第2章 この星守る者
目を閉じていても、衣擦れの音が聞こえてきて、ドキドキします。
壊れて動かなくなったとはいえ、原型を留めたキメラがそこらへんにゴロゴロ転がっているし、ちょっとオイルっぽい臭いとか、焦げたような臭いとか立ち込めていても、そんなことより衣擦れの音のほうがドキドキします。
「えっと……着替え終わったわ。ゴメンね。もう大丈夫」
言われてホッと胸を撫で下ろして、スズ姉さんのほうを向きました。
いつものスズ姉さんが立っています。服ももう着ていました。
ボクが通っている領武高校の女子制服。白い半袖ブラウスとスカート。襟元を飾る緑のリボンはボクよりひとつ上、三年生だということを示しています。
スズ姉さんのほっぺたはまだ少し赤い気がしました。ボクはまだ耳と頬が熱いです。
「いつもありがとうね。ギンちゃん。着替え持ってきてくれて」
「嗚呼、五十六億七千万年後に衆生を救うという弥勒菩薩の如き、お姉ちゃんの慈悲深きお言葉……! ギンは感激にむせび泣きそうですよぅ!」
感涙にむせぶギンちゃん自身もきちんと着替えは用意していたみたいで、今は、いつも着ている感じのフリフリしたかわいい服を着ています。背中には小学生らしいランドセル。
スズ姉さんがボクがよく知っている優しい微笑みを浮かべて、ギンちゃんの頭を撫でました。
それから、改まって、ボクのほうを見ます。
「驚いた……わよね」
眉を下げて困った顔。
「ビックリしました」
小さな頃から知ってる従兄弟のお姉さんが突然巨大ゴリラになったら、普通は驚きます。
スズ姉さんは少し迷うような素振りを見せて、それから口を開きました。
「……これからする話はとても信じられないと思うわ。でも……聞いて」
頷きます。
「わたしは……双津星鈴金は、星守と呼ばれる存在」
「星守……」
「我が家……双津星家に残る伝承によれば、わたしの血筋には、神代に、今は失われた技術によって作られた人造の神霊が宿っているの。神霊というのは、いわゆる神様だと思ってもらえればいいのだけど……。信じられるわけはないわよね。でも、続けるわね」
思わず、隣に立つアシャさんをチラリと見てしまいました。
光り輝く六翼を持つアシャさんはその神霊です。
他にもすごくメジャーな狐の神霊の夜子さんとか知ってます。
「星守という存在はこの星の龍脈……大いなる力の流れと結びついているの。そして、星が危機を感じた時、その意思はわたしたちに神霊の力を与える。限定的な神降ろし。それが星守」
語るスズ姉さんの瞳の奥には強い意志が宿ります。
「神代には双津星以外にも多くの星守が存在したらしいわ。でも、長い年月の中で、星守たちは戦いの中で滅び、役割を失い、力をなくし、数を減らしていった……」
「スズ姉さんはその数少ない残りなんですね」
ボクのお父さんのお姉さん――伯母さんはとんでもないところに嫁入りしたみたいです。うちは普通なのに……。
「そして、ギンはお姉ちゃんが龍脈から得る力を調整、最適化して、神の力を安定化させて、負担をできる限り減らす。その術を何千年も受け継いできた審神者なのですぅ」
「神代に、今のわたしたちにはわからない何らかの脅威に対抗するために作られた神の末裔。星の危機にのみ立ち向かう力を得る。だから、星守と呼ばれるの」
「そう! そして、双津星鈴金お姉ちゃんこそが、有史以来稀に見る星の護り手! 七十億の命を背負いし、星守! 天孫導きし先導の神、サルタヒコノオオカミの名を持つのですぅ!」
一瞬、サルというよりゴリラだったとか考えてしまって本当にゴメンなさい。
