騒がしい1日
嘉応元年[1170年]4月、磯は勧められてある会で童舞を観覧した
童舞とは元服以前の子供たちが舞う舞楽である
子供等の舞いには何ら興味がない磯だったが、滋子の勧めとあらば仕方がない
取りあえず観る
そしてそれは終わり、他にも幾つかの催しモノがあったが磯はそそくさとその場を離れようとした
ところが同じ様にそそくさと会場から出てきた一人の尼僧がいた
ばったりと出くわし顔を合わせる尼僧と磯
「あ…」
磯はその尼僧には顔に覚えはなかったが、向こうが声を出した
「あなたは磯御前ですね?」
「はい、そうです」
明らかに身分の高そうな感じの尼僧なので磯もそれに対応したモノ言いになる
「私は…」
言いかけて一人の男が近寄ってきて尼僧に声をかける
「母様、お迎えにあがりました」
「御苦労さま」
明らかに貴族の格好のその男
という事はやはりこの尼僧は貴族出身…
「この方は?」
男は磯を見た、その男の顔はまるで能面のようにのっぺりしていて表情がまるでない
「私と同じく童舞を見ていらした磯御前様です」
「磯…磯御前?、ああ…」
まったく表情を動かさず淡々と男は喋った
「なるほど、噂の白拍子だった方ですね」
白拍子『だった』…は余計な一言だが、間違ってもいないので磯は特に何も言わない
というか相手の正体が分からない以上、迂闊な事は言わない方がよい
「はい、磯御前でございます」
「なるほど」
淡々とした口調である
それはまるで感情がないかのようだ
「では母上、行きましょう」
「そうですね、それでは磯様」
「あ、はい、お気をつけて」
誰だか分からないけれども取りあえず頭を下げる磯
「ああそうだ、忘れておりました、私は皇嘉門院です」
「母上!!」
「名乗らぬは失礼でありましょう」
「……はい」
男は何か言いたげであったが、何も言わなかった
「では御機嫌よう、磯御前」
そう言うと皇嘉門院と名乗った尼僧は男の手引きで牛車に乗り込んだ
「皇嘉門院…皇嘉門院…」
どこかで聞いた事があったが、磯は思い出せない
と
「磯御前、こちらへ」
「い!?」
いきなり真後ろから声を掛けられた磯
振り返ると菖御前だ
「あ、久しぶり」
まるで友達のような磯の口ぶりにも菖はまったく動じない
この菖御前は八条院に仕える者である
が、只者ではない
気配を消せる術を持っている
「磯御前、八条院様がお待ちです」
「え?、八条院様も来ていたの?」
「はい」
微動だにせず答える菖
そんな菖にも最近は慣れてきた
八条院・暲子内親王とは度々会う事がある
何か偶然に会うというよりも先回りされて待ち構えていられると表現した方が納得いくぐらい不自然に偶然出会う
いや、それは最早偶然ではないかも知れない
「え…と」
「先程の方は皇嘉門院様ですね」
「そう…みたいね」
「一緒に居たのはその猶子である右大臣・九条兼実殿」
別に聞いちゃいないが何故か喋る菖
いつもならいらぬ事は一切喋らぬ菖が喋るという事は八条院の何らかの意向があるという事か
「皇嘉門院様が良く分からない、一体どのような方か?」
磯の言葉に菖は少し考える
どうやら皇嘉門院については磯も知っていると思っていたのだろう
だから詳しい説明をすべきかどうかを考えている
「……皇嘉門院様は藤原聖子様、讃岐院[崇徳上皇]様の中宮(皇后)様にございます」
「あ…」
崇徳上皇と聞いてようやく思い出した
そう言えばかつて讃岐に里帰りした時に崇徳上皇と会い色々話した時の事を思い出す
藤原聖子の事も少し話をしていた
と言っても本当に少しの話であり、京に帰ってからも特に彼女の話を聞かないのですっかり忘れていた
「なるほど、讃岐院の」
磯の納得に菖は少し顔を曇らせる
こういった説明は本来菖の役割とは違うので戸惑っている感じを受ける
そういうちょっとした変化を見つけるのが楽しみだ
