第11章:第27話
暖かな出会いがあるならば、必ず別れも訪れるものである。しかも、その別れは必ずしも後味が良いものではない。ラヴェルとプリメイとの別れもそうだった。
それは雪が降り積もった朝のことだった。セイラは緑の石の杖を抱えながら、これからの戦略を考えているところだった。
メディの企みを砕く為、そしてイオの幸せを見つける為に。セイラは杖を見つめながら悶々と考え込んでいた。行くべき場所はとうに決まっていた。問題は、実際に立ち上がる勇気だ。
悩めば悩むほど時間は無情に過ぎていく。そうしているうちに、悩んでいるところをティーナに見つかってしまった。
「あんた、何してんの」
「考え中だ。ここを出てから、どうするかについて」
ティーナはセイラが抱えている杖に目を付けた。
「ねえ、その杖なに? 高く売れたりでもするの?」
「いいや、売れはしないと思うが……あ、一応売れるのか? わからんな」
「売る為じゃないなら、なんでそんなもん持ち歩いてるわけ? その杖、あんたにはでかすぎるでしょ」
その時だ。何やら玄関の方が騒がしくなってきた。ラヴェルとプリメイの声も聞こえる。
セイラとティーナが玄関に向かうと、黒づくめの制服に身を包んだ兵隊が入口に整列していた。ラヴェルとプリメイは波を防ぐ防波堤のように立ちはだかる。
「そのような無礼なお客様を迎える部屋はここにはございません。お帰りください」
「盗人を差し出せばすぐに帰るさ。さあ、早く怪盗を出しな。ここに赤毛の子供が居ることはわかっているんだ」
「……なんでこんな首都から離れた街の怪盗をお国の兵隊さんが追っかけるのかわからないな。どういうこと?」
セイラの首筋を冷や汗が伝い、思わず身を隠す。隣を見ると、ティーナも同じように青ざめていた。
兵隊はラヴェルとプリメイに告げる。
「我がデーヴィア国の秘宝とも言える杖が盗まれた。緑の宝石に銀の柄の杖、かつて破壊の神の力の欠片を封じたと伝えられている杖が盗まれたのだ」
「それがどうしてこの街の怪盗と関係あるわけ?」
「そのような杖を持った子供がこの街に入り込んだという証言があった。聞いてみると、この街では赤い髪の怪盗が盗みを繰り返して名を馳せているそうではないか……シュヴクス・ルージュとかいう怪盗が」
その言葉は半分正しく、半分誤っていた。隣のティーナは氷像のように固まったまま動かない。怪盗シュヴクス・ルージュと呼ばれる赤毛の子供がここに居る。それは正しい。怪盗はセイラの隣で震えている。
だが、緑の石の杖を怪盗が盗んだ──それは誤りだ。その真犯人が誰か、この時にはもうティーナもラヴェルもプリメイも、きっと気づいていただろう。
「ちょっと、それ、何の証拠にもなっていないじゃない。その怪盗は確かに盗みを働いていたのかもしれないけど、その杖を盗んだって証拠は無いじゃないの」
それでもプリメイはセイラ達を庇った。
しかし、このままではラヴェルとプリメイに迷惑がかかる。失敗した。セイラは頭を抱える。やはり、ここに長居はすべきではなかったかもしれない。
セイラはすぐに詠唱省略の準備を整えて例の杖を抱えた。本当は、二人にきちんと挨拶をしてから旅立ちたかった。しかし、その余裕は無さそうだった。
兵士達は今にも家の中に乗り込もうとしていた。
「仮に杖を盗んでいなかったとしてもだ、怪盗が怪盗であることは問題だ。この家に匿われていたとしたら、尚更なあ。知っているんだよ、ティーナという子供がここに居ることは」
その時だ。窓が割れた。黒い兵隊達が家の中になだれ込んでくる。兵隊達はティーナとセイラを見つけると、一斉に刃を向けた。
「逃げなさい! 早く!」
ラヴェルの声に突き動かされるように二人は駆け出した。セイラは兵士を片っ端から凪払い、ティーナの手を引いて家から飛び出した。雪が吹き荒れる白い街に黒い兵士が幽霊のように並んでいる。
無駄だとわかっていたが、それでもセイラは兵達に言う。
「杖を盗んだのは私だ。ティーナは関係ないだろう」
「聞こえなかったのか、怪盗を捕まえるのも仕事なんだよ。国の秘宝を盗んだ悪党め、二人共こちらに来い」
「悪いが……ここで捕まっている暇は無いんだ」
セイラは再び光の魔法を呼び寄せて兵士達を凪払った。しかし、相手の狙いはセイラだけではない。ティーナは震えながらラヴェルとプリメイが居る玄関を見つめていた。
