十二話 憎しみの感情
大広間まで行く間、やはり一人たりともすれ違うことがなかった。
一体何処に行ったのか。それを知る者がこの中にいる。
アクシルは大広間の扉を見つめた。
儀式前とはまた違う緊張感に、無意識に指が頬を触る。
「絶対に力を借りない。自分で、解決するんだ」
ーーそうすれば、もしかしたら周りの人間に認めてもらえる一歩になるかもしれないのだから。
のしかかる重圧に負けそうになりつつ、意を決して重たい扉を押し開いた。
魔具が埋め込まれたシャンデリアからの光が照らす大広間は、会食後の片付け途中だったのか散らかっている。
その中心、一人の男が立っていた。
周りのテーブルやイスは木っ端微塵に破壊され、壁際に打ち捨てられていた。
アクシルは目を見開く。
「……ルーベルトさん」
「よう厄病神。元気にしてたか?」
三十代後半か、金髪を逆立てて厳つい顔に悪人のような笑いを張り付けたその男は、セティアの騎士を示す鎧を着ていて。
筋肉が盛り上がった身体を見れば、どれだけ歴戦の強者なのかが分かる。
だがそんなことは関係なく、アクシルは恐怖に震えていた。
ーー彼こそが、屋敷内でアクシルの悪評を流す張本人だからだ。
「嘘だ。ルーベルトさんが関係ない人間に手を出すなんて……こんな事を、するなんて」
「こんな事? こんな事ってなんだ。お前がした事に比べればマシだろ? なぁ、厄病神」
「違う」
顔を伏せ、ぽつりと呟く。
そんな小さな声を聞き取ったルーベルトは、眉間に深い皺を寄せた。
「おい、何が違うって? アリアさんとフォグラスさんを殺したくせによ」
「俺は両親を殺してなんかいない!!」
「だったら、あれだけ強かった二人が亡くなったのに何故お前だけが生き残った? お前を捜し出た時、祈ったよ。お前とアリアさん、フォグラスさんを無事帰してくれってな。ーーけどよ」
思わず叫び声を上げるアクシルに、男はゆっくりと歩き出す。
「泣きじゃくって怪我無く戻ってきたのはお前だけだった。森で魔獣に襲われたっていうから行ってみたら、あったのは剣で滅多刺しにされた二人の死体だったじゃねぇか」
「……は?」
ルーベルトがさらりと告げた言葉に目を瞬かせた。
「剣で滅多刺しにされた? 両親は魔獣に襲われて死んだんだ。俺はこの目でしっかりと見た!」
「てめぇ、まだとぼけるのか」
段々と近づいてくるルーベルトの顔が憤怒で赤く染まるのを見て、それが嘘ではないと悟る。
アクシルは記憶を掘り起こした。
ーー最初は、ただ両親との些細な喧嘩で屋敷を飛び出しただけだった。
雨の中ずっと走り続け、気がつけば街はずれの森で夜の暗さに迷子になって。
木の陰に隠れていたら両親が見つけてくれて、共に帰ろうとした時、運悪く凶悪な魔獣が現れた。
アクシルを庇いながら精霊術を使っていた両親は不意を突かれてーーそのままーー。
必死に逃げて屋敷に辿り着き、まだ兄のように優しかったルーベルトに伝えて直ぐ眠ってしまった。
そして次に目が覚めた時、待っていたのは周りからの不審げな顔と、ルーベルトの憎しみの瞳だった。
それからは部屋に籠っていたから、詳しくは聞いていない。
ローグは気を使って事に関しては避けてくれていたし、後に屋敷に保護者としてやってきたセティアも、その内容には触れなかった。
だからルーベルトが言うそれは、初めて聞く話であってアクシルが知る筈もないのだ。
と、ルーベルがすぐ側までやってきた。ずいぶんと老け込み、幼い頃の記憶との差に驚く。
「信じてくれ。俺は、本当に知らなかったんだ」
「そうか」
そう一言返したルーベルトに何か言おうとして、
瞬間、素早い身のこなしで振られたルーベルトの脚が腹部にめり込んだ。
「が、は!」
勢いよく地面を転がり、テーブルに背を打ち付けて止まる。
息が出来なくて身を折り曲げるアクシルに、ルーベルトは髪の毛を掴んだ。
「アリアさんもフォグラスさんも、俺にとって命の恩人だった。金を奪う為に襲った犯罪者を馬鹿みたいな温情で拾い上げて育ててくれた。お前が産まれた時だって、俺は弟が産まれたかのように嬉しかったよ。ーーけどな、お前は裏切った」
「……」
「だから、俺はお前の大切な存在を奪う事にする」
何も言えず押し黙るアクシルに、ルーベルトは顎をしゃくる。
扉から、黒いローブの者に両脇を固められたローグが現れた。
猿轡をされて何も喋れないが、その瞳だけは怒りを込めてルーベルトを睨み据えている。
「ローグ……」
「お前のよき理解者だそうだな。まったく騎士の家系のくせして、こんな厄病神を護るなんて頭悪いんじゃねぇのか?」
「ふがががが!!」
必死に騒ぐローグに、両脇の敵が慌てて身を押さえつけた。
ルーベルトは肩を竦め、ローグからアクシルへと視線を移す。
笑みが広がった。
「苦しめよアクシル。またお前の所為で、大切な人が死ぬ」
「やめろ。ローグには手を出すな」
「そんなにやめて欲しければ止めてみろ。出来なければ、諦めろ」
ローグを床に押し付け、両脇のローブの人間が剣を振り上げる。
「お願いだ、やめてくれ」
暴れてルーベルトから離れようとすると、突然脇腹に激痛が走った。
恐る恐る見ると切り裂かれた脇腹から血が滴り落ちていて。
ルーベルトの手が髪から離れ、受身を取れず倒れ伏した。
上から声が降り注ぐ。
「大人しく見てろよ」
「……ッぐ」
目を向けると、その片手に血のついた剣を持っているのが見えた。
「駄目だ」
脇腹を押さえ、身を引きずってローグへと手を伸ばす。
「駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ」
奪われるわけにはいかない。二度と手放すわけにはいかない。
奪われるだけなのはもう充分だ。
『ーー君が望むなら』
アクシルは歯を噛み締める。
『私は契約した精霊として』
ルーベルトの嘲笑う声が聞こえてくる。
『力を貸してあげる』
頬が熱を発し、アクシルの視界は青に染まった。