お嬢様の許嫁がアカン気がする(悪役令嬢を見守るばあやはかく語りき)
「悪役にならないためにやってるだけよ」
これが、私のお嬢様の口癖です。
私は、マリア。
一昨年、流行り病によりこの世を去りましたが、お嬢様の『魔法』により、幽霊として未だこの世を楽しんでおります。
お嬢様。ツェツェリーナお嬢様は、私がばあやとして最後に面倒を見て差し上げた御方です。
聡明かつお優しい方で、御年九歳になられます。
美しい金の髪、透き通るようなアイスブルーの瞳。勝気そうな上がり眉に、スッと切れ長の眼は、従者びいきを差し引いても綺麗だと思います。
将来は、どれほどの美人になられるのでしょうか。
それをまだこの目で拝めるとは、本当にばあや冥利に尽きるというもの。
しかし、当のご本人は、そんなご自身の未来については憂えることしかなさいません。
「いいこと? ばあや。私の目標は、悪役と断罪されないこと。平穏無事に生き延びることにあるの」
お嬢様は、事あるごとにそう仰られます。ばあやの耳には、タコが出来そうです。……死んでもタコって出来るのかしら?
『悪戯好きの従兄殿に簡単に騙されるお嬢様が、そもそも悪役になれますかどうか』
このあいだも、物置部屋に忘れ物をしたから取って来て欲しいと言われ、素直に「それは大変」と言って物置部屋に走って行き、閉じ込められたではありませんか。
あのときも、このばあやが居たから切り抜けられたものを。
ちなみに脱出方法は、普通に窓から外へ出るというもの。物置部屋が一階にありましたのが幸いでございました。少々はしたないかも知れませんが、お嬢様もご了承して下さいました。
窓の鍵は、お嬢様の身長では届かなかったので私めが開けて差し上げました(まあ、あの悪戯坊ちゃんはだからこそあそこに閉じ込めたのでしょうけれど)。
そう、お嬢様の魔力は最近成長著しく、短時間であれば私も物に触れられるようになったのです。
「う、うるさいわね。それとこれとは話が別よ」
お嬢様は、基本的に人が好い。
困っている人間を見たら手を差し伸べずにはいられないし、つい話を聞いてしまうところがおありです。
そんな方が、どうして悪事を働けましょうか。
それでもお嬢様は、自分がいつか悪事を働くのではないかと戦々恐々としておられるのです。
この恐怖をよりお感じになるのが──
コンコン
「お嬢様」
「入ってちょうだい」
「失礼致します」
部屋に入って来たのは、我が娘のメアリー。
私が亡くなってから、お嬢様付きのメイドになったそうです。
我が娘ながらちゃきちゃきと動く働き者で、安心してお嬢様を任せられます。
私譲りのちょっとふくよかな身体に、旦那譲りの愛嬌のある笑顔。
きっとこれから、お嬢様の良き助けになるだろうと思うととても誇らしくあります。
「そろそろアルベルト様がおいでになります」
お召し替え致しましょう、と嬉しそうに微笑む娘に、お嬢様はため息で返します。
「……わかっているわ」
億劫、と私だけに聞こえる声で、お嬢様は仰いました。
許嫁であるアルベルト様。
伯爵家のご令息で、お歳もお嬢様と同じ九歳。
亜麻色の髪に、お嬢様とはまた違う湖のようなブルーの瞳。三白眼だけれど優しげな垂れ目で、そう悪い人のようには見えません。
しかし、お嬢様は彼に会うのをとても嫌がられます。
何でも、
「彼こそが、私を悪役へと据える諸悪の根源なのよ」
だそうで。
正直、何を仰られているのやら、ですが、お嬢様は固くそう信じておられます。
そのため、何としてでも彼との婚約破棄を目指し、よなよな策略を巡らしてはうなされていらっしゃいます。
(……でも、そうね。お嬢様の前だと、猫を被っていらっしゃるかも知れない)
私は、ふと思い付いてアルベルト様がお通しされるだろう部屋で待機することにしました。
幸い、私の姿はお嬢様以外の誰の目にも触れません。
こういうとき、幽霊というのはとても便利だと思います。
※
しばらくして、私が先回りしていた部屋にアルベルト様がおいでになりました。
お嬢様のお仕度はまだのようです。
アルベルト様は特に気にした風もなく、ソファーに腰かけられました。
お付きの人たちは、少し離れた壁際にお立ちになっています。
お待ちの間、お付きの人たちと話すこともなく、アルベルト様はただじっとテーブルの一点を凝視しながら大人しく座っておられました。
(……?)
が、よく見るとその口元がもごもごと動いています。小さく何かを呟いておられるようです。
私は好奇心にかられ、失礼だとは思ったのですが、見えないことをいいことにアルベルト様の口元に耳を寄せました。
すると。
「もうすぐツンデレ幼女が来る。もうすぐツンデレ幼女が来る。もうすぐツンデレ幼女が来る。もうすぐツンデレ幼女が」
つんでれようじょ。
さっぱりわからない単語を、延々と呟いておられました。
よくよくお顔を拝見すると、口角がぷるぷると奇妙な形に上がっています。頬が、興奮しておられるのか赤く染まっています。
おそらく、笑いそうになるのを我慢している表情であろうと思われました。
(……)
私は、うへぇと思わず顔をしかめました。生前でしたら、人前でこんな表情は見せなかったでしょうが、今は見る人がいないので遠慮なく顔に出します。
何を言っているかは皆目見当がつきませんが、碌なものでは無い、というのが察せられただけで充分です。
この方は……何だかとても、駄目なかほりのする御方です。
お嬢様は、やはり聡明な方。
よくわからぬことを仰られはしますが、きっとこの方の本質を見抜かれたのでございましょう。
で、あれば、私めのすることは、ただ一つ。
『お嬢様』
「! ばあや」
お支度を終えられたお嬢様のもとに戻ります。
娘は、脱いだ服を片付けており、こちらを見ていませんでした。
『私、お嬢様をお手伝いいたします』
「?」
『婚約破棄に向けて、不肖幽霊の身ながら、お助け致したく』
「! ばあや……」
キラキラした瞳を向けるお嬢様に、私は大きな笑顔を浮かべてみせました。
お嬢様の安寧のために、第二の人生(霊魂)を今、私は新たに歩み出すのです。
END.