ロストスチーム ―崩壊の蒸気都市― 外伝 アールス工房の計算機
第一章
霧の都、倫敦。その一角にある工房から息抜きの声が聞こえる。
「ふぁ〜、あぁ。こんなもんかな」
少年は手元にある機械を確認すると、椅子から立ち上がりもう一度大きく伸びをする。
手袋を机に置き、そのまま窓を開け外の空気を入れる。
霧の都と言われるこの倫敦の街は、霧というよりも煙霧の街になっていた。
というのも、つい数百年前に世界に衝撃を与え、生活水準を飛躍的に向上させた産業革命以来、倫敦は石炭を燃やし続けている。近年では石炭のみならず、石油や天然瓦斯というものも出てきていた。
確かに、数十年前にはガソリンエンジンは開発され、空気もいくらかはきれいになっていくはずであった。しかしそのころ、小さな極東の島国である日本が鎖国をやめ第二次世界大戦に参戦してきた。それは、良くも悪くも蒸気機関の新たな時代の幕開けを意味した。
当時のエンジンよりも、日本が使っていた蒸気機関のほうが圧倒的に性能がよかった。そのため、大国といわれていた亜米利加も敗北し、大英帝国も独逸に負け賠償金を払っている真っ最中だった。
しかし、この戦いは国同士の関係を変えただけでなく、技術までも変えてしまった。日本が外交をはじめ、蒸気機関が海外に出ると、利便さと燃費のよさに負けるエンジンは軒並み圧倒され、今では博物館か物好きなコレクターなどが自分で作る、若しくは手に入れるほどとなっていた。
この工房、『アールス工房』も、蒸気機関の普及から軌道に乗ってきた小さな工房だ。
主人の名はアールス、十六歳にして工房を一人で切り盛りしている。主な仕事は機械の修理と改造、たまに自作の機械を売っている程度だ。ちなみに、機械といってもほとんどが蒸気機関を動力としているため、電気ではなく歯車が基本だ。どれも値が張るが、技術は職人にも劣らないすばらしいものだった。値段のわりにしっかりとしてくれると常連も多い。
この日も、時計の修理が完了したばかりだった。
煙霧に覆われた工房前の街並みを眺めながら、飲みかけだった紅茶を啜る。仕事前に淹れたせいですでに冷たくなっていた。
ぼーっと遠くを見ていると、店の扉が鈴を鳴らして開いた。
「アールス、いるー?」
聞きなれた声に反応して工房から店のカウンターへと移る。机の前に硝子があるとはいえ、物で溢れている上に油が付いていて、はっきりと見えるものではなかった。
「ああ、カレン」
「『ああ』って何よ! 『ああ』って!」
カレンというのは、工房の近所に住んでいる同い年の女の子で、よく工房に遊びに来ている。
「また機械いじってたんでしょ」
「なんで分かるの」
「だって、油付いてる」
ふと指差された胸の部分を見てみると、茶色いオーバーオールの胸に大きく、黒い油がべっとりと付いていた。
「あれ、いつの間に・・・・・・」
「機械に対しては敏感なんだから」
やれやれといった表情のカレンに対して、それほど気にしていない様子のアールスだった。
他愛もない話をしていると、また扉の鈴が鳴った。
「どうもどうも、頼んでたのは出来ましたかな?」
「あ、いらっしゃい! ちょうどさっき出来ましたよ」
そういうと、工房の作業机からさっきまでいじっていた時計を持ち出し、客に渡した。
「さすがだねぇ、噂通りだよ」
「そんなことはありませんよ」
「じゃあ、これお代な」
そういうと、客はお金を渡してきた。それこそ、新しい時計が買えるほどの金額だ。
それを受け取ると、アールスは元気な声で送り出した。
「ほんとすごいわよね、あんだけ払うなら新しいの買えばいいのに」
「そういうわけにも行かないんだろうよ、思い入れがあったり、特別な用があったりなんだろう」
カウンターの端によっていたカレンがそう呟くと、渡されたお金をキャッシュレジスターに入れながら答える。
基本的に工場体制が整っているこの時代、買い換えたほうが早いのは当たり前だ。それでも、この工房には彼の手でしか直せないものが止め処なく持ち寄られている。
手で直すのは、機械が作るよりも遥かに手間がかかり、それに比例して金額も多くなる。それでも、直したい人々が、ああして工房に集うのである。
「ところで、アールス?」
「どうしたの?」
「女性への配慮は男にとって最優先事項だと思わない?」
