嵯峨弘之
気が付くと俺は病院のベッドに寝ていた。上体を起こすと女の声で、「起きられる? アキト」という声がした。
「大丈夫。俺は?」
声の主は原雪乃だった。
「ジャパンカップで落馬したの。三日も寝てたのよ?」
「そうか」
「お医者さん呼ぶわね」
雪乃はナースコールのボタンを押した。しばらくすると看護士が、それに遅れて医師が来て、俺の様子を診察していった。
「親父は?」
俺は雪乃に訊いた。
「もう電話したわ。こっちに来るって」
「そうか」
俺はジャパンカップの記憶そのものがなかった。どうしても思い出せない。一時間くらい経って、岡田が現れて今にも泣きそうな顔で「アキト、大丈夫か?」と言った。
俺は「大丈夫。ジャパンカップの記憶はないけど」と答えた。
それから俺は精密検査を受け、念のために一週間入院することになった。タタルカンの朝日杯には間に合うことがうれしかった。
岡田は足しげく俺の病室に通い、雪乃は朝からずっと病室にいた。
「おばあちゃんに言われてるから」
雪乃はそう言った。退院の日、岡田と松沢氏、それと知らない男が俺の退院の迎えに来た。
「こいつは俺の弟弟子、嵯峨弘之。関西の騎手だ」
岡田がそう知らない男を紹介する。
「聞かない名前だね。よろしくおねがいします」
「俺は勝てるレースにしか乗らないからな」
嵯峨はそう言って俺に握手を求めた。
嵯峨弘之
岡田弘明の弟弟子
周囲の反対を押し切り三年目でフリーに転向。
勝てる馬にしか乗らず、勝ち鞍は少ないが勝率は3割を超える。




