六話 決意を込めて
「ーーローグが、なんだって?」
聞き間違いかと問うアクシルに、リリーは得意げに笑った。
「ようは私のお母さんのお兄さんですね!」
「また分かり辛い説明を……。アクシル様、この子は私の姪なのです。もしや、なにか粗相をしていないでしょうね」
その発言に、リリーは鼻息荒く眉を吊り上げた。
「酷いよ叔父さん! 子供扱いするなんて。私はもう立派な貴族様のメイドなんですからねー」
「リリー! そういった驕りが人間を腐らせると母に習いませんでしたか? 言いつけますよ」
「それだけはやめて……」
肩を落とすリリーを尻目に、ローグはため息を一つ。
「それにしても、前に貴族の家に働きに出るとは言ってましたが、まさかこうしてアクシル様の元に配属されるとは」
「あぁ……なるほど」
この強引さといい、アクシルをものともしない発言といい、二人の関係を妙に納得してしまう。
「それで? 貴女は仕事もせず何をしていたのですか」
「いやぁ、それはね……うん」
へへ、と頭を掻くリリーに、ローグはハッと絨毯に視線を移した。
片付け途中のそこには、パンが一つ落ちていて。
あ、と思った時には遅かった。
「な、なな……なんて事を。誰がこんな命知らずな事をしたのですか。ーーリリー?」
「私じゃないよ。アクシル様です」
「ほう、アクシル様が。今一度食べ物の尊さを説かねばなりませんね」
眼鏡を輝かせるローグに、慌てて目を逸らす。
昔から、ローグは説教を始めると長いのだ。
そんなアクシルの態度に、呆れたように溜息を吐きだした。
「と、まぁ聞きたい事は沢山ありますが、今日は良しとしましょうかね」
「……良いのか?」
「何を言いますか。今日は、ですよ」
当たり前でしょうと不敵に笑い、リリーへと追いはらう仕草をする。
「リリー、貴女は儀式場の準備を手伝ってきなさい。此方は私が引き継ぎます」
「え、でも……」
「これは上司としての命令です。セティア様に伝えて配属を外しますよ」
「はい行ってきます! アクシル様、また後ほど」
拾った食器と布巾を素早くまとめ、不満げな顔を隠そうともせず足早に去って行く。
まるで嵐のようだと呆然と見送るアクシルに、ローグは疲れたように眼鏡を押し上げた。
「あの子はまだ若すぎるのです。それなのにアクシル様の元に配属させるなど、セティア様は何を考えていらっしゃるのか……」
「そうか。人選などは全部叔母様が決めてるんだったな」
ーー浮かぶのは、厳しい瞳をした女性の姿。
父方の姉で、現在は両親を亡くしたアクシルの親代わりになってくれている。
「セティア様も、何か考えがあるのかもしれません。私の姪をアクシル様の元へ寄越したのも」
「どうだろうな。ここ最近まったく話しをしてないから、何を考えているのかさっぱりだ」
「ふむ。儀式が終わってから、久しぶりにお二人で話しをしてみたらいいのでは?」
「……あぁ、時間があればな」
歯切れの悪いアクシルに、ローグは切り替えるように手を叩いた。
「さあさあ、準備を急ぎましょう。間に合わないと困りますからね。部屋は後で綺麗にしておきますから」
「すまない。色々と迷惑をかけるな」
「なにを今更。アクシル様は私にとって身内のようなものですよ。リリーと同じように」
表情を緩めたローグは、衣装を手に取ってアクシルを鏡の前に立たせた。
ローグに手伝ってもらい、正装に着替えてゆく。
白を基準とした衣装には胸元から肩にかけて金の飾りがぶら下がっていて。
胸元の黒い翼の紋章に、嫌な感情しか湧かないアクシルは鏡の中の部屋をひたと見据える。
と、鏡越しのローグが笑みを浮かべた。
「? なにがおかしいんだ」
「いいえ。ふとアクシル様の小さな頃を思い出しまして」
「どうせ悪い事だろ」
「滅相もない。いや、昔は着替えが嫌だと騒ぐ我儘な少年だったな、と。よく手を焼かされましたね」
「あぁ、そういえばローグを随分と振り回していた気がするな。その度に魔物のような形相で怒られた」
にやりと笑うアクシルに肩を竦める。
「おかげさまで、年齢より上に見られますよ」
最後に襟を直して、ローグは満足げに頷いた。
「よし、完成です」
着替えが終わった自分の姿を、アクシルはじっと見つめる。
まるで服に着られているようで、思わず鼻を鳴らした。
「なぁ。これ不恰好じゃないか?」
「全くおかしくありません。ほら、しっかりと背筋を伸ばして。アクシル様ならきっと上手くいきますから」
「ああ。そうだといいな」
と、ローグが目を丸くした。
「ーーアクシル様、少しの間になにか心境の変化でもありましたか?」
「いや、別に……」
思いたつ事といえば、リリーの前向きな性格に考えるのが少し馬鹿らしくなったぐらいか。
なんて言えず、ふと窓の外を見やった。
いつの間にか、空はどんよりと分厚い雲がかかっていて。
今にも雨が降り出しそうな天気に目眩がしてくる。
「なぁ、まさか今日は雨なのか?」
「いえ、精霊術師によれば降らないそうですが……」
「そう、か。ならいい」
ローグは眉間に皺を寄せた。
「体調が良くなければ言ってくださいね。無理はなさらないように」
「平気だ。ーー俺は、変わるんだからな」
今日は、その一歩を踏み出せるのだ。
胸元を握りしめる。
ーー両親は炎の精霊術師だった。それは昔からこの家と炎の精霊との間に深い契りがあるからだ。
ゆえにその血を引き継ぐアクシルも、契約は炎の精霊との筈。
今日の儀式は一度きり。精霊と触れ合えば最後、その契約は破棄をできない。
絶対に、水の精霊などと契約を結ぶものかーー。
決意を胸に、アクシルは空を睨み据えた。