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白拍子ですが何か?  作者: ナウ
一章・動乱
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平治の乱終わる

平治の乱は終わった

乱の首謀者・藤原信頼ふじわらののぶよりは後白河上皇に命乞いするも退けられ処刑される

亨年28歳


翌永暦元年[1160年]1月、源義朝みなもとのよしともは尾張国野間に辿りついたが旧臣の長田忠致おさだただむね影致かげむね親子に裏切られ殺される

亨年38歳


義朝の子・義平は越前国足羽えちぜんこくあすはまで逃れたが父義朝が殺害された事を知るや京に引き返し平清盛たいらのきよもり暗殺を計画するも捕えられ六条河原で斬首された

亨年20歳


同じく義朝の子である頼朝は近江国おうみこくで捕えられ六波羅へ送られる

当然の如く斬首が予定されていたが清盛の継母・池禅尼いけのぜんにの助命嘆願により命は助かり伊豆国いずこくに流された


義朝の側室、常盤御前ときわごぜんは三人の子を連れ大和国宇陀郡龍門やまとこくうだぐんりゅうもんにいる伯父の元へ逃れた

この時、常盤御前ときわごぜん23歳

しかし一旦大和国に逃れた常盤だったが、京に残した母親が常盤の行方を捜している平家側に捕えられ尋問されている事を知り六波羅へ出頭

本来ならば三人の子もまた処刑される運命であったが、清盛は常盤の助命嘆願を聞き届け今若と乙若の二人は出家し僧となった

もう一人の子はまだ赤子故に常盤の元で育てられる事になる

この赤子は数え年で御年おんとし2歳、名を牛若丸と言う





「最近は助命嘆願が流行っているそうだな」


家芋いへついもを塩焼きにしたものを口に運びながら磯は鈴に言った」


池禅尼いけのぜんに様の亡くなられた息子殿が佐殿すけどのと瓜二つであったとか」


ここで言う佐殿すけどのとは源頼朝みなもとのよりともの事である

右兵衛佐うひょうえのすけの官位に着いていたので佐殿すけどのと呼ばれている


「それだけではない」


「と、申されますと?」


上西門院じょうさいもんいんの嘆願もあったと聞く」


「何と!、それは滋子様からですか?」


「うむ、頼朝らいちょう上西門院じょうさいもんいん様からも気にいられていたようだな」


そう言いながら磯はこの間会った少年の顔を思い浮かべる


「同じ助命嘆願でも信頼しんらいの方は呆れるがな」


「命乞いは、しかしまぁ・・・分からなくはありませんが」


「日本一の不覚者らしき最後だな」


『日本一の不覚者』とは二条天皇を内裏から六波羅へ易々と逃がしてしまった信頼に対して義朝が言った言葉である


「それを言った義朝ぎちゅうも入浴中に殺された不覚どころじゃない者だがな」


「まぁ・・・不意打ちは防げぬでしょうな」


「素っ裸の丸腰で殺されるのは武士としては一番恥ずかしい死に方だと思うが」


「そうは思いますが・・・お風呂に入っていたのだから仕方がございませんでしょう」


「無念かな?」


「でしょうな」


「怨霊化するかな?」


「磯様!!、おやめなされませ」


「は~い、そう言えば常盤御前ときわごぜんとやらは随分と美人であると評判だな」


「私も見た事はありませんが、かなりお美しいという話です」


清盛しんせいはその常盤じょうばんに助平心を出したようだ」


「と、申されますと?」


「三人の子を助けたければ妾になれと」


「なんと、それは・・・」


「まぁ、それで子が助かるのならそれを飲むのが女だがな」






それから暫く日が過ぎて、磯邸に奇人変人がやってきた


「磯どの~~~!!」


返事がない磯宅の門に向って更に声を掛ける


「磯どの~~~!!」


「・・・・・」


余りの声の大きさに鈴が玄関から出て門を開ける


「どなたでしょうか?」


「おお、これはこれは突然の訪問誠に失礼つかまつる

我こそは桓武平氏高棟流の平時忠たいらのときただと申す」


まるで武家のような言葉遣いだが、その姿はどこからどう見ても公家である


「はぁ・・・それはそれは・・・

ただ、今は磯様はお留守でございます」


「何と!!、これは時忠、一生の不覚!!」


そう言うと苦悩の表情を浮かべ男は手を顔に当てる

不覚者がここにもおりました・・・と心の中で思う鈴


「あの・・・磯様に何か御用がお有りでしたでしょうか?、何ならば承っておきますが」


「おお、そうだ!!、では磯殿にお伝え下され

この時忠、検非違使・右衛門権佐に抜擢され申した!!

