第4章 痛くしたら死ぬ
放課後、午後五時。ようやく昼の暑さが和らいできていました。
「あ! きたきた! 遅いよ、ショーちゃん」
駅前に辿り着くと、弄っていたスマホから顔を上げて、夜子さんがパタパタと手を振って駆け寄ってきます。
夜子さんは領武高校の制服を着ています。リボンは一年生の青色。
学校で見かけたことはないですけど。
かなり短くしたスカートや、半袖のブラウスから伸びるしなやかな白い手足。
ようやく傾き始めた太陽の下、その光を全て吸い込んでしまうような黒髪。
手を振るたびに、キツネ耳のカチューシャがぴょこぴょこ動いて、腰からぶら提げたふかふかの尻尾みたいなアクセサリーが本物みたいに弾みます。
人懐っこくかわいらしく笑う夜子さんですけど、黒い瞳の奥にはやっぱり怪しい火のような輝きが見えるような、見えないような。
「待たせてすいません。もしかして、ボク、時間間違えてました?」
まだ待ち合わせの三十分前……のはず?
「遅れてないよ」
ボクがスマホの時計を見たのに気づいたのか、夜子さんはエヘヘと照れた様子を見せました。
「でも、わらわ、すっごく楽しみだったんだもん。だから、もう五分遅かったら、きっと腕とか噛み千切ってたよ」
「……腕っ!?」
「えへへ。甘噛み」
「腕取れると甘くないんですけど……」
「いいからいいから。ね!」
あんまりよくないんですけど、夜子さんはボクの手を取ると……腕を組みました。
「……っ!」
思わず声を上げそうになります。
夏服なんでボクも夜子さんも半袖で、だから、肌と肌が直接触れてしまって。
この蒸し暑い中でも汗ひとつかいていない柔らかな腕の感触。
夜子さんが身を寄せてきちゃったので、ブラウス越しにもっと柔らかで温かいものが……!
すごく顔が熱くなってきましたけど、夜子さんは全然気にしてないみたいだから、何事もなかったような顔をがんばってしてみます。
「え、えっと……! どこに行きたいですか? 服を買うって言ってましたよね」
「甘噛みしないから、そんなに緊張しなくていいよ?」
そこじゃないんです。緊張の理由。
「ショーちゃんが決めたお店ならどこでも行くよ。かわいいのなかったら、殺すけど」
「すごく責任重大だってことはわかりました。ボクの命のために」
夜子さんの感触とか、選択肢間違えたら死ぬかもしれないこととか、一度に来て、自分の心臓がドキドキしてる理由がどこにあるのかさっぱりわからない。
でも、ボクの頭にはベルタさんが作ってくれたフローチャートがあります。
……なかったら、パニックになって死んでたと思います。
ありがとう! 本当にありがとうございます! ベルタさん!
ただ……不安がなくなったわけじゃなくて……その、ついてきてくれると言っていたアシャさんがいない。何故かいなくなっていました。
「どうしたの? 早くいこ」
「はい。じゃあ、最初は……」
言いながら、横目にアシャさんの姿を探しますけど、やっぱりいない。
アシャさん……。途中まで一緒だったはずのアシャさん。
今、どこにいますか!?
