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テーマ短編’15

ガールズ・トーク

作者: 木下秋

 五月二日。



 晴天。



 東武スカイツリーライン準急、鷺沼行きの電車は北千住駅の四番線ホームを後にした。十時一分。時刻表通り、ピッタリだった。


 銀色に鈍く輝くアルミニウム合金の車体。施されたシャイニーオレンジの塗装。50050系は時間と速度を遵守して、レールの上をひたすら真っ直ぐに。春の陽気に浮かれることなどなく、冷徹に走っていた。



 列車は無表情に――しかし速度を増すと、リズミカルに身体を揺らす。




 ……タタン、タタン。


 ……タタン、タタン。




 ――『牛田』、『堀切』、『鐘ヶ淵』。



 ――『東向島』、『曳舟』、『押上』。




 そして何事もなかったかのように、すんなりとその身体を東京メトロ半蔵門線に乗り入れる。





「晴れてよかったねぇ」


「ほんと」



 四号車。


 両側を扉に挟まれたスペース。



 澄果スミカ――友人たちからはスゥと呼ばれる小女しょうじょがしみじみと呟くと、直織ナオは相槌を打った。


 スゥは腕を組んでいる。――ナオはつり革を掴んでいる。スゥの身長は二十歳ハタチにして、百四十五センチしか無かった。ヒールのある靴を履いているとはいえ、彼女につり革に捕まるという習慣は無い。中学、高校と陸上部に入り、駿足で一時、ローカル的に有名だった彼女は、今もストイックに両脚を肩幅より拡げ、踏ん張っている。ナオはというと、身長は百六十五センチあった。



 スゥとナオは高校時代からの友人だった。活発で身体を動かすことを好むアウトドア派のスゥと、眼鏡をかけた、あからさまにインドア派なナオが仲良くしているのは、周りからすれば不思議な光景だった。しかし二人からすると、そんなことは気にもならなかった。アウトドア派の人間であっても、いつでも身体を動かしていたいわけじゃないし、インドア派の人間だって、たまには身体を動かしたいと思う時があるものである。お互いはお互いに、自分にない部分に惹かれあって、こうして別々の大学に入った今でも仲良くしているのだ。



「席空いた。座る?」



 押上で客が降りたことで、座席には二人分座れるスポットができる。スゥは目ざとくそれを見つけると、ナオの返事も聞き切らずに座った。ナオはこういう時、あえて立つという選択は決して選ばないのだ。二つ並んで空いているなら、まず間違いなく座ることを選ぶ。スゥはそれを知っているし、それをスゥが知っていることを、ナオは知っている。



 二人の今日の目的地である『神保町』まで、残り七駅。



 電車は地下へと潜り、窓の外は黒一色に染まった。




「……アヤがね、彼氏と別れた、って言うのね」



 座ってまず、口を開いたのはスゥだった。


 アヤとは、彼女の三つ下の妹である。



「うん」




 ……タタン、タタン。




「……どうして?」


「それがあの子、その彼氏の誕生日にケーキを作ってあげてたの。私バイトから帰ってきたら、なんかリビングで甘ぁいにおいがしてて……で、『ちょっとちょうだいよ』って言ったら、『ダメ!』って。『彼氏にあげんの!』って」


