第11章:第26話
時計台の中は薄暗く、頂上までの螺旋階段が伸びている。所々に空いた小さな窓からは暖かな日差しが射していた。二人は階段を上りはじめた。
「ここは、俺のお気に入りの場所なんですよ。頂上からの景色が綺麗でね。けどここ、俺の実家と敵対している家の施設なんです。だからなかなか入れないんですよ。貴族の家同士の問題というものは難しくて」
セイラはラヴェルの後に続きながら、何と答えればよいか考えた。何通りかパターンを考えた後、今まで「ヒト」と話した時に失敗したパターンを排除する。
まず、事実と正論を言ってはいけない。
なぜなら、相手は投げかけた問題への解決策を求めてはいないからだ。解決策はわかっているのだが現実的にそれを実行することは難しい、という場合が大半だ。
ならば、どうすればよいのだろう。セイラは頭の記録書から沢山の人々の会話パターンを引っ張り出す。階段を上る足も忙しいが頭も忙しい。
そして、セイラはようやく答えを返した。
「それは……大変、なんだな。お前も、そういった問題に巻き込まれると、疲れるだろう……」
否定しない。解決もしない。ただ、相手に共感する。
「そうなんですよね、おかげで俺もお気に入りの場所になかなか入れなくて辛いです」
やはり、ラヴェルは穏やかに返す。ラヴェルの反応をじっと見つめ、どうやら「失敗」ではなかったらしいと少し安堵した。
「君は、どうですか。ご家族やお友達と喧嘩したり、揉めたりすることはありますか」
そこで、セイラは相手が何を求めているか気づいた。「事情を話してほしい」──相手は未だにそう考えているのだ。その事情は一番最初に話し、笑い飛ばされたというのに。
さて、これにはどう答えたものか。セイラは再び頭を捻る。「家族」──この単語はラヴェルにとって身近な単語らしい。ならば、それに関連する単語を使ってみたら、少しは現実味とやらが出るだろうか。
「そうだな……実は、私の、えっと……双子、の弟? そう、双子の弟が、友達と喧嘩別れしたんだ。弟は酷く落ち込んで、部屋に閉じこもってしまった。それきり、その友達とも会っていない。そしたら、突然怪しい奴が『一緒に仕返ししよう』と唆して、弟をどこかに連れていってしまったんだ。私が説得しても、弟は聞いてくれなかった」
ラヴェルの足が止まる。セイラには、何が起こったかわからなかった。
「そんなことが……! 辛かったでしょう。ありがとうございます、話してくれて」
通じた。言い方を少し変えただけ、それだけで信じてもらえた。辛い話をしていたはずなのに、ほんの少し嬉しかった。
ラヴェルはセイラの手を引き、寄りそうように尋ねる。
「弟さんは、今どこにいらっしゃるんですか」
「……わからない」
「警察には届け出ましたか」
「警察などあてにならない。それに見つかっても意味がないんだ。弟は、そいつを信用してしまっているから。でも、多分……私は、弟はそいつと共に居ても幸せにはなれないと思う」
「ええ、そうかもしれませんね」
「……どうすれば、よいだろう……?」
セイラは思い切って尋ねた。ヒトの意見を聞く。新雪に一歩踏み出す時のようにどきどきした。
「難しい問題ですね……弟さんに、まだそのお友達と仲直りしたい気持ちはあるんですか?」
「わからない……が、多分そのことを引きずってはいると思う」
ラヴェルはうんと頭を捻り、必死で解決策を考えていた。
「そうですね、仲直りしたい気持ちがあるのなら……その友達の方に事情を話してみてはどうですか。……あっ、でも弟さんを見つける方が先でしょうか。ううん……なかなか思いつきませんね。すみません、力になれなくて」
「いいや、構わない」
セイラも、そう簡単に解決策が見つかるとは思っていない。それよりも新たな発見の方が大事だった。
途方も無い話でも、工夫次第で伝わる。そう気づけただけで十分だ。
「さあ、もうすぐ頂上ですよ」
セイラはラヴェルに手を引かれたまま、階段を登っていった。
「セイラっ!!」
我に返ったのはその時だった。ラヴェルではない、別の誰かが自分の腕を握っている。
振り返ると、そこにはキラが居た。再び正面を見ると、そこにはラヴェルに手を引かれる「過去のセイラ」が居た。
どうやら気付かないうちに過去の自分と現在の自分を混同してしまったようだ。
「え、ああ、キラさん。わざわざこんな所にまで?」
「当たり前でしょ! あんな渦に飲み込まれたまま放っておいたらはぐれちゃうでしょ!」
「ああ、そういえばそうでしたね……」
キラは前を行く過去のセイラの背中を見つめる。
「これは、セイラの昔の話? この頃からティーナと知り合いだったんだね……」
「ええ、私の、思い出です……」
セイラは昔の自分を不思議な気持ちで追いかけた。この頃の自分は今ほど世の中を知らないが、今より少しだけ素直だったかもしれない。
「そういえばゼオンさんは?」
そう尋ねた途端、キラの表情が曇った。
「ゼオンは……外でイオ君と戦ってる。ねえセイラ、この記憶……」
「残念ですが、途中で終了することはできませんね。無理に壊そうとするとこちらの精神がまずいことになるかもしれないので、さっさと再生しおわってしまう方がよろしいかと」
セイラは駆け足で塔の頂上まで駆け上がった。最後の一段を上り終えた時、果てない青が視界に飛び込んできた。
時計台の頂上は展望台のようになっていた。ここからなら、街全体を一望できる。まるで、世界を手中に収めた気分に酔いしれてしまいそう。
「すごい……」
セイラの目の前で、過去の自分が言う。
