第四話:魔人族の女
魔人族。それは全人類の敵と言われている。体に秘める魔力量は人族や獣人族のみならず霊人族をも大きく上回る。
獣人族は人族の体に獣の特徴を取り付けたような見た目をしており、身体能力が高いのが特徴的だ。霊人族は精霊に認められた種族と言われており、精霊との交信を可能とする者も多く、エルフやドワーフ、ピクシーなどが存在している。
だが、それら全てを差し置いて最も力があると言われている種族が魔人族だ。魔力量はもちろんのこと、身体能力もそれなりにあり、獣人族には及ばないが人族を凌ぐ程度の力は持っている。
数が一番多いのが人族。力に優れたのが獣人族。精霊を使役し巧みに自然を利用する霊人族。絶対的な魔力量を持ち、かつ身体能力もそれなりに高い魔人族。
上位存在を前にして己の存在を疑問視するのが人間という生き物であることは歴史が証明しており、人族は魔人族に幾度となく戦争を仕掛けている。そのどれもが大規模な魔法の連発によって成す術もなく敗北しており、目の敵としているようだ。
そのために人族の子供の躾では「夜遅くまで起きていると魔人族がやってくる」などと言われるほど、人間と言う種全体に魔人族に対する敵対意識が刷り込まれている。
◆
「魔人族……だと!?」
流石に、常に冷静を心掛けている俺でもこれは驚く。魔人族は見かけは人族とほとんど変わらないが、一つだけ見てすぐにわかる特徴がある。それが頭頂部にある二本の角だ。
「そう、私は魔人族のルナ。わけあってこの森に潜伏しているわ」
「ここがどこだがわかっているのか?」
「国名までは分からないけど魔人族領でないことは知ってるわよ?私の存在が露見すれば襲われるだろうことも」
流石にそれくらいは承知の上か。だが危険を冒してまで人族領の森に息を潜めている理由がわからない。
「なら何故……」
「とある目的のため。私は成し遂げなければならないことがある。私怨だけどね」
ルナと名乗った女魔人族は一瞬だけ真剣な雰囲気を纏ったが、すぐに余裕のある表情に戻った。
「なぜ、俺の前に現れた?それと冒険者を襲っているのはお前だな?」
俺が一番聞きたいのがこれだ。ルナには何か、命に代えてでも達成したい目的があるのだろう。俺に接触したのにも彼女にとって何かしらの意味があるはずだ。
そして今回の依頼。これは間違いなくルナの犯行だと断定していい。なら何故冒険者を襲い、記憶がない状態で森の外に放り出しているのか。
「後者の質問に対してはイエスと答えるわ。あなたの前に現れたのも冒険者を襲ったのも同じ理由。私の目的は人の持つ記憶にあるわ」
「記憶……」
まさか『森で魔人族に出会ったこと』に加えて、何か大切な記憶を奪っているのだろうか。記憶を奪われた者は奪われたことにすら気づかないのだとしたら?
