第11章:第19話
「……セイラ、どうしたの。どうして掴んでくれないの?」
セイラの手はイオの手まであと少しのところで止まっている。セイラはその先に行けない自分の手を見つめた。
一度手を引いて、セイラは尋ねる。
「イオ、もう少し詳しく聞かせてくれ。メディが叶えたい願いとは何だ。お前の願いは何だ。お前達は……何をするつもりなんだ?」
イオは「よくぞ聞いてくれました!」と楽しそうに手を叩いた。
「しょくん、ボク達の野望を説明しよう! 一つ、オズをぶっ殺すこと! 二つ、メディを復活させること!」
二つ目を聞いた途端、セイラの顔が豹変した。
「復活……? そんなことをしたら、何が起きるかわかっているだろう……? 『創造』と『破壊』のバランスが崩れる。そうしたら……」
「そして、この二つが叶った時、三つ目の野望を実行に移す!」
その三つ目の野望は、キラ達から見ても聞き捨てならないものだった。
「この世界を強制終了、再起動する! 欠陥だらけのシステムを捨てて、新しく生まれ変わるのです! この世界ごとぶっこわして作り直すんだ!」
セイラは言葉を失った。イオはもうセイラがどんな言葉をかけても戻ってきてくれないだろう。目が鈍く輝き、紐から離れた駒のように踊り回った。
「何を、言っているんだ……そんなこと、していいはずがない……できるはずがない……。仮にメディが身体と力を取り戻したとしても、元々のメディの力がリディを上回っていたとしても、世界のシステムごと破壊するのは難しいだろう」
「たしかに、メディ一人じゃ厳しいだろうね。だから、殺すついでにオズを利用しちゃえばいいんだよ。今やあいつは『破壊』の力の塊だ。魔力ってのは心や人格じゃなくて身体の方に強く宿るからね。オズの死体に残った力でメディを強くしちゃえばいいんだよ。かんたんでしょ?」
イオは本気だった。セイラの脚の力が抜け、床に座り込んでうなだれた。
「そうまでして、お前は何を叶えたいんだ?」
「『予言書』の消去」
イオははっきりと言い放つ。
「ボクはもう、『予言書』でいたくない……未来がわかる怪物ではいたくないんだよ……」
その願いがどこから来たものかはわかりきっていた。あの悲劇の夜。灰になった街。そして、イオを遠ざけたリラ。
セイラは何も言えなかった。リラの本心を知ってしまっているから。たとえそれを伝えたとしても、イオはその言葉すら拒絶してしまうから。
「ね、セイラ。お願い。ボクと一緒に来て」
イオは今にも崩れそうな笑顔でセイラに手を差し出した。セイラの手はやはり、イオの手まであと少しのところで止まっていた。
沈黙の末に、セイラはこう言葉を振り絞った。
「少しだけ……考える時間をくれないか」
その夜は新月だった。明かりのない闇を見上げて、セイラは一人うずくまっていた。
あの青年に貰った絵本を抱いて。貝のように押し黙る。
「リディ……リディ。返事をしてくれ」
リディと連絡を取ろうと試みているようだが、リディからの返事は無い。イオによると、「リディにはセイラとの通信は切るように言った」らしい。
それでもセイラは灰の街に座り込み、リディとの通信を試み続けていた。
気を紛らわせようとしたのか、ふとセイラは抱いていた絵本を開いた。一枚一枚、自分を慰めるようにページをめくる。
『……イ……ラ…………セイラ……?』
その時、声がした。
「リディ……!?」
『ごめんなさい、セイラ。こんなことになってしまって……私のせいで……』
「いい、気にするな。それより、早くメディをどうにかしてくれ……」
しかし、リディはセイラの頼みに応じてくれなかった。
『……駄目』
「どうして!」
『私が下手に動いたら、ミラとイクスの家族が危ないの。私のせいで二人を巻き込んだ上に、二人の家族まで犠牲にするなんてできない……』
「でも、このままでは……」
その時声に激しいノイズが入り、通信が切られてしまった。セイラの背後でリディとよく似た声が囁く。
『ウフフ、ざぁんねん。今のこと、イオに言っちゃおうかしらァ』
セイラは歯を食いしばるが、何も言い返せなかった。メディの声は遠ざかり、セイラは再び一人ぼっちになった。
頭上に道標となる光は無く、セイラは絵本を何度も何度も読み返して自分を慰めていた。
「世界の破壊と再構築……実感が沸かないな……突然そんなこと言われても」
セイラは自分の頭の中の『記録書』を呼び出した。様々な人の人生が宙に浮かぶ。セイラはそれを流し見る。
その中で、セイラは二つの『記録』に目を留めた。それはキラの両親──ミラとイクスの記録だった。
「リディは、どうして突然この二人を気にかけるようになったんだろう……それに、オズのことも……」
セイラは膝に乗せた絵本に視線を落とす。ちょうど主人公のドロシーが黒犬のトトとオズの魔法使いに出会う場面──ページをめくる手はそこで止まっていた。
ミラとイクスの記録を遡る。しかし、所々不自然に記録が途切れたり掠れたりしている箇所があった。
