牛若丸
長寛2年[1164年]8月、讃岐に流されていた崇徳上皇が崩御
上皇の遺体は火葬されたが、その立ち上る煙は京の都の方にむかってなびいたという
「死によったか」
その報を聞いた時磯は讃岐で会った時の事を思い出す
それは非常に懐かしい時代の話だ
今年で磯は23歳
保元の乱が起こってから8年
平治の乱が起こってから5年
年が経つのは早いものだ
源氏は去り平氏が隆盛を極めつつあるこの時代
道行く人々もその顔触れはがらりと変わらぬまでも少しずつ変わりゆく
本来ならばまだ生きている筈の信西が生きていれば今のこの京を見て何と思うか
いや、怪僧ならば今だに実権を握り続けているだろう
ガタガタガタガタ
牛車が道を行き交う
牛車は重い荷物を運ぶ時には有用だが、移動手段としては最適ではない
貴族はその移動手段として活用しているが磯は歩いた方が良いので徒歩で都を闊歩する
どちらかと言うと馬に乗って疾走した方が性に合っているだろう
そう言えば出雲に飛ばされた奇人も元気にしているのやら分からない
まぁ、滋子から何の連絡もないのならば元気にはしているのだろう
ガタガタガタガタ
牛車が道を行き交う
牛という生き物は鈍重で動きは鈍いが重い物を運ばせるのには便利だ
それにしても何故に動物はそこら中に糞尿を撒き散らすのか
もう少し利口になれぬモノかと磯はよく思う
それがまた動物の動物たる所以ではあるのだろうが、衛生上宜しくない
「これ、待ちなさい!!」
まだ若そうな女性の声が飛んだ
見ると牛車の幌の中から子供が飛び出したのが見えた
「これ、待ちなさい!!」
中からその女性の声が聞こえる
どうやらまだ悪戯盛りの子供が牛に揺られるのに退屈して路に飛び出したのだろう
丁度歩いていた磯と子供の目が合った
その子供はぽかんとした顔で磯を見た
最初は女の子かと思ったがよく見ると男の子のようだ
年の頃は5~6歳ぐらいか
「これ、こちらに来なさい!!」
必死になって呼び掛ける女性に男の子は振り返り、またこちらを見た
「ほれ、お母さんが呼んでおるぞ」
おそらくこの男の子の母親であろうと当たりをつけ言う磯
「うん、お姉ちゃんは何で男の人の恰好をしているの?」
見た目そのものを素直に聞いてくるその子に磯は苦笑した
「白拍子だからの」
「しらびょうし?、それは何?」
「舞子じゃ」
「まいこ?」
「踊りを踊る事を仕事としている者じゃな」
「何で男の人の恰好をしているの?」
「そういう形の舞があるのじゃな」
「ふ~ん、昔から?」
「いいや、私が最初じゃ」
「変なの」
「………」
子供の言う事は面白い
何でも遠慮なくズケズケと言ってくる
最もそれが子供の子供たる所以である
そういう意味では磯もまた子供なのかも知れない
「これ、戻りなさいと言うのに」
子供の母親が幌から降りてきて男の子の肩を抱く
「母様、このお姉ちゃんはしらびょうしなんだって」
「すみま……せん!!」
そう言った母親は磯の顔を見て驚いたような顔をした
「貴女は…もしや磯御前様では?」
「そうですよ?」
口調を元に戻す
身分の高そうな、しかし誰かよく分からない相手には比較的丁寧な喋り方のほうが良い
「ああ、やはり」
「失礼ですが貴女様は?」
「申し遅れました、私の名は常盤と申します」
「常盤様?」
はて?、どこかで聞いた事のある名前だと磯は頭を回転させる
ただどこで聞いたかが思い出せない
こういう時に直ぐに出てくる優秀な頭が欲しい
「磯様の御活躍のお話は各所からお聞きしております、本当に素晴らしい舞を各地で舞われているとか」
「母様、このお姉ちゃんはまいこなんだって」
「そうですよ、このお姉様は凄いお方なのですよ」
そう言われるとむず痒くなってきてしまう
それにしてもこの常盤という女性、非常に美しい
磯よりは年上であろうが、その美貌は磯に決して負けてはいない
同い年ならば負けている可能性は高い
「常盤様はどちらに住まわれているのですか?」
「ええっと…」
少し躊躇った後、常盤は言った
