第11章:第22話
そこは正真正銘、砂漠にあるあのオアシスだった。砂の平原のど真ん中に翡翠色の楽園が広がり、地下から蒼い水が湧き出ている。一般的なオアシスのイメージと違う点はあちこちに蒼と紅の水晶が生えているところだ。
キラ達はそのオアシスでここまでの疲れを癒していた。
「本当、とんでもないなあ……。こんな場所もあるなんて……」
驚きながらも木陰ですっかりくつろいでいるキラと違って、ゼオンはなんだか緊張しているような半ば怯えるような様子で黙り込んでいた。
その原因はあの爛れた手だ。大丈夫だからと逃げ回るゼオンの右手はセイラによって取っ捕まえられ、水辺のすぐ近くで処刑の時を待っていた。
セイラは天女のように穏やかな微笑みを浮かべている。
「さあゼオンさん。ここの蒼い水で手を洗ってください。そしたら治りますから」
逃げ場を探すゼオンの背中をキラは強く睨みつけた。「大人しく従いなさい」と目で訴えた。ゼオンは恐る恐る問い掛ける。
「本当に治るんだろうな?」
「はい。なんなら、飲んでみせましょうか?」
とうとうゼオンは諦めて水に手を浸けた。キラも様子が気になってゼオンの傍に向かう。
蒼の水はまばゆく輝き、ゼオンの手の爛れは瞬時に消え去ってしまった。その様子を見て、キラはほっと胸を撫で下ろした。
「よかったああ……ほんとに治ったあ……」
キラは元通りになったゼオンの手を掴む。
「もう、ゼオンのばかぁ。自分の身体は大事にしなさい。次、変な痩せ我慢したら『きらきらいなずまキック ~†ふぁいなるじゃっじめんとばーじょん†~』の刑だからね」
ゼオンは大人しく手を握られながら、なんだか気まずそうにそっぽを向いている。
そんなゼオンの横でセイラは手でオアシスの水を汲み、美味しそうに飲んでいた。
「ほ、ほんとに飲んでる……」
「あら、キラさん。もう少しゼオンさんのご褒美タイムを伸ばしてあげてもいいんですよ? 私はちゃあんとお邪魔せずに待っていますから」
「せ、セイラ。その水、飲んでも大丈夫なの?」
「大丈夫もなにも、私が言っていた『魔力の補給と身体の修復』はこのことですよ。いわば元気の源です」
「あ、あたしも飲める?」
「はい、大丈夫ですよ」
「やったー! 喉渇いてたんだよね!」
キラは早速手で水をすくって飲みはじめた。オアシスの水はひんやりと冷えていて美味しかった。
キラは草原に大の字になって寝転んだ。先程までの凄まじい記憶の世界が嘘のように思えた。時間がゆったりと流れていく。気持ちが穏やかだ。
「セイラぁー、あたし達、こんなことしてていいのかなあ」
「しばらくは構わないでしょう」
「……イオ君は? 追ってこない?」
「大丈夫です。追ってきたりしません」
キラが寝転んでいる間に、ゼオンは別の物に興味を持ったようだった。オアシスの周りに生えている紅と蒼の鉱石だ。
「ゼオン、どうしたの?」
ゼオンはじーっとそれを観察してからキラとセイラに言った。
「お前ら、どっちか瓶か何か持ってないか?」
「瓶ですか?」
セイラは懐から瓶を取り出して渡した。ゼオンは自分の杖で紅の石を叩き割る。そして地面に落ちた石を手で拾おうとしたところで、セイラが鬼のような形相で腕を掴んだ。
「何やってんですか。まさかとは思いますが、治療後数分も経たずして同じ怪我をする気じゃあありませんよねぇ? 可愛いキラさんが握ってくれたお手々を本人の目の前で傷つけるなんて悪い子ですねえ、ゼオンさぁん?」
「……あ、あれ拾いたいんだよ。それに…………今度は逆の手だし……」
「うふふふクスクス……今すぐ『きらきらいなずまキック ~†ふぁいなるじゃっじめんとばーじょん†~』を喰らいたいなんて、ゼオンさんってば超弩級のマゾヒストなんですねえクスクスクス……」
セイラの恐ろしい説得のおかげでゼオンは思い止まった。かと思ったら、ゼオンはうーんと考えた末にハンカチを取りだし、オアシスの蒼い水で洗って絞り、ビンに水を詰めた後、そのハンカチで紅の石を包んで拾ったのでキラ達は呆れた。
今度は手を怪我することは無かったが、あまりの無謀さにキラは頭を抱える。
「ねえセイラ、男の子ってみんなこうなの……?」
「キラさん、それは全国の男性の皆さんに失礼ですよ。ゼオンさんが頭おかしいんです」
「……そうだね」
ゼオンは瓶をしまいながらこちらを見つめてまた黙り込んだ。キラがじとっとした目つきで睨むと、ゼオンはまた気まずそうに言う。
「……わ……悪かった」
「もうゼオンなんて知らない」
「…………」
なんだか叱られた犬のように俯いてしまった。そのままゼオンは石のように動かなくなってしまったので、キラもいたたまれなくなってしまった。