「この見えない部分が、リディやオズが関わった記録……ということか」
この世の全ての記録を記した『記録書』の力を以てしても、リディがこの二人に、そしてオズに見出だしたものの正体はわからない。
セイラは再び丸く縮こまった。もはや考えることも疲れたのか、セイラはうとうとと居眠りを始めた。明日がどうなるかもわからずに。どうすればよいかもわからずに。
その時、鳥の声がした。セイラはその声につられて目を覚ます。天井を青い鳥が飛んでいた。鳥は光へ光へと飛んでいた。
セイラは目を擦る。今夜は新月。空に光など無いはずなのに。鳥の行く先は東だった。
「綺麗……」
セイラは思わず声をあげた。空は白群と珊瑚色に染まり、地平線から白い太陽が顔を出していた。
光を受けた空は翡翠色へと表情を変えて一日の始まりを告げている。セイラの瞳に光と暖かさが芽生えていく。
「これは……朝焼けというやつか……実際に見るのは初めてだ……」
全ての過去を知り尽くしているなずなのに、不思議なことにセイラは誰よりもこの世界のことに疎かった。初めて見る朝焼けに手を伸ばし、空の高さに酔いしれる。
その時、空から何かが舞い降りて開きっぱなしの絵本の上に落ちた。朝日を受けて輝くエメラルドの都に青い羽がぱっと咲く。
セイラは青い羽を掬い上げ、一つ覚悟を決めたようだった。
絵本の中で主人公のドロシーが嘘つきに言う。「オズの魔法使い様、どうか私に故郷を帰してください」と。
嘘つきのからくりを見抜いた黒い犬には何が見えていただろう。その正体は、黒い犬になってみないとわからない。
「きっと、誰もが私を馬鹿だと嗤うだろうな」
それでもいい。そんな覚悟を瞳に秘めて、セイラはイオのもとに向かった。
数十年ぶりに、閉ざされた部屋の窓を開いた。朝日が輝く空を背に、セイラはイオに言い放った。
「イオ。私はお前と共には行けない」
みるみるうちにイオの顔が暗くなっていく。今まで信じつづけていたものに裏切られたという顔。
セイラは苦い顔で見つめながら、自分の言葉を述べた。
「確かに、この世界も神も残酷で理不尽だろう。そういう一面があることは確かだ。だが、一度そんな面を垣間見たというだけでなにもかも壊してしまうというのは早計だし、極端すぎやしないか?」
「セイラ……なに、いってるの……」
「だから、私はまず自分の目で確かめることにした。この世界は本当に一度壊すに値するのか。オズは……本当に殺すべきなのか。そして必ず、メディの企みを否定してみせるよ。『お前は間違っている』ってね」
「……!!? セイラはボク達の邪魔をするの……敵になるの!?」
「ああ、そうだ」
セイラははっきりと言い切った。
「イオ、断言する。メディと行く先にお前の幸せは無い。だから私はお前達を止めてみせる。この世界はきっと、お前達を止めるだけの理由と価値を見せてくれる……そう期待してみたい」
「なんで、どうして!? ボク、セイラとさえ居られればいい。それだけで十分だよ。セイラ以外何もいらないよ。幸せだよ。どうして、どうして!!?」
「なら、お前は今すぐメディと手を切ってくれるのか?」
イオは目を大きく見開き、そして初めてセイラを睨んだ。
「……それはできない」
「……だろうな。それで戻ってきてくれるなら、私はこんなことを考えたりしないさ」
イオはセイラに差し出した手を引っ込める。瞳が憎しみに染まっていく。そんなイオをセイラは寂しそうに見つめる。
「セイラは……ボクが嫌いになっちゃったの?」
「まさか、例え世界が滅びてもそんなことは起こらない。好きだよ。だからお前と共には行けない」
「本当に、本当に……!?」
「本当だ。必ず、メディを止めてやる。お前が幸せになれる場所も、必ず見つけるから」
その瞬間、イオは豹変した。部屋が揺らぎ、魔法陣が浮かび、愛するセイラに殺意を向けた。
「嘘つき!!!!」
その一言が与えた傷は存外深いと、セイラの僅かな表情の変化が告げる。
「嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき!! ずっと一緒だって言ったのに! セイラだけはボクから離れないって信じてたのに!!」
セイラは窓の縁にふわりと乗る。こうなることはきっとわかっていたのだろう。背から流れ込む旅立ちの朝日は、切ないくらいに鮮やかだった。
「行ってくるね。私、頑張るから」
そうしてセイラは窓から空へと飛び立った。
「赦さない! 嘘つき! 裏切り者!!! あああああああああああああああああ!!!」
イオの金切り声はいつまでもどこまでも響き続けた。セイラは遠くへ、遠くへ、力の限り空を飛びつづける。
一人ぽつんと空を舞いながら、セイラは朝焼けの空へ手を伸ばす。
「……広いな」
当然その手は届かない。
「……遠いな」
その身はどこまでも無力だ。
「……それでも」
セイラは飛びつづけた。
いつか必ずあの子にとっての本当の幸せが見つかる。そう期待してみたかったから。