正面の敵が崩れ去り、セイラはティーナの手を引く。
「逃げるぞ、早く」
「けど、まだ家にラヴェル達が!」
ティーナは兵達に囲まれたラヴェルとプリメイに手を伸ばす。セイラが止めるのも振り切り、二人のもとへと駆け出してしまった。
その時、ラヴェルが叫んだ。
「ティーナ! 危ない!」
ティーナの目の前で銀の刃が今にも振り下ろされようとしていた。
ズブッと気味の悪い音がした。雪の降り積もった地が深紅に染まる。剣はティーナには届かなかった。銀の刃はラヴェルの胸に深々と突き刺さっていた。
「ラヴェル!? なんで、なんであたしなんか……」
凍りつくように動けなくなるティーナを突き飛ばし、ラヴェルは力を振り絞って叫んだ。
「いいから、逃げなさい!」
そしてラヴェルはセイラに叫ぶ。
「セイラ、ティーナを頼みます……!」
血の雨が雪を濡らす。それでも、ラヴェルの目は鷹のように強くセイラに訴えかけていた。
セイラは無言でティーナを連れて駆け出した。詠唱省略を済ませた後ならば、兵達を薙ぎ払うことくらいは容易い。
前方が開け、二人は大きな通りへと出た。しかし街のあちこちに兵隊が張っているらしく、このままでは再び先ほどの状況へと逆戻りだ。セイラは走りながら呪文を唱える。
「時よ、我が意に従え……フェルマータ・ウール!」
息が詰まるような感覚と共に世界が石と化す。兵隊も一般人も雲の流れでさえも色と時間を失っていた。
「何、何が……」
「時間停止の魔法だ。とりあえず、街から出る」
「時間停止? はぁ、そんな魔法あるわけ……」
「あるといったらあるんだ。いいから走れ」
セイラはティーナを一言で捩じ伏せた。ティーナはそれきり押し黙り、空の荷車のように黙って走り続けた。
街から離れた平原、そこに立つ木立の陰にたどり着いたところで、二人は一度腰を下ろした。ここまで来れば兵士に捕まることは無いだろう。
これからどうしよう。セイラの行き先はある程度決まっていた。だが、問題はティーナの方だ。小さな怪盗は隣でうずくまったまま震えていた。肌にラヴェルの血が数滴かかっていた。
セイラが声をかけようとすると、ティーナはセイラを突き飛ばした。
「来ないで!」
目を真っ赤にして震えるティーナは手負いの獣のようだった。
「ねえ……どういうこと。あの杖、国から盗んだ物だったわけ?」
それは否定できなかった。ここから約300年後……セイラがやってきた時代では、この杖はデーヴィア王家が所有していた。
その杖をイオ達は奪い取ろうと目論んでいた。ならば過去に戻り、イオ達が奪う前に自分が杖を奪ってしまおう。その為にセイラはこの時代にやってきたのだ。
しかし、セイラはそれを詳しくティーナに話さなかった。伝えたところで、信じてもらえないことはわかっていたから。
「……そうだ。どうしても必要だったんだ」
「そんな時に、ラヴェル達の所に転がり込んだわけ?」
「……そう、だな。成り行きだったが、結果的に無関係の二人を巻き込んでしまった」
ラヴェルと登った時計台の景色を思い出す。あの思い出がこんなふうに汚されるとは思わなかった。二人に礼も別れの挨拶もできなかった。
その事実を突きつけるようにティーナは叫ぶ。
「あんたのせいだ……あんたが来なければ、ラヴェルとプリメイは……!」
ティーナはセイラを責めたて、片手で頬をひっぱたいた。その時、ついセイラの口から本音が漏れた。
「……確かに、私のせいだ。だが、お前にそれを責める資格があるかは疑問だな。お前だって怪盗でありながらあの家に居座っていただろう。お前は今まで何百回も盗みを働き、人だって殺してきただろう。お前も私も、同罪かと思うが」
そう言われると、ティーナはますます小さく縮こまってしまった。「まずい、言いすぎた」と、セイラは口をつぐむ。
ティーナは自分の顔を手で覆い、泣き崩れた。
「うっ、うっ……ラヴェル……ラヴェルぅ……どうしよう、あたし、どうしよう……」
確かに、それは早急に解決しなければならない問題だった。これからどうするか。セイラには行き先があった。ひとまず300年後の元の時代に戻ることだ。しかしティーナには行く先が無い。