「しかし、あれは天則によれば、サルというよりゴリラではないか? ニホンザルが属するマカク属と、ゴリラ属では、系統樹上でも大きな開きがある。サルタヒコノオオカミの名は正確とは言いがたいのでは……?」
アシャさんがうっかり口走りました。
「ゴリラなの、気にしてるの……。恥ずかしい……」
「お、お姉ちゃんのゴリラ姿ときたら、本田忠勝あたりも裸足で逃げ出す荒ぶる野生ですよぅ! 雄々しきその姿、猛々しい咆哮轟きますぅ!」
ギンちゃんのフォローがトドメになって、スズ姉さんは両手で顔を覆ってうずくまってしまいました。
「はっ!? 我はよもや失言を……」
「多分、その失言もしょうもない呪いですよ!」
「す、鈴金。天則によれば、汝の言うサルタヒコノオオカミとはゴリラとかニホンザルのことではなく、日本神話における先導の神。つまりは天孫を導いたのと同じく人の子を導くというその使命ゆえに、その名を、だな……。あの……。くっ、すまん……傷つけるつもりなど……」
アシャさんまでへこんで崩れ落ちました。
「え、えっと……」「お、お姉ちゃん……!」
ボクも困っていますけど、ギンちゃんもすごく困っています。
「と、とにかく! スズ姉さんが星守だってこと、よくわかりました。そんな存在だって、全然気づかなくてゴメンなさい」
「晶くん……」
「星守とか、ボクにはわからない苦労とかあると思うし、今も大変な状況なんですけど」
なんせ、ここはまだ隔離空間らしい荒野で、キメラの残骸がゴロゴロしています。
「ボクにできることとか、お手伝いできることありますか? それに、この敵、キメラって、いったい……」
スズ姉さんが苦笑しました。
立ち上がると優しく目を細めます。
「晶くん。今、お姉ちゃんのほうが驚いてるのよ」
「え? ボク、何かしましたか?」
「だって、晶くん。ぜんぜん驚かないんだもの。わたしの話もすんなり受け入れてる。親戚のお姉ちゃんが突然、ゴリ……おっきくなって変な機械を叩いていたのに」
「あ……。で、でも、驚きましたよ!」
スズ姉さんはもう一度苦笑しました。
「わたしのような存在に慣れちゃってるのは、もしかして、アシャちゃんのせいかしら?」
「我か?」
きょとんとするアシャさん。
光の甲冑で完全武装のアシャさんはまだ翼をしまってもいません。言われてみれば。
今、アシャさんも「あ!」という顔をしました。
「ふ……。そうだな。主は既に我という神を知っている」
ちょっと顔を背けたあと、アシャさんは神らしい自信にあふれた太陽のような表情を取り戻しました。がんばっているので応援したいです。ファイトッ!
「星守サルタヒコノオオカミ、双津星鈴金よ。真なる神として、我もまた改めて名乗ろう」
翼が大きく広がると、光の羽根が散ります。
「八乙女アシャとは仮の名。我はアシャ・ワヒシュタ。汝らが言うところのゾロ・アスター教における七柱神が一柱。天則司りし神だ」
「アシャちゃんが、神様……」
「我が役割。それは主を、菊月晶を護ること」
「晶くん、狙われてるの!? いったい誰に!?」
しまった!? 心配とかかけたくなくて、スズ姉さんには知られたくなかったのに。
「星守、双津星鈴金。むしろ、汝にこそ心当たりがあるのではないか? 菊月晶の命に……」
「アシャさん、何をいきなり……」
言おうとしたけど、アシャさんが確信をもって尋ねているのがわかってしまいました。
「お姉ちゃんがそんなことするわけないですよぅ! その懐の深さときたら、海面下一万メートルを超えるマリアナ海溝よりも深くて、懐の広さは三億六千万平方キロメートル、つまりは七つの海をも超えるんですぅ!」
「ギンちゃん。それはいくらなんでも言い過ぎよ。わたしは……」
スズ姉さんはボクのほうを見て、悲しげに眉を下げました。
