第12章:第5話
ゼオンは「愛」という言葉が苦手だった。その言葉を聞く度に、遠い昔の身の毛がよだつような記憶が頭をよぎる。だから、その日ルルカからその話をされた時から嫌な予感はしていたのだ。
ルルカはキラ達が居ない場所を探してひたすら歩いた。怒っているのだろうか。ゼオンの方を見向きもせずに歩き続ける。ようやくちょうど良い物影を見つけたところで、ルルカはようやく腕を放した。そして、ルルカは低い声でゼオンに言った。
「貴方、キラかティーナなのか、はっきりしたらどうなのよ」
「……は?」
ゼオンは変な声をあげた。何を言われているのか全く理解できなかった。
「……いや、違うわね。割とはっきりはしてるわよね。よく考えたら、最初からキラしか見ていなかったわね。別に、キラが好きなのは構わないのよ。ただ、そうならそうって堂々と本人に言ってしまいなさいよ」
「いや、待った。何の話だ。俺は今どうして怒られているんだ」
「全くこれだから……私だってこういう事に慣れてるわけじゃないのに……どうして私以上の猛者が居るのよ」
ルルカは軽蔑するような目でこちらを見るが、ゼオンにはどうすればよいか全くわからない。
すると、ルルカは誘導尋問のように順にゼオンに尋ねた。
「まず、ティーナが貴方を好きだってことくらいはさすがに気づいているわよね。気づいてなかったら、頭に矢でも刺すわよ」
「……それは、まあ、なんとなくは」
毎日出会う度に「きゃっわーん、愛してるぅ!」と言われるので、少なくとも嫌われてはいない。「きゃっわーん」と言われる程度には愛されているらしい。そのくらいの事はさすがのゼオンも理解していた。
続けてルルカは言った。
「けど多分、貴方はキラが好きなんでしょう?」
そこでゼオンの頭は止まった。キラガスキナンデショウ。どこの惑星の言語を喋っているのだろう。
石のように動かなくなったゼオンを見て、ルルカはまさかと口を押さえる。
「ちょ、ちょっと……まさか自分で気づいてなかっただなんて言わないでよ? 気づいてると思って貴方の方に言ったのに……」
「や、その……す、それってどういう意味の話をしているんだ」
「ちょっと、ここまで言ったらそんなの一つしか無いじゃない。そこまで言わせないでよ……」
ゼオンは魂が抜けたように黙り込んでしまった。ここでいう「ゼオンがキラを好き」とは軽々しく口にできるような浅い意味の「好き」ではないのだろう。
ふと一瞬、嫌なことを思い出した。嫌だから、すぐに無かったことにした。そうした矢先、ルルカはなぜか棘のある口調で言う。
「つまり、その……所謂恋愛という意味でキラが好きなんでしょう?」
ゼオンはますます黙り込んでしまった。不気味な沈黙が流れる。
「……ちょっと黙らないでよ。私がものすごくおかしなこと言ったみたいじゃない」
何を言われているのかがわからなかった。「恋」で「愛」という意味がわからない。自分がキラにそのような感情を向けている? なぜそんなことをする必要がある?
「……ちょっと、その本気でわからないって顔、やめてくれない?」
「……お前、それを言う為に俺を呼び出したのか?」
「違うわよ。まさか本題の前段階でこんなに躓くとは思ってなかったけどね……」
「何を理由に俺がその恋愛の意味であいつを好きだと判断してるんだ」
「本気でわかってないの? 貴方とキラ以外みんな知ってるわよ?」
多分、「恋」と「愛」……特に後者の言葉から目を背けていたかったのだと思う。ゼオンは頑なにルルカの言葉を認めなかった。
だが、ルルカはわざわざ証拠を挙げてゼオンに突きつける。
「貴方、今までキラのことを何度命懸けで助けていると思っているの? まずあの子が杖に身体を乗っ取られて暴走した時。次にあの子が誘拐された時、あとはサラ・ルピアとの戦いの時もね。イオが来てからも何度も助けているわよね。キラが好きでなかったら、そこまでしないんじゃない?」
「いや、そりゃ……あいつじゃなくても、目の前で人が死にそうになってたら……放っておけないだろ」
「そうかしら。私の記憶が正しければ、貴方はそんなお人好しじゃないわ。貴方、初対面の時はあの子に杖を突きつけて脅してたのよ。それが今じゃ別人みたいに丸くなっちゃって」
「別……人……」
思わずその言葉を繰り返していた。ゼオンはこの村に来てからそんなに変わったのか。キラと出会ってから。逃げ道はどんどん失われていった。この村にやってきたあの日の自分と今の自分。どちらも同じ自分のはずなのに、昔の自分がどのような人であったか全く思い出せない。ルルカは別人のようと言うが、自分ではその違いが全くわからなかった。
「参ったわね……ここまで自覚が無かったなんて。これじゃ本題に入れないわ」
「……まだ本題じゃなかったのか。結局、お前は何が言いたいんだ?」
「ティーナのことよ。なんだか、あまりにもあの子が可哀相になってきたから」
ゼオンは更に首を傾げた。キラの話をしていたのではなかったのだろうか。ルルカはまるで自分が痛みを感じているかのように言う。
「私は別に貴方とキラがなんだかズルズルと中途半端な関係を続けていたって構わないんだけどね。それを見ているティーナが辛そうなのよ。気にしていないように振る舞っているから余計に」
「そう……なのか?」
「そうよ。気づいていなかったでしょう。好きな人が自分を見てくれないのって、辛いのよ」
貴方はティーナをそれほど傷つけている。ルルカはそうゼオンに突きつけていた。ふとその時、ブラン聖堂のオアシスでの他愛の無い会話を思い出した。キラはゼオンを「友達」と言っていた。仮に、全てがルルカの言うとおりだったとしよう。もしそうだとしたら、ティーナの気持ちはその時のゼオンの気持ちと似たようなものなのだろうか。
「……じゃあ、俺にどうしろっていうんだ。ティーナを好きになれと?」
「違うわよ。貴方の感情を捩曲げようとなんてしてないわ。キラが好きならそれでいいの。ただ、そうならそうだと早くはっきり言って、この中途半端な状態を変えた方がいいと思うのよ」
「……それをお前が言うのか?」
「それを言わせてしまうくらい、自分が重症だってことを自覚してもらいたいわね。でも別に強制はしないわ。提案よ。その方が、ティーナも傷つかないと思う」
いつもの「きゃっわーん、愛してるぅ!」が頭の中を通り過ぎ、ゼオンは複雑な気持ちになった。ルルカはそこまで言い終えると、靴に付いた雪を払ってゼオンに背を向けた。
「私が言いたいのはそれだけよ。別に急ぐ必要は無いけれど、もう少しティーナの気持ちも真面目に考えてあげて」
「……そう、言われても」
「全く……ティーナも可哀相だわ。なんでこんな奴に恋しちゃったのかしら」
ルルカが言った言葉が、不穏な響き方をした。ゼオンは思わず聞き返す。
「…………恋?」
「そうよ、当たり前でしょう。だからいつも『愛してる』って言うんじゃない」
それは、もし仮にゼオンがキラを恋愛の意味で好きなのだとしたら、ティーナもゼオンに同じ感情を向けているということだろうか。ゼオンの脳内で無数のエラーが起こっていることも知らずに、ルルカは「じゃあね」と手を振って帰っていった。
ティーナがゼオンを「好き」だということくらいわかっているつもりだった。そのはずなのに、今突然、その「好き」という言葉がとてつもなくえぐいもののように思えてきた。




