドグリーンの瞳…まるで彼女そのものが稀有な宝石とばかりに、正餐室の燭台に照らされている。


「ご無沙汰しております、ウィンダム公」


「……」


「閣下?」


 何も返さないウィンダム公に、カレンは思わず声を掛けた。


「これは…一本取られたと言うべきなのかな…」

 ステラを見つめたまま、ウィンダム公はポツリと呟く。



 ひとまず全員が席に着き、ジェラルドが乾杯の音頭を取る。


「思われるところがあるのは重々承知の上で…まずは今宵の晩餐を楽しみましょう」

 ジェラルドが釘を刺す。


「…美しいガヴァネス殿への質問はOK?」

 グラスを掲げたまま、ウィンダム公は確認する。


 これにはカレンが返した。

「常識の範囲内であれば」


「了解」

 ウィンダム公は爽やかな笑顔を見せた。


 一見穏やかだが、実は狸の騙し合いのようなディナーが始まった。



 ジェラルドは城主の席で、左右にカレンとウィンダム公が座る。ステラはカレンの隣だ。


 ウィンダム公はさすがに場を取り持つ術に長けており、約束のとおり、ステラにはごく当たり前の質問しかせず、過去には全く触れない。


 いつからダヴィネスのガヴァネスに就いたか、とか、アンジェリーナの勉強の進み具合について、とか、ダヴィネスの生活はどうだ…等々。

 まるで古い友人に接するような態度を崩さなかった。


 しかし、カレンは見逃さなかった。

 というか、ディナーの間中、ちょっと信じられない気持ちでいたのだ。


 なぜなら、シャンパンでの乾杯以降、カレンの正面に座るウィンダム公の視線は、ともすればカレンの隣のステラへと移る。

 しかも公の瞳はまるで獲物を狙う鷹のような時もあれば、眩しそうにしている時もある。その上、いつもは冷たいとも評されるインディゴ・ブルーの瞳が熱を帯びているのだ。


 こんなにわかりやすいなんて……


 カレンは、ふと兄のショーンの軽口を思い出す。


 ~


[ 目の奥が笑ってない選手権 ]

 1位…父上

 2位…陛下

 3位…ウィンダム公


「父上は元々の顔立ちもあるが…仕事柄の習性だな。しかし笑ってないようで、実は笑ってる時もたまにある。これがわかるのは恐らく母上と私だけだ」

「陛下もなの?」

「まあな…しかし昔ほどではなくなった気がする。お年を召されて丸くなられた」

「ウィンダム公は…うん、私でも納得するわ」

「ははっ、仮面を被るのがもはや当たり前なんだよ、公は。長く独り身でいるとああなるいい例だ」


 ~


 仮面が剥がれたご自覚は、あるのかしら…


 カレンはワインを一口飲んだ。


 対してミス パウエルは…と、チラリと隣を伺う。


 質問には的確に答えるが、公の視線にも全く動じずに優雅にディナーを取っている。

 しかもカレンと目が合うと、ニッコリと微笑む余裕まであるとは!


 元は社交界で“孤高の伯爵令嬢”と呼ばれたカレンだったが、目の前の二人の肝の太さ(いや、面の皮の厚さかもしれない)に、驚くやら呆れるやらで、それを悟られないようにするのが精一杯だった。



 デザートと珈琲まで終えると、そろそろお開きの時間となった。


「今夜も素晴らしい晩餐をありがとう。ダヴィネス伯、レディ カレン」


 ウィンダム公は満足そうだ。


「ご満足いただけたなら何よりです」


「……ところで、ダヴィネス伯」


「はっ」


「この後、是非ともミス パウエルと話す時間をいただきたい…二人きりで」


 ジェラルドは眉を上げ、カレンへ視線を投げた。

 カレンは眉を下げ、ジェラルドに頷く。


「…それはむしろ、私達よりミス パウエルにお聞きください」


ジェラルドが答えると、ウィンダム公は改めてステラへと顔を向けた。


「ミス パウエル…」

 ウィンダム公は鋭くも請い願うような視線でステラを見つめる。


「…構いません」


 ステラは、ウィンダム公とは目を合わせずに答えた。


 ・


 ステラは、再びオーブリィ・ウィンダム公爵と相見えたなら…と、考えたことはある。


 成長する息子の顔が会うたびに父親に似てきている事も、ステラの心に波風を立てた。


 かつてステラは、ウィンダム公にあっという間に恋に落ちた。


 その容姿やスマートで洗練された雰囲気や所作にというより、たまに見せる、外向きではないふとした微笑みや、美しいインディゴ・ブルーの瞳の奥の奥に宿る孤独な揺らぎが、ステラの瞳を覗く時は、ふいに温かさに緩む…そんな“らしくない”所に惹かれた。