「アヤちゃん、あれ、ケーキ作る人…………パティシエになるのが夢なんだっけ?」


「うん、そう。それでね、こう……クリーム作ってたりなんかして。シャカシャカーって。そんで、がんばってるなぁ、うまくいくといいなぁ、なんて、姉なりに思ってたのよ」


「うん」


「でもね、その次の日。帰ってきたら、泣いてるのね。そんで、『どうしたの?』って聞いたら……」




 ……タタン、タタン。




「……『手作りとか、“重い”』って。笑われた、って言うの」




 ……タタン、タタン。



 ハァ、と、ナオはため息を吐いた。



「……サイッ、テイ」


「でしょお⁈」



 電車はゆっくりと速度を落とす。車内放送がボソボソと流れると、窓からは明かりが射した。




 ――『錦糸町』。




 ドアが開き、何人かが降り、乗ってくる。


 音を立てて閉まると、のろのろとゆっくり、再び走り出した。




「……私、もうかわいそうで……」


「ひどいねぇ」



 ナオは同情に顔を歪めた。



「手作り、って“重い”かなぁ」



 スゥはまるで自分が言われたかのような様子で聞いた。



「そんなことないでしょ」


「ねぇ」


「私もし、誰かと付き合ったとしてね。男の人が手料理なんか作ってくれたら、まずくったってうれしい」


「私も!」


「私の為に、なんかがんばって作ってくれた、ってのがうれしいんじゃない?」


「そうそう」


「手作りが“重い”とか……よくそんな軽はずみにひどいこと言えるよね」


「うん」


「なんかムカついてきた」


「ハハ……」




 ……タタン、タタン。




「……そんな奴ね、思いやりがないのよ。こういう事言ったら相手を傷つけてしまうかもとか、そういうことが考えられないの。手作りにしたってね、その子がどんな思いで、何あげようかなぁって、考えたんだろう……悩んだんだろう、とか、どんな気持ちでそのクリームを泡立てたんだろうとか、オーブンの前でスポンジ膨らむ様子見てたんだろう……とかね。その場面を想像することもできないのよ。想像力、イマジネーションが無いの」


「フフ……イマジネーション」




 ……タタン、タタン。




「アヤに聞かせてやりたい」


「アヤちゃん別れてよかったよ。そんなヤツ」




 ……タタン、タタン。




 減速。ボソボソ。明かり。




 ――『住吉』。




 扉が閉まると、電車は再び走り出す。





「……ほら、私たちってケンカとかしたことないじゃない?」



 口を開いたのは、ナオだった。



「うん」



「『ケンカするほど仲がいい』なんて言葉があるけど、私、あれってウソだと思うのね」




 ……タタン、タタン。




「……っていうのも、お互いにちゃんと思いやりを持って、思い合っていればね。譲り合って、感謝し合って、許し合って……そしたら、ケンカなんてしないのよ」


「うん」




 ……タタン、タタン。




「……そうよね。ケンカするってことは、その相手のことをちゃんと理解できてない、ってことだもんね。ここまで踏み込んで言ったら、流石に傷つけちゃうだろうなぁ、とか」


「そう。距離感、っていうかさ。……まぁ、そんな言い方まるで『私たちはちゃんと思いやりのある人間だ』って言ってるみたいで、おこがましいけど」


「フフ……」




 ……タタン、タタン。




「……でも、ナオは私のことちゃんと考えてくれてるなぁ、とは思うよ」



 ……




 ――『清澄白河』。




 ……



「だって、この前誕生日プレゼントに洋書の絵本くれたでしょ。私、あれうれしかった。だってナオは私が絵本にハマってる、っての覚えてくれてて、英語の勉強してるのも知ってて、だからあの本くれたんだもんね」



