第11章:第31話
その時。眼前で輝くギロチンの刃がばらけて砕け散った。砕けた刃は硝子のように散らばって周囲を飾る。ゼオンとセイラが剣と魔法で刃を切り刻んでいた。
そしてキラ達を乗せた杖は扉の中に飛び込み、背後で鍵が閉まる音がする。
振り向くと、もうイオの姿は無かった。そこには鍵が閉まった扉だけがあった。
「逃げ……きった……! やったー!」
キラは思わず声をあげた。あとは次の部屋の螺旋階段を辿っていけば地上に出られるはずだ。
「やっぱりイオ君強い……死ぬかと思った……」
「油断しないでくださいよ。一応まだ聖堂の中なんですから。そのまま真上に向かって飛んでください」
「あいあいさー!」
キラは元気良く返事をして、言われた通り上へと飛んだ。もうイオが追ってくることも邪魔が入ることも無い。
気は楽だが、キラは寂しくて仕方が無かった。結局、イオの説得は失敗に終わった。あれほど誰の言葉も拒み、暴力で黙らせようとするようではどうしようもなかった。
「……残念、だったね」
「ええ……でも、伝えるべき事は言えたと思います。本当に無意味な説得だったか、わかるのはこれからかと思います」
「そう……だね。とりあえず、みんな無事に帰れそうでよかった」
キラがそう言うと、セイラも小さく頷いた。
「……それにしても、イオは本当に一人だったようですね。聖堂はあちらの本拠地ですし、そこに乗り込むとなったら相手も戦力を集結させてくるかと思ったんですが……」
「ええー……本当ならもっと敵がいっぱいで危なかったってこと……?」
「ですね……何か、悪い事が起こらないといいのですが……」
確かに、こちらが三人で来たのに対してイオ一人で迎え撃つというのは妙な話だ。
セイラと杖二本がブラン聖堂という相手にとって非常に有利な場所にやってきたのだから、イオ一人に任せずにショコラ・ブラックも呼び寄せてもおかしくないはずだ。「タイミングが悪かった」とイオは言っていたが、なぜタイミングが悪かったのだろう。
セイラの険しい表情を見ているとキラも不安になる。螺旋階段の頂上を目指しながらキラはこの聖堂で見たものを思い出していた。
「婆ちゃん……イオ君のこと、今どう思っているのかな……」
リラに直接聞いてみたいと思うけれども、果たして聞いて良いことなのか不安にも思うのだった。
頂上が見えはじめ、地上への扉が見えた時だ。突如あの妖艶な女の声がした。
『ウフフ……フフフ……』
キラの背筋が凍る。すると、ゼオンの杖の赤い石が淡く輝いた。その声はねっとりとゼオンに張り付く。
『ふふふ……ねえゼオン、あなたに聞きたいことがあるんだけど、その杖から降りてこっちに来ないィ?』
ゼオンが苦しそうに頭を抑えた。
「お前……メディだな……なんで最近そんなにしつこいんだよ」
『あらァ、言ったでしょう。聞き出したい事があるの。もうそろそろ気づいているんじゃなくて? 見たんでしょう、自分の記録書を』
「……ッ、お前もか。あの7年前の牢獄でのことか」
『そうよ……ウフフ……安心して、優しくしてあげる。そこの魔女っ子ちゃんのことも忘れちゃうくらいにね……だからあなたの記憶を……私に見せて?』
メディの声がキラにも聞こえてくる。眩暈がしそうな甘い声がそこらじゅうに充満して逃げられない。
「ゼオン……!」
「早く行け。こいつの言葉に惑わされなければいいんだろ。このくらいの頭痛なら平気だ」
「……っ、急いで地上に出るから!」
それでもメディの笑い声が染み付いて離れなかった。ゼオンの杖の妖しい光を見ていると不安が止まない。メディはまたゼオンの身体を乗っ取るつもりなのだろうか。
その時、セイラが言った。
「ゼオンさん、ちょっとその杖を貸してもらえます?」
「けど、こいつは……」
「ちょっとメディに言ってやりたいことがあるんですよ。いいから貸せ」
セイラがゼオンから杖を受けとると、突如メディの高笑いが響き渡った。
「あーあ、いいとこだったのに残念だわぁ。片割れにフラれちゃったジャンクが何のご用かしら」
「悪いな、お前の存在があまりにも幼女の教育上不適切だったものだからつい」
「あらごめんなさい。お詫びに私が身体を取り戻したら弟君を目一杯可愛がってあげるわよぅ。ウフフフ……」
「なるほど……やはり、お前に実体を与えるわけにはいかんな。メディレイシア……必ず、お前の企みを止めてやる」
