第11章:第33話
そんな話を知ってしまった後の夕食はなんだか気まずかった。
とはいっても、真正面に座っているリラはいつも通りなので、キラが一方的に落ち着かずにいるだけなのだが。
あの後家に帰ってから、キラは必ずリラに言おうと思っていた。「イオのことを知っているか」と。
だが、いざその時になってみるとなかなか言い出せない。
「おや、あまり食が進まないみたいだけど、どうしたんだい? 今日何かあったのかい?」
「う、ううん、なんでもないよ」
今のイオを見たら、リラはどう思うだろう。
キラはイオが来たことについてまだリラに話していなかった。セイラがさらわれた時も、誘拐した犯人については何も話さなかった。
だから、リラは両親の死にも、サラの復讐にもイオが関わっていたと知らない。自分の過去の失敗が娘夫婦を殺し、孫の手足を奪っただなんて知ったら、リラは耐えられるだろうか。
全てのことを話すのはまた今度にしよう。セイラとも慎重に話し合ってからの方がいい。
だから、今日はこれだけを尋ねることにした。
「……あのさ、婆ちゃん。イオって子、知ってる?」
その言葉を聞いた途端、リラの目が大きく見開いた。
「あんた、その名前をどこで知ったんだい……!?」
覚えている。リラは見たことがないくらいに真っ青になっており、後悔の念が読み取れた。
「あ、あのね、この前誘拐されかけたセイラって子が居るでしょ。その子の双子の弟がイオっていうんだ」
リラはそっと視線を落として、寂しそうに笑った。
「そうかい、そうかい……どういう縁だろうねえ。あたしも昔、同じ名前の子と知り合ったことがあるんだよ。その、セイラって子と顔も似ててねえ。喧嘩したまま、二度と会えなくなってしまったが……生きていたら、今いくつくらいになっているだろうねえ」
あ、もしかして、リラはイオが歳をとらないことを知らないのだろうか。考えてみれば、確かに未来を知る力があると話してはいたが、寿命については話題に上がっていなかった。
リラはイオが今もあの時の姿のまま過去に囚われているとは知らないのだ。
キラはゆっくりと尋ねる。
「あのさ、もし、もし……そのイオって子がいいって言ったらさ、うちに遊びに連れてきてもいい?」
リラは柔らかく微笑んだ。
「勿論だよ。遊びにおいで」
「やった! ありがと、婆ちゃん!」
リラの言葉に安心したら、なんだか急にお腹が減ってきた。早速目の前のご飯とシチューを掻き込みながら、明日のことを考える。
「こらこら、お行儀が悪いよ。もっとゆっくり綺麗に食べなさい」
「へへ、もう食べ終わっちゃったもん。ごちそうさまー」
するりと逃げるようにキラは食卓を抜け出して2階に駆け上がっていく。
いつか、イオとリラが仲直りできるといいな。そんなことを願いながら。
その夜はなんだか落ち着かなくて眠れなかった。今日の出来事がなんだか夢のように思えた。
イオのこと、メディのこと、リラやオズの過去──重たい事情もたくさん知ってしまったが、それでもキラはセイラが自分達を受け入れてくれたことが嬉しかった。
小さなベッドから、キラは星と満月が浮かぶ空を見上げた。
「こんな日が来るなんて思わなかったな」
セイラと出会ったばかりの頃を思い出す。あの頃は皆が皆を疑い、出会う度にいつも空気がピリピリしていた。
セイラどころか、ゼオンやルルカと打ち解けることすら夢のまた夢のように思えていた。
それが、こんな日が来るなんて。ゼオンやルルカも、セイラも、不自然に優しくなったわけでも別人のように性格が変わったわけではない。
それでも、多分お互いを受け入れるようになったと思う。キラにはそのことが嬉しかった。
「あとは、オズが居てくれたらなあ……」
たった一人、キラはそう呟く。
勿論、セイラを痛め付けたことを忘れてなどいない。だがそれでも、キラはオズのことを見放せずにいた。
あのような過激な手段に出るのはなぜだろう。やはりリディが関わる事柄だからだろうか。なぜそれほどまでにオズがリディにこだわるのだろう。
キラは今日見た過去の物語を思い出してみるが、答えは思いつかない。
過去をたどっていくうちに、キラは10年前の事件のことを思い出した。
「そういえば……あの事件の時、リディさんもその場に居たなんてなあ……あたしの記憶、まだ抜けてたんだ……」
絶対だと信じていたはずの自分の記憶が偽りだった。もうこんなことが何度続いただろう。
「お城にも一緒に行ったはずだったんだけどな……なんで忘れてたんだろう……」
俯きかけたその時だ。キラはあることに気づいた。
あの日、どうしてリディはキラの両親──ミラやイクスと共についてきたのだろう。理由はあまり詳しく教えてもらえなかった記憶がある。
だが少なくともリディがこの村に住んでいて、ミラやイクスと確かな信頼関係を築いていなければ有り得ないのではないか?
