第15章 月だって殴ってやらぁ。でも、うっかりだけは勘弁な
太陽の輝きを内に閉じ込めたかのように煌めく甲冑と、光剣《天則司りしワヒシュタ》。
背中から六枚の翼を伸ばし、完全武装のアシャ・ワヒシュタは虚空にいた。
広がるのは何も存在しない漆黒の世界。宇宙空間にも似ているが、そこに星々の光はない。
眼下には大地があった。
ところどころにクレーター状の凹凸があるそれは月のようだが、全てが金属で構成されている。地球の大地とも月の荒野とも違う、鉄の大地。
月の軌道上に作られた人工的異空間。そこに漂う超巨大要塞兵器ジェヌインを見下ろす、地上より五百キロ上空に、天則司りし神はいた。
そして、その周囲を取り囲むのは、幾千を超えるキメラの群れ。
昆虫に似たものや、猛禽の姿を模したもの、数百メートルを超える大型のものは伝承に残る龍にすら酷似している。
ある者は翼を広げ、ある者は炎を噴き上げ空を飛ぶ。
それらは手に、自らの身体に、口腔や装甲の下に、重機関砲やミサイル、重力砲やそれ以上の武装を備えている。
パティをさらに重武装化させたかのようなキメラの群れが漆黒の空を埋め尽くしていた。
鋼の群れの中で、アシャは右手に光剣を握りしめる。
だが、その視線はキメラたちにも、鋼の星、ジェヌインにも向けられてはいなかった。
剣を持つのとは逆の手に、アシャは晶から借りた携帯ゲーム機を持っている。
そして、その画面には動画が流れている。
「なるほど。我にはわかる。ゲーム機の録画機能で録画した映像を携帯ゲーム機に転送して、いつでも見ることができるようにしたわけか。常命の者らしい、生き急いだ機能だ」
アシャは画面に見入る。
「大宮神楽というこの少女が主人公か。生まれながらに戦いを定められし、その運命。星守たる鈴金のようだな。素養なき身だが、大火もまたそうか。それこそ、人の子らしい感情移入を……。ほう……このような動きを、人の手で作ったというのか。これが……人の可能性……!」
ミコツヨに見入るアシャを目がけ、キメラたちが一斉に動く。
吹き荒れる砲火の嵐。銃弾、砲弾、ミサイルが飛び、重力が周囲を歪ませて襲いかかる。
その熱量は都市ひとつを焼き尽くしてあまりあるものだった。
対して、アシャはアニメを見ながら、剣を振るう。
無造作でおざなりな一撃から放たれた光は叩き込まれた砲火の全てを薙ぎ払った。
さらに加速度的に広がる光は、包囲するキメラ全てを呑み込み、五百キロ下にあるジェヌインの地表に到達、大地を呑み込んだ。
朝焼けのような光が消えた時、アシャを包囲していた千のキメラは欠片も残っていなかった。
ジェヌインの地表、月ほどもある金属の要塞にはスプーンでプリンをすくったようなあまりにも巨大で、非現実的な傷痕が穿たれていた。
クレーターの表面積は3800平方キロメートル。ジェヌインの表層のみとはいえ、アシャが薙ぎ払ったのは地球上でいえばオーストラリア大陸に匹敵する面積だ。
破壊され剥き出しとなった地下のキメラ生産プラントから今さら爆発が巻き起こる。
「なにっ!? 友のためにあえて傷つくのか!? 大宮神楽!」
アニメに没頭するアシャはもはやそれすら見ていない。
その頭の隅にはジェヌインの異空間突入前に交わした会議の内容が辛うじて浮かんではいた。
◆ ◆ ◆
「『第三回、地球の危機をどうしたらよいでしょうか? 次点で菊月様の命』会議だってばよ」
まばらな拍手が響く。
ジェヌインへの攻撃に乗り出す前、晶たちは鈴金の家に集まっていた。
鈴金の母がお茶を置いて去り、いまだ気分の優れない鈴金が座布団を枕にして横になったあと、一同はジェヌイン攻略の相談を始める。
「ベルタ様の仮説を踏まえ、ここまでの状況を分析したところ、アシャ様が受けている呪い《いざという時にうっかりする》の発現はその精神状態に左右されていると考えられます」
再三に渡って使われている小型のホワイトボードを手に、大火は言った。
「神は惑わぬ」
「アシャ様が気合を入れ、油断しないように、失敗しないようにと構えるほど、呪いの発現率は極端に高まっています。データはこのとおりです。仮説は実証されました」
大火が各自にプリントアウトした用紙を配る。
「……我の失敗と前後の状況がリスト化されている……」
「星守である双津星様を含めても、現有戦力で、アシャ様が最も強力であることは動かしがたい事実です。アシャ様自身のおっしゃるように、本気で攻撃を繰り返せば、月と同サイズのジェヌインでも破壊可能でしょう。しかし、うっかりしてしまうアシャ様を重要な位置に置くことはできませんし、今回は短時間での決着が望ましいです」
「うっかりで味方に被害出しおるしな……」
「わ、我は……そんな……。あ、主! なんとか言ってくれ! 我とて、いざという時には!」