◆ ◆ ◆
デートさながらに腕を組んで歩き出した晶と夜子を見守る少女がいた。
駅構内の柱の影に身を隠しているのは、ベルタとパティだ。
「作務衣とか目立つんで離れてくれマセンか?」
「お前のクソ長い赤毛もたいがい目立つねん。頭剃ってくれへん?」
互いに睨み合い、それから呆れた顔で深くため息をつく。
「……あの神。なんでおらんねん」
「どう考えてもうっかりデスヨネ」
二人はもう一度、深くため息をつきつつも、歩み去って行く晶たちから目を離さない。
「……ていうか、お前はお前で生クリームたっぷりのクレープ食ってる自覚あるな?」
「ワッツ!?」
口元に生クリームをつけたパティは、心底驚いた顔をした。
それを見て、ベルタは三度溜息をつく。
◆ ◆ ◆
「赤羽駅……。なるほど。天則によれば、それがこの駅の名か」
領武高校の制服を着た金色の髪の少女――アシャは一人、赤羽駅構内に佇む。
「湘南新宿ライン、京浜東北線、埼京線。複数の路線が入り乱れていたとしても、天則司りし我にはわかる。ここからどの電車に乗れば、主のもとへ馳せ参ずることができるのか」
フッ……と微笑み、それからアシャは自らの額に手を当て、がっくりと肩を落とす。
「……何故だ。何故、主とはぐれたのだ。学校を出るまで……いや、駅の傍までは一緒だった」
首を振る。
「いや、今ならばわかる。そもそも、巻神夜子との待ち合わせは駅前だったはず。なのに、何故、我は無意識に電車に乗ってしまった!? 普段、電車など使わないだろ!?」
拳を強く握りしめ、顔を上げた。煌めく髪がさらりと流れる。
「否。それでも我は駆けつける。天則司りし我ならば、例え主が地球の反対側にいたとしても、瞬時にその傍らに立つことはできるのだ! 我が力ならば……」
天則司りしアシャ・ワヒシュタの顔ににわかに驚愕の色が広がった。
「……っ!? 我は……まさか」
自分の掌を見つめ、身を震わせる。
「さっきの電車の網棚に……《天則司りしワヒシュタ》を忘れた……!」
光の剣《天則司りしワヒシュタ》。それはアシャ・ワヒシュタの力そのものを外部へと凝縮した武器であり、同時に彼女自身ともいえる存在。
つまりはそれがなければ、アシャはほぼ全ての力を失うことになる。
「……忘れ物の相談……。まずはそこからだというのか……! 主よ……すまない」
赤羽駅構内でアシャは膝をつき、一筋の涙をこぼす。
「……くっ! 殺せ」
◆ ◆ ◆
ベルタさんが候補に挙げてくれていた服屋さん。あまり高くなくて、デザインも普通だけど、ちょっとかわいい感じのお店。
ボクだけじゃ絶対思いつかなかっただろうそんなお店に、夜子さんと一緒に来ました。
ここまで殺されることなく、ボクはフィッティングルームの傍でぼんやりと立っています。
カーテンの向こうでは夜子さんが着替える音。
試着が終わるのを待っているのだけど……女ものの服屋さんに一人でいるのは緊張します。
どこを見ていたらいいのかわからないので、スマホを見たり、なんとなくウロウロしたり……店員さんに不審者だと思われていなければいいのだけど。
「ショーちゃん。お待たせ」
カーテンが開く音。
いつ殺されるかわからなくて、まだちょっと怖い夜子さんなんですけど、今はすごく心強い! 逢いたかったです!
と、すがるように夜子さんを見て、ボクは動きを止めてしまいました。
「どうどう? これ、どうかな?」
にっこりと笑って、八重歯を見せる夜子さん。
狐耳のカチューシャと尻尾のアクセサリーはそのまま。
だけど、制服から着替えて、短いスカートと、清楚さと可憐さを両立させたようなかわいいフリルがついたブラウスを着た夜子さんはなんだか……いつもとちょっと違う印象でした。
年齢が下がったように見えるような、いつもよりもかわいらしいような……。
「どうかなって聞いてるんだけど?」
「あ、えっと……! なんかかわいいと思います」
頬を膨らませる夜子さんに、反射的に、正直に応えてしまいました。恥ずかしい!
「へへ。そう? それじゃ、これ買っちゃお。もうここで着ちゃう。店員さーん!」
パタパタと手を振って、店員さんを呼んで、タグなんかを切り取ってもらうと、夜子さんはフィッティングルームから出てきました。
さっき着ていたはずの制服は何故か見当たらない。やっぱり葉っぱとかだったのかな……。
「似合っててよかった。でも……かわいいとか言われると、照れるじゃん」
そんなこと上目遣いで言われると、こっちはもう照れるとかそういうレベルじゃないです。
ボクが慌てている間に、夜子さんは支払いを済ませていました。
スマホの電子マネーで。
「じゃ、ショーちゃん。次行こ」
「はい」と頷いて、ボクは夜子さんの横に並びました。
自然と夜子さんのスマホに目がいってしまいます。キラキラしたものがビッシリ貼りつけられているデコスマホ。大き過ぎる狐のマスコットがプラプラと揺れています。
「神様、電子マネー使うんですね。あれ? 高校生って使えた? ……それ以前に神様か」
「便利だもん。普通使うじゃん」
当たり前みたいに言われました。
「現金だと二度手間だけど、電子マネーって、幻使いやすいからね」
「幻!?」
思わずお店を振り返りました。
「えっと……それって、詐欺になっちゃうというか、泥棒というか……」
「あ、気にしちゃう系? 詐欺とかじゃないよ? わらわの幻って、要するに現実を書き換えちゃう系だし。ちゃんとお金は入金されてるよ」
「そういえば……。戦ってた時の幻も、幻だけど、現実っぽかったです」
「無茶な使い方しなきゃ、変な影響は出ないしね。使い過ぎると、ママがうっさいんだよ」
夜子さんのスマホがアイリスのメッセージ着信音を鳴らしました。
「……うっわ。ママだ。お金使ったの、バレちゃった。ほんとうっさいんだから、もう」
思った以上に神霊も大変そうです。
「それで、次、どこ行く?」
「えっと……」
本当ならドギマギしてしまうところだけど、ボクの頭にはベルタさんのくれたフローチャートがあります。喫茶店、夕飯、映画館……選択肢ならある! いくらでもある!