「さて、もういいでしょう、八条院様がお待ちです」
「ほ~い」
そういうと磯は菖め付いて行った
今日という日は実に初めての人に会う
八条院が休を取る別所にて八条院の他にも一人の若い男がいた
「童舞を見に来てはったんやね~」
八条院は相変わらずのんびりした口調で言う
「はい、子供が踊る姿は実に面白かったです」
「そうなん?、意外やわぁ」
確かに意外である、そもそも興味はない
「こちらの方は?」
まだ若い男を見る
年の頃は20歳前後ぐらいか
「これは失礼を、私は似仁王と申します」
「この子は私の子なんよ~」
のんびりとした口調で言う
とはいえ実の子ではない、猶子である
この似仁王は後白河法皇の第三皇子だ
皇位継承としては十分にその継承権はあるのだが憲仁親王[高倉天皇]との後継争いに敗れた
それ故に高倉天皇の生母・建春門院[滋子]に対しては色々と思う所があるようだ
「うお!!、あたたたた」
そう声を上げ一人の老人が腰に手を当てひょこひょこと庭に出てきた
「頼政殿~、また腰を痛めたん~?」
「や、寄る年波には勝てませぬな、最近はあちこちガタが来ておりまする」
頼政はそういいながら腰をさすり「はっはっはっ」と笑った
この頼政とは源頼政
清和源氏頼光流の流れを持つ氏族である
源頼光とは平安中期の武将で、『朝家の守護』とまで呼ばれるほどの武勇に秀でた者であった
四天王を引き連れ大江山に巣く夷賊[酒呑童子]を討伐した事でも有名である
さて、この頼政であるが保元の乱と平治の乱では勝者として生き残り源氏の中では異例的に京に留まっていた
元々鳥羽院に仕えていた関係上、寵妃である美福門院ともその娘である八条院とも懇意にしている
現在は高倉天皇に仕え内裏守護として内裏の警備などを担当している
頼政この時なんと67歳
源氏の長老として現在でも京に居座る元気なお爺ちゃんである
「あ~恐かった!!」
菓子などを食べ色々と八条院と話をした後、別れて帰宅した磯に桜は言った
どうやら磯の留守中に磯宅にすさましき者が訪ねて来たという
鈴も丁度出かけていて、家では桜と静が留守番をしていた
すると家の門の前で野太い声で男が叫んだ
「たのもうー!!、たのもうー!!」と
その声たるや粗野なるが如し
どこの賊が攻めてきたのかと桜が思った程だ
桜が恐る恐る出て見るとボロボロの服を来た修行僧らしき男が一人
「お、何だお前は?」
「え~と、アナタはどなた様?」
「ぬ、儂は文覚じゃ」
「はい」
「磯はおらぬか」
「あ~、磯さんは出かけていますね」
「では鈴は?」
「鈴さんも出かけてますよ~」
「む!?、そうか、ではまた来る」
「はい、また来て下さいね~」
僧が立ち去ると桜は急いで門を閉めて家に駆け込んだ
それ程までに恐るべき風貌であったからだ
鬼というモノががいるなら、まさしく訪ねてきたあの僧は鬼のそれであった
「文覚か、懐かしいな」
それを聞いた磯は扇で机の上をポンっと叩く
「まだ生きておられましたか、あの御仁」
鈴は辛辣に言う
「誰ですかぁ~?」
泣きそうな顔で言う桜に磯は言った
「荒行の修行僧だ、昔にこの家を訪ねて来た事があった」
「え~、何でですか?」
「男装している磯様にモノ申す為じゃ」
「え~、意味が分かりませんけど」
「今でこそ白拍子は男装の女人が舞いを舞うという姿が当たり前の事として定着したけれども、少し昔まではまだまだ偏見の目で見られていたのですぞ」
鈴の説明に桜は「ん~」とした顔になる
「確かに10年前ぐらいは珍奇な存在として風当たりが強かったの」
「それらの声や目を舞踊の実力で黙らせたのが磯様でございまする」
「凄いですね~」
「それはそうと以前もあ奴が来た時に私は留守にしておったの」
「そう言えばそうでございましたな」
「よくよく運の無い奴じゃな」
そう言うと磯は扇の先を額に当てた