「清盛様、平清盛様のお館におります」
「!!」
その言葉で磯は思い出した
この女性は常盤御前、かつて源義朝の傍にいた女性である
平治の乱で義朝は死に常盤は清盛方に捕まった、常盤が生んだ義朝の赤子と共に
本来なら死罪だが赤子は死を免れた
それにはいくつか理由がある
既に義朝の子である当時13歳の頼朝が死を免れ伊豆に流されている事が大きな原因ではある
頼朝が助かっていて赤子が死罪では話が変な事になってしまう
それと清盛が常盤を欲しがった事も原因の一つだ
美しい常盤を手に入れたかった清盛は赤子の命と引き換えを条件に常盤を妾にした
常盤は夫の命を奪った憎き敵に泣く泣く従うしかなかったのである
常盤が名前を出す時に戸惑ったのはそういう理由からだろう
実は一度常盤は磯と会った事がある
会ったというか見た事がある
保元の乱後の源氏の祝勝会にて磯はその場で舞ったが、その場には常盤もいた
その艶やかでいながら勇壮でもあるその舞いに常盤も魅了されたのだ
「そうですか、貴女が常盤様ですか」
一部界隈で常盤御前は悲劇の女性として語られている
見た感じ余り悲劇の女性っぽくはないがその心中は複雑なモノがあるのだろう
「はい」
少し潤んだ瞳で磯を見る常盤
しかし…という事は…
磯はその子供を見る
「このお子様はもしや…」
「はい、義朝の子の牛若丸でございます」
「なるほど」
磯は納得した
義朝の遺児
そして牛
改めて見ると確かにどことなく義朝に似ている
「義朝殿に似ておりますね」
「はい…」
そう言うと常盤は泣きそうな顔になった
それを見て少し目を細める磯
やはりその心は今だに義朝の元にあるのか…と思う
「牛若様はお寺に?」
「はい、いずれは仏の道に進ませます」
それはそうだろう、義朝の子をそのまま成長させれば必ずや清盛に取って厄介な敵になる
それはどうしても避けなければならない
ならばどうするか?
一番手っ取り早いのは出家させる事だ
仏の道に入ると言えば何でも許されるという風潮
仏教と言うのは本来そうしたモノではない筈だが、実に便利に権力者達に利用されている
お釈迦様でも大激怒する利用の仕方だろう
常盤といくつかの話の後別れ、帰宅する磯
「今日、牛に会ったぞ」
「は?」
いきなりの事に何だか分からずにキョトンとする鈴
「牛でございますか?」
「牛若丸に会った」
「牛若丸?」
少し考えて鈴はポンと手を合わせた
「ああ、義朝殿のお子でございますね」
「今年で6歳だそうだ」
「もうそんなになりますか、平治の乱の頃はまだ赤子だった筈ですが」
「時の経つのは早いモノよな」
「まったくでございますね、という事は常盤様もご一緒に?」
「ああ、会った」
「常盤様もご苦労されておられますからな」
「だな、ある意味女の意地を見た気がする」
「意地でございますか?」
「義朝の子は絶対に死なせないという意地だ」
「ああ、なる程」
「それにしても常盤が羨ましく感じるな」
「ほう、と申されますと?」
「そこまで惚れる男に出会えた事をだ」
「ああ…磯様もうかうかしていると皺くちゃのお婆さんになってしまわれますよ」
「私の話か」
「左様にございます」
「その手の話は苦手だ」
「磯様!!、今年でお幾つにおなりであらせられますか?」
「…23だ」
「23で好きな殿方の一人もおられぬとは前代未聞にございまするな」
「おらぬモノは仕方がなかろう」
「お誘いを全て断られておるからでしょう」
「言うな、興味がない」
「早くに子を成しておかないと遅いと難産致しまするぞ」
「子のう…」
正直磯は子を産むという感覚をいまいち理解していない
正確には子を産めるという事が実感として沸かない
「自分の子…か」
「左様でございます、磯様のお子にございます」
そう言われると考えてしまう
もし仮に自分の子が生まれれば、その子はどんな子に育つのだろうかと
男の子なら腕白に育ちそうではある
女の子は…少なくとも女の子なら絶対に白拍子にはさせたくないと思った