「わらわね。ラブホテル行きたい」
「え?」
頭は真っ白になりました。フローチャート消失。
「レジャーホテル?」
「呼び方の話じゃなくて!?」
「じゃあ、何?」
夜子さんは唇に指を当てると、首を傾げました。かわいいけど、そんなこと言ってる場合じゃない!
「だって、その、ラブホテルって……」
「男の子と女の子が一緒に出掛けたら性行為するじゃん」
「もはや常識みたいな台詞!?」
「わらわね。分霊として作られたの最近だから、初めてなんだよね。だから、すっごく楽しみ。気持ちいいんだって。ちょっと恥ずかしいけど……」
アクセサリーのはずの尻尾がピョコピョコ動いてます。
「痛くしたら……殺すよ?」
ほっぺたが赤くて、目が潤んでいるようにも見えます。
「あ、え……あの、ですね」
いつの間にかボクの口の中はカラカラに乾いていました。
「そういうのって、恋人同士がすることで……ボクらは一緒に出かけただけの……」
「えー。『エイッティーン』に書いてたよ? 一緒に出かけたら、エッチしちゃお! って」
「最近のティーン向け雑誌すごい!?」
「ショーちゃん」
夜子さんが一歩踏み出してきました。
見上げる顔が近くて、息がかかる……。なんだか甘い匂い。
「ラブホテル連れていって、性行為してくれないと……できなくしちゃおっかな」
夜子さんの唇から八重歯がチラリ。
「あぁぁ、えぇ、う」
どうしよう、このままじゃ! でも行かないと、ボクはできなくなるし、いや、高校生だからそんなことまだ早いと思うけど、夜子さんはかわいくて、かわいいとか今は関係ないんだけど、カップルじゃないわけだし、そういうのはボクのポリシーとは違って、ポリシーとか生きていく上で必要なのかどうかとかも何がなんだか……
「そこまでだ。巻神夜子」
混乱しきっていたボクの耳に、頼もしい声が飛び込んできました。
自信にあふれたその声は、
「アシャさん!」
六枚の翼を広げて、光の甲冑に身を包んだアシャさんがそこにいました。
手には光の剣《天則司りしワヒシュタ》。
すっごく息切れして、ゼエゼエいってます。
「翼! 翼出てます! 剣も、鎧も!」
「はっ!?」
平日ですけど、夕方のショッピングモールはお客でたいへん賑わっています。
そこに降臨しちゃった神のお姿。
アシャさんは慌てて翼も剣も鎧も消し去りました。
でも……その、かえってものすごく目立っているし、お客さんがざわついてる。
領武学園の制服姿になったアシャさんはコホンと咳払いして、周囲を見回します。
「トリックさ」
自信に満ちている風に言ってるんですけど、わりと焦ってることがわかってしまいました。
でも、あまりにも現実味のないできごとに、足を止めていたお客さんたちはそういうものなんだという感じで、去って行きます。拍手してる人もいますけど。
「あー、えー」と言ったあと、アシャさんは改めて不敵な表情を浮かべ直しました。
「すまなかったな。主よ。間違えて電車に乗ってしまったのだ」
「駅前での待ち合わせだったのに、どうして……」
「さらに網棚に《天則司りしワヒシュタ》を忘れてしまってな。駅員さんに《天則司りしワヒシュタ》と言っても全然伝わらなくて……。見つかったら見つかったで、こんな長物持ち込むなって、すごく怒られたのだ……。だが、我はそんな困難すら乗り越えた」
「大変でしたね……」
「ともかくだ。巻神夜子よ。主を護るが我が使命。ゆえに、ここからは我も同行する」
「えー。なんで? やだって言ったら、どうすんの?」
「天則司りし力を振るう」
「アシャさん!」
二人の間に膨れ上がる緊張感。確かにアシャさんは強いんですけど、でも、うっかりが……。
いや、それだけじゃなくて、そもそも二人に戦ってほしくなんて、