「よかった、気に入ってもらえたようですね。いいでしょう、この場所」
優しく微笑むラヴェルは、今はもう居ない。ここは思い出、決して忘れてはならない思い出の場所だ。
遠くに見える海は、あの絵本で見たエメラルドの都のような色をしていた。ちょうどその時、ラヴェルが尋ねた。
「そういえば、あの絵本は君の大切な物のようですね。絵本がお好きなんですか?」
過去のセイラは首を捻る。
「そうだな……嫌い、ではないと思う」
「絵本はいいですよね。綺麗で、かわいらしくて」
「けれど……わからないこともある」
セイラは魔法で再びあの絵本を取り出した。中を開くと、きらきらと美しい世界が飛び込んでくる。紆余曲折、様々な出来事が起こった後、物語は「めでたしめでたし」で締められていた。
「皆幸せに『めでたしめでたし』……絵本の物語は大抵このように終わるが、現実はこんなに都合良くできてはいないだろう。皆仲良く幸せに……実際は、それを望んでいない場合が大半だ」
貴族同士の対立でも、イオの恨みのことを考えてもそうだ。誰も「仲直りしよう」だなんて言い出さない。憎しみに身を任せて、相手が滅びるまで止まらない。
「確かに……現実はそう甘くはありませんね」
「しかし、これを描いた奴は紛いなりにも大人だ。現実がそう甘くはないこともわかっているはずだ。それなのに、なぜこんな嘘八百を並べて、子供に押し付けるのかわからない」
「確かに、そうかもしれませんね。けど、俺はそういう絵本が好きですよ。そんな世界を描きたくなる気持ちもわかります。君も……お好きなんでしょう?」
ラヴェルは過去のセイラが抱きしめた絵本を指した。セイラは恥ずかしそうに視線を落とし、小さく頷いた。
「きっと、祈らずにはいられないのでしょう」
「祈り?」
「ええ、未来を紡ぐ子供達に捧げる祈りです。夢も希望も現実に潰されるとわかっていても、愛した分だけ憎むものだと知っていても、子供達には絵本のように都合の良い幸せを掴んでほしいと、祈らずにはいられないのでしょう」
絵本の中の虹がかかった空と、現実の青空を見比べる。
「やはり、滑稽だ。一方で、現実の無慈悲さを教えるのも、大人だろうに」
「……そうですね。けれど、絵本の中の幸せをそっくりそのまま掴めなかったとしても、一人の子供を少しだけ元気づけることくらいはできたのではありませんか?」
ラヴェルは悪戯っぽくセイラの顔を覗きこんだ。セイラがこの絵本を大層気に入っていることはとうの昔に見透かされていた。
セイラは諦めて頷き、ラヴェルの言葉を肯定した。そして再び、現実の空を見上げた。絵本のように虹はかかっていないけれど、旅立ちの朝焼けや絵本を貰った時の夕焼けのように色とりどりではないけれど、快晴の青空はため息が出るくらい美しかった。
空に向かってセイラは手を伸ばす。しかし、当然手は届かず、小さな手を引っ込めた。
ふと、隣にあの子が居ないことを思い出して寂しくなる。そして開いたままの絵本を見つめて呟くのだった。
「……祈り続ければ、こんなバカみたいな幸せも、いつかあの子に届くだろうか」
祈らずにはいられない。そんな気持ちも、今ならわかるような気がした。
「届くといいですね。応援しています」
ラヴェルはただ優しくセイラの頭を撫でた。
時計台からの景色を目に焼き付けた後、セイラとラヴェルは再び地上へと下りていった。
家に戻ると、ティーナがもじもじと何か言いたそうに扉の前に立ちはだかっていた。隣でプリメイがにこにこ微笑んでいる。
「ほら、ティーナ。何か言うことは?」
プリメイが背中を押すと、ティーナはぶっきらぼうに言った。
「その、ごめん」
「ハイ、もっと心を込めて!」
「絵本盗ったりしてごめんなさいでした!!」
ティーナが深々と頭を下げた後、ラヴェルとプリメイはじっとセイラを見つめた。どうやら、返事を待っているらしいということはわかった。
「……もう盗るなよ。二度としなければ、それでいい」
三人の空気がぱっと明るくなり、プリメイがセイラに抱き着いた。
「あーよかった! これで仲直りだね! さあっ、みんなご飯にしよう。ねっ、ラヴェル!」
「そうですね、今日の晩御飯はなんですか?」
「鶏肉とか野菜のスープとかいろいろ!」
何かめでたいことでもあったかのような空気だった。実際は、ただティーナが謝っただけだ。「仲直り」──これが起こっただけで、こんなに喜ばれるのも初めてのことだった。
「ほら、二人ともお家に入ろ! 風邪ひいちゃうよ」
そうしてラヴェルとプリメイは仲良く寄り添いあいながら家へと戻っていく。セイラは後を追うティーナをそっと引き止めた。
「何?」
ティーナはやはりぶっきらぼうにそう返す。
「謝る気があるなら、少し聞いてもいいか。もし、目の前に自分一人では到底敵わないくらいに強い敵が居たとして、そいつをどうしても倒さなきゃならないとしたら、お前はどうする?」
ティーナはしばらく考えたあと、ニッと白い歯を見せて笑った。
「あたしなら、もっと強い奴を連れてくるかな。『その敵を倒したら儲けられるよー』とかうまい話引っ掛けてさあ」
なるほど、それも一つの手か。しかし、メディに敵う程の者など……考えこんだ後、セイラはティーナに言う。
「ふうん、なるほど、わかった」
「何それ、なんかあるの?」
「いや、何も。参考として聞いてみただけだ」
ぽかんと首を傾げるティーナを置いて、セイラは晩御飯を食べに行く。
さあ、そろそろ行き先を考えなければ。セイラはそう考えていたところだった。