そういえば、セイラとイオは確かに「リディはロアルの村に行っている」と言っていた。
リディが10年前までこの村に住んでいたことは間違い無いのではないか?
「でも、おかしいよ……」
以前、キラはリラに聞いたことがある。
「リディという人を知っているか」と。おそらくリディが偽名として使っていた「ルシア・グリンダ」という名前も出してだ。
だがリラは「知らない」と答えた。これが異常事態でなければ何だ。
キラの両親と親しくしていた人物をリラが名前すら知らないはずがない。
思い返してみれば何もかもが異常だった。村人の間でリディの話を聞いたことがない。村では(悪い意味で)有名なオズがそれほど執着している人物なら少しくらい話題に上がるはずだ。
村人どころか、図書館の小悪魔達からもリディの話は聞いたことが無い。
リディのことなど、誰も知らないかのように。
「どうしよう、セイラのことに気をとられてて気付かなかった……なんで、どうして知らないんだろう……」
そう考えたところで、キラは一つ思い出した。ミラとイクスが死んだ後、イオはリディにたしかこんなことを言っていたような。
村に行く。そして、リディに関する村人の記憶を消すと。だとすると、まさか。
「……明日、セイラに確かめてみなきゃ。絶対何か知ってるはずだ……」
もし、キラの予想が正しいとしたら。オズにとってのこの10年間は地獄だ。
翌朝も良く晴れていた。
昨日の疑問を確かめようと、キラは早速セイラのところに向かった。
行く途中、すれ違う人達はいつものようにキラに手を振ったり、挨拶したりする。
キラは出会う人全てにこう尋ねてみた。
「あの、すいません。リディって人知りませんか? ピンクの長い髪で碧い瞳のとっても綺麗な人。ルシア……とも名乗ってたみたいなんですけれども」
結果は散々だった。
「いや、知らないなあ。聞いたこともないよ」
「誰だそいつ。そんな奴、村には居ないよ」
「ああ、それ、10年程前にオズが捜してたやつだろ。そんな奴、村には居ないってみんな言ってたんだけど、あいつ聞く耳持たないんだよ」
「あの時、オズ以外みんなが『そんな奴は居ない』って証明したんだ。それなのにあいつ、『嘘だ』って怒鳴りちらしてさあ」
「キラちゃんの両親が亡くなって、リラさんも酷く落ち込んで大変だったっていうのに、ほんと身勝手だよな」
「オズの奴、キラちゃんにまでその話したのか? 忘れな、そりゃオズの妄想の世界の女だよ」
しまいには、こんなことまで言うのだ。
「キラちゃん、オズなんかに関わるのは止めな。あれは妄想の女を10年も追い続けてる狂人だよ」
気持ちが悪くて仕方が無かった。村人全員が日常の笑い話のようにリディの存在を容易く否定するのだ。
話を聞く度にキラの歩みは速くなり、気がつくと全力疾走でセイラの部屋に駆け込んでいた。
「あらキラさん、おはようございます。今日も必要以上にお元気そうで何よりですね」
セイラは朝から机に向かって、何かノートに書き留めている。キラは夢中でセイラに尋ねた。
「ねえ、ねえセイラ。聞きたいの。リディさんって、10年前までこの村に住んでたんだよね!?」
セイラの手が止まり、キラの前までやってきて深く頷く。
「そうですよ。昨日、私達の過去をお見せした時点でつっこまれるかと思っていたんですが、遅かったですね」
「いや、それは昨日は色んなことがありすぎて……じゃ、じゃあどうして村の人達はリディさんのことを知らないの!?」
「それも昨日、お見せしたはずですが。イオが言っていたでしょう?」
