魔王ですが何か?
京都の鞍馬山にはある伝説がある
それは750万年前だか650万年前だかに宇宙から来た神が降臨した場所だという
その神の名は護法魔王尊という
1142年・康治元年
讃岐のある一人の女が京にある貴船神社に参詣した
貴船神社は縁結びで定評のある寺で平安中期の歌人・和泉式部ゆかりの地である
貴船神社の創建年代は不詳だが一説には第18代反正天皇の時代とも言われ、それは五世紀に『宋』に貢物を送った倭の五王の時代に当たる
女は貴船神社に参拝のおり、何を思ってかふと傍にある鞍馬山に足を踏み入れた
鞍馬山は霊山として知られ、昔は山岳修行の場として栄えていたらしい
貴船から山道を登り山を二時間程歩けば反対側にあるその向こうには日本の律宗の開祖『鑑真』の高弟『鑑禎』が宝亀元年[770年]に毘沙門天を安置したのが起こりとされる鞍馬寺がある
女が山道を歩いていくと微かにではあるが赤子の泣き声が聞こえた
最初は気のせいかと思ったが、よく聞くと確かに赤子の泣き声だ
女は急いで声のする方に足を早めた
声は木々の間からする
見ると土から張り出した樹木の太い根に布で包まれた生まれたばかりらしき赤子が一人
麻布とは違うその不思議な布は厚みがあり、柔らかくしかも暖かった
赤子は女の子であるが、何ゆえにこんな所に棄てられているのか?
女は戸惑った、しかしここに棄て置く訳にもいかない
抱き抱えた時に不思議な縁を感じた女は、寺に預ける訳でもなくその赤子を故郷の讃岐へ連れ帰った
-それから14年後-
1156年・保元元年
鳥羽法皇崩御直後に起こった保元の乱は第77代・後白河天皇と第75代・崇徳上皇との政権争いであった
皇族内の争いに藤原摂関家内と源氏平氏内のそれぞれの対立が合わさり起こったこの政変
後白河天皇側は藤原忠通・西信
平清盛・源義朝・源頼政らが率いる数百騎の兵が高松殿に集結
一方崇徳上皇側は藤原頼長
源為義・源為朝・平忠正ら少数の兵が白河北殿に集結
鴨川を挟んで対陣していた両者が激突したのは寅の刻[午前4時]の事
ジャラン~、ジャラン、ジャラン~
チュイイン、ジュイン、イン、ジュイン~
そんな時間にとある家で琵琶を弾く一人の女がいた
静かな時間の洛中の雰囲気にまるでそぐわない、言うなれば近所迷惑甚だしいが女はお構いなしだ
そんな琵琶を弾く女の部屋に一人の女が入ってきて告げた
「磯様、始まったとの事です」
磯と呼ばれた女は琵琶を弾く手を止め、入ってきた女を見る
「そうか、始まったか!!
いよいよ顕仁の最後か!!」
「いえ磯様、まだ上皇様がお負けになるとは決まっておりません」
「どう考えても顕仁が負けよう
清盛を味方に付けられなかった以上、顕仁に勝ち目はない、兵力差がありすぎるわ」
「はぁ…」
女は溜息をつく
この男のようなモノ言いがなければ容姿は絶世の美女と謳われ、舞は天才的と称され楽器を奏でる能力も秀でている
しかし作法は些かの難があり、特に口を開けばどこの夜盗かと疑わんばかりである
そして名前もまた変な呼び方で呼ぶ
顕仁とは顕仁親王の事であり、現崇徳上皇の事である
清盛とは伊勢平氏たる平清盛の事だ
「それにしても宗子は相変わらず目端が利くな、面白い奴だ」
ここで言う宗子とは藤原宗子の事である
夫である平忠盛[清盛の父]が亡くなり落飾して六波羅邸内の池殿に住まっている
後に池弾尼と呼ばれる女性
「宗子様もお辛いお立場でありましょう」
女の言葉に琵琶を置いた磯は扇を広げ、口元を隠す
「確か重仁の乳母だったか?」
「はい、左様です」
重仁とは重仁親王の事であり、崇徳上皇の第一皇子である
「重仁は今回の争いには加わっておらんのだろう?」
「そういう問題ではございません」
「勝つ方に付けば良いのだ、何の問題もない」
そのモノ言いに女は眉を寄せた
重仁親王を後見する立場から、平氏一門はかなり苦しい立場に立たされていた
しかし宗子は後白河天皇側が勝つ事を予想し、息子である頼盛に義理の兄である清盛と協力し事に当たるよう命じた
これにより後白河側と崇徳側の兵力差はもはや誰の目から見ても明らかであり、その勝敗は戦わずして決していたと言っても言い過ぎではない
「雅仁側にはあの義朝もいるしな」
雅仁とは雅仁親王、すなわち後白河天皇であり、義朝とは清和源氏・源義朝である
「はぁ…義朝様ですか」
「源氏は内輪揉めばかりしているアホたれ共ばかりだが、戦には強いからな
ここぞで少しは役に立って貰わねば」
ズケズケという磯に女は更なる溜息をつく
「呆れた顔をするな、この戦が終われば怪僧も更に権力を増そう
さすれば私も更に活動し易くなる」
「怪僧ではございません
信西様でございます」
「そうだ、通憲だ」
信西、俗名は藤原通憲
出家の身だが鳥羽上皇の近臣として力を振るっていた
妻である朝子が後白河天皇の乳母となった関係で現在は当然の如く後白河天皇側に付いている
今回の乱で後白河天皇が勝利すれば更なる権勢を得る事は火を見るよりも明らかだ
実はこの怪僧と磯には繋がりがある
磯に舞や楽器、作法や学を教えたのが他ならぬこの信西であるからだ
言わば教師と生徒、もしくは師弟の関係にあると言える
とは言え流石の信西も磯の性格と口の悪さまでは如何ともしがたかったようだが
磯が比較的自由にモノが言えるのも、活動出来るのもその一つは信西の権力がある
もちろんそれだけではない
ただその一つには確実に入る
「さて、そろそろ寝るか」
「はぁ?」
扇をパチンと閉じ、欠伸をする磯
夜通し琵琶を弾いていた近所迷惑極まるこの才女、どうやら戦自体には大して関心がないらしい
「磯様、戦が始まりまするぞ」
「ああ、どうせ昼には終わっている
終わったら起こしてくれ、鈴」
そう言うと寝所に向かって歩いていく
それを見て鈴と呼ばれた女は呆れた
どこの世界に夜を徹して遊び、朝に寝る女がいようかと
磯、現在の年齢は15歳
平安の数ある伝説の美女達ですら素足で逃げ出すとまで言わる程の美貌の持ち主にして舞の名手であり、その舞は貴族のみならず皇族や武士にも「天女の舞の如し」とまで言わしめている
その実、自らは『魔王』と名乗っている
母は讃岐にいるが、そもそも実子ではなく磯は赤子の頃に京の鞍馬山に棄てられていたのを拾われた
しかしそれも昔の話
今はただ一人京に上り舞いを舞う舞人だ
『魔王』は鞍馬山の伝説にあやかって名乗っているだけで、特に関係はない
しかし魔王の響きは心地よく満更でもない
磯のその姿は男装にして雄大
決して魔王の名に恥じぬ『いでたち』だ
都の人々は磯のその姿にある者は驚き、ある者は「おなごの癖に男の衣などと」と眉をひそめ、またある者は新しい風として喝采した
そして新しいそれを人々は『白拍子』と呼んだ