都の治安はこの時忠が一手に引き受け申すゆえ、安心して下されと!!

山賊海賊夜盗に悪党、魑魅魍魎に怨霊、百鬼夜行全て取り締まってみせますゆえ!!」


「それはそれはおめでとうございます。ではそれを磯様に必ずお伝えいたします」 


「うむ、お頼み申した!!、ではこれにて!!」


そう言うと足取り軽く、まるで舞っているが如くに小踊りしながら鼻歌を歌い去っていく時忠


「あれが滋子様のお兄様でございますか」


平滋子とは数度磯宅に来られた時に会った事がある鈴だが、兄の方は初めてである

しかし磯から話は聞いている

滋子とはまったく違う性格の兄であると

それにしても何しに来たのか分からない

磯様と滋子様がお友達なのは知っているが、その兄上様と仲が良いとは聞いていない

検非違使の話はいずれ滋子様からあるだろう

わざわざ本人が言いに来るのは意味が分からない


「そう言えば・・・」


磯様曰く「時忠じちゅうは奇人だ」と言っていた


「なるほど」


鈴は以前言っていた磯の言葉に納得した






信濃国には須波社がある

主祭神は建御名方神たけみなかたのかみ八坂刀売神やさかとめのかみ

神話において建御名方神たけみなかたのかみは国譲りの話に出てくる

高天原たかあまはらより天降った経津主神ふつぬしのかみ建御雷神たけみかづちのかみ大国主神おおくにぬしのかみに国を譲れと言った

大国主神おおくにぬしのかみの子である事代主神ことしろぬしのかみは賛成したが、もう一人の子である建御名方神たけみなかたのかみは納得せず「力比べで決めよう」と言った

力比べで建御雷神たけみかづちのかみに大敗した建御名方神たけみなかたのかみは逃げ出したが、追いかけてきた建御雷神たけみかづちのかみに殺されそうになり命乞いした

自分で言ってやっておいて、負けて逃げて命乞いはまるでどこかの誰かを連想させるがこれはあくまで神話での話だ

そして命乞いした場所がこの諏訪の地である


その須波社の宮司・金刺盛澄かなさしもりずみ中原兼遠なかはらのかねとおの家にて京の情勢を聞き眉間に皺を寄せた

義朝や義平が死んだ事に今は亡き源義賢みなもとのよしかたを想う


久寿2年[1155年]武蔵国むさしのくににおいて義朝の嫡子義平が大蔵館を急襲し義賢と秩父重隆ちちぶしけたかを攻め、これを殺した

この戦いで義賢の幼子は齊藤実盛さいとうさねもりに連れられ信濃国の木曽谷にいる中原兼遠の元に逃がされた

その齊藤実盛さいとうさねもりは今回の平治の乱で義朝側の武将として奮戦したが多勢に無勢で義朝と共に敗走し、義朝が裏切られて死んだ後も何とか無事に東国へ帰った


「時代が大きく変わり始めておるな」


金刺盛澄かなさしもりずみはそう呟くと兼遠もまた頷いた


「都の貴族は雲上人に非ず、武士の兵力で如何様にも出来る事が明らかになった」


「うむ」


そして邸の二人は庭で遊んでいるまだ幼い顔の男の子を見る

その少年の名は木曾次郎、本来の名は駒王丸

御年おんとし7歳

源義賢みなもとのよしかたの忘れ形見である



金刺盛澄かなさしもりずみが言った「時代が大きく変わり始めている」という言葉はあながち間違いではなかった

この年永暦元年[1160年]年の暮れ、保元の乱を引き起こし宮中に絶大な発言権を持っていた藤原得子ふじわらのなりここと美福門院が白河の金剛勝院御所にて崩御、亨年44歳

一つの時代の終焉であった

一章・終

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