十三話 暴走
最高な気分だった。
身体の中から溢れる力に任せて、見えるものすべてを蹂躙するのは。
何も無い空間に水が現れ、それは渦を巻いて四足歩行の巨大な獣へと姿を変える。
その獣は、驚いた表情で佇む金髪の男に襲いかかった。
相当の重量があるのだろう、押し潰されて苦しげに呻くその男を見ていると笑みが浮かぶ。
潰してしまえ。そう願う心に応えるように、更に大きくなった獣の下で、骨が折れる音が響いた。
『あはははは』
獣からは、少女の狂ったような笑い声が聞こえてくる。
透明な牙を剥き出し、勢いよく男の肩に噛みついた。絶叫が上がる。
肩に牙を突き刺したまま、顎を振って喰い千切ろうとする獣に嬉々と身を乗り出した。
もっとやれ。身の程を教えてやれ。
期待に胸躍らせ、目に焼きつけるよう凝視しているとーー、
「アクシル様!! もうおやめください!」
首を傾げて振り返る先、黒髪の男が必死な形相で叫んでいた。
その横では、灰色の髪の女が無表情にアクシルと獣を見据えている。
気分が一気に低落した。
ーー邪魔をするな。
獣か自分か、どちらが言ったのか分からない。
喉を鳴らして新たな獲物へと襲いかかる獣に、女は気怠げに剣を引き抜いた。
「もう十分。よく分かったわ」
軽く床を蹴ったーーかと思えば、その姿が見えなくなる。
『あががあぁぁあ』
咆哮を上げ、獣が霞のように消え失せる。
切り裂かれたのだと理解した時には、女が眼前に現れていた。
「アクシル、ごめんなさいね」
剣の柄が鳩尾に捻り込まれ、酸欠に視界が闇に染まった。
〜〜
「……あれ」
ふと気がつけば、アクシルは誰かに支えられて膝をついていた。
水の滴る音がそこここから聞こえ、項垂れた視界に映る床は水浸しになっている。
その水は血と混じり合い、赤色に染まっていて。
「ーー!? おえぇぇ」
思い出したように湧き上がる吐き気に身を折り曲げると、手が優しく背中をさすってくれた。
「……アクシル様、大丈夫ですか?」
顔を上げると、そこでようやく支えてくれていたのがローグだったと知る。
表情は苦渋に歪んでいるが、それでも怪我がないことは確かだった。
「ローグ、無事だったのか……よかった」
「いいえ。私は、決して許されない事をしてしまいました。まさかこのようなーー」
「貴方が謝ることじゃないでしょう。悪いのは私」
そんな言葉に視線を移すと、何故かセティアが腕を組んで立っていた。
側では、ルーベルトが血だらけになって床に倒れている。
「俺、は」
そこまで確認して、アクシルは全てを思い出した。
自分が自分じゃないような感覚の中、水の獣がルーベルトを殺そうとするのを見ていたのだ。
獣がまるで己の一部のように、その行為を愉しんでいたのも覚えている。
再び吐き気が襲い、アクシルは口を覆った。
「気にすることはないわ。それもこれも、ルーベルトがやり過ぎた所為だもの」
「どういう事ですか。なんで、今更叔母様が……」
「全て、私の指示だからよ」
セティアが指を鳴らすと、黒いローブの者達がぞろぞろと現れた。
その一番前、赤いローブの者が両手を合わせる。敵の突然の行動にアクシルは目を瞬かせた。
「本当に本当に申し訳ないです!!」
頭を下げて勢いよく振り上げると、フードが落ちて顔が露わになった。口をぽかんと開く。
「リリー?」
「はい。……その、セティア様から直々に命令がありまして、このようなことを」
言い辛そうに顔を反らすリリー。
その後ろで全員がローブを脱ぐと、皆が皆見たことのある騎士団の人達だった。
まさかと思いローグを向くと、身を離して床に額を打ち付けた。
「ま、誠に申し訳ありませんでした」
「ーーいつからだ」
「ぎ、儀式前にアクシル様が呼び出された時、騎士のミロにセティア様からの伝言を貰いました。契約が成功した暁には、どれ程の力か確認をしたいからと……」
「それで俺を騙したんだな。ルーベルトさんに殺されかかったのも、嘘か」
冷ややかな声で問うアクシルに、ローグは慌てて顔を持ち上げた。
「違います! ルーベルトに関してはまったくの予想外でした。その……捕まったのは計画通りでしたが、あのような発言を私が許すはずありません!」
怒りに身を震わせるローグから、此方へと近づいてくるセティアに視線を移す。
「何が目的でこんなことをしたんですか。……それに、他の人達は一体何処に」
「貴族や使用人は、彼等に手伝ってもらって地下の中に閉じ込めたわ。後でなんとでも言い訳できるように、ね」
さらりと告げるセティアの後ろ、騎士達が肩を落とすのが見えた。
彼等としては、団長命令に逆らうなんて恐ろしくてできないのだろう。
「目的は一つ、貴方がどの程度精霊を制御ができるかを見たかったのよ。その為には追い詰める必要があった」
「俺はそんな事を望んでいない!! 水の精霊なんて、制御したくもないんだ……」
「貴方の意見なんて関係ないわ。制御の出来ない精霊術師が、どれだけ危険極まりない存在か分かる?」
セティアは大広間を見回す。
倒れ伏すルーベルトに対してはまだ怒りがあるが、それでも自分がした事の責任は感じてしまう。
水が嫌いと言いながら、その力を暴走させて人を傷つけてしまった。
ルーベルトが言う両親の話しだって、あながち間違いではないのかもしれない。都合の悪い記憶を消した可能性だってある。
きりなく浮かぶ悪い考えを振り払うように、弱々しく頭を振った。
「じゃあ、俺はどうすればいいんだ……」
ぽつりと呟くアクシルに、
「そうね。なら当初の目的通り、貴方には王都の学園に入学してもらいましょうか」
「……え」
セティアは当たり前のように告げ、微笑んだ。