「あぁ、紅茶でも淹れるから工房の中に入ってて」
「あら、私はあなたの人形じゃないわよ?」
「・・・・・・そうだったね、そっちの応接室で待ってて」
アールスがやれやれといった顔で紅茶を淹れに行くのに対し、カレンは上機嫌でカウンター横にある扉を開けて応接室へ入る。
少しして、ティーポッドに二つのティーカップ、クッキーの入った皿を持ってアールスが入ってきた。
「にしても、今日はいつものように注文が多いね」
「お店としてはうれしいんじゃないの?」
「機械なら大歓迎さ、女性と話すのは苦手でね」
「あら? それにしては服に気をつけているのね。帽子は相変わらずおしゃれだけど」
そう言い合いながらも、幼馴染としての会話をしながらひと時のティータイムを楽しんでいた。
「ところで、やっぱり機械に対してしか敏感じゃないのね」
呆れ顔で行ってくるカレンに対し疑問符を浮かべるアールス。
「服! いつもと違うでしょ!」
指摘されてふと気づく。いつもと違い、どことなく新品の感じが見て取れた。
「あ、ああ、新しくしたの?」
「やっと気づいたの・・・・・・。そう、きれいでしょ」
「油で装飾すればもっときれいになるかも」
「アールスとおそろいは赤面しちゃいますー」
二人で笑っていると、店から鈴の音が聞こえてきた。
「誰かいるかね?」
アールスは急いでカウンターへ向かう。
「はい、何でしょう」
「修理を依頼したい」
外套を着た男は、カウンターの上に大きめの箱を置く。
「ほかのところにも頼んだが、何処も答えは一緒だった」
「かしこまりました、数日いただいてよろしいですか? ご返却の目処が経ちましたらご連絡させていただきます」
そういうと、アールスは書類を一枚取り出しペンとともに渡す。男は書類に目を通すと無言で記入した。
「期待していますよ」
そういうと、男はそそくさと店を出て行った。
第二章
「お仕事みたいね」
カレンが応接室から顔を覗かせながら言った。
「見たところ計算機だね、型番は・・・・・・書いてない・・・・・・。自作か相当古い型番かな? なんにしても、骨が折れそうだよ」
そういいながらアールスは、箱を抱えながら工房に入って行く。
「あ、そうそう、これ相当複雑そうだからさ、助手が一人ほしいなぁ〜」
工房に入る前にカレンに向かって言う。
「はぁ・・・・・・分かった」
呆れたように言い放つと、カレンは店を出て行った。
カレンが戻ったのは、アールスが作業机の上の箱とにらめっこをしているときだった。
「どんなやつなの?」
カレンはいつもの質素な白い服の上から作業用のオーバーオールを着ると、作業机のほうへ向かった。
カレンは昔から、幼馴染と言うこともあり、興味本意で工房の手伝いをしていた。そんなカレンでも、こんな形状の機械を見たことがない。
「結構面白いよ、これ、作った人に会いたいくらいだよ」
目を輝かせ、興奮気味にアールスは答える。
「で、中身を見ないと始まらないでしょ」
「ネジはもうはずしてあるから後はここを・・・・・・」
そう言って箱の一面を横にずらす。すると、引き戸のようにすんなりと外れ、膨大な量の歯車が、緻密かつ複雑に組み合わさった空間が現れた。
「・・・・・・アールス?」
カレンが、固まったアールスの顔を覗く。その顔には、歯車の多さに対する絶望よりも、何がどう動いているのか調べたくなるのと、絶対に直してやると言う執念と、これを作った人と話をしてみたいと言う想いと、様々な興奮に満ちた目が爛々と輝いていた。
「アールス!」
強く声をかける。こうでもしないと、アールスは何時までも眺め続けてしまうからだ。
「あ、ああ。」
「修理の基礎、はじめは?」
「分解、調査。でもこれ、元に戻せるかなぁ」
「分解図くらい描いてあげるわよ?」
カレンの主な仕事は図面描き、いわゆる図面屋だ。カレンは絵が得意で、その要因の一つにこの図面引きの作業があった。
手早く箱に合った寸法の模造紙と精密製図用鉛筆を取り出すと、机後ろの作業台の上に広げた。いつもは作業机の上に広げ、隣でアールスが分解しそれを見ながらカレンが線を引くのだが、今回は用具と箱だけで机がいっぱいいっぱいになっていた。
いつもすぐ横にいるカレンが、後ろで紙を広げていると言う変わった状況であったが、機械への大いなる興奮のほうが強かったアールスは、何事もなく作業を始めた。だが、違和感はすぐに襲ってきた。
