アリスとボブのプラトニック・ラブ
昔々あるところに、100人の村がありました。
北の端には山があって、西側の斜面には1人の軍人が、東側の斜面には1人の宗教家が住んでいました。
残りの98人の村人達は、彼らを嫌悪していました。
変わり者同士、仲良くすればいいのですが、軍人と宗教家は、互いを蔑み合っていました。
昔々あるところに、100人の村がありました。
仲の良い村でした。
ある年に産まれた少女と少年があって、アリスとボブと名付けられました。
2人はやがて恋に落ち、深く愛し合うようになりました。
彼らはその愛を証明するため、北の端にある山に共に登りました。
アリスは西の道から帰ってきて、やがて軍人になりました。
ボブは東の道から帰ってきて、やがて宗教家になりました。
そしてそれゆえ、残りの98人は彼らを嫌悪し、彼ら同士もまた互いを蔑むようになりました。
村人達は、軍人を嫌悪していました。
なぜなら、彼らは、暴力を嫌悪していたからです。
なぜなら、彼らは、ケガや痛みや死を嫌悪していたからです。
村人達は、暴力や人殺しは悪徳だと考えていたのに、軍人はそうは考えませんでした。
村人達は、紛争は常に話し合いで解決すべきだと考えていたのに、軍人はそうは考えませんでした。
村人達は、戦争の愚かさを知らない愚か者が社会に不幸を招くのだと考え、それゆえ、軍人を嫌悪していました。
軍人は、殺しも死も愛していました。
村人達は、宗教家を嫌悪していました。
なぜなら、彼らは、迷信を嫌悪していたからです。
なぜなら、彼らは、詐欺や盗みや貧困を嫌悪していたからです。
村人達は、生活費を寄付させることは悪徳だと考えていたのに、宗教家はそうは考えませんでした。
村人達は、人は世俗的な価値観に則って生きていくべきだと考えていたのに、宗教家はそうは考えませんでした。
村人達は、物質的価値で計測する合理から逸脱している狂気こそが詐欺の温床だと考え、それゆえ、宗教家を嫌悪していました。
宗教家は、狂気を愛していました。
アリスとボブは、ある日、恋に落ちました。
互いの美しさに強く惹かれて、生涯を共にすべき相手だと信じるようになりました。
初恋を知ったその日から、自分自身よりも大切なものがあると感じるようになりました。
真に深い愛情によって、世俗的な利己心は完全に溶け去ったのです。
アリスとボブは、夫婦になる資格を得るため、北の山に登りました。
世俗的な利己心が溶け去るほど相手を深く愛していると証するためでした。
山のいただきにある祠には、
『Make The World A Better Place』
という意味の言葉が記されていました。この世界をより良くしましょう、といった意味でした。
しかし、2つのカリキュレーターは、同じ公理を与えられて違う解へとソルヴしました。
アリスとボブは、その言葉を異なる意味で解釈したのです。
アリスは外的に、ボブは内的に解釈しました。
それゆえ、アリスとボブは、軍人と宗教家になり、互いを蔑むようになったのです。
アリスは、村人達の幸福を追求し、自分自身の命を顧みないことが価値だと考えるようになりました。
自分自身の幸福を切り売りすることが価値だと考えるようになりました。
アリスは、利己的に生きる態度を否定するようになり、村人達の生き方を否定するようになりました。だからアリスも、村人達から否定されていきました。
しかし、村人達から否定されていくことは、アリスにとって、自分自身の幸福を切り売りすることの一環でした。だからそれは彼女にとって価値であって、そんな痛みに立ち向かう誇り高さこそが、軍人さらには人間としての美徳であると自覚していました。
ある日、猛獣が現れて村人達が無力だったとき、アリスだけは恐怖に負けず、立ち向かって村を守りました。その姿を見た数人は彼女を讃えましたが、やがて、善良な獣をアリスがイジメ殺したという逸話に伝説はすり替わり、彼女を讃える声も消え去ってしまいました。
彼女が猛獣と戦っていたとき、ボブは山にこもったまま戦いに参加することをしませんでした。ボブは、内面的な自分の幸福を追求することをいつだって優先していて、猛獣が村を襲撃するという危機の場面に臨んですら、そんな現実問題に興味を持つことがなかったからです。
だから、アリスは、ボブを蔑んでいました。
ボブは、美しいアリスの姿を、いつだって見ていました。
彼女の決して報われない生き様もまた、見つづけていたのです。
ボブから見て、アリスの生き方は、幸福を切り売りしているようにしか見えませんでした。
ボブは、村人達がアリスを理解する可能性などないと考えるに至りました。
ボブは、村人達を守る価値などないと考えるに至りました。
だからボブは、村人達を守ろうとするアリスの生き方は、間違ったものだと考えました。
『Make The World A Better Place』
この世界をより良くしましょう、という言葉の「世界」を、ボブは自分自身の内面のことを指すのだとして受け取りました。
村に100人の人がいれば、考え方はそれぞれです。
人の考えは、測りがたい。
好意で行ったことが、誤解などされて、否定的に受け止められることもあります。
信頼関係を一旦は築いても、価値観の齟齬や接する機会のタイミングなどによって、好意は保たれないこともあります。
深く相手のためを思ってしたことでも、例えば相手のために相手を遠ざけたとしても、それは拒絶や軽視として、悪意として解釈され、嫌悪感をいだかれることもあります。
ゆえに、天下のために有用な人材が必ずしも最も評価されるには至らないし、世のためを思ってする行いが妥当に理解されるとも限らない。
世間の幸福を改善するためには、世俗の見識を進歩させなければならないが、実際には、世俗の見識に進歩を期待するなどほとんど不可能で、それは愚かさと永久に格闘することにほかならない。
その道に力尽きて倒れた戦士達の遺体で、地中はどこも埋め尽くされています。
アリスは、どの1人の苦楽すら見過ごすことなく、ゆえに自分自身の苦楽をどこまでも小さく評価しました。
ボブは、世間の常識的価値観すら前提として自覚して限りなく解除するほど、自分自身の苦楽だけに注目して優先しました。
ボブにとって、現実世界はまるで夢で、彼自身がまるで神様でした。マンダラみたいに整理された世界のちょうど中心に、彼は自分自身を感覚しました。客観を主観の従位に置きました。
自分自身が本当の意味で幸せであるとき、その喜びはあふれでて、他者の幸せをも望む義へと連なる。有効な義とは、それ以上でもそれ以下でもないのだろうと、ボブは思いました。
ある日、山で柴刈りをしていたアリスとボブは、肩がぶつかるほどの距離をすれ違いました。
「あなたは、間違っている」
2人がそう呟いたのは、ほとんど同時でした。
ボブは、自分のような喜びを備えた存在があってこそ、アリスのような正義感を備えた人材が生まれるのだと思いました。だからボブは、自分がアリスの母親だと考えました。
アリスは、村に危機が迫るたびに自分が必死で猛獣を撃破しているからこそ、山奥に暮らすボブの日々の安寧もあるのだと思いました。だからアリスは、自分がボブの母親だと考えました。
ですが、そんなことは、お互いに分かってもいました。だから彼らは、互いに深く感謝の感情も持っていました。
ちょうど陽が傾いて、木々の間に見える空が赤色に輝きました。
共に柴刈りをしていたアリスとボブは、それぞれの家に帰りました。
100人の村で嫌悪されている、軍人と宗教家のお話でした。