なので、何かこちらから話を振ってみることにした。
「ねえ、なんでその石拾ったの?」
「この石、『破壊』の魔力が篭ってるんだろ? なんか上手く利用できないかなって……」
「はぁ……また魔力とか魔法の話かあ。ゼオンってほんと、魔法の勉強とか研究とか好きだよね」
キラがそう言うと、ゼオンは大層不思議なものを見るように言った。
「お前は……本当に魔法が嫌いだよな」
「うーん、そんな珍しいものでも見るように言われると困るけど……うまく使えないんだもん。好きになれないよ」
「不思議だな。俺は初めて魔法を使った時、こんな面白いものがこの世にあったのかって驚いたのに」
それを聞いて驚いたのはキラの方だった。そもそも、ゼオンが「面白い」と言うこと自体滅多に無いことだ。
青空の世界でゼオンが話していたことを思い出す。キラはあの話の続きを聞いてみたくなった。
「ねえ、ゼオンはどうして魔法が好きなの?」
ゼオンは色々と考えた末に答える。
「そりゃ……単純に綺麗だからだよ。魔法を使う時にいろんな色の光とかが出るだろ? あれが綺麗で、好きだったからだよ」
ぎこちなく、ゆっくりゆっくりとゼオンは言う。キラはそれを漏らさず聞いていた。
「なんかこう、好きになるきっかけみたいなものとかあったの?」
「きっかけというほどじゃないけど……ほら、俺が吸血鬼との混血で、クロード家から忌み嫌われてたことはもう知ってるだろ? あの頃、家にも学校にも居場所が無くて、母親とも色々あったし、そういう時に図書館に篭って魔法の勉強してると気分転換になったんだよ」
正に気分転換のように軽く話すものだから、キラはあんぐりと口を開けた。
「そんなナチュラルに重い話しないの……」
「え、重かったか……? まあとにかく、色んな辛いことがあっても、魔法の練習してると楽しいし、綺麗だと思えたんだよ。……ほら、話したぞ。満足か?」
すると、セイラがその話に口を挟んだ。
「ゼオンさんの母親って『子供は飲み物』を地で行く人ですよね? ゼオンさんも大変だったでしょう。よく堪えたと思いますよ」
「お前、そういうことあまり言うな……」
母親のことにはあまり触れてほしくないのか、それ以降ゼオンは昔の話はしなかった。
「ふうん、なんだかゼオンが自分の好きなことの話するのって初めて聞いたなあ」
「お前が話せって言ったんだろ」
「だってゼオン、そういうこと全然話さないんだもん。いつもロボットみたいに『のうさつてき』っていうか、必要なことしか話さないっていうか」
「のうさつてき……能率的じゃないか?」
「え、あっ、そうか。とにかくさあ、もっと自分の趣味とか好きなものとか話せばいいのに」
ゼオンはぶすっとして言う。
「言って誰の得になるんだよ」
「あたしがたのしい」
「……何が楽しいんだか」
今の会話のどこかで勝手に困ったらしく、急にゼオンの視線が落ち着かなくなる。キラはぱあっとゼオンに笑いかけた。
「えー、だって友達の趣味とか好きな物の話聞いてると、自分も楽しくならない?」
ゼオンは何か眩しい物でも見たかのように、慌てて向こうを向いてしまった。
「……ずるい」
「え、何が?」
「うるさい……なんでもない」
ゼオンはそそくさとキラから逃げるように立ち去り、セイラの所へ向かった。
「おい、あの鉱石、蒼の方も欲しいんだけどもう一つ瓶持ってないか?」
「瓶ですか、創りましょうか? さっきのも魔法で創ったものですけど」
「お前に負担がかからないなら頼む」
「わかりました…………はい、どうぞ。蒼の方は素手で掴んでも平気ですけど、長時間瓶に入れておくと中が凍りつくので爪先程の紅の石の欠片を一つ入れておくと良いかと思います」
「わかった、ありがとう」
急にゼオンがこちらを避けるように視線を合わさなくなった。なんか気に食わない。「ずるい」と言っていたが、何がゼオンの気に障ったのだろう。考えてみたけれど、キラにはわからなかった。
そうこうしているうちにゼオンは蒼の鉱石も手に入れていた。いつもどおりの無表情なのになんだか嬉しそうに見えた。
「さて、やることは済みましたし、もうしばらくしたら出発しましょうか。お二人とも、今のうちに休めるだけ休んでおいてくださいね」
「今のうちに?」
「ええ。イオを撒いてから随分時間が経っているのに、イオが追ってこないのはどうしてだと思います?」
首を傾げるキラに対して、ゼオンはすぐに察しがついたようだ。
「……追ってくるんじゃなくて、待ってるってことか」
セイラは深く頷いた。
「さすがゼオンさん、そういう察しはいいですね。そのとおり、私達の目的地──オズさんの記録書がある場所で、イオが待ち伏せしているからですよ」