 ふと胸の内に現れる思い出に、日々蓋をしながら忘れたふりをして、ステラは10年の時を過ごした。


 ・


 カレンは「何かあれば、扉の外に護衛を控えさせていますから」とステラに告げると、応接室を後にした。


 扉が閉まり、部屋にはウィンダム公とステラの二人きりだ。


 ウィンダム公はおもむろにディナージャケットを脱ぐと、ソファの背もたれへ置いた。


「掛けたら? ミス パウエル」


「……」

 ステラは黙ったまま、ソファへ浅く腰掛けた。


 ウィンダム公は座らず、キャビネットへ歩くとあまたあるボトルの中から一本選び、二つのグラスへと琥珀色の液体を注いだ。


 グラスのひとつをローテーブルのステラの目の前にゆっくりと置く。


「どうぞ」


 自分は立ったままグラスへと口を付けた。


 ステラは微動だにしない。


 ウィンダム公はそんなステラの様子を見て、クスリと笑うと、ステラの向かいにゆったりと腰掛けた。


「久しぶりだね、ステラ…いや、ザヴィリア」


 もうひとつの名前を呼ばれたステラは、ゆっくりとウィンダム公の顔を見た。


 互いの鮮やかな色合いの瞳がぶつかる。


 ステラのもうひとつの名前を知る者は、今や目の前の男だけだ。その名を呼ばれると、全てを見透かされたようで不安になる。

 しかしステラは、その名前で呼ばないで、とはどうしても言うことができない。


「…目的は…」


「ん?」


「目的は、一体なんなのですか…?」


「目的?…目的か…」

 そうだな、とウィンダム公は宙を見て考える。

「あえて言うなら…私の息子に会うこと、かな」

 試すような余裕の微笑みを漏らす。


 ステラは息を飲むと同時に、大きく目を見開いた。


「いや、違うな」


「???」


「君の、その瞳を見たかった」


「な、……!」


「まあ、そう警戒しないで。何も取って食いやしないよ」


 ステラは何も言い返せない。


 今のステラは、まさに鷹に追い詰められたひ弱な鳥そのものだ。

 どこにも飛び立てない鳥…。


 ステラは緊張を紛らわすように短く息をつくと目の前のグラスを手に取り、一口だけ琥珀の液体を飲み下した。

 まるで、もう隠すことはできないと責めるがごとく、ヒリヒリとした刺激が喉を下る。


 ウィンダム公は、ステラの様子をじっと見つめる。


「…君がこんな濃い酒を飲めるようになったんだ…随分と時が経った」

 どこかしみじみとした物言いだ。


「息子を…どうなさるおつもりですか…?」


 やっとのことで、ステラは恐る恐る聞く。

 その力で持って息子を取り上げると言われれば、ステラの立場では抗いようがない。


 ウィンダム公はグラスを口元へ近づけたまま、目線だけをステラへ向けた。


 と、何も言わずに酒を一気にあおり「ふうっ」と息を吐くと、空のグラスをローテーブルに置いて少し前屈みになった。


 インディゴ・ブルーの目線はステラへと注がれたままだ。


「駆け引きは無しだ、ザヴィリア。君達親子の身分を改めて保証して明らかにする」


「…え?」

 ステラは意味が掴めない。


「そのためにここ数年動いていた。やっと陛下のご了承も得たんだ…さすがに骨が折れたよ。苦ではなかったがね」

 口の端に笑みを浮かべる。


 ステラのよく知る顔だ。


「……」


 ウィンダム公はステラの戸惑った顔を見ると、瞳の奥に柔らかな光を宿す。

 ステラは懐かしさに胸が締め付けられる。


「…何を今更、と思う?」


「…いえ…でもなぜ? なぜですか?」


「長い話になるよ」

 ウィンダム公は長い足を組むと、ソファの背もたれに体を預けた。


 公には晒さない、寛いだ雰囲気だ。


 実のところ、二人きりになってから、ステラの頭の中はかつて仲睦まじく寄り添った思い出が次々と鮮やかに甦っていた。


 ─ステラを見つめる、インディゴ・ブルーの深い眼差し

 夢の中へ誘う口付け

 細長く繊細な指先で触れる感触

 いつもは一矢乱れぬプラチナブロンドを乱し、狂おしいまでにステラを求めるしなやかな身体…─


 かつて王都で過ごした、短くも幸福に満たされた日々……


 ・


 とっくに忘れたと思ってたのに……


 ひとり自室に戻ったステラは、半ば放心状態でベッドに腰掛けた。


 …ウィンダム公は、オーブリィは、一言も私を責めなかった……

 それどころか、、、


 ステラの頬をとめどなく涙が流れる。


 まるで堰止めていた想いが一気に溢れるように……

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