「まず・・・・・・この歯車か」
「ねぇアールス、これどうやって確認しようか」
「あ・・・・・・。ごめん、机見に来ながら書いて、ゆっくり分解するから」
いつもすぐ横だったため、カレンもアールスの手元を見ながら書くことが出来た。しかし、今の状況は互いに背中をむいている状態。どう頑張ってもこのままでは、カレンは分解中の状況を把握できない。
仕方なくカレンは、アールスが一個部品を取るたびに机へ赴き、台に戻って図面を引いた。
分解作業が進むに連れて、アールスもカレンも疑問符を浮かべる回数が多くなってきた。
見たこともない形状の歯車、歯の欠けた歯車、斜めにわたっている筒型移動棒、様々な部品が出てきては、それを描き留めていく。
中心部に行くに連れて、その特異な部品たちは数が多くなっていく。果てには、謎の紐までもが出てきた。
「こんなの見たことないぞ」
「ねぇ、それどうやって描けばいいのよ」
二人は、今までにないほどてこずった分解調査をやっとの思いで終えた。そのときにはすでに、霧の都は深い闇に覆われていた。
カレンはそのまま工房に泊まると家に電話を入れ、アールスの代わりに夕飯を作った。一方のアールスは、やれやれと言った表情で自分の部屋のベッドメーキングをしていた。いつもカレンが泊まりに来ると、自分の部屋にカレンを寝かせ、自分は工房で寝ていた。昔は客室に泊めていたのだが、何時の間にかカレンが、アールスの部屋に泊まりたいと言い出したためにこうなった。
その夜は、カレンが寝静まった後もアールスは作業を続けていた。それは、分解ではなく時間の見積もりであった。
次の日には、依頼主に連絡を入れたかったのだが、ここまで複雑だとそれなりに時間もかかるだろうし、ここまで分解しておきながら、組み立てたとしても動くかどうかと言う危険な橋を渡る可能性もある。それを見極めるのも時間がかかる。眠い目を擦りながら予想を立てていった。
第三章
翌朝、カレンが起きると部屋はおろか家全体が静まり返っていた。
すぐに窓のカーテンを開け日の光を取り入れる。が、ここはもちろん倫敦、日が出ている日は数えるほど少ない。その日も鈍い光が窓から差し込んでいた。
時計を見ると、丁度八時を回ったところ。いつもアールスが起きていてもおかしくない時間だが、なぜか静かだ。
カレンは着替えを済ませると、部屋を移動した。真っ先に工房に向かうと、机に突っ伏して寝ているアールスがいた。工房の明かりはついたままだった。
近寄ると、傍らになにやらメモがあった。そこには、依頼主に伝えるのであろう必要日数と金額、そして、メモの大半が修理箇所の推定に使われていた。
それを見たカレンは、呆れながらもどこか笑っているような顔をして、工房に備え付けてある蒸気機関の火を焚き始めた。少し冷えていた工房内は瞬く間に温まり、カレンはそのままアールスに持ってきた毛布をかけた。キッチンから紅茶を淹れて、サンドイッチと共に工房まで持ってくると、カレンはそのまま朝食をとった。
その後は、アールスが寝ている間に代わりに依頼主に連絡を入れ、一通りのことをやっていた。
ふと、アールスが目を覚まし、寝起きのぼけた頭で整理をする。
夜中まで仕事をしていたところまでは覚えているが、その先が思い出せない。ふと、毛布がかけてある。後ろでは蒸気機関が、蒸気をもらしながら稼動していた。昨日まで書いていたメモはどこかへ行き、後ろの作業台にはサンドイッチの乗った皿が置かれていた。
「あれ?」
自分の記憶と合わない状況に、置いてきぼりになるアールス、そこへ
「やっと起きたの? えらく重役ね」
と、嫌味たっぷりカレンが声をかける。
「まぁ、一応、主だからね・・・・・・」
どういう状況だと、表情でカレンに聞いてくる。
「今、十一時。連絡だとか何だとかは全部やっといた。そこのサンドイッチ、
朝ごはん。食べないなら食べちゃうけど?」
「あ、あぁ、ありがとう」
淡々と説明するカレンに対し、一言しか口に出来ないアールスだった。そのままカレンは紅茶を淹れに行った。
昼が近いと言うことで、戻ってきたときには昼の分の食べ物も紅茶と共に持ってきた。アールスは、頭を掻きながら昨日の作業の続きを頭の中でする。
