十話 襲撃
それからの事は、よく覚えていない。
儀式は順調に終わった後はセティアに連れられ、貴族達へ挨拶をして回った。
高位精霊と契約をしたアクシルに取り入ろうと、張り付いた笑顔で挨拶をしてくる貴族の顔、顔、顔。
会食が開かれたが、食事なんて喉を通るわけもなく。
ーーようやく解放された時には、空はオレンジ色に染まっていた。
「あのぉ……アクシル様?」
「……」
ぴくりと眉を揺らす。
西棟を歩くアクシルの後ろ、ローグが気まずそうな顔で張り付いているのだ。
引き離そうと早足で階段を駆け上がるものの、しかしローグはぴたりと同じ速度で離れない。
逆にアクシルの方に疲れが溜まり、半ば諦めて速度を落とした。
と、
「アクシル様……」
「さっきからなんだ」
冷たく返すアクシルに、ローグは緊張を隠すように眼鏡を引き上げた。
「その、気をしっかり持ってください。私はいつでも貴方様の味方なのですから、何かあれば相談をーー」
「ローグ」
部屋の前に辿り着いたアクシルは、ようやく振り返った。
笑顔を浮かべるローグに、指を突きつける。
「では相談だ。今から俺を一人にしてくれ」
「あ」
目を丸くするローグを廊下に残し、素早く部屋に入って鍵を閉めた。
ため息を吐き、真っ先に姿鏡の前へ向かう。
壁際の魔石に触れて光を灯し、アクシルは己の顔を凝視する。
いまだ痺れた痛みを放つ頬を確認すると、そこには切り傷の跡のような、赤黒い紋様が浮き上がっていた。
何本もの蔦が絡まっているようにも見えるそれは、精霊と契約を交わした者に表れる印。
トリントが言うにはそれぞれ精霊の属性によって形は異なり、かつ高位になるにつれて紋様は複雑になるらしい。
「くそ、くそ。何が水の精霊だ。ふざけるな」
苛立ちに唇を噛み締め、その紋様を爪で引っ掻く。
記憶に蘇るのは、あの少女の姿。
知らない筈なのに、何故か妙に胸をざわつかせる少女との邂逅。
あれが精霊だったのだろう。……でなければ、こんな最悪な事にはならなかった。
アクシルは必死に爪を立て続け、やがて頬に滲んだ血に顔を顰める。
「……だめ、か」
それだけ掻き毟っても、紋様は消えてはくれなかった。
印が表れる場所はつま先から頭の天辺まで、それぞれ皆違うという。
だが、奇しくも目立つところに出現したのが実に不愉快だった。
「なんで、俺を選ぶんだ。お前の所為で、どれだけ苦しんできたと思ってる」
物心ついた時から今まで、十七年の人生のなかで起こった不幸は沢山あった。
赤ん坊の頃、アクシルを浴槽に入れていた使用人が溺れて死んだ。
アクシルだけが、タイルの上で泣きじゃくっていたらしい。
そんな単純なミスを犯すような使用人ではなかったが、年齢も年齢だったからと皆が納得をした。
五歳の誕生日、その日は雨が降っていた。
祝いに来てくれた仲の良い貴族の家族と街へ出かけ、アクシルが同い年の子供と歩いていた時。
濡れた石畳に滑った馬車によって、目の前で子供が潰されて死んだ。
その時もまだ、不運な事故だと皆が慰めてくれたのを覚えている。
そして、七歳の時ーー。
アクシルの小さな我儘によって、両親が無惨にも命を落としたのだ。
今でも鮮明に覚えている。ぬるりと滑る血の感触、血の臭い、そして狂気に輝く真っ赤な目も。
唯一生き残ったアクシルを迎えたのは、憐れみのでも慰めでもなく、魔物、呪われた子という蔑みの言葉だけだった。
何もしていない、自分じゃない。そんな言葉を耳に入れてくれる人は殆ど居なくて。
悲しみを嘲笑う声が、苦しみを賛美する声が、お前の所為だと囁く声が消えなくて。
やがてその声が何なのかに気づいた時、水に触れるのはおろか飲むことすら忌避していた。
「そんなに楽しいか。俺を貶めるのが」
しかし、問いかけても声は返ってこない。怒りに任せて鏡を殴りつけた。
と、アクシルは眉を顰めた。
「……なんだ?」
外が妙に騒がしい事に気がつき、確認しようとする。その時、
「ーー貴方達、セルベルト家に侵入するとは何者……ぎゃああぁ!!」
「な、ローグ!?」
扉の側に控えていたのだろうローグの悲鳴に、急いでベット下に置いておいた護身用の剣を手に取った。
そのまま扉を蹴破る勢いで飛び出す。
だが、そこにいたのは黒いローブを羽織った集団だった。
沢山の瞳だけが隙間から覗き、アクシルを爛々と見据えている。
廊下を見回してローグを探すがどこにも見当たらなく、アクシルは鞘から抜いて身構えた。
「貴様ら、ローグを何処へやった」
「殺したさ」
一人が呟くと、笑い声が広がる。
その言葉に目を見開き、歯を噛み締めて集団を睨み据えた。
「……嘘だ、ローグがそんな簡単に殺られるわけがないだろ」
「さて、な。お前なんて、もっとあっさり殺すことができるぞ。水が怖いと精霊術も使えないだろうに」
再び馬鹿にした笑いが広がるが、怒り以上に疑問が浮かぶ。
「ーー何故、お前らがそれを知っているんだ?」
まさか、屋敷に内通者がいるのか。
いや、それよりは貴族の中に敵対者がいたと見るべきだろうか?
セティアと騎士達は何をしているのだと怒りが湧き上がってきて、アクシルはさらに殺気を放つ。
と、ローブの者たちはちらりと顔を見合わせた。
何かを話し合うこと数秒、腰から剣を引き抜く。
「ーーごほん。では行くぞ!!」