ティーナはあの街以外の世界を知らないし、身寄りも無い。国の兵士を敵に回してしまったこの状態でさまよっていれば、いつか捕まってしまうだろう。
あのような強引なやり方をする兵達に捕まればどんな目に遭うかわからない。
セイラが考えこんでいた時だ。突如鳥が舞い降りるような音が聞こえ、不穏な気配を感じた。
セイラが木陰から様子を伺うと、遠くに赤毛の天使が降り立ったところだった。左耳のイヤリング、少年と見間違えるような凛々しい顔立ち、あいつには見覚えがある。
「ショコラティエ……!? チッ……運が悪い……」
セイラは声を潜めながらティーナを連れて距離を取る。
「な、何?」
「静かに。私の方の追っ手だ」
気配を殺してその場を立ち去ったつもりだったが、一度だけ、ショコラはこちらを振り返ったような気がした。
早急にこの時代から逃げ出さねば。セイラはティーナを連れたまま走る。
「ティーナを頼みます」──ラヴェルの声が聞こえたような気がした。再び別の木陰に隠れたところで、セイラは尋ねた。
「お前、あの街を出たところで、行く宛てが無いんだよな」
「……そうだよ。それが何?」
「ならば、『タイムスリップ』とやらをしてみる気はないか」
一か八かの賭けだった。セイラはあの緑の石の杖をティーナに差し出した。
「お前にこの杖を持って300年後の未来に向かってほしいんだ。そして、この杖を誰にも奪われないように守り通してほしい」
「……はぁ、何言っちゃってるの。この場面で冗談なんて笑えないんだけど」
ティーナは意固地になっていた。だが今のセイラに相手が理解できるように頭を捻る余裕も無い。どうせ体験すれば嫌でも理解できる話だ。
「全く知らない時代で生きるのは容易いことでは無いことはわかっている。だが、未来に行けば少なくとも怪盗だからという理由でお前が追われることは無い。それに、この杖は武器としては一応優秀だ。お前は魔法の才は有るし、持っていれば身を守る助けになるだろう」
「ちょっとちょっと、冗談やめてって言ってるでしょ」
「冗談じゃない。本気で言っている。まだ自由に生きていきたいのなら、黙ってこの杖を取れ」
ティーナは言葉を失った。セイラはただ杖を差し出すだけだ。ティーナの手はわなわなと震え、セイラのようにしっかりとそこに立ってはいられなかった。
「ふ、ふ……ふざけないで! 虫が良すぎんだよ。ラヴェルとプリメイの人生をめちゃくちゃにしておいて、その上全ての元凶のこの杖をあたしが守れだなんて! 何様のつもり!? 赦さない、あたし、あんたを赦さないから!」
「……わかった、それでも構わん。だが、私はラヴェルにお前のことを託されたんだ。だからせめて、お前が無事に生きていく可能性くらいは作らねばならないと思った」
「はぁ、それでタイムスリップ? わけがわからない! あたしは勝手に一人でこの時代で……」
「だがお前、この時代で捕まるとまずいのだろう?」
セイラは記録書だ。ティーナの過去くらい知っている。ティーナが何者なのか、捕まれば何に利用されるのかも見当がついていた。
「お前……例の実験が何の為に行われていたかくらい、検討はついてるだろう。ならば、ここで捕まれば、お前は二度と自由にはなれなくなるのではないか?」
脚は小鹿のように震えている。しかし、目は「まだ自由で居たい」と叫んでいた。ティーナは頷くように俯き、それから即座に杖を奪い取った。
「感謝なんてしないから……恨みつづけるから、300年経っても」
「構わん。好きにしろ」
「けど一つ、言うこと聞く代わりにあんたに要求がある」
ティーナは死刑執行のギロチンのように杖を振り下ろして告げた。
「贖罪しろ。ラヴェルとプリメイを巻き込んだ罪を、記憶に刻み付けろ」
「記憶」──それは「記録」とは少し違う新鮮な響きだった。だが、記録と記憶がどう違うのか、「記憶」の保存方法もセイラにはわからない。
「わかった。だが……記憶に刻むとは、具体的に何をすれば良いんだ?」
「え、はあ? そ、そんなの、ちゃんと覚えておけばいいんだよ!」
「そうは言うが、お前が言う記憶とは客観的に観測した事象とは多分少し違うのだろう? 私には記録を半永久保存する機能はあるが、記憶の保存機能があるかはわからない。お前は記憶をどうやって保存しているんだ?」
