第12章:ある悪魔のラプソディ 第1話
そもそも、「ティーナ・ロレック」というキャラクターは後にできた造り物である。
ティーナという名前は本名では無いし、髪と目も元々赤くなどなかった。性格や立ち振る舞いも他人を模倣しているだけだ。
本来のティーナは自分が生きる為なら誰だって犠牲にする幼く身勝手な子供だった。そんな本性を隠そうとして生まれたのが「ティーナ・ロレック」だ。
物心ついた頃には既に親は居なかった。顔も知らない。親に付けられた名前も忘れてしまった。あるいは、付けてすらもらえなかったのかもしれない。
ティーナは10歳ほどまでは捨て子で溢れかえる孤児院で育った。知恵も教養も無く、生まれたままの野生動物のような子供しか居ないその場所は正に弱肉強食の世界だった。
孤児院の大人達が食べ物を平等に与えてくれる。しかし、それが平等に子供達の口に入ることは無い。
強き者は弱き者から食べ物を奪い、弱き者はただ黙り込むしかない。いじめや暴力も絶えることが無く、年に一人か二人は理由も明かされることなく孤児院から姿を消していた。
それでも、今思うとその孤児院は良いところだったと思う。少なくとも、後に送られた場所に比べれば。
孤児院の人々はそのような環境を改善しようと必死に手を尽くした。世の中のルールと礼儀を何度も子供達に教え、将来役に立つようにと文字も教えてくれた。
あの施設の連中が来たのは寒い冬の朝のことだ。なんでも、新しい親として子供達を数人引き取ってくれるのだという。その数人の中にティーナも選ばれた。
「よかったわねえ!」と孤児院の人々は言う。なんでもその家は大変なお金持ちらしく、そこに行けばもう二度と不十分な暮らしはしなくて済むらしい。
なので、声がかかった時は、ティーナも多少心を弾ませていた。
後で考えると、孤児院の人々には本当に悪気は無かったのだろう。そうでなければ「実験用マウス」に文字を教えはしない。
馬車でしばらく揺られた末に、ティーナ達はその屋敷にたどり着いた。
立派な時計台が印象的なお屋敷だった。ティーナを含め、孤児院から連れてこられた子供達は屋敷の地下へと連れていかれる。
そして、白衣の男がティーナに言い渡した。
「609番。今日からそれがお前の名前だ」
お屋敷での優雅な暮らしなど何処にも無かった。
ティーナ達は人体実験の被験者として連れてこられたのだった。
◇◇◇
季節の流れは早いもので、このロアルの村にも雪が降り始めた。寒さも日に日に厳しくなり、人は皆部屋に篭りがちになる季節だ。
例年ならば、キラは世の流れに逆らって銀世界に飛びだし、雪だるまを沢山作っては友達やリラに自慢する。だが、今年は何故だか世の人々と同じように暖かい自宅に居た。
それもこれも、あのセイラと親しくなり始めたからだ。
「だぁめ! 今度はあたしがこの服着てもらうんだよ! キラばっかりずるい!」
「やだやだ、今度はこの水色のやつを来てもらってヘッドドレス付けてもらうんだもん! あたし、今日の為にペルシアんちから借りてきたんだよ!」
「あたしだって、宿屋の女将さんから借りてきたんだって!」
キラとティーナがフリルとリボンが沢山着いた服を次から次へと引っ張り出している。
本日、キラの家はセイラの着せ替え会場と化していた。
その二人の間には、頭のてっぺんから足の先まで飾り立てられたセイラが居た。セイラはなんだか窮屈そうな嫌そうな顔をしていたが、キラとティーナはお構いなしでセイラを飾るのだった。
「……あの、何なんです、これ」
セイラがようやく口を開いた。
「よし、じゃあ今度はこのうさぎさんの耳をつけよう!」
キラとティーナは全く聞いていない。
「……ちょっと、なんとか言ってください」
セイラは仕方なく少し離れたソファーに居るゼオンとルルカに声をかけた。
「そう言われてもな」