淡く輝く宝石に爪を立て、セイラはメディに宣戦布告する。
『ウフフフフ……アハハハハハ……そんな軟弱なあなたに何ができるというのかしら。大切な片割れ一人救えない弱者に!』
メディはセイラの意志も覚悟も嘲笑い、甘ったるい声がセイラの弱みに付け込んでいく。
『あははははは! こんな無力な欠陥品の分際で私を出し抜くつもりィ!? ブランの街を救うこともできずにただ隠れていたあなたが、片割れとの約束も守れずに離れていったあなたが、自分の勝手な都合で無関係な人々の運命を狂わせていったあなたが! 今更何を救えるというのかしら!』
怒りがこみ上げてくる。こんな身勝手な女にセイラを馬鹿にされたことが許せない。キラはメディに叫んだ。
「うるさいバカバカバカヤロー! セイラは無力でも欠陥品でもないもん!」
『うふふ、元気の良いこと。ねえ、あなたの身体を使えば、後ろの騎士様も言いなりになってくれるかしらぁ?』
すると、先程までゼオンを襲っていたはずの頭痛がキラに来た。眩暈がして、視界がふらふらして、杖の起動も定まらない。ふわりと声がキラに寄り添い囁く。
『ねえ見てェゼオン。この子、美味しそうだわぁ。姉の手足とこの子、どっちの方が美味しいかしらね……ウフフフフ……』
「お前……!」
『ウフフ……あなたが代わってあげればすぐにお姫様を助けられるわよ。それとも、この姿であれこれされるのがお望みかしら?』
ゼオンの顔から焦りが見えた。メディの声が首筋を這って、ふわふわとキラに纏わり付く。まただ、またキラはゼオンの弱みになろうとしていた。
自分のせいでゼオンに迷惑をかけたくない。ふつふつと怒りが沸き上がってきたが、それを真正面からぶつければぶつけるほど、メディの言葉に絡め取られてしまうこともわかっていた。
どうすればいい? そう思った時だ。再びセイラが言った。
「哀れだな、メディレイシア。この二人がそんなに恐ろしいのか」
セイラは蒼い魔法陣をゼオンの杖の宝石の杖に浮かべていた。
『アハハハハ、恐ろしい? 可愛らしいの間違いでしょう』
「にしては随分とこの二人を裂くことに一生懸命なんだな」
『リディが何を企んでいるのか読めないからね。あらゆる可能性を徹底的に潰しておきたいのよ。ねえセイラ、悪いことは言わないわ。ゼオンは早く潰しておくべき。あなたはリディを信用しすぎよ』
ゼオンを潰すべき? 一体なぜ? 理由がわからないまま、メディの声はセイラの方へと流れていく。キラは思わず身を乗り出してセイラの名前を呼ぶ。だが、キラの心配は杞憂だった。セイラの顔は笑っていた。
「クスクスクス……お前の理屈は単純だな。オズは気に入らないから殺す、狂った世界は壊す……確かに破壊の神には相応しい短絡さだ」
『ごめんなさぁい。皆に平等に残酷に、それが破壊の神としての私のモットーなのよ』
口には口をと、毒には毒をと。どんな言葉で立ち向かってもメディはふわりひらりとかわして反撃してくる。キラが心配する中、セイラは核を撃ち抜くように言った。
「全く、どこまで自分が世界の中心だと思っているんだ。お前のくだらん嫉妬とプライドに振り回される世界が可哀相だよ」
『嫉妬?』
そこで初めてメディが食いついた。
「そうだ、お前はただ嫉妬しているだけだ。昔、お前もオズも強大な力を奮って世界の毒になった。だから二人共罰として自由を奪われた。それなのにどうしてオズだけが自由になった? リディもなぜオズを野放しにしている? お前はオズに嫉妬しているだけだ。あいつが手に入れた自由を自分も欲しいだけだ」
『うふふふ……けどオズが世界の秩序を乱していることは確かだわ。リディも同じ。あんな個人的感情に流されている壊れた神がこれ以上のさばってちゃいけないのよ』
二人の口論が白熱するにつれて、キラの頭痛が引いてきた。頂上まではあと少し。キラはこの隙に最後一周分の螺旋を登りだす。
すると、セイラはメディにこう言い放った。
「なぜいけない」
『はぁ?』
「感情を持ってはなぜいけない。お前の言う事はわからんことは無いが、極論すぎる。そりゃあオズがクソ野郎だということは私も認めるが、程度の問題だと思う。世界の秩序? そんなもんを取ってつけたように持ち出したせいで自己矛盾を起こしてることに気づかんのか。お前の感情の間違いだろう?」
