第8章:第8話
ラピスラズリを溶かしたような空にぽっかりと白い月が浮かぶ夜だった。木でできた机と椅子と、簡素なベッドがあるだけの面白みのない部屋に今日は客が居た。
机の上にはチェス盤があった。いくつかのポーンと白のルークとナイトの駒が一体ずつ欠けていた。ルークの方は黒に取られた。そしてナイトは来客の手にあった。
リディは向かい側に座っている来客に問う。
「本当にこれでいいの、イオ。」
イオは自分の身体には合わない大きな椅子に座り、足をぶらぶら揺らしながら手の中のナイトの置き場所に悩んでいるようだった。
「うん、ボクはもうリディにはついて行けない。ボクはボクの願いの為にメディの望みを叶えるよ。」
そう言ってイオは白のナイトを置いた。リディは唇を噛み、哀愁を帯びた目でイオを見つめた。
イオの蒼い目に映る光は鈍く、人形のような空虚な瞳だったのに口だけは楽しそうに笑っていた。
窓から射し込む淡い月明かりがチェス盤を照らす。白と黒のコントラストが一層はっきり見えた。
リディが次に手に取ったのは黒のクイーンからは離れたところにある黒のナイト。それをリディの望む場所に置いた。
次は相手の番。イオが駒を動かそうとした時、ねっとりとまとわりつくような艶っぽい声がした。
「うふふふ……。イオ、ポーンを動かして。」
「はーいメディ、どのポーン?」
取り憑くようにイオの背後にメディが居た。イオの髪を指で漉きながら耳元で囁き指示を出していた。
イオにメディの姿は見えない。だが声は聞こえている。メディの指示どおりにイオは駒を動かした。どうやら次の狙いは黒のルークのようだ。
メディはふわりと宙に浮いてイオから離れるとリディのところへ飛んできた。
「ふふふ、サラ・ルピアの腕と脚、美味しかったわ。」
「……趣味悪いわね。」
「妹の分も頂いちゃいたいわ。」
リディはぐっと黙り込んだ。リディが何か手だしをすれば、メディは容赦なくサラの時と同じことをキラにする気だ。
サラの腕脚を呑み込んだおかげでメディの力は以前よりも強まっただろう。これでキラ達四人の身もますます危うくなった。ますますリディは表立って動けなくなった。
イオがからかうように言った。
「そうだ、セイラに会いに行った時にあんたのお気に入りの死神さんに会ったよ。
オズの奴、結構躍起になってリディのこと捜してたみたい。だから思わずあんたがこの村の中に居るって教えちゃった。」
「……そう。」
「反応薄いね。」
「そうでもないわよ。動揺しているわ。」
声色すら乱さないリディを見てイオはつまらなさそうな顔をしていた。
リディはため息をついて淡く輝く月を見つめた。オズは今どうしているだろうか。何を考えているだろうか。
会いたいと願ってくれていたらいいな。と、今の状況には似合わないことを少し考えた。
だがその後に冷静になって考えた。オズは一見冷静で大人っぽそうに見えて意外と感情的で子供じみたところがある。
躍起になりすぎて暴走してしまうことがあるかもしれない。
「そうね、これでも動揺はしてるわよ。心配だわ……。」
リディは思わず同じことを二回言ってしまっていた。俯いて思い悩んでいるリディをメディは蔑むような目で見ていた。
「本当に、あなたは自分がどういう存在だか理解していないのね。
どうでもいい奴らのことをいちいち気にかけて、その上あのオズに惚れ込んで自分の役目を見失うなんて馬鹿げているわ。」
メディは吐き捨てるように言った。リディは静かに反論した。
「馬鹿げている……その言葉、そっくりそのまま返すわ。本当に、あなたは自分がやっていることを理解していないのね。
私やオズを憎むのなら、私が誰かを慕う気持ちも理解できるでしょうに。私が誰かを大切に思うことがそんなに間違っているのかしら?」
「理解はできないことはないわ。した上で言っているのよ。あなたは間違っている。」
リディとメディの言い合いを聞いていたイオが口をつぐんで黙り込んだ。
それを見てリディはそれ以上何も言わなくなった。そういえばメディにこんな風にまともに反論するのは久しぶりだったかもしれない。
メディもつまらなさそうにリディに背を向けてイオの所に戻っていった。
「行きましょう、イオ。こいつの面を見るのはもううんざりだわ。」
「はぁーい。あ、ところで、とりあえずこれからはキラ達の杖をぶん捕ればいいの?」
「ええ、頼むわ。」
「うんっ、わかったー!」
イオは無邪気にそう答えた。加えてメディはこう言った。
「それと、オズの様子も見ておいて。最終的に追い詰めれるよう、指示を出すから。」
「了解ー。」
イオは元気よく敬礼のポーズをとる。空虚な笑顔を作るイオを見てリディは少し寂しく思った。
以前はイオの隣にはいつもセイラが居た。セイラと居た頃のイオはあんな不安定な笑い方はしなかった。
イオは部屋から出て行き、メディも耳に残る笑い声を残して去っていく。
リディとまだ決着のついていないチェス盤が部屋に残された。
リディは現状を嘆き、ため息をつく。
セイラとイオの手は離れ、ミラとイクスは死に、ゼオン達は常に杖の力の影響下、サラは意識不明の重体、キラは悲劇を見せつけられ、最終的な狙いはオズ。
どうしてこんな運命になってしまったのかしら。リディは心の中で何度も繰り返し呟いた。
リディは試合途中のチェス盤を見つめた。いよいよこの村で駒たちの全面対決が始まる。メディもイオも去り、誰もいなくなった部屋の中でリディは黒の駒をとった。
「間違っているのはメディの方よ。」
相手の次の狙いはルーク。それを阻止するようにリディは駒を叩きつけた。
月明かりが部屋の中に光と影を作っていた。影の中に身を潜めてリディは青白く輝く月を見つめた。