第11章:第25話
その「家族」と出会ったのは、イオと決別してしばらく経った頃、現在から300年ほど前のことだ。
セイラと別れた後、イオ達はメディの身体が封印されている例の杖を集め始めた。それに気づいたセイラは過去の時代へタイムスリップし、杖がイオ達の手に渡る前に自分が奪い取ろうとしたのだ。
結論から言うと、これは失敗だった。杖がイオ達の手に渡らぬように誘導することはできたのだが、過去の時代の人々への影響が大きすぎた。
忘れてはならない。記憶に刻み付ける。セイラに運命を狂わされてしまった彼らのことを。
目が覚めた時、セイラはなにか暖かいものが身体にかかっていることに気づいた。布団だ。身体を起こしてみると、そこはどこかの民家のようだった。
窓が開いていたのでセイラは外を覗く。遠くには立派な時計台、そして遠くに海が見える。ここはヴィオレの街。後にキラ達が旅行へ行くことになり、クローディアと出会ったあのヴィオレの街だ。
すると、黄緑がかった髪の好青年と色っぽい目つきの女性が部屋に入ってきた。青年がセイラに話しかける。
「ああ、目が覚めたようですね。気分はどうですか?」
そう言って青年は水を渡した。セイラは一口水を飲んで尋ねる。
「……大丈夫。ところで、お前は誰だ」
「ああ、そうでした。自己紹介がまだでしたね。俺はラヴェルです。ラヴェル・T・アルミナ。そしてこっちが、」
「プリメイだよ。よろしくねぇ」
プリメイは自分の腕をラヴェルの腕に絡めて微笑んでいる。その様子を見て、おそらくこの二人は恋人か夫婦かのどちらかだろうと思った。
ラヴェルはセイラと目線を合わせ、心配そうに尋ねた。
「君、街の外れで倒れていたらしいですね? どうしたのですか。君が連れてこられた時はびっくりしましたよ」
セイラはここに来る前のことを思い出す。たしかイオ達の強襲を受けたのだ。その時、再び部屋の扉が開いた。12~3歳程の赤毛の少女が顔を出す。この時期のあの少女はまだやさぐれていて、出会うもの全てに喧嘩を売るような目を向けていた。
「ああ、ティーナ。おいで。この子、起きたみたいですよ」
ティーナは長い髪を獅子の鬣のように振り回しながらずかずか部屋に入ってくる。ティーナはセイラを見下ろして言った。
「あんた、名前は? ラヴェルとプリメイが名乗ったのにあんただけ名乗らない気? どこの金持ちの子だか知らないけど、良いご身分だこと」
ティーナはセイラの衣服をじろじろと見ていた。セイラの服は、昔イオが作ったものだ。シルク生地やサテンのリボンがふんだんに使われた自分の服と、ティーナの継ぎ接ぎだらけの服を比べ、どうやら自分は妬まれているらしいということに気づいた。
「セイラだ。……たしか、ティーナといったか。私を拾ったのはお前だな?」
「最初はあんたの高そうな服だけ剥ぎ取ってこうと思ったんだけど、ラヴェルが駄目ってうるさかったから」
「そうか、ありがとう」
セイラが礼を言うと、ティーナはチッと舌打ちしてそっぽを向いた。ラヴェルはティーナの頭を撫でながら言う。
「ごめん、あまり気を悪くしないでくださいね。ティーナ、少し物の言い方がきついだけなんです。本当は君を心配してるんですよ」
「ラヴェルは余計なこと言わないで」
「はは、すみません。ところでセイラ、君はどこから来たのですか?」
セイラは素直にその質問に答えた。
「私は、今から300年後の世界から来た。所謂タイムスリップというやつだ。大昔に封印されたメディレイシアという破壊の神が居るんだが、イオという子がそいつを復活させようとしているんだ。それで、私はそれを止めようと……」
ラヴェルとプリメイはぽかんとしていた。何か別の星の生き物でも見るように話を聞いている。それを見て、セイラは「しまった」と口をつぐんだ。
そうだった。この時までにこの反応をセイラは何度も見ていた。人は自分の知る世界の外の話をした時、このような顔をする。まるで、頭のおかしなものでも見るような目。
「ふふ、それは、その……大変でしたね。それは、本か何かのお話でしょうか?」
こういう時、セイラは幼い少女としての姿に救われる。大抵は「子供だから」という理由でごまかすことができた。
その時、ティーナはセイラを指して嗤った。狂人を嘲笑う目だった。
「あはははは、バッカじゃないの!! タイムスリップ! 破壊の神! あーおかし、お腹痛い! そんなもん居るわけないじゃない!」
セイラは怒らなかった。悲しいとも思わなかった。ただ、これが普通だと認識するだけだ。
だが、さすがにプリメイがティーナを窘めた。
「こらっ、ティーナ。そんなこと言っちゃ駄目」
「ふん、プリメイだって信じてない癖に」
ティーナはプリメイにそう言い放って部屋から出て行く。
「神様なんて居ないよ。居たら……こんな醜い世界になるわけない」
低くそう呟く後ろ姿から、少女の厳しい人生がかい見えた。ラヴェルとプリメイは困った目でティーナを見送った後、あれやこれやと何か言っていた。
