第8章 神は土下座した。我に勝算ありと
神と神の料理勝負が幕を開けてしまった夜。
「頼む。このとおりだ」
ボクの部屋にベルタさんを呼び出したアシャさんは、ボクたちに本気の土下座を見せました。
「や、やめてください!? 何してるんですか!?」「なんやねん!? 怖いわ!」
「我は……もう負けるわけにはいかないのだ」
「そんなに額擦りつけちゃダメです! ほんと、やめてください!」
「天則により、我は知っている。敗北、即堕ち……。料理では「んほっ!?」、既に地に落ちた我の存在。同じ相手に、自ら再戦を挑み、再び敗れるようなことがあれば……! 我は……!」
アシャさんの背中が震えていました。
「……いや、でもな。お前、もうパトにすら二回負けてるしな」
「……っ!? くっ、殺せ!」
「呪いのせいなんで、しかたないですから! アシャさん、悪くないですから!」
「死んだらあかんやろ。お前が恥辱にまみれてても、ほら、ショーくん護らんとあかんのやろ? な? もうちょっとがんばってみよ。な? 相談ぐらいやったら乗るで?」
「うぅ……。汝ら。優しい」
目元を拭うとアシャさんは顔を上げました。
「そう……そのとおりだ。我は死ぬわけにはいかない。主を、天則を護るために……! そして、我には勝算がある。それゆえの土下座だ」
「……まあ、元気になったんやったら、それでええけど。勝算ってなんや?」
「フ……」と、アシャさんは不敵な笑みを浮かべました。目尻にまだちょっと涙がついていますし、オメメも真っ赤ですけど、ボクもベルタさんも見て見ないふり。
「つまりは、だ。我と一緒に買い出しに行ってくれないか? 頼む。一生の願いだ」
「神が一生って……。お前……」
「我一人では絶対うっかりする。もはや天則によらずとも確信がある。だが……汝らが逐一、我のうっかりを指摘してくれれば、我はうっかりしない! フフ。天則司りし我にはわかる」
「なんで強気の顔やねん。お前、大丈夫か? 情緒不安定になってへんか?」
アシャさんの言ってることは正しいんですけど、本気で不安定なのが心配過ぎます。
◆ ◆ ◆
アシャさんとスズ姉さんの料理対決は日曜日。その当日のお昼、ボクとアシャさん、ベルタさんは連れ立って駅前の大型スーパーに来ていました。
……それはそれとして、着いたばかりなのに、ベルタさんもアシャさんも疲れきった顔をしていました。多分、ボクも似た表情。
「まさかバスの時間を勘違いしていたとは……。我としたことが、平日ダイヤを確認していた」
「ついうっかり、このクソ暑い中、歩こうとしたのも間違いやったな……。行先言わずに先々行って……。近いほうのスーパーやと思ったやんか」
呆れた顔のベルタさんは頬を伝う汗をハンカチで拭っていました。
「お前、他にもうっかりしてへんやろな?」
「我が? フ……。バカな」
「鼻で笑っとる場合か。ハンカチは持ったんか?」
お母さんみたいな質問。
「無論だ。昨夜は忘れないように、枕元に置いておいたのだ……が、いつもと違う場所に置いていたのが災いしたな……」
「忘れたんか……」
「と、ともかくだ! 買うものを買おう。時間をかければ、うっかりの可能性は増えてしまう」
「そうやな。とりあえず、売り場のほうに」
食品売り場のほうに歩き出そうとしたところで、アシャさんが足を止めました。
白いワンピース姿のアシャさんは、ポシェットを探っています。
「……財布が……。我は……いったい何をしに、ここまで……くっ!」
アシャさんはすごく悔しそうに唇を噛んでいます。
「すまない。少し待っていてくれ! 今から走って取りに帰る! いや、飛んでもいい! ええい! 天則司りしこの力を振るう時か!」
「落ち着いて、アシャさん!」「落ち着けや、神!」
スーパーの中で羽根を出そうとしたので、こっちのほうが慌てます。
「お金はボクが立て替えますから。それで全然問題ないですから」
「主……。すまない……」
「気になったんやけど、一緒に住んでるこの神。食費とか家賃、どうしてるんや?」
「無論、折半する形で払っている」
「おかげで、ボクのほうはちょっとお金が浮いて助かっています」
「……神と折半。あの狐の電子マネー幻術は聞いたけど。お前も似たような感じなんか?」
「いや。我は天則司りしこの力により、我が人の理の中で生活するに必要な分のみ現金を得ている。つまりそれは世界のバランスを乱すことがない……言うなれば、ちゃんと自炊して、ムダ使いをせず、時々、遊びに行くことができる程度のお金だ。いつの間にか口座に入ってる」
「口座って。支給されてるみたいやな。天則……」
そんなことを言いながら歩いているうちに、食品売り場に辿り着きました。
新鮮な野菜や果物が並び、遠くには肉や魚のコーナーも見えます。
「ちょっと考えたんやけどな。神の《いざという時にうっかりしがち》の呪い」
「ふむ。聞こうか。人の子」
「なんか、お前が一生懸命になるほど、うっかりしてへんか?」
「我が……?」
言われてみれば、アシャさんは日常生活ができないほど四六時中うっかりしているわけじゃないです。近くにいるボクにはそれがよくわかっています。
「多分、お前がやる気を出して構えること。それが呪いの引き金になってるんや。それやったら、もういっそ、万事おざなりにやってたほうが……」
ベルタさんは大げさに肩をすくめると、首を横に振りました。
「……できへんよな」
「確かに……。おざなり……天則によって、それを理解しても、実行しようとは思えない。くっ! 頭ではおざなりを理解できても、どうすればよいのか……!」
「それはアシャさんのすごくいいところだと思います」
ベルタさんは肩をすくめましたけど、不快そうではなかったです。
「しゃあないな」
ベルタさんは少し真剣な目でアシャさんを見上げました。
「それやったら……ショーくんと一緒に、わたしがお前のうっかりをフォローしたる」
「汝……何故?」
「わたしが、ショーくん殺すかどうかはともかくや。お前があんまりうっかりしてたら、コン助みたいな奴が出てきた時、どうしようもない。言っとくけど、わたしの利益のためやからな」
プイと顔を背けるベルタさん。
「……そやけど。利益のためやからこそ、任しとき」
「フ……。わかった。ならば頼もうか。お母さん」
今度はアシャさんがすごく気まずそうに顔を背けます。
「……違うのだ」
「そ、そうなるとボクがお父さん!」
がんばって冗談で済まそうとしたんですけど、ベルタさんと思いきり目が合いました。
「……完全に外してるで。それ言うたら、わたしらが夫婦……っ!? ちゃうやろ!?」
赤い顔でベルタさんが言います。
「すいません! 外しました」
「もういい。そんなことよりも、早く買い物……あがっ!?」
歩き出そうとしたところで陳列棚に思いきり足をぶつけて、そのままうずくまるベルタさん。
「ベ、ベルタさん、大丈夫……ですか?」
「……世界の全てから棚をなくせば、もうぶつけることないんちゃうかな……」
暗い声で呟いて、ベルタさんはプルプルと震えています。
「主よ。これ以上、我は失敗しない。お母さ……いや、魔女よ。ここからの我にはメモがあるのだ。あとはただ、メモに従い、食材を買って帰るだけ。しかも、チラシで値段すら調べている。我は誓う。これ以上、一回たりともうっかりはしな……メモを忘れた!? 靴箱の上か!?」
「過去と現在の因果律すらうっかりしてるんちゃうか、お前……」
えっと……これからがんばって思い出して買い物をします。