「いいよ。じゃ、アシャちゃんも一緒にしよ」
「え? 一緒って……え?」
「物わかりのいい狐。嫌いではない。なら、共に行こうか。我が主」
「共にって……いや、ダメじゃないですか!? 共に行っちゃダメだと思うんですけど!?」
「フ……。我に任せよ。天則司りし我にはわかる。これより赴くはラブホテル。それはホテルの名を冠するが、一般的には宿泊に使う場所ではなく、男女が性行為を行うための……」
アシャさんの顔が一目でわかるぐらい真っ赤になりました。
「ど、どういうことなのだ!?」
「どうもこうもないんですけど!? 天則! 天則お願いします!」
「くっ……! 我には主と夜子の性行為を止める権利はない。主が望むならば、我もこの身を差し出そう……」
真っ赤な顔のまま、プルプルし始めました。
「不安などない! 我には不安などないのだ! 我は主を信じ、我にも不可能はない! だが、あの……できればでいいのだ。や、優しくしていただけないか? 天則で知った色々が……」
「天則で何知っちゃったんですか!? 違う! そうじゃなくて」
「よく考えたら、わらわ、初めてが三人とかすごいじゃん……! ママ、驚くかも」
「二人ともちょっと落ち着いて……! 人も見てるし、あの……」
「ショーちゃん、アシャちゃん」
夜子さんがボクとアシャさんの手を握りました。
何かブツブツ言ってるアシャさんは抵抗とか全然してくれない!
「それじゃ、一緒にラブホテル行こ」
「行くなや、アホ!?」「ファッキンシット! クレイジー!?」
「え……。ベルタさん、パティさん?」
どこからか飛び出してきた二人は、アシャさんぐらい真っ赤な顔をしていました。
ベルタさんのあんな表情、なんだか新鮮です。
「何が、「行くなや」なの?」
その時、周りの空気が突然変わったのを確かに感じました。
ショッピングモールの風景は変わっていないし、お客も行き交っています。
でも、通路の真ん中で変なことを言い合っていたはずのボクらをもう誰も見ていないし、触れることもなく通り過ぎていく。
アシャさんやスズ姉さんの作り出したものとは近うけど、夜子さん流の隔離空間。
「なんかついてきてたのわかってたんだよね。でも、何もしないなら別にいっかなーって。わらわ、見逃してあげてたのに」
夜子さんの顔から笑みが消えていました。
目の奥で揺れる炎。ゾクリとします。
「人間如きがさ。わらわに命令とか……。「早く殺して」って、お願いしたくなるぐらい、嬲って辱めてから、殺してあげてもいいってことじゃん」
夜子さんがベルタさんたちのほうへ足を踏み出しました。
「アシャさん! まずいです!」
「ムダやで、ショーくん。神はもう……」
「うん。なんかよくわかんないけど、すっごく動揺してたから、また幻効いちゃった」
「やこしゃましゅきー」
虚ろな目をして、蕩けるように笑ったアシャさんWピース。
「アシャさんーっ!!」「ジーザス!! 何してるんデスかー!」
「また即堕ちか。まあ、悪いが最初からアテにしてへん」
「……即堕ちって、普段何読んでたら、そんな言葉出てくるんデスか……。パティもあまり使わないデスヨ」
「……や、やかましい。魔女界隈でよく言う言葉なんや」
「さすが魔女爛れてマスネ」
パティさんを無視して、ベルタさんは、あの杖――《ヘルメス》を構えます。
「コン助。お前はわたしを殺すことはできへん」
ベルタさんが杖の石突で床を打ちます。
夜子さんが嘲るように八重歯を見せました。
「わらわとまた殺るの? 人間如きが。この前、ボッコボコだったじゃん」
対して、ベルタさんは一切目を逸らしませんでした。
その顔に浮かぶのは勝利を確信した絶対の自信に満ちた笑み。