「大分落ち着いてきたと思ったんだけどねえ。まだお友達を作るって感じにはなれないみたいだねぇ」
「はは、でも前よりは大分懐いてくれましたよ」
「ええー、ウチにはまだ懐いてくれないのにぃ。あっ、そーだ。ねえ、ティーナの髪、せっかく長いんだからいろいろいじってみたいんだよねぇ。ねぇラヴェル、ちょっと高いけどリボンとか買ってあげてもいいかなぁ?」
「いいですね。年頃の女の子ですし、お洒落してみるのも良いのではないですか?」
「きゃあぁん、やったあ! ラヴェル大好きぃ、愛してるぅ!」
ラヴェルに抱き着くプリメイを見て、セイラはこれが夫婦というものかと納得する。そこにティーナの姿を加えてみて、これが家族かと納得した。
セイラは「家族」の様子を輪の外でじっと観察していた。
「そういえば、この杖は君の物ですか? 君の近くに落ちていたそうですが」
ラヴェルが差し出した物をセイラは奪うように抱きしめた。それは現在はティーナの手に渡っているあの杖だ。深い緑の石を見つめ、イオ達の手に渡らずに済んで良かったと安堵した。
「よかった、君の物のようですね」
「……そうだ」
「そういえば、今日の晩御飯はシチューなのですが、シチューはお好きですか?」
まるでセイラも「家族」の一員であるかのように、ラヴェルは軽く言う。セイラが頷くと、
「良かった。じゃあ楽しみにしていてください。……君がどこから来たかはわかりませんが、行く当てが見つかるまではこの家に居ると良いですよ」
これがセイラとティーナと「家族」の最初の出会いだった。
その後しばらくセイラはラヴェルとプリメイの下で世話になった。本当は早く出発しなければと思っていたのだが、行くあてが無かったのだ。
イオとメディを止めなければ。その気持ちばかり先走って、止める為の具体的手段が思いつかない。
セイラは緑の石の杖を抱えながら途方に暮れた。二階の窓から一階の「店」の様子を見つめる。
ラヴェルとプリメイはパン屋をやっていた。毎日大勢の人々がパンを買いにやってくる。そういえば、イオも昔、パン屋の主人に世話になっていたな。そう思って、セイラは寂しくなった。
「これからどうしよう……」
それまでセイラは例の杖がイオ達の下に渡らないように手を尽くしてきた。しかし、それだけではイオとメディを止められはしない。セイラがイオ達から杖を遠ざけた分だけ、イオ達も杖を手に入れようと躍起になるだけだ。
やはりイオとメディ本人をどうにかしなければならない。だが、その「どうにか」とは何なのか。その答えはまだ導き出せていない。
セイラは魔法で空間を裂き、あるものを取り出した。それは、旅立ちの前日にあの作家の青年から貰った絵本だった。
「あいつは結局、あの後どうなったんだろうな」
それはセイラにもわからない。うっかり名前を聞き忘れたせいで、その青年の記録書は探し出せなかった。セイラは絵本を抱きしめて肩を竦めた。
その時、ティーナが部屋に入ってきた。
「あんた、いつまでここに居る気?」
「わからない。早く行き先を決めなければとは思っている……」
「なぁに、家出? 帰るとこが無いわけじゃないでしょ、いいとこの出のお嬢さんがさあ」
セイラは首を傾げた。何を理由にティーナがセイラのことを「お嬢さん」だと思ったのかわからなかったからだ。
「なぜそう思う。服装か?」
「ふん、そりゃわかるよ。服もそうだけど、立ち振る舞いだよ。座り方一つ取っても育ちってのは出るからね。
あんた、明日食べる物すら無いって暮らし、したことないでしょ。穴の開いた服を繕ったこともないでしょ、雑用や花売りで金を稼いだこともないでしょ、凍死しないか震えながら冬空の下で眠ったこともないでしょ。
あたし、そういう奴大嫌い。何の苦労もせず生かしてもらってきたくせに、自分で自分を支えてきた物全部ほうり出したくせに、そんな『わたし辛いんですぅ』みたいな顔してる贅沢者」
確かに、セイラはティーナの言うような暮らしをしたことがない。腹など空かない。服の穴は魔法で防げる。寒くても死なない。そういうモノだからだ。
だが、セイラは何の苦労もしなかったのだろうか。自分では結構疲れたような気分になっていたのだが、客観的に見ると「何一つ苦労していない」のかもしれない。
やはり、セイラは怒りも悲しみもしなかった。そういう世界もあると認識するだけだ。
「そうか、お前は、辛かったのか……」
そう言うと、ティーナは怯えた狼のようにこちらを睨んだ。まるで敵わない敵に出会ったかのように身を屈めていたが、セイラが抱えている物を見た途端、ティーナはニタリと笑った。
「とーーった!」
セイラも気付かない程の早業で、ティーナは絵本を奪い取った。
「なぁにこれぇ。絵を描いた本? いいもん持ってるじゃあん」
衝動を抑え切れなかった。迷わずセイラはティーナの胸倉に掴みかかり、頬を殴った。「これが怒りか」と、認識する余裕すらも無かった。