「アシャさんに悪気はないんです」
「主よ。だが……」
首を横に振ると、アシャさんは言葉を止めてくれました。
スズ姉さんを疑いたくなんてない。
「アシャさんに教えてもらったんですけど、この世界には呪いが振り撒かれているんです」
「呪い?」
「えっと……表面上はすごくしょうもないことも多い呪いなんですけど……。でも、ほら、しょうもないことに限って、シャレにならないこととかあるじゃないですか! よく転ぶとかたいしたことないけど、道路を渡ってる時にも転ぶとかだと困るとか、そういう、アレです!」
「そういうアレなのね?」
「そういうアレです。それで、シャレにならないこともあるので、その呪いにかかった人が、ボクの命を狙ってくるんです」
「どうして?」
「それは我が主、菊月晶が【破呪の光輪】を宿すからだ。創世の善神の力の欠片。それを狙う力失いし悪神は、力持つ者たちにしょうもない呪いを振り撒き、主を殺し、【破呪の光輪】を解放した者のみの呪いが解けるようにした。ゆえに、主は、多くの力持つ者たちに、その命を狙われ続けている」
アシャさんは手の中に出現させた光の剣を高く掲げました。
「そして、我はここにいる。主を護るため。大いなる善神の御心のままに」
「アシャさんの言うとおりなんです」
善神とか悪神、【破呪の光輪】なんてものに実感はありません。
でも、ボクは実際にすごい人たちに命を狙われて、アシャさんはいつも護ってくれています。
最初に殺しに来た女の子たち。重火器で武装した赤毛の女の子と、三角帽子に和服の魔女の姿が頭に浮かびました。
「そんな……。晶くんが」
「むしろ、スズ姉さんは大丈夫ですか?」
「え? わたし?」
「うん。アシャさんも言ってましたけど、しょうもない呪いって、力を持ってる人に憑りつくんです。だから、星守なんて力があれば、スズ姉さんも何か、変で、しょうもなくて、そのわりに致命的な呪いとかにかかっていませんか? 心当たりはないですか?」
瓦礫の中に立つスズ姉さんに歩み寄りました。
「大丈夫ですか? ボク、殺されるのは嫌なんですけど、でも、力になれることがあれば……」
「晶くん……」
スズ姉さんはちょっと驚いた顔をしていました。
それからまたクスリと笑います。なんとなく透明に感じる微笑。
「お姉ちゃんなら、大丈夫よ」
「でも……」
アシャさんもちょっと納得していないみたいです。
「あっ」と、声を上げるスズ姉さん。
「やっぱり何か呪いが……」
「たいへん……! もう学校に行かないと」
「あっ! あぁっ!?」
ボクも声を上げました。
そういえば、学校に行こうと家を出たところで、この空間に入り込んだんだった!
「すまない! 我が違和感を覚え、反射的にうっかりこの空間に繋いでしまったから」
犯人はアシャさんでした。
「遅刻しちゃうわ!」
「確かにそうなんですけど、でも……あの敵の……キメラの話とか、それに……」
「晶くん」
ツンと、スズ姉さんの指がボクの鼻を突きました。
「学生の本文は学生よ」
目を瞬かせるボクの前で、目を細めます。
「心配してくれるのは嬉しいけど。でも、日常を護るために、日常を忘れちゃダメなのよ」
「スズ姉さん……」
「それを忘れたら、人ではいられなくなっちゃう。……あ、それ、わたしだけだわ!?」
「さすがお姉ちゃん! 往古来今の哲学者よりも今日生きるその想いは強く切ないですぅ!」
引き続き涙にむせぶギンちゃん。
すごい人たちに命を狙われている以外は徹頭徹尾、普通の高校生なボクには実感はないですけど、イイ言葉だし、多分、そうなんだろうって思います。
「確かに……学校には行かないとですね」
アシャさんも頷いてくれました。