「……イオ君達が、村の人達の記憶を消したの?」
セイラは再び深く頷いた。セイラはキラを椅子に座らせて、事の詳細を話しはじめた。
「キラさんがおっしゃったとおりです。あの日、ミラさんとイクスさんが亡くなった後、まずイオ達はキラさんとサラ・ルピア、それと国王様の記憶からリディの存在を消しました」
「……だからあたし、リディさんのこと忘れてたのか」
「ええ、リラさんが施した封印とは別の改竄でしたから、思い出すのも遅かったのでしょう。リディについての記憶の改竄が解けたのはおそらく、サラ・ルピアの復讐の時でしょうか。あの時はメディが破壊の力を振り撒いて暴れまくってましたからね。うっかり解けたのかもしれませんね」
「……にしちゃあ随分思い出すまでに時間がかかった気がするけど」
「正式な解除法で解けたわけではありませんし、あの時は色んな事で手一杯でしたから気付かなかったのでしょう。それにキラさんも積極的に10年前の事件の時について何度も向き合おうとしていわけではないでしょう。無意識に目を背けていたかもしれませんよ」
キラはつい黙り込む。自分では、もう十分真剣に向き合ったような気分になっていた。
だが、言われてみれば昨日両親が死んだ瞬間を直視できなかった。ゼオンが居なければきっとパニックになっていた。
過去を「乗り越える」という言葉を人はよく使う。「乗り越える」とはなんだろう。悲劇の瞬間を繰り返しても平然としていられるようになることを言うのか。本当にそうなのか。
それができなかった結果、こうして嘘の記憶が層のように重なっていったのだろうか。自分の記憶を「嘘」の一言で破られる瞬間は痛い。自分の心を支えていた情報が否定される。そんな苦しみをあと何度味わわなければならないのだろう。
「あは……ははは……。何度目だろうね。記憶が書き換えられていたのって。なんか、自分のことさえも信じられなくなってきそう……」
キラはどうにか言葉を絞り出した。キラが無理に笑おうとする姿をセイラはどこか哀しそうに見つめていた。
セイラは更に話を続ける。
「さて、話を戻しましょう。その後、イオ達はリディを連れて一度村に戻り、一晩で村人全員からリディに関係する記憶を全て消し去ったんです」
「そんな……一晩でそんなことができるの?」
「あら、お忘れですか? イオは時間を操れますし、サラ・ルピアの復讐の時に彼女に精神操作を行ったのもイオですよ?」
キラは言葉を失う。ならば可能だ。村人全員からリディの記憶を消し去ることは無理難題などではない。
「でも、オズは……」
「そのとおり、オズさんだけは覚えています。あの日、イオ達はオズさんの記憶だけは消せませんでした。というか、消そうとしませんでした。その結果が、現在の村の状態です。」
リディの存在に触れられることすらなかった10年間。名前を出しても、何処に居るか尋ねても、「そんな人は居ない」と否定される。
オズのことだ。周りの調子になんとなく合わせておくことなどできなかったのだろう。周りが存在を否定しても、オズはそれでもリディはここに居たと主張し続けたのだろう。
セイラは昨日手に入れたオズの記録書をぱらぱらとめくり、この村の現状を告げた。
「10年前のあの日以来、リディはこの村では最初から『存在しなかった』ことにされました。そんな中で、オズさんは10年間ずっとリディの存在を主張し続けています。そして、いつか必ず帰ってくると待ち続けているんですよ」
キラは言葉が出なかった。この村がとても閉鎖的な環境だということは薄々気づいていた。だがこれほど気味の悪い事実が隠れていたなんて思いもよらなかった。