こんな感情を持ったのはあの日以来かもしれない。ウィゼートの三分の一が焼けた日、リラを恨んだ日以来だ。
「返せ!!」
セイラは空が崩れる程に声を張り上げた。
「それを返せ! 今すぐ!!」
ティーナが思わず身震いする程の罵声だった。その時、プリメイが部屋に飛び込んできた。
「なに、一体どうしたの!?」
セイラは事情を説明し、ティーナはひたすら悪態をついた。プリメイはティーナを諌めると、絵本をセイラに返してくれた。
「ティーナ! あれはセイラのものでしょう、なんで取ったりしたの!」
「うるさいなあ、プリメイには関係ないでしょ!」
「関係あるよ! ティーナもセイラも大事な家族だもの!」
セイラはごく自然に「家族」という枠組みに加えられていたことに気づきもしなかった。ただ大事な絵本が再び盗られないよう、抱えて守るだけで精一杯だった。
すると、騒ぎに気づいたラヴェルが部屋に駆けつけた。
「何事ですか?」
「きゃあぁん、来てくれたのラヴェルぅ! あのね、ティーナとセイラが喧嘩しちゃったの。セイラの絵本を取っちゃったみたい」
事情を聞いたラヴェルはセイラの下にやってきて頭を撫でた。プリメイはティーナと何か話している。どうやら二人で役割を分担してその場を収めることにしたようだった。
「絵本は大丈夫でしたか?」
「大丈夫、傷はついていないようだ……」
「よかった。……それ、綺麗な絵本ですね」
セイラは黙って頷く。その時ティーナがプリメイを怒鳴りつけ、部屋を飛び出していった。プリメイが急いで後を追う。
ラヴェルはその様子を見つめながら言った。
「ティーナのこと、できれば嫌わないであげてください。あまり話してはくれませんが、あの子、これまで相当辛い目に遭ってきたようなんです。まだ人を信じることもできないし、愛されることにも慣れていないみたいなんです」
信じること。愛されること。後者はセイラにも理解できた。イオが今まで何百万回でも伝えてきたからだ。だが、前者はセイラにもまだ理解できなかった。
誰かを信じるという行為ができているのかどうかもわからない。
「君も、色々と複雑な事情を抱えているみたいですね。少しでも、話してみてはもらえませんか」
その一言で、セイラは信用するということができないことに気がついた。事情は初めて会った時に既に話した。だが、結局信じてはもらえなかった。リディやメディの存在すら知らない人々にとってはこれが普通。そう認識してしまうことこそ「信用できない」ということになる。
これまでにそんな経験は何百回でもあった。次第にセイラ自身も誰かに協力を求めようとはしなくなっていた。
今更、ラヴェルに何かを話そうという気にはなれない。
「お前に話すことなど無い。なるべく早くこの街からも出るようにする。だから、放っておいてくれ」
ラヴェルは寂しそうに肩を竦める。だが、それからこう言った。
「君がお話できないなら……逆に、俺の話に付き合ってはもらえないでしょうか。少し、散歩にでも行きませんか?」
セイラは首を傾げる。ラヴェルは穏やかに微笑む。優しい人だ。それでも、セイラの力になってくれる人ではないのだ。
人に信じてもらうには、どうすればよいのだろう。セイラはそんなことを考えながら頷いた。
ラヴェルが向かった先は時計台だった。天に向かって堂々と伸びているこの時計台はこの街のシンボルでもある。貴族が直接管理している施設でもあるらしく、入り口には警備員が立っていた。
「大人一人と子供一人、お願いします」
ラヴェルの姿を見ると、警備員は青ざめた。
「お、お前、アルミナ家の……」
「あ、そういうつもりで来た訳ではありませんのでご安心ください。ただの散歩です。アポロン家の方々の手を煩わせるような用事ではありませんよ」
ラヴェルはセイラの手を握りながら警備員に微笑みかけるが、警備員の表情は硬いままだった。
懐から財布を出し、ラヴェルが二人分の拝観料を払おうとすると、警備員は低い声で言った。
「……この街の怪盗については知っているな」
「ええ。それが何か」
「黙って赤毛の子供を引き渡せ。あれはここの大事な実験体だ。そうすればお前と恋人の罪はもみ消してやるそうだ」
ラヴェルはあくまで穏やかに、しかし無言の殺意を込めて言う。
「……お気遣いありがとうございます。しかし、大切なうちの子をそのような物騒な方の下に行かせるわけにはいきませんね」
「……おい、いいか、俺は忠告しているんだ。ここの連中はまともじゃない。家を出てようやく得た生活を子供一人の為に無駄にする気か」
ラヴェルは警備員の言葉を遮るように銅貨数枚を警備員に押し付けた。
「大人一枚と子供一枚。よろしいですね?」
「……どうなっても知らんぞ」
警備員が苦い顔で受け取ると、ラヴェルはようやくいつもの柔らかい笑顔を浮かべてセイラに微笑んだ。とりあえず通行の許可は出たようだった。