ティーナは突然呆気に取られたように黙り込んでしまった。それから首を捻ってその手段を考え始める。
「え、ええっと……なんだろう。何度も声に出してみるとか? 魔法の呪文覚える時とかはそうしたし……」
「復唱か。何を復唱すればいい?」
「う、うんと……ラヴェルが言った言葉とか? あ、でもそれじゃあラヴェルの人柄とか、そういうのは覚え……あ、わかった! 物真似だ! 人の喋り方とか真似したらね、嫌ってくらいその人のこと覚えるよ。あんたの罰ゲームは物真似だ! ……って何か違う! 贖罪ってそういうんじゃない! ええっと……」
なんだかおかしな空気になってきた。ティーナは一人でボケて一人でつっこんでは頭を抱えている。
物真似。これもまた、セイラが初めて生で耳にする言葉だった。意味は、他人の喋り方、降るまい等を写し取り、真似することで笑いを取ること。
ラヴェルの穏やかな微笑みと丁寧な敬語を思い出す。そして頭に浮かんだ景色は、時計台に登った日の雲一つ無い青空だった。
あの声のトーンと話す早さを思い浮かべながら、そっくりそのまま写してみる。
「……わかりました。では、『贖罪』の方法とやらはそれでよろしいですか?」
その途端、ティーナが何か恐ろしい物でも見たような顔をした。
「に……似てない……」
「おや、そうですか。記憶の保存というものは難しいですね……」
「あの、ちょっと、真に受けないで? 物真似なんて冗談だから。あと記憶の方法、絶対間違ってるから……」
ティーナが慌てはじめた時、セイラは何者かが近づいてくる気配を感じた。
赤毛の天使がこちらに近づいてくる。もう一刻の猶予も無かった。セイラはティーナが落ち着くのも待たずに魔方陣を展開した。
「悪いが、馬鹿話はここまでだ。今すぐお前を未来に飛ばす」
「ほぇ、えっ、え!!?」
「この世を創りし蒼き瞳の女神よ……」
蒼の光が時計のような形を創り、ティーナの身体は輝きに包まれてふわりと宙に浮いた。小さな少女は光の粒子となっていき、300年の時を越える旅に出る。
セイラはその為の道を作る。ティーナから家族を取り上げてしまった自責の念に駆られながら。
そうして、時の旅は始まった。あの杖と共に消えて行くティーナに向けて、セイラは小さく呟いた。
「……ごめんね」
ティーナが最後に何と答えたか、セイラには聞こえなかった。閉じてゆく時の門の前で、セイラは三人と過ごした時間のことを思い返した。
ラヴェルとプリメイ。その二人の優しさを思い出し、セイラが関わってしまったことで二人の運命が狂ったという事実を胸に刻んだ。
もう二度とこのような事が起こらぬよう、そして、二人のことを忘れぬように。セイラは目をつぶり、顔と声と仕草と物の好みと性格と、二人のありとあらゆることを再生し直す。
そして目を開いた時、再び一人ぼっちの旅が始まった。
背後で、剣を抜く音が聞こえた。
「よくまあ、俺が居るところでこうも派手に魔法が使えるよな。俺、なめられてるのか?」
振り向くと、そこにはショコラティエ……後のショコラ・ブラックが居た。赤い瞳がセイラの姿を捉える。今日も「弟」が身体に乗り移っているようだった。
セイラはラヴェルの声をなぞるように、話し始めた。
「おや、今日はお一人ですか。残念ですが、例の杖なら私は持っていませんよ」
「知ってるよ、そんなことは。ティーナの居場所、さっさと教えてもらおうか」
「ふぅん……先ほどの会話、聞かれていたということですか」
「……何の話だ? 緑の石の杖はずっとティーナが持っていただろ」
若干話が噛み合っていなかった。しかし、その食い違いを正している暇もない。セイラは再び蒼の魔方陣を呼びだし、ブラックは二つの剣を構える。
「イオに見つかると面倒ですからね。今日はさっさとお暇させていただきます」
セイラの陣から光が吹雪のように降り注ぎ、ブラックの視界を覆う。ラヴェル達との時間は終わり、セイラは再び長い長い戦いの日々へと飛び込んでいった。
それでも、一言、二言、言葉を紡ぐ度にあの日時計台で見た青空を思い出す。その景色と、あの二人を忘れぬよう、セイラはまた言葉を紡いで心に刻む。
あの短い時間の中で沸き上がった感情が消えないように。そしていつかあんなバカみたいな幸せがイオにも届くよう、願い続けていたいから。




