六話 危機
竜車は向きを変え、再び走り始めた。
それから少しして、雨がポツポツと降ってきた。リリーが慌てて窓を閉める。
「大丈夫ですか?」
「……おぇ」
「わー!? アクシル様、我慢してください! ほら目閉じて、閉じて!」
口元を抑えるアクシルに、リリーはあたふたと手を彷徨わせる。
一番最悪なのは草を濡らす雨の香りだ。窓を閉めても、嫌でも鼻につく。
「駄目なんだ……きつい」
「ほんっとに嫌いなんですね……。話には聞いてましたが、まさか此処までとは」
なんとも言えない表情を浮かべる。アクシルは吐き気を堪えて鼻を摘んだ。
が、数秒も経たぬうちに酸欠になって息を吸い、再び襲う吐き気に息を止める。
そんな無意味な行動を繰り返すアクシルに、リリーは何かを閃いたのか手を叩いた。
「いい事を思いつきました! 気分転換に質問とかどうでしょう?」
「いや、いい」
アクシルはきっぱりと断る。
「そんな冷たいことを言わず。ほら、やってみて駄目なら諦めますから」
「はぁ……勝手にしてくれ」
「はい!」
「はい、じゃないが」
気にせず、リリーは指を立てた。
「では一つ。アクシル様って純粋な水以外なら飲めるじゃないですか。でももし、暑い場所で水しか無かったらどうします? 助けは来ません」
「余計に意識が雨へと向く質問だな。……水を飲むくらいならーー」
「なら?」
「我慢する。か、死ぬ」
「はー! つまらない答えですね。そんなのでは駄目ですよ」
肩を落として残念がるリリー。
果たして面白い答えとは一体なんなのだろうか……。
真剣に悩むアクシルは、ふと気持ち悪さが若干薄れていることに気がついた。
「……多少、マシになった気がする」
「本当ですか! 私ってば流石ですね。才能があるかもしれません」
「ーーで、さっきの面白い答えって?」
「……え? えっとですね、それはーー」
腰に手を当てて満足げだったリリーは、途端に挙動不審になった。視線を彷徨わせる。
「で、なんだ?」
「え、え……うーん」
必死に頭を回転させているのか、顔が赤くなっていく。
と、不意に乗り上げたような振動が竜車に走った。軋む音をたてて走行の揺れが止まる。
狭い竜車内で、リリーは誤魔化すように勢いよく立ち上がった。
「つ、着いたのでしょうか!?」
「……だと思いたいな」
「アクシル様、窓開けますからね。吐かないでくださいね」
「努力はする」
無理かもしれないがと内心で前置きをして、窓から視線を逸らす。
瞬間、
「ーーきゃあ!!?」
「!?」
リリーの悲鳴があがった。何事かと考える前に、腰に括り付けていた護身用の短剣を引き抜く。
窓か扉が開いたのか、雨粒と風が頬に当たってきた。
唇を引き結んで素早く一歩下がり、扉へと目を向ける。そして、リリーの姿を見て息を止めた。
「リリー?」
開け放たれた扉の前、リリーが意識を失って倒れ伏していたのだ。
雨に濡れた黒髪が、青ざめた頬に張り付いている。
だが、”それだけ”だった。
襲撃者の姿は何処にも無く、リリーは見たところ怪我もなく倒れている。
訳が分からず観察していると、ふと先日の事を思い出した。
アクシルは眉間に皺を寄せる。
「また俺を騙すつもりなのか? それとも遊んでるのか」
言いつつも、まったく動かないリリーに不安を拭いきれなかった。もしや、何か病気を抱えていたのかもしれない。
一応として、短剣を片手に近づいていく。その肩に手を伸ばしたーーその時、
世界がひっくり返ったような眩暈が襲い、身体の感覚を奪い去った。
気づけばリリーへと覆い被さるように倒れ、目を回しながらも頭を持ち上げる。
歪む視界に、何者かの足が映り込んだ。
「あれま。頑丈だな」
「……だれ、だ」
「こりゃ後までひくぞ〜」
頭部に衝撃が走り、視界が閉ざされた。