「こんな物珍しい光景、観察するに決まってるわよね。ゼオン、両手の花を取られた気分はどう?」
「よくわからないけど、静かに本が読めるから助かる。セイラありがとう」
ゼオンは手元の本から目線を逸らさず、らしくもない感謝の言葉を述べた。こうしてセイラは再び着せ替え人形へと逆戻りした。その間、セイラはずっとゼオンを鬼のような目で睨みつけていた。
そのせいか、ゼオンはしばらくして仕方なく本を閉じた。
「お前ら、そろそろ放してやったらどうなんだ」
するとキラとティーナはぎゃんぎゃんと言う。
「だめ! いいかい、セイラは可愛い、可愛いんだよ! だからあたし今までずううううぅっとセイラに可愛い服いっぱい着せたくて仕方なかったんだよ! だから今日はいっぱい着てもらうの! ねっ、ティーナ!」
「今まで一言もそんなこと言ってなかっただろ」
「なんかそんなこと言える雰囲気じゃなかったからだって! だから両者のわだかまりが消えた今こそ! 和平の印として、あたし達はセイラをめいっぱい可愛くするのだ! いくぞキラ、こんどはツインテールだ!」
「おおー!」
キラとティーナは天高く拳をあげた。
そう、実は出会った時から気づいていたが言えなかった。セイラはかわいいんだ。幼女と自称するとおり、背は小さく、手足も小さく、目はまあるく大きくて、髪は漆のように艶やかだ。
ブラン聖堂でイオの過去を見た時、正直キラは怖かった。だが一点だけ、イオの部屋に沢山のイオ手作りのセイラの洋服が並んでいるところを見た時、キラは心の底からイオに同意した。「イオ君、きみは最高だ!!」と。
こんな幼女を目の前にして、可愛い服を着せたいと思わないわけがないのだ。故にキラ達は今、全力でセイラに可愛い服を着せなければならない。
そう心に誓った瞬間、隙を見てセイラが逃げ出した。
「あっ、逃げた!」
二人は急いで後を追う。セイラはゼオンとルルカの間に座った。両脇に人を配置してガードする作戦だ。背もたれと壁があるので背後の防御も抜かり無い。
キラとティーナは仁王像の如く三人の前に立ちはだかった。
「さあさあ、セイラを引き渡してもらおうか!」
するとルルカとゼオンはさらりと言う。
「どうぞ。別に好きにすればいいわ」
「連れてくのは勝手にすりゃいいと思うけど……嫌がってるみたいなんだが」
当のセイラは本物の幼女のようにソファーに引っ付いたまま動こうとしない。頭に付けられたうさ耳を邪魔そうに触りながら、セイラはキラ達に言った。
「……これ、楽しいんですか?」
「めちゃくちゃ楽しい!」
「ものすごく楽しい!」
「理解しかねますね……」
セイラは駄々っ子に振り回された母親のようなため息をついた。キラはぶうっと口を尖らせた。
「だってえ、セイラみたいな子がいたらさ、ついついお人形さんみたいに可愛いお洋服着せたりしたくなっちゃうんだよ。ねっ、お願い!」
「結構です。かまわないでください」
「がーん、嫌われた!」
それきり、セイラはソファーから離れてくれなくなってしまった。諦めてキラ達が撤収し始めたところで、セイラはぼそりと呟いた。
「……こんなことで喜ぶなら、もう少し色々着てやればよかったかもな」
そう言って、セイラはいつものイオお手製帽子を抱きかかえた。それを聞いた途端、キラとティーナは獲物を見つけた猫のように舞い戻る。
「そうおっしゃるなら是非! こーんなバルーンスカートとか履いてみる気は無いかね、さあさあ!」
「ほら、エプロンドレスとかどう? 絶対かわいいよ! ほらほら!」
「……黙らんか、お前ら。今言ったのはイオが作った服のことだ。私はそんな下賎な服は着ない」
「わーん、また嫌われた!」
とうとう素の言葉が出はじめてキラ達は泣く泣く再撤退する。が、また十分もすればドレスを手にしてソファー襲撃に向かう。
平和な平和な冬の日の一コマだった。