『ふふふ……私の感情?』
「そうだ、私達の中で誰よりも最初にヒトの感情を知ったのはお前だろう。だからそうして他人の感情を煽って振り回すんだ。オズへの憎しみの感情で動いている癖に、感情を得たリディを否定するとは滑稽の極みだな! とんだ自己否定だ!」
セイラはメディを鼻で笑い、存分に毒を吐く。口調はいつもと違うが、言葉はこちらが感動するくらいにいつものセイラだ。
メディの答えは返ってこない。嵐の前触れのような不穏な沈黙が流れる。そして、花火が爆発するような高笑いが響いた。
『うふふふ……あははははは! 言ってくれたわねセイラ! やっぱりあなたは邪魔だった。弱者の癖に随分威勢が良いこと。その砂糖菓子より脆い身体、いつか骨も残さず消し去ってあげるわ!』
その時、遂に階段の頂上にたどり着いた。
「二人とも、急いで!」
キラが扉を開くと、一番最初にキラ達が入った礼拝堂が広がっていた。ここまで来ればあとは外に出るだけ。
しかし、セイラが何故かついて来ようとしない。振り向くと、セイラはゼオンの杖に対して蒼の魔法陣を掲げていた。
「お前は随分と弱者を馬鹿にするんだな」
『当然よ。アリの為にお辞儀をする獅子なんて居ないでしょう? 弱者はせいぜい醜く這いつくばってりゃいいのよ』
「可哀相に。お前は弱者の特権を知らんようだな」
『特権? ウフフ、ゴミのように転がされる権利かしら』
甘ったるく嘲笑うメディに対して、セイラはその更に上を行く毒を振り撒いて嗤った。
「何度でも失敗できる権利だよ。弱者は弱者故にお前のように一度の失敗で世界を滅ぼしかけたりなどできない。弱者故に何度でも失敗して、その反省を生かして知恵を磨ける。弱者は卑屈で臆病だからこそ策を立て、自分の強さにあぐらをかいてきた強者の喉元を裂けるのさ。世界最強の力を持つはずのお前がかつてリディに負けたのも、それが原因だろう」
『ふふふ……そうかもね。けどその理屈なら、私もあの子に負けてから色んな事を学んだわよ。例えば、どんなに言葉で教えても黙らない幼女だって、殺してしまえば一瞬で静かになる……とかね』
「クスクスクス……そのミジンコに唾付けたような陳腐な秩序がそんなに大事ならば殺してみればいい。その程度でこの意志が死ぬと思うならな」
『片割れに無様な死体を晒さないようせいぜい気をつけることね。か弱い幼女様』
メディのどんな恐ろしい言葉にも屈さなかった。むしろ流れを自分に引き寄せて立ち向かって見せた。キラはセイラから目を離せなかった。こんなに小さく可愛らしい容姿をしていながらどうしてここまで強くいられるのだろう。単純な力ではなく精神的な面での話だ。
長い時を過ごし、様々な人に出会い、感じた喜びも悲しみも確実に糧にしてきたからこそそう在れるのだろう。絶望的な状況も、凄惨な過去も、セイラにとっては全ていずれ養分に力になる。一度凹んで、それから生まれる糧もあるんだよ。そう片割れに伝わることを願いながら。
セイラは蒼の魔方陣を凸ピンで弾いて赤い石の杖にぶつけ、最後にこう言い放った。
「そちらこそ、飽きさせるなよ。私はゲームには煩いぞ? なんせ私は可憐で強欲で遊び盛りの幼女だからな」
蒼の光が杖を包むと共に、メディの笑い声が徐々に薄くなっていった。セイラは杖をゼオンに返す。
「一時的なものですが、紅の力を抑える魔法をかけました。しばらくはメディの声も聞こえないはずです。その間に行きましょう」
キラとゼオンは深く頷き、すぐに聖堂の外へと飛び出した。キラは隣を走るセイラに声をかけた。
「セイラ、助けてくれてありがとね。なんかかっこよかった!」
「別に、お二人がメディに振り回されると私の方も困りますので」
最初は冷たく見えて仕方が無かったそっけない言葉も涼しい顔も、今ではもう慣れた。
ぐさりと胸に刺さるような毒に溢れた言葉でさえ、今ではそう吐かなければセイラでないと思うほどだ。
聖堂の扉を開けると、ため息が出るような青空が幼女の皮を被った神への反逆者を出迎えた。セイラは空を仰ぎ見る。天井には一羽の青い鳥が凛と飛んでいた。
セイラの挑戦を応援したい。できれば共に戦いたい。キラはそう思うようになっていた。
あの青い鳥を掴むような不可能事だって叶えたい。セイラと共に空を見上げながら願っていた。