……ダメだ。俺の知識では記憶を奪ったとして何が出来るようになるのかわからない。
「……話しすぎたわね。どうせ記憶を消すのだから意味のないことだわ。あなたが私の探し物を持っているなら話は別だけれど」
「……ッ!」
急にルナの雰囲気が変わった。可視できるほど濃密な魔力があたりに広がる。剣を構え、ルナからの攻撃に神経を張り巡らせる。
これほどのプレッシャーは感じたことがない。冷や汗が体全体に広がり、俺は死を予見した。強いて挙げるなら前世で戦った魔王……。かなり勝ち目の薄い戦いになりそうだ。
幸い、すぐに攻撃を仕掛けて来る気はなさそうだ。俺は注意を怠らず、手持ちの武具を確認する。弓はさっき茂みで放り出したままで、広いに行かせてくれるとは思えないし通用するとも思えない。盾は……どうだろうか。魔法を防げるかと言われると疑問が残る。身に着けている防具もそれは同じことだ。
結局、剣を直接当てるしかないのか。しかも相手の魔法を全て掻い潜るという、かなり難しい条件付きだ。
不幸中の幸いで、話すに不便しない距離であったため、魔法を使われる前に攻撃を仕掛ければ……。いや、向こうがそれを考えていないわけがない。それがブラフだという深読みに頼ることは出来ない。
「来ないのかしら?ほら、魔術師は近づけばすぐに殺せるわよ」
分かりやすい挑発をしてくる。近づけるという確信があればとっくに突撃している。
「そっちこそどうなんだ?煽るだけでは目的は達成できないぞ」
隙を晒してくれれば御の字といった具合に挑発し返してみたが、これが良くなかった。危険を感じ、横っ飛びに避ける。
「そう。なら《アイスニードル》」
氷でできた大量の針が俺の居た場所を通過する。あれが当たったらと思うと恐ろしすぎて笑えてくる。
さらに今の魔法、無詠唱だった。つまり時間をかなり短縮して発動できるため、魔術師の『近づけば魔法を構築する前に倒せる』という根本が崩れる。
そしてルナはあえて挑発にのり、攻撃してきた。俺とルナの間に膨大な実力差があるということを分かっているのだろう。それは俺が付け入る隙になる。
避けた後、素早く体制を整え、木の幹にを盾として作戦を立てる。この幹を貫通できる魔法を構築するには少し時間が掛かるはずだ。
「続けていくわよ。アイスランス」
速い!もう構築を終えたのか!?
「くっ!」
幹ごと貫通されてはたまらないと、考えを整理する暇もなく木の陰から飛び出す。
「かかったわね。《アイスボール》」
魔法を回避できたと思った俺が見たのは片手をこちらに向けて突き出しているルナの姿。
「今のがブラフだったのか、クソッ!」
さっきのはただ「アイスランス」と言っただけ。簡単だが焦っていた俺には効果抜群だった。ルナの姿が見えていなかったのも大きい。
「ぐ、ぁッ……」
ルナの手のひらから一直線に俺めがけて射出された氷の球は、腹部に命中し俺の意識を鈍らせる。だが立ち止まっていられない。せっかく生まれた隙を突けなければ俺の命はないのだ。
一か八か、死を覚悟し盾を前面に構えてルナに突撃する。途中で何度も氷の球が俺を襲ったが、決してひるまず足を止めない。
俺には一つ、隠し玉がある。ここぞというときにしか使わず、使った後すぐは動けなくなる禁じ手でもあるが、これを使わず勝てるような優しい相手ではない。
ルナは俺が近づく焦りからか、小さな魔法を連発している。今がチャンスだ。この距離で剣を振ったとしてもそのままではルナに届くことはないが、構わず俺は剣を振るう。そして力を振り絞った攻撃を発動させた。
「おおおぉぉぉッ!《ウインドカッター》!!!」
これが俺の隠し玉だ。ルナが発動した魔法に比べれば児戯に等しく、詠唱を必要とするうえ、魔力量がかなり少ない俺ではこれ一つだけで魔力を使い果たしてしまう。完成度も低く、本来は風の刃を発生、射出する魔法なのだが俺は発生までしかできない。そのため剣に纏わせることで本来より剣身が延びる。
「……ッ!──」
ルナは驚き、何かを口にしたようだが、この攻撃に全てを賭けている俺には何も聞こえない。
そして俺の剣がルナを切り裂こうとしたその時……ルナは唐突にその場所から姿を消した。
「!?どこだ!」
渾身の攻撃を外して焦った俺はルナを探す。魔力がそこを尽きたときの独特の倦怠感が体を支配し、体は動かない。だがそのままルナが姿を現さないなら……。
「ここにいるわよ。あなたのちょうど真後ろにね」
そんな俺の希望は一瞬で打ち砕かれた。