「知らない」……人々のたった一言が神の存在さえも消してしまうなんて。
「そんな……居ないわけないよ! リディさんが居なかったらそもそもオズはこの村どころかこの時代にすら居なかったわけだし、リディさんがこの村に来ていなかったらイオ君とメディさんが結託しちゃう隙だってできないはずじゃない! なんで、オズは間違っていないよ!」
「ええ、おっしゃるとおりです。オズさんがリディの存在を否定してしまったら自分の存在自体を否定することになります。だからこそ、オズさんはこの村から動けない身でありながら、いつかリディが帰ってくると10年間強く信じつづけられたのでしょう」
セイラはそう言った後、キラに容赦無く突きつける。
「ですがキラさん。あなたがそう言えるのは、昨日あなたが私達の過去を見たからですよ。キラさんも一度オズさんから言われましたよね。『リディを知っているか』と。あなた、『知らない』と言いましたよね」
全ての過去を見通す記録書は、キラのこともお見通しだ。キラは肩をすぼめて俯く。そのとおりだ。リディについての記憶が戻っていなかったから、キラは『知らない』と言うことしかできなかった。
「オズを信じてくれる人は居なかったの」
「誰も。リラさんや村長さんは勿論、図書館の小悪魔ちゃん達の記憶もしっかり消されていますから。まあ、小悪魔ちゃん達はそれでもオズさん大好きのようですが、オズさんがリディに執着することはあまり良く思っていないようですよ」
「でも、でも……オズは強いでしょ。すごい魔法が使えるんでしょ。みんなの記憶を取り戻せなかったの」
「そこは力の相性の問題でしてね。オズさんの力は『破壊』に特化していまして……村人の皆さんの記憶も『破壊』されたんです。オズさんの力は既に壊された記憶を復元することには向かないんですよ。復元はどちらかというと『創造』の力、蒼のブラン式魔術の領分です」
「魔法で復元できなくても……ずっと村に住んでたなら、その証拠だって残ってるはずでしょ。みんなおかしいと思わなかったの」
「勿論、オズさんはその証拠をかき集めて皆に突きつけましたよ。けれどそれでも駄目だったんです。オズさんの出した証拠も捏造だと言われて、リディの存在もオズさんの妄想だと思い込まれてしまいました」
「なんで、なんでそんなことが言えるの。おかしいよ!」
「キラさん。真実は、しばしば多数決で決まるのですよ」
多数決。その言葉がたまらなく不気味だった。一つの意見に皆が賛同するということがこれほど残酷だとは思わなかった。
「まあ、日頃の行いが悪かった報いですよ」
セイラは冷たくそう言う。
「そんなこと言うけど、セイラはリディさんが昔この村に居たっていうことは信じてるんでしょ」
「勿論です。過去を司る記録書として責任を持って言います。これに関してだけは100%オズさんが正しいです」
その時、キラは思ってしまった。皆の記憶を取り戻したい。オズのもとにリディを帰してあげたい。
今までオズがキラ達にしてきた事は当然覚えていたはずなのに。セイラのことも、酷く傷つけたはずなのに。
「数の力とは恐ろしいですね。人はあんなにも脆いのに、神さえも跡形も残らず消してみせるのですから。『知らない』のたった一言の呪文で」
あの図書館でたった一人、紅茶を飲みながら窓の外を見つめるオズが目に浮かぶ。そうして今もリディが戻ってくる日を夢見ているのだろうか。
その時、キラは静かに決断した。
よし、オズをなかまにしよう。