いつも機械や紙が乗っかる作業台は、今だけはダイニングテーブルと化していた。二人はそのまま昼食をとった。
「で? どうするの?」
食べているとき、ふとカレンが質問を飛ばす。
「どうするって?」
「連絡はメモ通り入れておいたけど、修理箇所の選定出来てるの? 原因も判ってないみたいだし、期日に間に合うの?」
アールスが見積もった期間は、二週間。金額は最新の大型蒸気機関が買えるほど。並大抵の人は払えない金額だったが、依頼主の男性は快諾した。
しかし、そうなったらしっかり修理をして無事に返さねばならない。難題はそこだ。今まで見たこともない機構を、手探りで直していかねばならない。
「何とかするさ、いつもそうだもん」
食べ終えたアールスは、早速、作業のために出かける準備を始めた。
行き先は、倫敦中央部より少し郊外にある部品屋だ。アールスは、いつもここで歯車や天賦、ネジといった部品を調達している。
「お、アールスじゃないか久しぶりだな」
店の店主が、入ったと同時に声をかける。店は非常に狭く、壁や床に所狭しと歯車が並んでいる。
アールスは細長い店内を、店主のいる奥まで分け入っていく。
「おやっさん、相変わらず品揃え豊富だね」
「奥にもっと細かくあるぞ? 最近いいのが入ったもんでね」
店の店主は上機嫌に話すが、構わずアールスは本題に入る。
「十六歯と二十三歯と二十歯、あと百六十二歯で真鍮のある?」
「やけに細かいな、あるにはあると思うが、今回のはどんなのだ?」
そういいながら店主は店の奥に向かい、壁に向かいながら引き出しをいじりに行った。その間にも、アールスは話を続ける。
「計算機だと思うんだけど、中が特殊で困ってるんだよ」
店主が戻ってくるのを見計らって、カレンの描いた分解図を出す。
「ほう、ここは歯が欠けてるが・・・・・・わざとか? しかも、ベルトじゃなく紐を使ってる、それ以前に歯車の量が多いな」
カウンターに歯車を並べながら意見を交わす。アールスは、ここの店主にたまに技術的な面でも世話になっている。
「書面だと計算結果が乱れるって書いてあったんだが、中を見るとどこが悪いんだか予想も出来ないんだよ」
「アールス、今大切なのは原因がどこかじゃない、どうしてこんな機構なのかを考察することだ。目的のための過程を忘れちゃいかんぞ」
そういいながら部品をどんどん揃えていく。
一通りの部品を買ったアールスは、その足で本屋へ向かう。そこで技術書を新たに買い揃え、工房へ戻ったのは夕暮れ時だった。
「あら、結構な大荷物じゃない」
「見てないで手伝ってくれない?」
「女性に肉体労働させるの?」
「助手は手助けするもんだろ?」
ぶつくさ文句を言うカレンを、何とか言い聞かせて荷物整理に動員する。
「そういえばカレン、帰らないの?」
「ああ、お母さんに連絡したら『二週間そっちを手伝え』って」
「へ?」
その言葉を聴いて変な声が出てしまった。手伝うと言うことは、二週間泊まると言うことだ。その間、カレンのわがままにも付き合いつつ、頑ななこの機械ともにらめっこすることになる。
「ああ、もう荷物は部屋に持ってきてるから、安心して」
「安心できない、安心できない。部屋ってどこの部屋?」
「アールスの」
「は!?」
「冗談、客室使わせてもらうよ?」
「よかった・・・・・・」
何とか自分の部屋は守れた。それだけで、嬉し涙が出るアールスだった。
何はともあれ、長いようで短い二週間が幕をあけたのだった。
第四章
次の日、朝からアールスは買ってきた技術書に目を通していた。店のほうはカレンに任せ、新しい依頼は断るようにしていた。カレンも、ただ来る客に預かっていた物を渡し、お金を受け取る作業に勤しんでいた。
それを二日も行えば、客足は少なくなる。カレンも暇な日が多くなり、アールスに構うようになっていた。
「どう?調子は」
「だめだ、片っ端から読んでるけど機構に関してまったくかすりもしていない。強いて言うなら小さな見出しで紹介する程度だ」
新しい技術書は、まったくもって役に立たなかった。最新の歯車の組み合わせに関しては百人力であったが、相手は得体の知れない機構、アールスの予想はことごとく外れていた。
「単純な計算回路だと思ったんだけどなぁ」
「単純な回路で紐まで出るなんて聞いたことないわよ」