「……いざという時……」
「くっ! ならば、我にどうしろと!?」
「私たちから離れた場所で、ミコツヨでも観ながら、片手間に要塞兵器の地表を攻撃して、絶対放置できない戦力として敵を引きつけていただけますか」
「半ば邪魔者か!?」
◆ ◆ ◆
要塞兵器の滑らかに磨かれた金属の地面の上、ベルタとパティは地平線の黒い空にまばゆい輝きを見た。
続けて襲ってきた地響きに、ベルタは思わず膝をつく。
「……夜明けみたいなことになってマスヨ」
「わたしら、よくアレの相手してまだ生きとるな。勝ったけど」
「パティは心底、アシャの傍では戦いたくないデス」
「お前とこんなに意見が合うのは初めてかもしれん」
互いに顔を合わせる。
「シット……。雑談してる場合じゃないデスヨ。せっかく、パティがサポートしているんデス」
パティの視線の先、ベルタの周りには掌大の球体が数個浮かんでいる。
飛行ユニットが放つ輝きにも似た光を帯びたそれは、大気圏外活動用の防護ユニットだった。人体に有害な光線を防ぎ、人工的な重力と地球の大気成分に近い空気を作り出すことができる。
「この状況起こしたのは、半分ぐらいお前やけどな」
何かを言い返そうとしながらも言葉に詰まるパティ。
それを横目に、魔女は戦闘杖の石突を金属でできた地面に突きたてた。
「わたしはわたしで、このままやと困るからやるんや。気にするんやったら、役割果たしてや」
その言葉にパティは微笑した。
フンと鼻を鳴らすと、ベルタはそっぽを向く。
「……見つけた。やっぱりここや」
ベルタは真剣な面持ちで大地を睨む。
「これが人工物やとしても、それを動かすための第一原質の流れはある。《ヘルメス》は自力で擬似的な第一原質を精製できるけど、本領は霊脈……第一原質の流れに接続することにある」
「学校に仕込んでたのと同じデスネ」
「パトにしてはものわかりいいやんか。今回は力を引き出すのが目的やないけどな」
ベルタは唇の端を上げた。
◆ ◆ ◆
『第三回、地球の危機をどうしたらよいでしょうか? 次点で菊月様の命』会議の場。
ホワイトボードを手に、大火は言葉を続ける。
「アシャ様が片手間戦法で全力を出せない以上、巨大な要塞兵器を短時間で破壊することは困難です。ジェヌインに時間を与えれば、予想外の迎撃を受ける確率が高まる上、戦火が地球へと及ぶ可能性もあります。そこで、短時間でジェヌインを破壊するため、ベルタ様の《ヘルメス》を要塞兵器の霊脈に接続していただきます」
「《ヘルメス》で、ジェヌインとかいう奴の力の流れを剥き出しにする。そこに神の片手間の一撃を叩き込むわけやな。人間で言えば、血管取り出して、そこに劇薬を直接流し込むような手や。威力が低くても内側から……」
「KABOOM!! デスネ」
「それによって、アシャ様の力は要塞兵器内部を駆け巡ります。あれだけの大きさであろうとも、破壊することは可能だと考えられます。……アシャ様、ベルタ様、いかがですか?」
「天則によりわかる」「アシャの力や。理屈としてはやれるな」
「そやけど」と、ベルタは続けた。
「霊脈の発見と《ヘルメス》の接続には、わたしでもちょっと時間がかかるし、その間に無防備になる。片手間神が囮になっても……多分、敵がこっちの目的を察するほうが早い。魔法のこととかわからんでも、警戒はするはずや」
◆ ◆ ◆
「ファック! やっぱり来マシタネ」
《ヘルメス》の接続に集中するベルタを背にする形で、パティは虚空を見上げる。
ジェヌインが作り出した漆黒の空に、無数の鋼の翼が舞う。さらには地表のあちこちが開き、中から金属の獣たちが姿を現す。
「作戦通りや。わかってるな」
「ヘイ、ビッチ。誰に言ってるんデスか。《デネボラ》、全武装ユニット解放デス!」
パティの背後に出現する大型の武装ユニット。重機関砲、各種ミサイル、重力砲、大型アームに接続した重力剣、その他諸々の武装を搭載した戦闘機とも戦車とも言いがたい、武器の塊を背負い、パティの身体が虚空へと舞い上がる。
「……ハッキングを仕掛けてきてマスか? OK……《デネボラ》のプロテクトは効いてマス。しばらくなら」
呟いた彼女の赤いサイドテールとスカーフが黒い空になびいた。
「さっさと接続してくだサイヨ。パティに甘えるのはいいデスけど」
「うっさい。やることやれ。せいぜい、死なんようにな」
「パティは《デトロイト事件の英雄》デスヨ。|《加速装置》《セクメト》!」
ウィンクを残し、燐光を散らして、重武装のパティが加速する。
迫りつつあるキメラと瞬時に距離を詰めたパティが振るった重力剣は数機を圧潰し、引き裂き、爆散させた。
さらに敵中に大量のミサイルを撃ち放ち、虚空に爆炎の花を咲かせる。