 ナオは、自分の顔が少し熱くなるのを感じた。



「うん……まぁね……」




 ……タタン、タタン。



「でも、誕生日とかに何あげよう、って考えるの、たのしいよね」


「うん。選んでる時とかね」


「そう。『これあげたら喜んでくれるかなぁ』とか、『どんな顔するかなぁ』、って」


「わかる」


「だからなおさらアヤちゃんがかわいそうだし、その元カレは許せない」


「そう」


「もうクソだね。そいつ」


「フフ……きたない」


「クソ」


「やめてってば……フフ……」


「ンフフ……」



 ……




 ――『水天宮前』。




 ……



「……なんだかんだ言って、妹かわいいの」


「わかるよ」


「姉バカ、っていうか」


「私も弟かわいいもん」


「ね。だから、幸せになってほしいと思うし、ちゃんとすきになる人も見定めてほしいのね。自分を幸せにしてくれる人かどうか……」


「スゥもね」


「私は大丈夫だもん」


「ほんと?」


「ほ・ん・とぉ!」




 ……タタン、タタン



「……弟くん、彼女とどうなの?」


「この前ウチに泊まりに来てたよ」



 ナオと弟は二歳離れている。



「えーっ! 一大事じゃん!」


「うん、それがね……」



 ……




 ――『三越前』。




 ……



「バイトから帰って来て、リビング行ったのね。そしたら、ママがビール飲んでて。『ミキちゃん来てるの。泊まるんだって』って」


「弟くんの彼女、ミキちゃんってゆうんだっけ?」


「そう。それでね、私『ふぅん』って。それで夜ご飯食べ始めたんだけど、ママが『リュウはリビングで寝かすけどね』って」



 リュウとは、ナオの弟である。



「ハハハ……なんかカワイソウ」


「うん、ちょっとね。でも、まだ高三だもん。ママ的にも心配だろうし、まぁわかるな、って思って。そしたらね、ママが『アンタも飲む?』って」


「ビール?」


「うん、それがね。よく見たら、ノンアルコール・ビールだったの」


「うん」


「それでね、私思ったの。『彼女が泊まりにきてるのに一緒に寝ることが許されない』のと、『ノンアルコール・ビール』って、なんか似てるなぁ、って」



 ……タタン、タタン。



「フフ。なんとなくわかる」


「ね。『ビールなのに酔えない』……。意味あるのかな、って感じ」


「うん」


「でも、私それパッて思ったんだけど、ママには言えなかった」


「フフ。…………国語の問題みたい」


「国語?」


「そう。なんでそれを言えなかったのでしょう、みたいな」


「あぁ……なるほどね。フフ……」


「そりゃ言えないよね」


「うん。なんでかって、説明しなくちゃいけなくなっちゃうもん」



 ……




 ――『大手町』。




 ……



駅名を示す看板に次の目的地が書かれている。『神保町』。その文字を見て、ナオが言った。



「神保町でさ、どっか行きたいとこあるの?」


「うん」



 ……タタン、タタン。



「絵本しか置いてない本屋さんがあるの。そこ行きたい」


「へぇ〜。ステキ」


「でしょ?」


「絵本、っていいよ。なんか、純粋で」


「わかるよ。『泣いた赤鬼』とかヤバい。私子どもに読み聞かせとか、できる気がしない。途中で泣いちゃって」


「『泣いた赤鬼』?」


「えっ、知らない?」


「知らない」


「超メジャーだよ。絵本専門店なんて絶対置いてあるんだから。探そ」


「うん」


「お昼は何食べる?」


「ナオは? 何食べたい?」


「なんでもいい」


「“なんでもいい”は困っちゃう」


「スゥの食べたいものでいいよ」



 ……タタン、タタン。



「……じゃあうどん」


「だと思った」


「フフ……」


「フフフ……」


「毎回うどんでヤでしょ」


「うどん私だってすきだもん。いいよ」


「ほんと?」


「うん」



 ……タタン、タタン。



「ナオは? 行きたいとこない?」


「私秋葉原行きたい。近いから歩こうよ」


「うん、いいよ」


「天気よくてよかった」


「ほんと」


「途中でどっか喫茶店入ろう」


「いいね」


「ケーキ食べたい気分」


「……ねぇ、それってさっきのアヤの話聞いたからでしょ?」





 車内には、寝る人、本を読む人、膝の上のノートパソコンを叩く人、スマートフォンの画面を懸命にこする人。めいめい各自、自分の世界に浸っていた。


 スゥとナオの二人は二人の世界の中で、こそこそ内緒話をするかのように、囁き合っていた。



 電車がホームに、静かに停車をすると、二人は降りて、並んでエスカレーターへと歩いていった。




 ――『神保町』。




 50050系は全ての扉を閉めると、ゆっくり、ゆっくり加速を始めて、すぐにホームから去った。





 ……タタン、タタン。





 ……タタン、タタン。


















 ――『九段下』。

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― 新着の感想 ―
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