確かに、古い物になると一桁の加算でも歯車が大量に使われていた。博物館に行けば、部屋ひとつを使うほどの大きさで二桁の四則演算装置などよくある。しかし、今回はそれに当てはまらない。
「計算機なんだよね?」
「それは確定。入力部分の歯車も見たけど、どう考えても数値入力だし」
今になって様々な音声や映像を情報として計算機に投入できるが、本来の目的は『計算』にある。そのため、この機械はタイプライター式キーボードではなく、ドラム式回転歯車による数値の入力になっている。
「とりあえず、疑わしき物は取り替えてみるか」
そう言い出すと、アールスは本の類を棚にしまい、歯の欠けた歯車を取替え、組み立て始めた。
組立作業は二日で完了した。歯の欠けている歯車は新しく取り替え、紐は最近のゴム帯に変えた。
動力口の歯車と工房の蒸気機関をギアで接続する。すると、書類に書いてあったカランカランという音は聞こえず、正常に見えた。が、すぐに異変に気づく。
試しに簡単な1+1の計算をすると、56と返ってきた。
「あれ?」
「おかしいじゃない、やっぱり何か工夫が必要なんじゃないの?」
やっと完了したと思っていたアールスだが、初めて見たときの、あの手間のかかりそうな感覚は、確実の物となっていた。
それから三日、残り一週間を切っていた。
受けた依頼は、絶対に完了させてきたアールスは焦りを覚えていた。なんの機構かまったく判らない機械を相手に、右往左往する日々だった。片っ端から棚の本を読み漁り、分解と組み立てを何十回と繰り返した。が、原因が特定されることはなかった。
店は完全に閉まっている状態となり、カレンもアールスを見て不安を抱くようになっていた。このままでは、アールスが機械に殺されると。
「ねぇ、アールス」
残り四日、そんなときにアールスに声をかける。
「なに、カレン」
ぶっきらぼうに答える。まったく思うように行かず、苛立ちから出た声だった。
「ちょっと付き合ってよ」
そういうと、無理にアールスを工房から引きずり出し、よく行っていた機械博物館へ連れて行った。
「おいカレン、余裕そうだね」
「あのままじゃ何も始まらないでしょ。何か手がかりがあるかもよ」
そう言いながら、博物館内を見て回った。
この機械博物館には、数十年前まで栄華を極めていたガソリンエンジンや、大昔の蒸気機関など、機械関連の様々な物が展示されていた。
めいいっぱい楽しむカレンと、それを横目に機械といまだ脳内で格闘しているアールスは、館内をどんどん進んでいった。
ふと、アールスは歩みを止める。そこには、『階差機関』と言われる計算機があった。
カレンは、そこで止まりたくはなかった。アールスを、あの計算機から放すためにここへ連れて来たのに、計算機を見たらまた捕らわれてしまうと思ったからだ。
しかし、アールスの反応は逆の物だった。
「ねぇ、カレン」
「なに?」
「あの機械も年寄りだったよね」
「そんな話もしてたね」
「もう少しこの展示見て良い?」
カレンは言われるがままにアールスの後を付いていく。計算機の展示には、これのほかにも『九元連立方程式求解機』や『計算尺』といった物まであった。
それらを見たとき、ふとカレンはアールスの顔を見る。そこには、今までの焦りや苛立ちや絶望といった表情はなく、希望と期待に胸躍らせているいつものアールスがあった。
「・・・・・・これだ」
展示を見ていたアールスは言葉を漏らす。カレンはそれを聞いていた。
「どうかしたの?」
「みつけた、これが答えだ」
そういうとアールスは、一目散に工房へ戻り、工房地下の書庫へ急いだ。
工房の地下には書庫があり、そこには棚に入りきらない技術書が所狭しと並んでいる。ただ、大概の本が古いもので、技術書的にはなんの役に立たない物になっていた。しかし、ときたまに型の古い物が依頼として来る。そのときのために、何十年も前からこうして地下に本をためてあるのである。
その地下書庫の一角から、計算機関連の本を一通り取り出す。
「ちょっと、どうしたのいきなり!」
カレンが後から追ってくる。
「判ったんだよ、機械の正体が」
アールスは興奮気味に話す。
「で、何なの?」
「コイツは名づけるなら、『計算尺判定型多項連立計算機』だよ」
カレンは長ったらしい名前に疑問符を浮かべる。急いで追いかけてきた上に、よくわからない名前を並べられても困るだけだ。
