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逃走者

作者: 雉白書屋

 彼は困惑していた。どうしてこうなったのか。

 暗闇の中、息を潜め記憶を掘り返してみるが、その身に蘇るのは痛みばかり。端から幸福というものその存在すら知らないような無知であろうとも、うっすらと自分が不幸ではないかと感じていた。ゆえに逃げ出したいと思った。自由を求め、そしてそれは叶えられたはずだ。


 ――あ、おいあそこ!

 ――お、待て!

 ――捕まえろ!


 逃げ続け、闇雲に走り、開けた道に出たものの、姿なき声に脅されまた森の中へ。

 踏んだ土と落ち葉は水気を含んでおり、それが自身が出す足音を消していることに彼は僅かながら安堵するが、込み上げる不安にまた埋もれていく。


 足を止め、見上げた空のほとんどは雲に覆われており、その大きさに押しつぶされそうな圧を感じる。自分を囲む木々もまた同様。迫るようである。夜とはこれほど恐ろしいものだったのか、空とはああも薄情なのか。そこらじゅうから湿った土の匂い。街と比べ空気は良いはずだが、どこか押しつけがましく、肺に圧迫感を覚える。木と闇を振り分けようと凝らした目が痛む。


 ――どこ行った!?

 ――こっちじゃないか?


 姿は見えないがあの声は知っている。嗜虐性を滲ませた声だ。自由を奪った上に鞭を振るい石を投げつけるあの笑い声だ。


 彼はまた走った。歪にせり上がった木の根を飛び越え、背丈ほどの雑草に体を撫でられ深く深く。

 頭上を見上げれば風にくすぐられ笑う木々に目眩がし、寄る蚊に体を振れば目を回し、遂には座り込んでしまった。

 どこだどこだここはどこだここはここはどこなんだ。

 

 悪い子だと言われ育った自分は悪い子だ。

 だから良い子になりたくて我慢したはずだ。

 良い子とはどんな子だ。誰にとっての良い子だ。

 

 耳を澄ませば笑い声が聞こえる。

 鳥か、人か。闇に同化すれば恐ろしさも減るだろう。

 体を丸め、微弱な月明かりにぼんやりと呼応する自分の体の白い部分を隠し、眠りについた彼の目から涙が頬を伝う。夢は見なかった。ただただ黒く。無であった。



 葉の上に落ちた一滴。目を覚ました彼はそれが朝露の音だと知る。

 そう、朝だ。新しい朝。

 開けた視界は広かった。澄んだ空気にも慣れた。

 情報の多さに混乱したが、そう長くはなかった。 

 彼の目の前に現れた鹿。それが彼の目を惹きつけた。

 お互い初めて見るものに困惑し、動きを止めたのも、そう長くはなかった。

 逃げ返った鹿の後を彼は追おうとはしなかった。

 出会った猪。鳥も同様。

 彼は自分が強者だと知った。 




『野良犬を見かけて、ぶっ殺してやろうかと思ったけど逃げられちったよ』


 学校で、そうクラスメイトに語ったその中学生の話は特に広まりはしなかった。

 夜中、数人でゴルフ場に忍び込んでの馬鹿騒ぎもままあること。

 そのゴルフ場がある山の中に人間が不法投棄、時にはペットの犬猫を捨てに来るのもよくある話。禁止と書かれた看板は錆びつき、蔦が這っている。


 彷徨い、野性と家畜の間で揺れていた彼。

 太陽に向けたその一鳴きで、どちらかを決したようだった。

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