「どういうことなの? 落ち着いてゆっくりと分かるように説明して」
アールスは深呼吸をすると、カレンの描いた分解図を持ち出し説明を始めた。
「まず、この可動式の筒棒、これは計算尺のように入力された数値によって動きが変わる。この中にあった部品が結果を出力するようになっている。そして、この歯の欠けた歯車、これも計算尺のような物。歯が欠けているんじゃなくて、正確には『こういう形状の歯車』なんだよ。わざと間隔を変えることで、数値に対応させているんだよ」
「じゃあ、あの紐は何?」
「あれが最大の要だったんだよ。連立方程式を求める機構と、多項式を求める機構、そして計算尺の機構の三つの入出力を担うものなんだよ! ベルトだとあんなに細かい動きは出来ない、だから紐なんだよ!」
話していくうちに興奮してくるアールス。たしかに、こんな機械今までも、これからも、見ることはないだろう。そういった興奮は、カレンはさっぱり分からないが、アールスが好きな物だと言うことはよく分かる。
「こうしちゃいられない! すぐに新しい部品作らないと」
そう言い出すと、埃まみれの本を開きながら、歯車をいじりだす。そんなアールスを見て、自分の行動は間違っていなかったと確信するカレンだった。
第五章
期限前日、組立作業は最終段階を迎えていた。
結局、原因は歯車の劣化と機構の不具合、紐も劣化していたからだった。ただ、これらを判別するにはこの機械に対する知識が必要で、どの工場も依頼を受けないのがよく分かる。
最後に、箱の一面をずらし、ネジで固定する。
「終わった・・・・・・」
アールスが大きく息を吐く。
しかし、もちろんこれで終わりではない。最後の検査が待っている。
しっかり修理できていれば、正常な答えを出すはずだ。
カレンも固唾を呑んで見守る。
工房の蒸気機関にギアを介してつなぎ、動力を送る。そして、疲労しきっている頭を動かし、計算式を入力する。
「1+1・・・・・・」
確定のスイッチを押すと、結果を表示する文字盤に「2」の文字が現れた。
修理成功だ。
二人はなんともいえない達成感を味わっていた。もちろん、自分の物ではないが、しっかり動くとうれしいものだ。
「アールス、お疲れ様!」
肩を軽く叩きながら、ぐったりとしているアールスを励ます。何とか期日には間に合った。アールスの手袋は、油と金属粉と埃ですっかり汚れていた。
カレンはその日の夜、夕飯を豪勢にしてアールスの労を労った。
「あのさ、カレン。うれしいんだけどさ、これどこから持って来た食材?」
「無論、冷蔵庫よ?」
アールスは、豪勢な食事にうれしい反面、自分の家の食費がかさんでしまったことを嘆いた。
そして、期日の日。昼ごろに依頼主の男がやってきた。
カウンターに機械が置かれ、アールスが軽く説明をした上で詳細書を沿えて渡す。
男は満足げな顔を見せると、言われた分よりも多くのお金を払って店を出ようとした。
男が店から出る前に、アールスは質問を投げる。
「あの、その計算機を作った方にお会いできませんか?」
男はゆっくりと振り向くと
「残念ですが、もう話すことは出来ません。私の唯一の形見を直してくれて、ありがとう」
そう言って店を出て行った。
アールスはため息を一つつくと、晴れた顔をしていた。
工房のほうからそのやり取りを見ていたカレンだが、アールスが晴れ晴れとした気持ちであるのは、すぐに分かった。それと同時に、窓に広がる倫敦の街並みにも珍しく日の光が降り注ぐ。雲が晴れ、青空が広がっていた。
工房に戻り紅茶を飲もうとアールスが振り返ろうとしたとき、扉の鈴が鳴った。
「いらっしゃい」
そうアールスが言った先には、同い年くらいの女子二人と、東洋人であろう同い年くらいの男子二人の四人が入ってきた。
終
どうも、哲翁霊思です。『ゴースト』の、霊思です。
はい。スチームパンクです。
今回は、連載予定として構想している小説『ロストスチーム~崩壊の蒸気都市~』の番外扱いで書きました。
もちろん、この後本編と繋がってくるわけでございます。
こんな感じで書いていこうかと思っておりますので、よろしくお願いします。
最後に、ここまで読んでくださいましてありがとうございました。
これも何かの縁、これからもよろしくお願いいたします。
では、またいつか。